【特集】『リオ五輪事後インタビュー』渡辺一平

競泳

 リオデジャネイロ五輪の男子200メートル平泳ぎ準決勝、五輪新記録が生まれた。その記録を出したのが、渡辺一平(スポ2=大分・佐伯鶴城)だ。初めての五輪、決勝レースでは6位でフィニッシュ。うれしさも悔しさも経験した渡辺に、五輪の振り返りや全日本学生選手権(インカレ)について話を伺った。

※この取材は8月26日に行われたものです。

大舞台、リオでの生活

取材に応じる渡辺

――久しぶりの日本はいかがですか

 すごく久しぶりでした。2か月ぶりくらいだったんですけど、日本はやっぱりご飯がおいしいですよね。久しぶりの日本食がおいしいですね。

――リオ入りが7月末でしたがそれまではどのように過ごされていましたか

 僕自身あまり夏場が強くなくて、毎年5月くらいが速くて8月とかはあまりタイムが上がらないんです。でも、ことしはやっぱりそんなことも言っていられないので、慎重に、でも思い切ったレースをしようと思っていました。やっぱりオリンピックという、僕が水泳を始めたときの夢であった大舞台で泳げるので、絶対後悔はしたくないと思って、練習を頑張っていました。

――開会式には参加されましたか

 いえ、してないです。僕たちは1日目からレースがあったので、開会式は夜遅くになっちゃうので出られなかったんです。でも開会式というのもやっぱり気分を上げる一つのものだと思うので、選手村のテレビで見てこんな感じなんだなと思いながらモチベーションを上げていました。

――選手村や五輪会場はいかがでしたか

 僕は高校3年生のときに出たユースオリンピックで一応選手村を経験していて、特に驚くことはなかったです。メディアはいろいろ言っていましたが全然過ごしやすくて、特に不便もなくレースに集中できたと思います。

――リオ独特の雰囲気を感じることはありましたか

 独特というのは特になかったです。時差も12時間ありますが、それも考えてメキシコで1か月くらい練習して、あまり時差がない中でリオに入ったので問題なくて。それよりは、やっぱりオリンピックという舞台はプールのいたる場所や自分の服にも五輪マークが入っていたりして、そういった点でいつものレースというよりは緊張感もありましたし、絶対結果を出さなければというプレッシャーもありました。

――選手村での生活についてお聞きしたいのですが、ルームメイトはどなたでしたか

 4人部屋で、塩浦慎理さん(イトマン東進)という自由形の方と、長谷川純矢さん(ミキハウス)という背泳ぎの方、それから萩野公介くん(東洋大)と僕で。2人部屋が2つだったのですが、こういうのってやっぱり年順で別れるんですよ。それで萩野くんと2人部屋になりました。

――トビウオジャパンの間でも仲が良さそうな雰囲気がうかがえました

 今回は男子では僕が最年少で、上は松田丈志さん(セガサミー)だったり藤井拓郎さん(平20スポ卒=現コナミ)だったり、年上の方も多かったです。ですが、女子は中学生もいましたし、高校生も4人くらいいて年齢層も若くて。僕はどちらかというとやっぱり中高生の人と話が合いますよね(笑)。なので、仲良くはなりました。

――男性陣の中では最年少ということで気遣いも

 もちろんありますよ!やっぱり僕が昔からテレビで見ていたような人がチームメイトだったので、失礼のないようにということはもちろんありました。萩野くんと同じ部屋でしたしね。でも、萩野くんが1日目で金メダルを取ってくれて、夜帰ってくるのも遅かったのですが、みんなで起きていて「おめでとう」ってお祝いしたりして、仲良く頑張れたと思います。

――同じ部屋の萩野選手が金メダルということで刺激も受けましたか

 それはもちろんです。だって部屋に帰ってきたら金メダルをびよーんってやっていましたからね(笑)。まじかーって思って(笑)。僕はその時はメダルを頑張って取りたいとは思っていたのですが、自分が金メダルを狙える位置にいるとも思ってなかったです。

