【特集】木村潤平選手パラ事後対談後編

競泳

「みんなが運動して楽しむことができ、運動を習慣化させてほしい」

東京大会にトライアスロンで出場した木村選手

――早稲田大学の入学した理由とか明確なきっかけは何かありましたか

 大学生活を通じて、多くの人との出会いから本当に広い視点、視野を学べたかなと思います。早稲田には独立心が強い人など多様な人たちが多くいて、個性的なメンバーとの出会いが多く、本当にいろんな刺激をもらうことができました。学生時代にバカしたり、ふざけあってたメンバーもみんな自分の道を進んでいるので、自分も負けないようにがんばらないといけないと思っています。

――大学の授業は、今のチャレンジアクティブファンデーションのようなものを設立する動力にもなりましたか

 なりました。大学時代の出会いは本当に重要なものばかりでした。大学時代にお世話になった先生方も多くいらっしゃいましたし、様々な教育の視点も教えていただき、自分の考え方が大きく変化した時期でした。

――こだわらずにどんどん視野を広げるという意味でかなり大事な時期でしたね

 そうですね。そこからいろいろな考えが広がっていったのでよかったです。

――在学中、水泳部ではどのような活動をされましたか

 私の在学時は、水泳部で全て一緒に活動することはできませんでした。基本的にパラ選手とオリ選手では、やはり障がいの関係上、スピード差が大きく、限られた水泳場で一緒に練習するのは難しいことが多いです。それでも、今後は大学水泳においてもイギリスやオーストラリアと似たような、パラの選手がインカレのポイントを獲得できるシステムの導入等の工夫をしてもいいのではないかと思っています。このような工夫で、水泳部にとっても、仲間としてパラの水泳と一緒に練習をするメリットが出てくると思います。世界の動きで共生社会の動きがあるから、一緒にやるべきだというだけではなく、お互いにとってのメリットをどうやって作っていくのかが今後の課題になると思いますまた、このようなことをすることが根本的に何のためにやるべきなのかをみんなで今一度考えていかないといけないと思っています。

――海外では大学でパラ水泳と水泳が合体した大会はありますよね

 イギリスやオーストラリアでは、パラ選手がオープン参加で泳ぐのではなく、パラ水泳の選手が出ることによって大学にポイントが入って、チームに貢献することができ、勝利につながるという仕組みができています。このような、海外の取り組みを全て真似するのではなくて、日本独自の取り組みを増やして、いろんな人がアクションしていくことが今後重要だと思います。

――トライアスロンの転向の話も伺いたいのですが、新しいことを始めるという意味で始められたのですか

 他の競技も体験しました。でも、これまでやってきた水泳を今後も生かしたいとの思いから、トライアスロンに気持ちがいきました。

――プールで泳ぐのと海で泳ぐのとだいぶ違うと思いますが、慣れるのもかなり大変ではなかったですか

 トライアスロンを始めた当初は、泳ぐことの違いはあまり感じませんでしたが、海でしっかり泳ぐことが多くなってから海の難しさを感じることが多くなったように思います。

――その後その競技も変更されてからスポーツ科学研究科にも入学されたと思いますがそのきっかけは何があったのですか

 前職を退職し、東京パラをパラトライアスロンで目指すことになったのですが、長期ビジョンで考えたときに選手後もスポーツの世界で自分はなにか貢献していきたいと思っていました。ただ、自分にはスポーツ選手であったことだけで、スポーツの専門知識がなく、もっと勉強したいと思っていました。

――そこでは具体的にはどういう研究されていたのですか

 アメリカにある障がい者スポーツ支援団体についての研究をしました。この団体は、障がいを持った方に向けて、スポーツについてのサポートやイベントが充実している団体で大変勉強になりました。この団体を参考にして、日本ではもっと幅広く、障がいを持った人達も含めて、誰でもスポーツを楽しめるための団体を作りたいと考えました。このような団体を日本でも作れるように、アメリカがどのような取り組みをしているのか現地へ施設の見学に行ったり、話を聞いたりしていました。

