ことしのワセダを率いる塩沼泰成主将(スポ4=福島・安積)と飯泉召副将(教4=埼玉・与野)。全日本大学選手権(インカレ)で優勝することを目指して戦ってきたチームは、この二人の下で集大成を迎える。新チーム発足からの1年間、ソフトボールへの思い、そしてインカレへの意気込みを存分に語っていただいた。
※この取材は8月22日に行われたものです。
「いけそうでいけない状態が続いている」(飯泉)
悔しい思いをしてきた記憶が強いと語る飯泉
――昨年の秋に新チームが発足してから約1年。この期間を振り返ってみていかがですか
塩沼 最初は地に足がついてなくて、ばたばたしたところもあったんですけど、そういうことを乗り越えて練習してきて東日本(東日本大学選手権)は準優勝という結果に終わって、いろいろ苦労はあったのですがチームとして大きく成長できたのかなと今のところは感じています。
飯泉 最初の秋のリーグで日体大に勝って、「いけるんじゃないか」って思ったけどいけそうでいけないという。春も、国士館大には勝ったけど今度は日体大に負けて、といういけそうでいけない状態が続いている中で、東日本では日体大には最終的には負けてしまったのですが、やりたいかたちというか「こうすれば勝てる」というのは見えてきたかなと感じています。
――去年のレギュラーメンバーも多く残っていますが、ことしのチームカラーは
塩沼 そんなに打てるチームではないというのは新チームが始まった時から感じていました。去年の代は4年生で試合に出ている人は結果的には少なかったかもしれないけど打てる選手がそろっていて、そうなったときに僕らは去年に比べるとピッチャーが多く残っていたので、守備からリズムをつくって、そこからバッティングで点を取れればというようなスタイルで考えていました。
飯泉 戦術的には、打線も個々の力は(早大がインカレを)連覇していた時に比べれば劣る分、ことしは一体感というか、全員でしっかりつないでいいところで塩沼に回すという感じでできていると思います。
――お二人とも試合では打線の中軸を担っていることが多いですが、個人としての出来はいかがですか
塩沼 この代になってから、僕がいるときはずっと僕が4番を打っています。東日本とかは自分が思うようにできたと思うのですが、それまではなかなか打てないなという時もあって…。キャプテンになってからいろいろ監督のことやチームの起用のこととかもやりながら、すごく苦労した1年だったのかなと思います。
飯泉 僕はあまり良くないというか…。僕が打って勝った試合よりも、どちらかというと僕が打ちさえすれば勝っていたという試合の印象がすごく強いです。あとは、他の人が打ってくれたから勝ったけど自分が一本打っていればもっと簡単に勝てたなとか、凡退した悔しいイメージしかないので、どの打順で出ることになるかは分からないですけど、これまでは僕の理想というかチームから求められているところに達していないので。このチームは塩沼以外はつなぎ役というイメージでやっているので、なんとかして塩沼にいい場面で回せるように、仮にチャンスであっても最終的には塩沼に、という感じでインカレでは何が何でもつなぐバッティングができたらいいと思っています。
――先ほども少しお話がありましたが、秋季リーグ戦から今まで日体大、国士舘大の二校に苦戦することが多かったように思えます
塩沼 倒さなければいけない相手ではあるんですが、日体大と国士舘大がいるおかげで僕らはすごく成長できているのかなとは感じています。チームが始まった当初から国士舘大には勝ってインカレを優勝しようという話はしていて、その中で日体大や国士舘大に当たることが多くて、さっきも飯泉が言った通りどちらかには勝ってどちらかには負けるということが多く、その都度カベに当たって、といういいライバル関係を築けているのかなとは思います。
飯泉 個々の力量同士の対決になってしまうとやはり勝つ可能性は低くなってしまう。同じようにやっていたんじゃ相手がソフトボールにかけている割合は大きいと思うので、同じやり方では駄目なのでワセダも考えなきゃいけないというところでやっていて、塩沼も言いましたが相手がいる分こっちも考えてできているというのはあります。
――先日行われた東日本大学選手権(東日本)は内容も充実した大会だったように感じますが、改めて振り返って
塩沼 僕らにはもうあと東日本とインカレしか残っていないという状況で、東日本は内容よりも結果が欲しいという大会ではありました。国士舘大戦はしっかり先制して、中押ししてダメ押しして、というかたちで結果的には7-0でピッチャーもリズム良く抑えてくれて新チームが始まってからは一番理想的な試合ができたかなと実感したし、そういう試合ができるということが自信にもなったと思います。決勝の日体大戦は、先制して守備の方も踏ん張って、でもワセダの方もなかなか一本が出ず、まだまだ「あの一球」とか「最後の一本」というところがあったと思うので、充実して自信にもなった大会だとは思いますがこのままではインカレ優勝はまだできないのかなと感じる大会でした。
飯泉 これまでは一生懸命ぶつかってみて結果が出ずに悔しかったり、「ここが足りなかったのかな」とかなんとなくぼんやりしていたと思うんですけど、準決勝の国士館大までは勝てて、日体大には塩沼の言う「あの一球」「あの一打席」「あの一打席」というところで負けてしまって。具体的に、「あれを捕っていれば」「あれを打っていれば」とか、ここさえできれば優勝できるというのがかなり明確になって、あとはそこをやるだけになったのかなと、その後の練習を見ていて感じています。