――先ほど日本食もあったとおっしゃっていましたが、食事はいかがでしたか

 歩いて3分くらいの近くにJOCの方がご飯を作ってくれる所がありました。軽食なんですけど、ご飯とか味噌汁とかそういうのが食べられるようになっていました。ハイパフォーマンスセンターというのが車で30~40分くらい行った所にあって、ご飯とかお風呂とかいろいろそろっていて、そこで日本食なども食べていたので、特にご飯も気にすることはありませんでした。

――結構そこで食事されたのですか

 そうですね、でも僕はそんなに行かなかったです(笑)。やっぱり往復1時間20分くらいかかっちゃうので、そっちが嫌でしたね。

――では選手村にある食事スペースで

 はい。食事もお肉とかご飯とかピザとか、すごく良いご飯があっておいしかったです。

――お気に入りのメニューはありましたか

 お気に入りですか。ピザですね。ピザのチーズのやつがめちゃくちゃおいしいんですよ。でもやっぱりレース前だったので、止めようと。あんまり食べ過ぎちゃうと太っちゃうので。

――やはり体重の差というのもレースに影響してくるのですか

 はい。特に何を食べたいとかはなくて、炭水化物をいっぱい摂ってとか何を減らしてとかはしないのですが、やっぱり体重はここからここの間という風に自分で決めてやっています。

――ご自身のレースが終わった後など、他の競技で応援や観戦に行った試合はありますか

 競泳の競技が全部終わって飛行機まで1日あったんですよ。その時に、みんな水球に行ったりとか卓球に行ったりとかして応援をしました。それはもうばらばらだったんですけど、競泳だけではないいろいろな日本選手団の応援もしましたね。競泳って個人競技と言われる競技なんですけど、水球とかはチームじゃないですか。見ていておもしろいですよね。

――感銘を受けた試合や選手は

 僕が飛行機で帰ってきて時差ぼけのある中、朝方に吉田沙保里さんの試合が行われていました。おそらく日本のほとんどの人が勝つと思っていたと思うんですよ。そのプレッシャーの中、まず決勝にいくっていうのが、僕はもうすごいと思います。4大会ですからね。僕が4大会出ようとしたら31歳とかですね。僕は絶対にやってないな、というのも考えると4大会出場というのもすごいことですし、金・金・金・銀とメダルを取っていることもすごいと思います。きのう解団式で表彰みたいなものがあったのですが、僕がテレビで見るような人が目の前にいて、すごい場所にいるんだなという気持ちになりました。

――解団式では他の選手の方とお話はされましたか

 僕、白井健三くんと同級生なんです。あともう一人いるのですが、僕たちが日本選手団の男子最年少なんですよね。それで少し「おめでとうございます」って喋りました。

――オリンピックでは他国の選手や他の競技の選手との交流はありましたか

 ユースオリンピックの時に、僕は優勝できたのですが、3位の選手がロシアのチュプコフ選手でした。彼がきょねんの世界水泳で決勝に残っていたんです。僕は世界水泳に出ていなかったのでテレビで見る立場だったのですが、その世界水泳から刺激をもらいました。世界の同級生でそうやって刺激をもらえる相手がいて、それってうれしいことですよね。世界の選手と仲良くなって刺激し合って、レースの時も頑張ろうねって言いながらやれるというのは、すごく良いことだと思います。今回彼は3番でメダルも取ってくれて、それはすごく悔しいんですけど、次は負けたくないという気持ちがあるので、らいねん勝てるように努力していきたいと思います。

――北島康介さんもリオにいらっしゃったようですが、お話はされましたか

 (男子)200メートル平泳ぎが終わるまではあまり会えてなかったのですが、終わって次の日に応援していたら、その時に北島さんがいらっしゃって、僕の方に来てくれました。まず「いいレースだった」っていう風に褒めてくださって。まだ僕が19歳ということもあって、「東京もあるから、今回は悔しいだろうけどまた次を目指して頑張って」と言ってくださいました。これまでずっと北島さんがメダルを取って、4年前は立石(諒)さんがメダルを取ってというように、日本の平泳ぎはお家芸で、ずっとメダルを取ってきていた種目なので、北島さんや立石さんにすごく申し訳ないという気持ちがありました。ですが、そうやって励ましてくださって、悲しんでいる時間はないという風には思いましたね。次があるんだと思いました。

