世界選手権!瀬戸大也インタビュー

競泳

 スペイン・バルセロナで開催されている世界選手権。いよいよ、7月28日より競泳競技の熱き戦いが始まる。ワセダからは、瀬戸大也(スポ1=埼玉栄)が日本代表として世界へ挑戦。200メートル個人メドレー、400メートル個人メドレーに出場する。昨年の五輪代表選考会の悔し涙から1年。挫折を経験し心身共に大きく成長した瀬戸は、初めてトビウオジャパンのユニフォームへ袖を通す。日本競泳界の新戦力としてメダル獲得の期待がかかる大一番。いざ、世界の舞台へ。世界選手権へ懸ける強い思いを語った。

※この取材は5月7日に行ったものです。

日本競泳界期待の新戦力

瀬戸の世界選手権での活躍に期待大

――ワセダに入学していかがですか
ワセダに、高校の時から行きたい行きたいと思っていました。実際に来られて、いざ始まってみると、授業や部活動の面でも、自分にあっているかなと思います。雰囲気がとても好きなので、毎日が楽しいです。

――ワセダを志望した理由は何ですか
世界を目指してレベルをあげていくには、環境を変えないでやっていくのが一番なのかな、と思ったので、家から通えて、(今まで通っていた)スイミングスクールのコーチとも一緒にできる環境ということで、一番近くて条件の良かったワセダがいいかな、と思っていました。推薦の話などもあったので、ワセダにしようと思いました。

――代表入りを決めた4月の日本選手権についてお伺いします。400メートル個人メドレーでは2位、という結果についてどう思われますか
選考会の初日が400メートル個人メドレーだったんですけれど、段々泳ぐにつれて調子があがって来たというか、そんなに狙っていなかったバタフライや平泳ぎで結構良い記録が出ていて、肝心の、自分が得意だった400メートル個人メドレーでベストが出なかったです。だから代表には決まったんですけど、タイムに満足はしてないです。代表に入れたことは本当に良かったと思います。

――いつも連戦のときは昇り調子になるのですか
去年ワールドカップに出て、色んな地域を転々として連戦させてもらったときは、試合に出ていくごとに体のキレが出てきました。レース感覚が研ぎ澄まされていったというか。連戦は結構得意です。4月の選考会も一発目で良い記録で泳ぎたかったんですけど、そうはいかなくて、選考会内でも、どんどん日にちを追うごとに調子が上がって来たのかな、という感じでした。

――萩野選手(公介、東洋大)とは昔からお友達ということですが、どのような印象を
小学生の頃から萩野君のことを知っていて、小学生のころは本当に手も足も出ずというか、雲の上の存在で、普通に隣でレースをしていても、50メートルで5メートルくらい差をつけられたり、200メートル個人メドレーを泳いだら25メートルくらい差がついたりして、本当に圧倒的な存在でした。中学2年生のときに400メートル個人メドレーで初めて勝てて、それから切磋琢磨しているというか、一緒に戦っています。ライバルでもあるし、目標にする選手というか。もう彼はいま、オリンピック銅メダリストなので。胸を借りるつもりで、毎日頑張っています。

――瀬戸選手から見た萩野選手の強さは
萩野君は、自分とすべてにおいて正反対で、得意種目も真逆で、彼は頭良いし自分は頭悪いしみたいな(笑)。性格も真逆で、水泳以外でも尊敬します。(萩野選手は)やっぱり真面目で、ストイックなので、練習も本当にはやくて、「ああ、本当に強いんだな」って思います。自分は練習あんまり好きじゃないので・・・結構サボったりするんで(笑)見習いたいですね。

――プライベートでも親交はありますか
試合以外では仲良くやっているというか(笑)、ごはんに一緒に行ったりもするので。

――いつ頃からですか
高校くらいになってから、一緒に日本のトップの合宿に参加できるようになって。それから、同い年の山口観弘(東洋大)君と3人でご飯に行ったりしています。萩野君の恋愛相談にのったりとか(笑)仲は良いです。

