【連載】『令和4年度卒業記念特集』第43回 反町結佳/女子ソフトボール

女子ソフトボール

仲間とつくり上げたチーム

 「なんで私が」。主将に選ばれた時の気持ちを反町結佳(スポ=愛知・瑞陵)はこう表現する。いままで主将の経験がなかった反町の支えとなったのは、同期をはじめさまざまな人たちの存在であった。

 ソフトボールを始めたのは小学校3年生のとき。親に連れられて子ども会のソフトボールに参加したのがきっかけだった。中学校でもソフトボールを続けると「学業とソフトボールを両立させたい」という思いから、愛知・瑞陵高校へ進学。部員数は少なく決して強豪校と言える環境ではなかったが、3年時にはチームで唯一の投手としてチームを県大会出場に導いた。国公立大学への進学に向けて勉強に励んでいた反町。早大の受験は「チャレンジくらいの気持ち」だったという。国公立大学にも合格していたが、より高いレベルでソフトボールをプレーするため、早大への進学を決めた。

 主将として、選手としてチームを鼓舞してきた反町

 入部後は外野手へ転向。1年時はほとんど試合に出場することはなかったが、全日本大学選手権(インカレ)後からはレギュラーの座をつかむ。その中で直面したのがコロナ禍だった。大会が実施されるのか分からない状況であっても、同期と公園で練習を重ねるなど、モチベーションの維持に努めた。部内での投票で3年秋からは主将に就任。入学当初は「自分がキャプテンをやるなんて全く考えていなかった」と振り返る。これまで主将の経験がなかったことから「本当に大丈夫か」という不安がある中でのスタートだった。

 「私自身がチームの中でも技術的に優れていたり、(チームを)引っ張る力があるとは思っていなかった」。だからこそ反町が注力したのは、常にまわりに気を配り、さまざまな人の意見を取り入れること。吉村正総監督(昭44教卒=京都・平安)、長谷川誠監督(平5文卒=長野・松商学園)とも密にコミュニケーションを取り合い、チームづくりを進めていった。しかし、「どれくらいみんなの意見を取り入れて、どれくらい自分発信でやっていくのか」というバランスを考えることに苦労したという。また、4年春からはチーム事情で三塁手を任され、あらゆる面で重い責任を担う立場となった。

 インカレの試合後、写真に収まる選手たち

 「私1人だったら絶対無理だった」。そう語る反町は、まわりの人たちへの感謝を口にする。なかでも特別な存在だったのは、同期の4人。「しっかり自分の役割を全うしてくれる」4人が反町の支えとなり続けた。副将の井田菜摘(スポ=群馬・高崎健康福祉大高崎)には技術的なアドバイスを任せることで、自身はキャプテンとしての役割に集中することができた。反町を中心に全員の力でつくり上げていったチームは、7月の東日本大学選手権で初優勝を遂げる。積み上げてきたチーム力で勝ち取った優勝であった。しかし、集大成のインカレは中京大に敗れ、「日本一」という目標は後輩たちに託すことになった。今でも「満足したかたちで最後終われなかった」と悔しさをにじませる。

 大学でソフトボール人生に区切りをつける反町。卒業後は一般企業に就職する。主将として常にチームのことを考え続けた1年間、そして女子部での4年間は反町の心のよりどころとしてあり続けることだろう。

 

(記事 矢彦沢壮真、写真 齋藤汰朗)