――トビウオジャパンの早大勢とは何か話をしていましたか

 4月の選考会の時点では大也さん(瀬戸、スポ4=埼玉栄)、聖人さん(坂井、スポ3=福岡・柳川)、香生子(渡部、スポ2=東京・武蔵野)とみんなで(リオに)行こうという話はしていたのですけど、きょねんまで一緒に練習していた克さん(中村、平28スポ卒=現イトマン東進)や、藤井拓郎さん、古賀淳也さん(平22スポ卒=現第一三共)、星奈津美さん(平25スポ卒=現ミズノ)といったOBやOGも含めた8人でもワセダで(代表に)入りたいと話していました。また、聖人さんとはずっとメキシコで練習していて、二人でメダルを取ろうと言い合っていました。それで僕の(男子200メートル平泳ぎの)準決勝の日だったのですが、聖人さんの決勝があって、僕の準決勝の前で聖人さんがメダルを取ってくれて、次が僕のレースでした。もちろんアドレナリンも出ましが、それ以上に自信を持てました。レースの時に僕の気持ちの中でも、「全く同じ練習をしてきたから、本気で自分の力を出し切れば絶対にタイムは出る」ということを思ってレースに臨みました。100メートルから150メートルの間に少しテンポも上げて、ラスト50メートルもバテないようにと気持ちを強く持っていたので、準決勝はあのいい泳ぎができていいタイムも出たのだと思います。このタイムが出たのはもちろん聖人さんのおかげだと思っていますし、自分自身が自信を持てた結果だとも思います。

オリンピック、激闘の4レース

坂井選手と共にワセダピース!

――リオ入りの前になぜ坂井選手とメキシコで高地トレーニングをすることに決めたのでしょうか

 日本でやるという考えはなかったです。もう最初からどこの高地に行くかという感じで。(高地トレーニングの名所である米アリゾナ州の)フラッグスタッフではなくメキシコを選んだ理由は、メキシコの方が標高2450メートルと2200メートルのフラッグスタッフよりも(標高が)高いからです。フラッグスタッフには大也さん、日体大のいろいろな選手、金藤さん(理絵、Jaked)もいたんですけど、メキシコでは僕と聖人さんの二人きりで他に日本選手団がいないので、聖人さんだったら大也さん、僕だったら小関さん(也朱篤、ミキハウス)のようにメダル争いでライバルになるような選手と離れて、二人で集中しても周りの選手に気を取られず、自分自身の練習ができていたというのはあると思います。

――坂井選手から何かアドバイスは受けていましたか

 アドバイスはなかったのですが、練習中はくじけそうになったときには二人で言い合ったり、どっちかが速かったらどっちかは気持ちを入れ直したりしていました。

――高地トレーニングの練習の重点はどこにおきましたか

 やはり高地は酸素が薄いので、聖人さんはバタフライのドルフィンキック、平泳ぎはひとかきでどれだけ遠くに行けるかが勝負のカギを握るので、そこを重点的に練習していました。

――こういった調整法は以前にもしていましたか

 4月の選考会のときもメキシコの標高1950メートルくらいあるサンルイポトシという所で練習を行っていて、3週間前ぐらいに日本に帰って調整していました。今回も3週間前ぐらいにブラジル入りして、標高700メートルくらいのサンパウロで練習していました。

――二人での合宿ということで生活面や栄養管理の方は

 生活面では、僕もツイッターに上げていたんですが、遊んだりしていました。食事は日本から雑炊みたいなものや焼き肉のたれを持っていって、ホテルのご飯にかけていました。世界は日本ほど塩っ気が多くないので日本の味にしました。練習を支えるのは食と休養だと思うのでそこら辺はしっかりやっていました。

――高地トレーニングの成果はレースで実感できましたか

 高地を経験したので、自信を持ってレースに臨めました。

――リオ五輪で最初に泳いだ男子100メートル平泳ぎでは自己ベストまであと少しというタイムでしたが

 僕自身この種目で予選からタイムを出すのがすごく苦手なんですよ。59秒台を出して準決勝に行きたかったのですが、ことしの選考会でも(男子)100メートル平泳ぎでは予選落ちをしてすごく悔しい結果だったので、苦手な中で自己ベストに近いタイムが出せたことは良かったと思います。100分の7秒差で予選落ちはしましたけど、それはそれで(男子)200メートル平泳ぎに向けて集中はできましたし、100から200に切り替えていこうという気持ちにもなれました。

