【特集】鈴木孝幸パラ事後対談前編 東京パラリンピックを振り返って

競泳

 出場全種目でメダルを獲得した鈴木孝幸(平21教卒=現ゴールドウイン)選手。前半では東京パラリンピックの振り返り、自身の泳ぎについてなど、今大会での泳ぎを振り返って頂きました!他にも楽器の演奏が好きで、特にいまある楽器にハマっているのだとか…。

※この取材は9月9日に行われたものです。

「一番印象に残っている種目は50メートル平泳ぎ」

――早速パラリンピック大会を振り返って質問させていただきたいと思います。最初の種目となったのが50メートル平泳ぎでは前半かなり積極的に入ったという印象なのですが、そのようなレースプランだったのですか

 そうですね。平泳ぎはもともと飛び込みでアドバンテージがあるので、そこを生かして前半はスピードに乗って。前半は周りよりも早く入っていくようなレース展開という意味ではいつも通りのレースができたかなという感じです。

――息継ぎを4回に1回していたと思います。この息継ぎはリオパラリンピック後に変えられたというお話を見たのですが、それによってスピード感は変わりましたか

 正直タイムだと北京の時の自己ベストが今回も更新できなかったので、タイムだけを言うと決して速くなっているわけではないです。ただリオの時とか、北京以降伸び悩んでいた頃から比べると、前半のスピードも出てくるようになりましたし、後半も(ペースの)落ちが減ったので少しずつレース通して前半も後半も少しずつ悪かった時よりもタイムは上がっている感じです。

――それはリオでの結果から、「何か変えよう」と思ったのがきっかけだったのですか

 最初はコーチの方から言われました。呼吸をしている時はどうしても体を上げる行為も力を入れるので、推進力に回す力が少し減ると言うことで、かき自体は小さくなってしまいます。(息継ぎを変えて)呼吸の回数を減らすことで、大きなストロークの回数を増やすということと、推進力につながるストロークの回数を増やすという意味で始めました。

――50メートル平泳ぎでは今大会最初の銅メダルを獲得されました。一つ目のメダルをとれたということで、大会を通して気持ちに余裕が生まれたりしましたか

 そうですね。僕自身一番印象に残っている種目が50メートル平泳ぎです。それがやはり最初のレースでしかもリオでメダルを逃した種目だったので、ここでしっかりとメダルを取れるかどうかでその後の流れも変わってくるなと思いました。ぼく自身だけではなく、チーム全体を見ても、やはり初日でメダルが取れた方がその後の勢いも出てくるかなと思ったので、両方の点からなんとかメダルを取りたいなと思っていました。

――続いて翌日に100メートル自由形では見事大会新で金メダル獲得されましたが、改めて100メートル自由形のレースを振り返ってみていかがですか

 あれは本当に一番のライバルになるであろうとも思ったイスラエルのオメル・ダダオンが予選でフライングをして失格になったのでチャンスが出てくるような形になったかなと思います。予選は隣だったのですが、動くのも見えたのでしっかりとフライング取ってもらいたいなと思っていたのですが。決勝ではずっと左に呼吸をする分右側にいたイタリアの選手のことは見えていなかったんです。結構前半は結構スピードに乗って最初に折り返すことが多かったので、今回も一番手で折り返すのかなという風に思っていたら、ターンを時に右側を見たらもう彼(ルイジ・ベッジャート)がいました。そこで少し驚いたのもありますけど、後半はやれることが決まっているので、自分が当初思い描いていた泳ぎをしっかりしようと思っていました。

後半、本当は41秒台で回りたかったんですけど、その結果42秒台にあそこのことばかり考えていましたね。後半は左呼吸なので隣が見えていたのですが、ラスト25メートル過ぎて15メートル過ぎても彼が前にいたので厳しいかなと思っていました。ですけど、呼吸で横を見たら急にいなくなっていて。(ペースが)落ちたのかなと思いながらも、最後までしっかりと泳ごうと思っていたら金メダル。そういう感じのレースでした。

――私もリアルタイムで拝見していたのですが、本当にラスト10メートルでもう一気に抜いたように感じたのですが、追い上げたというよりは隣の選手のペースが落ちたという感覚だったのですか

 そうですね。僕としてはスピードを保つだけでした。前の方が正直最後の最後でタイムが落ちてしまったという。結構積極的に入ったと思うのですが、その分ちょっと後半まで体力が持たなかったのかなと思います。ただ、見る側からすると追い上げて刺したみたいな感じになるので、すごく盛り上がる展開になっていて、それはそれで良かったなと思います。

――鈴木選手はクイックターンではなくタッチターンをされていると思うのですが、ターンを変えてあのような形になったのですか

 そうですね。平泳ぎ(の息継ぎの仕方)と同じくらいのタイミングで変えました。もともとはクイックターンだったのですが、脚が短いので壁を蹴ってもあまり壁を蹴れないという。あと健常者の方は足をしっかりと打ち込んで動力にして素早く回転しているのですが、それもなかなか力が入りません。そんなに早く回れているわけではなくて、タイムを取ったらタッチしてターンしても回ってターンしてもタイムにはほとんど差がありませんでした。

