相撲を通して成長
廃部の危機とまで言われた早大相撲部を、53年ぶりの東日本学生リーグ戦1部昇格を決めるチームに復活させた男がいる。並み外れた体格から繰り出す取り組みは、常に冷静沈着。チームの将として、部員全員を背中で引っ張ってきた。4年生不在の中、3年生から主将を務め、相撲部復活に大きく貢献した榊原祥孝(社=千葉・専大松戸)は、自らの相撲人生をこう語る。
相撲との出会いは、小学生の頃に体が大きかったため出場したわんぱく相撲。体が大きいのに勝てないことに悔しさを感じ、本格的に相撲を始めた。「試合に勝つと次も勝ちたくなる」。着実に実力をつけ、毎年インターハイに出場する強豪・専修大松戸高校で主将を務めるまでに成長する。しかし、進学先に選んだのは、当時決して強豪とは言えなかった早大だった。プロの道は考えていなかった榊原は「文武両道を実際に出来ている大学」、ということで早大を選んだのだ。しかし、入学後、様々の問題が榊原に降りかかることとなる。
主将としてチームをけん引した榊原
1年生の時は部員が少なく、団体戦に出るにも他から人を借りてこなければならなかった。2年生の時は、新設された相撲同好会の選手がいたおかげで、東日本学生リーグ戦3部降格を免れたという。人数は練習の活気にも影響し、部員の少なさに苦しむ時期が続いた。そして、3年生になり主将を務めるようになった榊原だが、今度はケガに苦しむこととなる。主将でありながら試合に出ることが出来ない。「全て任せっきりになってしまった」と自らを悔やんだ。また、大学の試合は多くの関係者が駆け付け、高校までの土俵の中だけの試合とは、全く違う空気に包まれる。早大の代表として、チームの完成度に不安を感じることもあったという。主将としてどのように部を率いていけばいいのか、手探りの状態が続いた。
多くの悩みを抱えた榊原は、早大で相撲をする原点に立ち返った。「早大は勝利至上主義ではない」。文武両道を目指し早大を選んだ榊原は、相撲を通し人間的成長を図るという、相撲部本来の意義に行きつく。すると、自然とチームのあり方が見えてきた。2つ下の学年は例年より多い5人が入部した。それぞれ個性があり、のびのびとしていたという。勝つためには、主将として指導し無理にでもチームになじませることも可能だが、榊原はそうはしなかった。5人の性質を生かしそれを伸ばす、失敗したらフォローをする。
ふるいにかけることをせず、5人の可能性を信じる道を選んだ。そして、試合で絶対に勝ち続けることを誓う。日々の稽古の正しさを勝つことで証明し、自らが先頭に立って後輩に道を示した。結果的にチームは飛躍を遂げ、53年ぶりの快挙を成し遂げるチームに変わった。榊原の選択は正しかった。
「認めることが出来るようになった」と榊原は言う。4年間、相撲部で経験した様々な出来事を通し成長した力だ。高校生の頃は余裕がなく、勝負に徹することしかできなかったというが、今となっては、理想の主将像といっても過言ではない。榊原の印象に残った試合は明大との昇格戦。自分は負けたのにチームが勝てたことに喜びを感じた。「安心して卒業できる環境を作れた」と、自分よりもチームを優先してきた、榊原だからこその言葉だ。人を認められること、チームの成長を誰よりも喜べること、一番成長したのは、榊原本人なのかもしれない。
(記事 高橋団、写真 中村ちひろ)