――男子200メートル平泳ぎに向けた慣らしになったのでは

 やはり僕のオリンピックのメインは(男子)200メートル平泳ぎだと思っていたので、選考会で全然タイムが出ていなかった中で最初に100メートルを泳がせていただいたというのは日本選手団や平井先生(伯昌、昭61社卒)に感謝しています。

――そして本命の男子200メートル平泳ぎですが、予選前の心境や目標は

 (男子)200メートル平泳ぎの予選は、100メートルで招集とかアップの感じを一度経験していたので、びっくりすることもなかったですし、いつも通りという感じでした。予選は僕の組が結構速くて、優勝したバランディン選手(カザフスタン)もいましたし、マルコ(コッホ、ドイツ)が僕の隣で、レベルが高いということが分かっていました。16番に入ればよかったので、落ち着いて2分9秒台で泳ごうと思って、結果良い感じで2分9秒台で泳げました。

――予選を難なく突破したあとの準決勝。決勝進出のための目標設定は

 予選は8番手だったのですが、決勝進出のためには2分8秒台が必要だと思ったんですよ。予選12番手位には(決勝で)2位になったアメリカのジョシュ・プレノー選手もいて、絶対に上がってくると思ったので、2分8秒が必要だと思いました。

――準決勝では自己ベストでオリンピック記録という素晴らしいタイムが出ました。理想のレースができたのでは

 はい。当時の自己ベストが(2分)8秒80台で、全力でいかなければ8秒台は出ないと思っていたので、もちろん全力でいったのですが、まさかあのタイムが出るとは思っていませんでした。

――最高の結果が出た要因を挙げるとするならば

 聖人さんです。レースの招集前に、水着に着替えながら聖人さんの(銀メダルを獲得した)レースをテレビで見ていたのですが、わき汗がやばかったです(笑)。もちろん「二人でメダルを取ろう」と言ってくれていたので、僕の前に聖人さんが取ってくれて、準決勝落ちは絶対に嫌だと思いました。

――前半から飛ばそうと狙っていたのですか

 やはり高地トレーニングで良い練習、良いタイムで泳げていましたし、自信を持っていけたので。(男子)200メートル平泳ぎはどれだけ力をイーブンに使えるかが重要で、僕のイメージでは最初の50メートルで2割使って、それから4割、6割、10割使うという感じなんですよ。今回はその2割の中でも予想以上にタイムが速かったですし、かき数も全く増えなかったので、泳いでいる最中に絶対良いタイムが出ていると思っていました。

――ゴール後にタイムを確認した時の心境はいかがでしたか

 150メートルのターンで小関さんが僕の後ろにいて、僕が1位でターンしたのが分かりました。準決勝なので流すこともできたのですが、聖人さんのせいで気持ちを止められずに飛ばしちゃって。それが決勝に響いちゃったとは思うんですけどね(笑)。

――レース後に小関選手から何か声をかけられましたか

 小関さんのベストが2分7秒70台で、絶対日本の二人でメダルを取ろうという風に言っていて、僕が7秒20台を出して、小関さんもほっとしたんですかね、ほっとした表情で「よかったね」と言ってくれました。

――オリンピック新記録ということで海外メディアの取材も受けたのでは

 はい、3つぐらい英語で来たんですけど全く分からなくて(笑)。通訳の人を呼んで、少しずつ答えていました。

――決勝に向けての準備は

 決勝は次の日だったのですが、大学1年の4月のきょねんの世界水泳(世界選手権)の選考会(日本選手権)のときも同じ状況でした。僕下手くそなんですよね。すごく素人なので、決勝が次の日で一日一本となると、アップ不足になってしまんです。なので、その次の日は前日と同じようなことをしようと思って、昼の11時ぐらいに1時間ほどアップして水着をはいて、50メートル×4のブロークンという練習をしたんですよ。レースのイメージを持って同じ強度で泳いで、しっかりダウンをとって休んでという感じで、決勝の日も前日の準決勝と同じようなことをして良いかたちで臨めたと思います。