――どういうお店に食べに行かれるんですか
焼肉が多いですね。食べ放題が基本です(笑)。

――みなさんどのくらい召し上がるんですか
お店の人に、「肉の量多すぎませんか」ってこの前言われました(笑)かなり食べます。

挫折からの再挑戦

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――昨年の五輪選考会について
選考会では、自己ベストが出て、派遣標準記録も突破したんですけど、2位っていう制限に達しなくて。どっちも3位で五輪に行けなくて、すごく悔しい思いをしました。あれが一番の挫折ですね。「タラレバ」になるんですけど、選考会一か月前くらいにインフルエンザにかかっちゃったんですよ。それが結構痛かったです。一週間くらい寝込んで、泳ぎ始めたら体力がすごく落ちちゃっていて、すごく焦って、選考会も全然自信のないまま臨んでいたので。でも、行けなかったから、もっと頑張ろうって。結構へこみましたが、終わった後はこんなんじゃダメだと思って。萩野君がメダルをとっている姿を見てもっと頑張ろうと思ったから、いまがあると思います。本当に悔しい思いをしたので、絶対に忘れないで、自分が4年生のときにあるリオデジャネイロオリンピックでこの悔しさをぶつけたいと思って、練習を頑張っています。

――一緒に戦ってきた萩野選手が銅メダルを取ったというのはやはり大きかったですか
予選を見ていても本当に調子が良かったので、「あぁ、これはメダルとるなあ」って。自分は行けなくて応援する立場だったので、そのときは一生懸命応援しました。しっかりとメダルを取ってくれたので、すごくうれしかったし、勝ったり負けたりするライバルが、メダリストになってくれたということは、モチベーションにもなります。毎回泳ぐときは、メダリストの横で、すごく良い環境だと思います。

――その後、瀬戸選手は世界を転々とされ連戦の中で結果を出してきましたが、世界と戦って感じたことは
五輪が終わって萩野君と次に戦うのが岐阜の国体でした。そこで勝てたことが自分の中でプラスでしたね。萩野君もあまり練習できていなかったと思いますが、自分はベストで勝てて吹っ切れたというか。そこからのワールドカップや世界短水路選手権ではかなり良い記録で泳げたりしてとても自信になりました。特にワールドカップでは1日に5、6レースを2日間やるということで12レースくらいを何戦もしてきて、外国人の選手に負けないタフな選手になりたいとそこから思うようになりました。4月の選考会では、個人メドレーだけでなく他の種目も出場しました。自分の考えは、各種目で日本のトップで戦えたらその種目を合わせた個人メドレーを泳いだ時もトップで泳げると思うので、いろいろな種目に挑戦しています。

――4泳法の中で1番得意なものは
バタフライと平泳ぎが得意です。萩野君は背泳ぎと自由形が得意なのでレース的には面白いですね。泳いでいる方は嫌ですけど(笑)。

――逆に苦手なのはなんですか
背泳ぎとクロールです(笑)。

――なぜ苦手だと思いますか
なんででしょうね。(動きが)バラバラじゃないですか。だから自分はまとまっていた方が得意なのかもしれませんね。そんなに器用ではないんだと思います(笑)。でも萩野君も苦手なバタフライも平泳ぎも最近とても安定して泳げてきているので4月の選考会でもけっこうな差になったんだと思います。負けていられないですね。

――お互いに得意な種目が違ってアドバイスをし合うことはありますか
アドバイスはしないですね(笑)。普段は水泳の話とかしなくて、くだらない話とかが多いです。水泳の話をするとしたら海外選手のタイムなどについて情報交換したりする程度で、泳ぎのコツとかポイントとかについては話したりはしないです。

――それは他のチームメイトとの場合も同じような感じなのですか
そうですね。あんまり話さないです。自分は自分の考えでやっていて、あとはコーチから指摘されたところを直すという感じです。あとは人の泳ぎを見て真似したりすることが好きで、例えばマイケル・フェルプス選手の水中映像を見てちょっと真似してみたりとかします。いいなと思ったものを拾ってきて自分に取り入れて、取り入れて合わなかったら使わないということはしています。

――自分で見て良いところは盗んでいらっしゃると
泳ぎの真似は得意です(笑)。モノマネとかは全然です。

――昔から真似はよくしていたのですか
そうですね。水泳ではないですが、自分は映画が好きでその映画の主人公になりきってひとりで遊んでたりとか。そういう真似が好きだったので、水泳においても小さい頃から自分が憧れる選手を見様見真似で真似してきたのかなと思います。

――最近の練習で特に重視していることは
自分は練習が好きではないので(笑)、耐乳酸系といって、全力で泳ぐことを繰り返し、乳酸にどれだけ耐えられるかという練習をしています。最近結構頑張れてきて、前よりは練習に耐えられるようになりました。細かい部分では背泳ぎのキャッチとかをもう一度見直してしっかりかくことを意識しています。あとはやっぱり400メートル個人メドレーは持久力が必要なのでしっかりと体力をつけることを頑張っています。