――実際にパラスポーツをやる上で障害がある人たちにとってやりやすくするにはどうしたらいいか、ということでしょうか

 パラスポーツだけではなくて、誰でも一緒に楽しむためにはどのような取り組みが必要なのかを考えることが重要です。

――卒業されてからチャレンジアクティブファンデーションを設立されたと思うのですが、それは自分から作られたのですか

 大学院の修論を元に、自分が日本でどのような方向性で活動したいかを考えて、団体を設立しました。大学院の同級生もこの団体の理念に賛同してくださり、色々な面で応援してもらいました。また、現理事のメンバーにも色々相談に乗ってもらい、素敵なメンバーに支えられて、この団体を作ることができました。

――かなり大学院が大きなきっかけになっているのですね

 大学院での学びや出会いは大きかったです。自分が大学時代から続いている花形講義「トップスポーツビジネスの最前線」で活躍されている先生にご指導いただき、私のスポーツに関する考え方の幅を大きく広げていただきました。また、同級生にはスポーツ界における各界のリーダーが多くいらっしゃり、新しい考えや刺激を多くいただきました。

――そういう新しい考えの人達を巻き込んでいく形だったのですか

 大学院の同級生には本当に色々な面で応援いただきました。現団体の理事メンバーは、スポーツ種目やバックグラウンドがバラバラではありますが、それぞれ最前線を走ってこられた方々で素敵なメンバーにご一緒していただき、本当に感謝しています。これからは僕がどれだけ覚悟を持って、団体の理念実現のために頑張れるか。とにかく、がんばってどんどん活動していきたいと思っています。

「誰にでもいろんなチャンスが巡ってくる」

――今後の活動としてはどういうことをやりたいっていうのはありますか

 まず、今年中に障がい者就労支援施設へ向けての運動習慣形成プロジェクトを進めていく予定ですす。障がい者就労支援施設で働いて障害をお持ちの方はどうしても働くことばかりに陥りやすいので、運動習慣がなく、運動に自信がないという方も多くいらっしゃいます。この課題を解決するための、活動を、ご理解いただけた施設様でご一緒していただけることになりました。

 運動プログラムを毎日実施していただく予定です。このプログラムは、医学的な観点からもアプローチするため、理学療法士のみなさまにもご協力頂いています。継続性が大事なプロジェクトになりますので、障がい者就労支援施設のある地域で包括的にサポートしていくことが重要になります。アスリート×理学療法士で誰もが楽しめる運動プログラムによって、みんなが運動して楽しむことができ、運動を習慣化させてほしいと思っています。

 最初はアメリカのモデルにした団体のように様々な希望や夢に応えていくような団体作りをしたいと考えていましたが、全く問い合わせが来ませんでした。今の日本における運動に取り組んでいない方はそもそも運動習慣がなく、運動に関する希望や夢を出す以前の状態にあることがわかりました。そのため、今回の障がい者就労支援施設に向けての運動習慣形成プロジェクトが始まりました、まず、一つ土台となるようなプロジェクトを進めないといけないと思いました。このプロジェクトが実を結び、なにかさらに運動を楽しみたいと思う方ができたら、次は誰もが楽しめる大会やイベントが必要になってくると思います。さらに、何かをしたいと思った方の希望にこたえることができる、目標となる大会が必要にあると思っています。当たり前のように誰でも参加できる大会やイベントは、現時点で日本にはなかなかないです。だからこそ、今後は地域の大会やイベントと連携して、いろんない取組みをしていきたいと思っています。

――すごく良い循環ができますね

 そうですね。運動習慣ができて、目標を持った時に目標となる大会がある。誰もが何でもできちゃうような取り組みを増やしたいと思っています。

――プラスにもなるしモチベーションにもなりますね

 どんなスポーツにも挑戦してもらいたいです。その後は、パラを目指すだけではなくて、どんな障がいがあったとしても、自転車で日本一周してみたいとか面白い夢や目標が生まれてくると嬉しいなと思いますその夢や目標をサポートすることができたら、本当に最高です。