――決勝のレースプランも予選、準決勝と同じでしたか

 はい。僕はやはりタイムをイーブンにするのが得意な方なので、しっかりと自分のレースをしようと思っていました。

――メダルまで0秒17という大混戦となりました。レース後の率直な感想は

 すごく悔しかったんですけど、今思えば、優勝するというイメージを持って練習できていなかったので、いざセンターコースを泳いで優勝するとなると、その時点で他の選手に気持ちで負けていましたね。僕はやはりメダルを目標にやってきていたのですが、準決勝で2分7秒22という世界歴代3位の記録を出して、自分の居場所が全く変わるわけじゃないですか。優勝が狙える位置にいることがプレッシャーになってしまいました。その時はもちろん世界新で優勝するという目標でレースに臨んでいたのですが、今思うとそう考えてしまいますね。

――ただ決勝も2分7秒台の好タイムで、泳ぎに手ごたえはあったのではないですか

 2分7秒80というタイムは、今はすごく自信にもなっています。それまでのベストが(2分)8秒80台が1回だけだったのに、今回7秒台で2回泳げたので自信を持っています。僕自身、力みがあったというか、優勝したいという気持ちが出すぎて、決勝では思い切ったレースができていなかったと思います。

――緊張はあったのですか

 緊張はなかったのですけど、オリンピックで決勝のセンターコースということもあったので、やはり自分の分からないところで(緊張)していたのですかね。

――登場の順番も最後でしたね

 そうですね。日本は1コースから入るじゃないですか。なのでセンターコースでも真ん中ぐらいで入るので、一番最後に入場するということもなかったんですよ。今もう一度オリンピックが行えるのなら、準決勝は少しためていましたね。結果論なのでいま何言ってもどうしようもないのですけど、やはり思ってしまいます。4年に一度の世界で一番大きな舞台で、小さいころからの夢の舞台なので、両親や親戚も15人ぐらい応援に来てくれて、旗も作ってくれてTシャツも着てくれたので、応援しに来てくれた人たちのために、準決勝でためたり決勝で思い切ったレースをしたり、もう少しどうにかすればメダルを取れたのではないかと思います。

――決勝後、日本選手団のチームメイトからは何と声をかけてもらいましたか

 みんな「4年後」と言ってくれました。いま19歳なので4年後は23歳、競泳選手として一番ピークの時期なので。「4年後があるから」、「よく2分7秒台で泳げたね」と言ってくれて、すごく涙が出ました。あの時が一番悔しかったですね。

――平泳ぎで目標とする選手は

 練習のときは立石(諒)さんですね。立石さんは平泳ぎの専門なのですけど、練習がすごく上手いんですよ。練習の全部のタイムが速いわけではないのですけど、自分自身を追い込むというか。50メートルが4本あれば1本全力でいって2,3,4はへろへろなっているという感じなので。レースのときは小関さんだったり、優勝したバランディンだったり、3位になったチュプコフだったりが、すごい選手だなと感心したりこういう選手になりたいと思いますね。レース以外も含めると北島さんですね。あの人には人を惹きつけるオーラがあります。

――今大会で一躍世界からマークされる存在になったと思いますが

 6位ですよ、全然です。やはり世界の決勝の舞台で優勝を狙える位置にいて、準決勝のタイムのままでいけば優勝できたというところで優勝できないというのは、僕に絶対何か欠けいてるところがあると思うんですよ。練習の気持ちだったり、日ごろの行いもそうですけど、上の5人が勝っていたところが絶対あると思うので、自分の行動とか全てにおいて世界から憧れてもらえる存在になりたいです。

――大会を終えて帰国したときや大学に戻ってきたときの反応は覚えていますか

 すごく申し訳なかったです。メダルを取れる位置にいたじゃないですか。準決勝が終わっていろんなテレビに出ていたらしいですけど、終わった後帰ってきて、もちろんワセダのみんなも応援してくれたと思うんですよ。申し訳ない気持ちでした。でもらいねんも世界水泳(世界選手権)がありますし、4年後ともみんな言ってくださっています。

――地元大分からは何かメッセージは

 大分テレビの人も現地にいたんですよ。よくこのプールにも来てくれていて、1週間ぐらいいらっしゃるんです。今回インカレと国体が終わったら大分に帰るんですけど、応援してくださったいろんな人に感謝の気持ちを込めて、貢献できることがあればしたいなと思います。