それだったらタッチしたときに呼吸ができるし、呼吸のリズムも崩れないし、(ターン時に)一回呼吸できます。ターンアウトって言うんですけど、ターンしてから呼吸を我慢してストロークに生かすことで、スピードに乗っていけるので変えました。タッチターンにするとどうしても息を止めているので、壁を蹴って浮き上がってきたときにすぐ呼吸をしないと苦しくなっちゃうんです。呼吸をするとその分推進力が生まれるので、ということを考えて後半波に乗るまで何かきかストロークできる方が(ペースが)落ちないんじゃないかっていうようなことも考えてターンはあのような形になりました。

――後半の推進力のためにもっていう形になったんですね

 そうですね。後半(ペースが)あまり落ちないようにするっていうのが大きな目的です。

――ターンを変更したことは今回の100メートル自由形など、他の種目でも生かされましたか

 そうだと思います。100メートルと200メートル自由形ではターンがすごく生きたかなと思います。

「今大会に至るまでにはいろいろな試行錯誤があった」

――以前北京パラリンピックでは50メートル平泳ぎで金メダル獲得されたと思うのですが、その当時とはまた意味合いの違う金メダルになりましたか

 はい。北京パラリンピックの時は2回目(のパラリンピック)でしたけども、50メートル平泳ぎに出るのは初めてで、ある意味ビギナーズラックのような、若さもあったので勢いに乗って取れた金メダルでした。ですが、今回はそれに至るまでにもいろいろテクニックの変更をしたり、いろんな試行錯誤をしたりした上でたどり着いたところがあって、そういう意味で少し違うなと思いました。

――次は中一日を空けて150メートル個人メドレーに出場されたと思います。「自分の中で一番苦手だった」というようなお話をされていたのを拝見しましたが、他の種目に比べて何か苦手意識があったのですか

 圧倒的に背泳ぎが苦手で、その分先に行かれてしまうので、その後追い上げていかないといけない展開でした。もともとランキングでも上2人がすごく早かったので。そういう意味で、僕は(大会前から)ずっと圧倒的3位と言っていたのですが、上にも行けないけど下にもいかないだろうというポジションで泳いでいました。実際メダルを取れる取れないでいう50メートル平泳ぎの方が危なかったと思います。4位までと団子(状態)だったので。苦手意識という意味で言うと150メートル個人メドレーかなと思います。

――では「メダルを取るのが難しい」と思っていた種目でいうと50メートル平泳ぎなのですね

 そうですね。一番チャレンジングだったと思います。

――150メートル個人メドレーの実際の泳ぎやタイムは振り返っていかがですか

 正直タイムはベストタイムから3秒ぐらい遅くて、決していいタイムではなかったですね。今だから言ってもいいかなと思うのですが、少し肩に違和感があって、それが背泳ぎで少し違和感が出たんです。幸いなことに平泳ぎと自由形ではほとんど出なかったので、他のレースではあまり支障がなかったですが。個人メドレーに関しては前からあった違和感がちょっと強く出て、今までの大会と比べると背泳ぎがまずすごく遅かったです。それがそのまま引きずってしまったと思います。

――その肩の違和感は大会前からあったものだったのですか

 そうですね。あまりこの話をしていないので、わりかしスクープかもしれません(笑)。5月末に選考会があって、その後に泳いでいる時に肩を痛めてしまって、ストレスを治しながら泳いでだいぶ良くなってはいました。イギリスに6月末に戻った時にまた強く(痛みが)出てしまって、そこをだましだましやっていました。日本に戻ってきてから日本のトレーナーさんにもしっかり見てもらえて、だいぶ痛みもなくできるようになりました。でもやっぱり全力で泳ぐとちょっと出てきてしまって、特に背泳ぎで出た感じでした。

――以降計10レースでかなりハードなスケジュールだったと思います。体のメンテナンスや痛みに対するケアが大変でしたか

 そうですね。年齢的なこともあってリカバリーは遅くなっていると思っていて。栄養面で気をつけたり、あとはトレーナーの方に頻繁にケアをしてもらったり。なるべく疲労を抜いた状態でレースに取り組んでいました。

――その後は200メートル自由形、50メートル自由形で2つ銀メダルを獲得されましたが、泳ぎは振り返っていかがですか

 疲労はそんなに蓄積されてないだろうと思って臨んでみました。ですがやはり200メートル自由形の後半は少ししんどかったので、自分が意識してない部分で疲労感があったというのは泳ぎながら思いました。前半は割といいタイムで入れていると思いますが、ちょっと後半が落ちてしまって。それでも2番だったということで、悪くはないと思います。タイムのことをいうと、ベストから2秒ぐらい遅くなったというのはあると思います。ただ50メートル自由形に関しては、あまり疲労も関係ないので、また別の要素というか、瞬発系の種目という意味で最後の種目が50メートル自由形で良かったと思います。ただ50メートル自由形はスタートで失敗して、ちょっと滑った感じになってしまいました。スムーズに浮き上がってこられなくて、そこでのタイムロスが0.2秒から0.3秒くらいあったと思います。