――水泳を始められたきっかけは
小さい頃、体を動かすことが大好きでなにかスポーツをやりたいと思って幼稚園のサッカー教室に行ってみたりしました。最初はサッカーをやりたいと思っていたんです。幼稚園の友達がみんなサッカーをやっていてすごく楽しそうだなと思って体験に行ったりしました。でもそのサッカー教室は週に1回しかなくて。近くにプールがあってプールは1週間に何回来てもいいよって言われたんです。月謝が同じくらいで、母親が「毎日体動かせる方がいいんじゃない?」って言って、それもそうだなって思って毎日行ける水泳にしました。それが4、5歳の時です。

――特に周りの影響を受けたわけではなかったということでしょうか
小さい頃、顔に水がつくことが嫌いで、髪の毛洗うのもお地蔵さんの格好で頭洗ってもらうくらいだったので(笑)。本当はサッカーを友達と一緒にやりたいというのがあったと思うのですが、本当に毎日行けるからという理由ですね。お母さんに乗せられました(笑)。

――ずっと個人メドレーを中心に競技を続けて来たのですか
そうですね。普段から色々な大会があるのですが、一日に出場できるのは大体3種目までなんです。小さい頃は、個人メドレーと、他に何か違う2種目というスタイルでやっていて、個人メドレーは必ず出場していました。種目を1つに絞らず、4泳法まんべんなく泳げる選手になるということで、個人メドレーは毎回出場種目に入れていました。コーチの方針によるところも大きいですね。

――個人メドレーはとてもきつい種目だと思いますが、やめたいとおもったことは
水泳のキツさでやめたいと思ったことはありませんね。ただやはりロンドン五輪の代表落ちで、やめたいとまでは思わなくても本当にへこみました。今までのなかで一番へこみました。ロンドン五輪の選考会のあとはかなりへこみましたが、それでも、水泳をやめたいと思ったことは一度もありません。

――練習も苦ではないのですか
試合は楽しいですが、練習はあんまりですね(笑)。練習に限ると、やめたいと思いますね。種目が種目で、中距離といいますか、200・400メートルというのは短距離でもなく長距離でもなくというところなので、練習が本当にキツいです。スプリンターなどの他の種目もパワー面などキツいとは思うのですが、地味にキツい距離なので、日頃の練習はつらいですね。

――陸上トレーニングもされているのですか
陸上トレーニングは、大学に入ってから週に2回と決めてするようになりました。火曜と土曜の午後はウエイトと決めてやっています。水中より陸上トレーニングはきついですね。陸上はとても苦手です(笑)。

世界に懸ける思い

――世界水泳での目標は
はじめての日本代表ですし、オリンピックの次に大きな大会。初出場ということでチャレンジャーですし、自分の持ち味である積極的なレースをしてメダルを狙って頑張りたいです。

――そこにむけての具体的な課題はありますか
背泳ぎが苦手なので、そこをもっと楽に、速く泳げるようになることと、最後の自由形でもっと粘れる体力をつけていくことです。それがメダルや、自分の得意である積極的にいって後半も頑張るという泳ぎにもつながると思います。

――大学4年間での目標は何ですか
それはもう決まっていて、リオネジャディロ五輪での金メダルです。その前に今回の世界水泳で、銅メダルでもいいのでしっかり表彰台に乗りたいです。それであと4年間ひとつずつステップアップしたいです。正直ロンドン五輪で金メダルを取ったライアン・ロクテ選手は、体系というか筋肉がすごいので、ロンドンでも後半バテバテでしたし、さすがに4年後のリオでは400メートル個人メドレーにはいないかなと思っています。そこで4年後やはり一番のライバルになってくるのは萩野くんだと思います。世界水泳では更に自己ベストを更新して、メダルも取って自信をつけたいと思います。4年後に向けてどんどんステップアップ、レベルアップしていく足がかりにしたいですね。

――世界水泳でのメダル獲得の自信はいかがですか
いまはすごく高まってきています。すごく良い練習も出来ていますし、あとはやるだけですね。高校に入ったときも、3年生のときに開催されるロンドン五輪を目標にやってきました。高校ではそれが叶わなかったので、ワセダで迎えるオリンピックは必ず出て、ベストパフォーマンスをして、金メダルを取りたいなと思っています。いまはそれにむけて頑張るのみですね。

(取材・編集 深谷汐里、荒巻美奈、建部沙紀)

◆瀬戸大也
1994年(平6)5月24日生まれのA型。174センチ、70キロ。埼玉栄高出身。スポーツ科学部1年。専門種目は個人メドレー。世界選手権へ掲げる目標を「挑戦」と一言。