見据える先は『優勝』のみ

インカレでの目標は「ベスト更新」

――自己ベスト更新など、ことしの躍進は目覚ましいものですが、その理由をご自身ではどうお考えですか

 やっぱりワセダは坂井聖人選手(スポ3=福岡・柳川)だったり瀬戸大也選手(スポ4=埼玉栄)だったり、香生子(渡部、スポ2=東京・武蔵野)もそうですけど、そういう日本代表レベルの選手と練習できるので、それも大きいと思います。

――やはり刺激になっているのですね

 はい。聖人さんはすごく練習が強いので、むかつくことが多いですけどね(笑)。練習中、(聖人さんには)本当に1回も勝たせてもらえないんですよ。

――自己ベストの大幅な更新は4月の日本選手権でしたが、それ以前から手応えやその予兆を感じていましたか

 絶対に自己ベストが出ると思いました。4月の選考会(日本選手権)も今回も。

――精神面での成長と記録との関係はありますか

 ないです。聖人さんすごくガキですよ、本当に(笑)。

――競泳とメンタルの関係はない、と

 関係ないと思います。聖人さんを見ているとそう思いますね。

――これからの日本の平泳ぎ界を自分が引っ張っていくという意志はありますか

 もちろんあります。東京オリンピックでは絶対僕が(引っ張っていきたいです)。今回のインカレとか国体もそうですけど、らいねんの4月の選考会や世界水泳からですね。今回負けてすごく悔しかったので、もう負けたくない。らいねんの世界水泳も4年後も、全部優勝したいと思います。

――小関也朱篤選手(ミキハウス)は目の前の最大のライバルだと思いますが、ご自身が小関選手と比べて強みだと思うこと、足りないと感じていることは何ですか

 足りないと思うのは上半身の筋肉ですね、あと思い切りです。やっぱり小関さんは捨て身で来るじゃないですか。僕にはそういう気持ちがないと思うので。勝っているというのは体力面ですかね。僕は自由形とか個人メドレーとかいろいろ泳いでいるので、世界の平泳ぎ選手の中でも結構練習は強い方だと思いますし、自由形や個人メドレーも泳げるというのが良いのではないかなとは思います。

――入学当初の目標であったリオ五輪出場は達成しました。ワセダ在学中の次なる目標をお聞かせください

 フォロワー5万人です。…こんなんじゃだめですね(笑)。らいねんは世界水泳があって、2年後はアジア選手権があるので、とんとんと。どっちも取ります。

――瀬戸選手をはじめとする、4年生と挑む最後のインカレが目前に迫っています

 やっぱり4年生にはすごくお世話になっているので、感謝の気持ちを持ってレースをしたいと思っています。

――特に上野聖人主将(社4=神奈川・法政二)は同じ平泳ぎですね

 ワンツーしたいですね。狙える位置にいると思っているので。

――渡辺選手ご自身の目標をお聞かせください

 きょねんは(男子)100メートル平泳ぎで予選落ち、(男子)200メートル(平泳ぎ)で3番でした。(男子)400メートルフリーリレーは、それはもう克さん(中村、平28スポ卒=現イトマン東進)だったり荒木さん(優介副将、人4=三重・暁)、大也さんに助けられて優勝できたので、個人で優勝したことがないんです。僕が出る種目では全部勝ちたいと思っています。

――では最後の質問です。活躍が期待される4年後の東京オリンピックに向けて、現時点での目標・意気込みをお聞かせください

 世界新記録で優勝してプロポーズすることです。これずっと言っているんですけどね(笑)。

――ありがとうございました!

(取材・編集 高橋豪、中川歩美)

4年後、東京五輪での『優勝』を目指します!

◆渡辺一平(わたなべ・いっぺい)

1997年(平9)3月18日生まれ。身長193センチ、体重76キロ。大分・佐伯鶴城高出身。スポーツ科学部2年。2016年に入ってからオリンピック新記録を上げるまでサクセスロードをまい進中の渡辺選手。先輩の坂井選手とは二人で調整を行うなどお互いを高め合いながらも、取材中は冗談も言い合う名コンビのような関係です。規格外スイマーのさらなる成長から目が離せません!