――50メートル自由形は瞬発系の種目というお話でしたが、その中でスタートの失敗から焦りはなかったのですか

 「しまった」とは思いましたけど、しょうがないですから。諦めちゃうとより順位が下がってしまうので、これでメダルを逃したら嫌だというのもあったので、そこからはなるべくリカバリーできるように一生懸命泳ぎました。あまり周りが見えていなかったので、あんなにラストまで競っているという意識がなかったので、後で見返してちょっと驚きました。スタート失敗した分ダダオンには負けているかなと思ったのですが、2番くらいには入れるかなと思っていたら、すごくギリギリだったので。後でレースを見て、諦めなくて良かったなと思います。

「初出場の選手もしっかりと活躍してくれた」

――リオでのメダル獲得ゼロから引退を考えたというお話を伺いました。東京パラリンピックにチャレンジする明確なきっかけというのは何があったのですか

 2018年に入って、当初はイギリスでの活動を終えるまで、リオが終わってから2年間ありました。イギリスいる間は奨学金をもらっていた関係で水泳は続けないといけない状況がありました。その2年間でリオの振り返りから見つかった改善点を改善してトレーニングとかも新たなものをしたりして、それがタイムに影響を与えて良くなっていたら東京を目指そうと思っていました。東京を目指していこうかなと思ってもメダルに届かなそうだな、諦めようかなっていう風に思っていました。

ですが、2018年になってすごくタイムが伸びてきました。ちょうど同じ頃にクラスの変更があって、自由形のクラスが1つ(障害が)重いクラスになりました。なので、自由形でもメダルを狙えるようになりました。そういうこともあって、東京を目指そうと思うようになったという感じです。

――大会前に「メダルを取れるだけよりいい色を目指したい」というお話されていたと思います。結果金メダル含め全ての種目でメダル獲得ということでまさに有言実行だったと思のですが、大会を通して振り返っていかがですか

 言ったことをほとんどできて、非常に満足していますし、ここまで上手くいった大会は今までなかったので、非常に嬉しく思っています。強いて挙げるなら、大会前は金メダルを複数個と言っていたので、それは達成できませんでした。ですが、夢だった(金メダル)一つは取れましたし、他の種目でもメダルが取れたので、今振り返ってみると満足する結果です。

――他のインタビューで選手村に楽器の一五一会を持参されたと拝見しました。リフレッシュとして弾いて過ごされたのですか

 実際持ち込んではいたのですが、弾いてはなくて。もともと弾くつもりで持っていったわけではないんです。楽器なので宅配便で送りたくなくて、手荷物となるとどうしても選手村に持って行かないといけなくなってしまって。大会前に家に帰ることができず、その後も選手村に入る何日も前からチーム合宿があったので。持って行かざるを得なくなってしまった感じです。なので、一応大会期間中は弾いていないですが、せっかく持ってきたからちょっと弾くかと思い、(レースが全て)終わってからちょっと弾きました。

――普段から楽器を弾かれるのは好きなのですか

 昔から演奏するのは好きで、中学時代は吹奏楽部にいました。結局一度も活動できなかったのですが、早稲田にいた頃は軽音サークルのようなものにもちょっと入りました。あとは、自分でキーボード買ったりして家で弾いたりとか。今は一五一会にはまっています。

――選手村では他のパラリンピック選手との交流もされましたか

 今回はコロナ感染対策もあって、基本的にはあまり他の国の選手との接触しない感じでした。水泳チーム内でもあいさつ程度で、他の団体の選手の部屋には入らないようになっていました。同室の人と話すくらいで、基本的には交流できなかったですね。ただ、選手村の食堂とかでは会いますし、他プールとかでは他の国の選手とすれ違うので、その時に多少の会話をしたりとかはありました。

――今回は本当に多くの選手が活躍されたと思いますが、総じてどう感じられましたか

 今回は初出場の選手が多いメンバー構成になっていて、その選手もしっかりと活躍してくれたという印象があります。特にメダルを取った14歳の山田美幸さんとかは初日で銀メダルを取ってくれましたし、出場した種目2つともメダルを取れたのはすごく良かったと思います。富田宇宙の初出場でメダルをしっかり取ってくれました。あとはメダルには届かなかったですけどベストを出したり、予選から決勝にしっかりタイム上げて順位を上げた選手もいました。僕らもその日レースがないと観客席へ入れなかったのですが、選手村で携帯とかで決勝のレースを見ていて、タイムや順位が上がると盛り上がるので、若い選手の活躍も光っていてよかったと思います。みんなそれなりに活躍をしてくれたという意味で嬉しかったですし、金メダリストも3人出たので、とても良かったです。

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【中編】これまでの歩みと行く末 「今後は国際的な組織に関わっていきたい」

(取材・編集 小山亜美)