――スポーツ以外の夢にも広がっていくかもしれないですね

 一番重要なポイントだと思います。大学院のスポーツ研究で自分がすごく感じたのは、スポーツにおける視野が狭かったということです。自分自身が大事にしているバックグラウンドのパラリンピックにこだわったり、パラトライアスロンにこだわっては、本質的なとこが見えてないことに気づきました。

――研究の中で、教育現場で障害者と健常者が関わるための勉強などもされていたのでしょうか

 大学の教育学部時代の話ですね。まだ、学生でしたので、自分ができることは現場を見学させていただいて、いろんな方からご意見をお伺いすることくらいでした。その中でも、当時も今も僕は誰もが一緒になんでもした方がいいと思っていますが、やはりそんな簡単なことじゃない区別しないといけないこともあると思われている方もかなりいらっしゃることも気づくことができました。

――今は板橋区の小豆沢で活動されているのですか

 板橋区にある僕が所属して社会福祉法人と同じ住所に私の団体も登記させてもらっています。板橋区に関わらず、地方自治体や地域のプロスポーツクラブ、また素敵な活動をされているNPO法人や一般社団法人と連携して、大きな動きを生み出していきたいと思っています。また、個人の方にもご一緒していただき、一緒にこの動きを進めていただける賛助会員も今後募集させていただく予定です。
ぜひ、早大新聞の中でもメディア的なところが得意な方がいらっしゃれば少し協力して頂けると嬉しいと思っています。

――たくさん報道に関わりたい学生がいると思います

 今後は、色々なプロジェクトをどのように工夫して、メディアに発信していくかっていうのが僕たちの課題です。どんなにいいプロジェクトでも、みんなに見てもらって認知してもらえないと、やはり広がりには限界が出てくるので、ぜひ発信力が強い学生の皆様にもご協力いただきたいです。

――今後木村選手がやってみたい新しいことは何かありますか

 個人では、ロングのトライアスロンを出たい、一般の大会にもっと出たいと思っています。障がいを持っている人でも一緒に走ることができるということを、周りの人たちに認知してもらわないと大会側も受け入れることができないし、誰かがやらないと始まらないと思っています。このような活動が、どんな状況の人でも受け入れてくれる大会を増やすきっかけになってほしいと思っています。僕自身も出場できないと言われる大会がまだまだ多くあると思いますが、安全面に考慮はしたうえで、いろんな大会と交渉して少しでも多くの大会が誰でも参加できる大会になる土壌を作っていきたいです。

――当分は競技を続けられる予定ですか

 「パリを目指す」ということの重みはわかっているので、そんな簡単には言えないですが、競技はしっかりと継続していきたいと思っています。この過程で、もしパリでも戦えるパフォーマンスがあれば、またその時に考えたいと思っています。

――これからパラスポーツを始めるかもしれない障害のある子どもたちにメッセージを送るとしたらどんな言葉をかけたいですか

 まず、どんな形でもなんでもいいのでやってみてほしいですもちろんパラリンピックに行くことができれば、本当に素敵なことですが、まずはスポーツを楽しんでほしいし、スポーツを通して活動的になって、前向きな気持ちになってほしいと思っています。最初からパラリンピックを目指す人がいてもいいし、目指さないで楽しむ人がいてもいいと思っています。誰もがまず、一回はチャレンジして試してみて、なんでもいいので楽しくできるようになってもらえたらうれしいなと思っています。その延長で、もっとパラスポーツを極めたいと思ってくれる人が増えたらうれしいです。

――最後に早稲田スポーツ新聞の読者、学生に向けてメッセージの方をお願いします

 今でも私自身が心がけていることですが、とにかく行動をすることと出会いを大切にして、チャレンジしていくことを大事にしています。このことが、できれば、誰にでもいろんなチャンスが巡ってくると思っています。

――貴重なお話をありがとうございました!

(取材・編集 小山亜美、写真 共同通信社提供)