――ここ最近スタメンの入れ替えもかなり激しいですが、それについては
塩沼 基本的には僕と飯泉の方でスタメンを決めて、それを高杉監督(聡、平10人卒=群馬・前橋育英)に相談して最後に先生(吉村正女子部監督、昭44教卒=京都・平安)に相談して決めるというかたちになっています。東日本の時も調子のいい1、2年生を使ったり、いろいろな人の意見を聞きながら一番点が取れるようにというのは考えています。
飯泉 ベースは塩沼が決めて、迷ったりしたときには僕が聞かれたことに対してある程度目で見て感じたこと、思ったことを塩沼に伝えたりしています。
――1年生も試合に出て活躍していますが、ことしの1年生の印象はいかがですか
塩沼 野球をやっていた人も多くいるし、石井(智尋、スポ1=千葉敬愛)に関してはやっと(大学の)ソフトボールに慣れてきたのかなという感じはしています。最初入ってきた時はゴム(のソフトボール)と皮の違いがあって苦労したのかなという感じもあったのですが対応してきてくれて、今後に期待できる選手だと思っています。他の選手もなかなか練習する機会というのは僕らに比べたら少ないかもしれないんですが、できるだけ多く練習メニューでピッチャーの球を打たせたりする機会を増やしたりしてソフトボールに慣れてもらって、みんなが試合に出れる環境づくりというのはしようと思っています。その中で吉原(陸、スポ1=福島・安積)であったり石田(裕樹、スポ1=福島東)であったり、野球をやっていた子も代打とかで出てくれたりしているのでいい感じで成長してくれているのかなと。
飯泉 僕らが1年生の時は、先輩たちのレベルに手も足も出ず本当にサポートぐらいしかやれることがなかったのですが、ことしの1年生はかなり実力もあってみんな光るものがあって、彼らが上級生になったときはかなり力があるんだろうなという期待も抱きつつ、思い切ってやってくれています。石田や吉原がいてくれるおかげで川上(卓也、スポ2=岡山・新見)とか丹野(太郎、スポ2=兵庫・滝川)も刺激を受けてくれていて。結果的にプレー面でも1年生が押し上げてくれているという印象も受けます。今はなかなかプレーに絡めない浅田(剛志、スポ1=大阪・清風南海)とか高橋(尚希、スポ1=宮城・泉館山)とか他の1年生とかも見えないところでサポートをしてくれたりしてありがたいし、一生懸命こつこつやってくれているのが伝わります。
――インカレに向けて、今はどのようなところに重点を置いて練習されていますか
塩沼 やはり最後の一本が出ないというところが反省に挙がりましたし、一球への集中とかに対して実戦を多めにして、試合のような緊張感を持って取り組んでいます。ピッチャー陣を含めて守備はかなり安定してきて、東日本でも大量失点というのはそんなになくなったのかなという印象はあったので、やはり打てないと勝てないということで個人のバッティングの練習を取り入れながら実戦に近い状況でやるようにしています。
飯泉 実戦の集中力というのはもちろんなんですけど、(インカレまでに)日数もないので上がった課題を「きょうはこういう練習をしよう」と言って目的もある程度伝えてやっています。東日本まででみんなかなり悔しい思いはしていると思うので、あとはそれをどうやって捕るのか、打つのかというところを自分一人ではもうある程度やってきているとは思うので周りの人にアドバイスもしながらっていう感じです。
――今のチームの雰囲気はいかがですか
塩沼 絶対負けられない大会としてピークを一度東日本に持ってきてみんなもそこに集中力を持っていっていたので、東日本明けは選手も少し疲れがたまっていたのかなというのはありました。でもその中でもおのおの課題を持ってやっていて、東日本から紺碧隊(応援団)も始めたのでチームとしては一体感を持ってやれているのかなと感じています。
飯泉 いつも授業があるときは喜久井町と所沢で分かれているので、夏休みになって全員がそろう練習ができて一体感というのも増してきているかなと。1年生も多くて若いチームなのですぐに完成するのはないかなと思っていて、きのうよりきょう、きょうよりあした、という感じで1年生もどんどん成長しているのが目に見えて分かるので雰囲気も含めて良くなっているのかなと思います。
――お二人とも高校では野球部でしたが、ソフトボールを始めた経緯などは
塩沼 僕はもともとワセダの硬式野球部には入りたいという気持ちは多少あったんですけど、そんなに強い高校でやってきたわけでもなくて正直言って厳しいのかなという思いがあって、小学校の時にソフトボールをやっていたのでこの所沢キャンパスに来た時に先輩方がソフトボールをしているのを見て「面白そうだな」と思って。先輩方もすごくいい方ばかりだったし、その当時はインカレを2連覇していて3連覇を目指している代だったので、すごくいい雰囲気でやっていました。「ここでソフトボールをしてみたいな」という思いで入部を決めました。
――入学してから部活を見て決められたのですね
塩沼 そうですね。ソフトボール部があるのを知らなくて、大島さん(匠、平24スポ卒=現北海道日本ハムファイターズ)という方がいたというのは知っていたんですけど実際にソフトボール部を見たこともなくてどういう感じなのかも知らなかったので。
――飯泉選手はいかがですか
飯泉 僕は最初、他の国立大学で野球がしたくて、私立だったら部活はやめておこうと思っていて。結果的にワセダになってサークルとかも見て周っていたんですけど、不完全燃焼というかやっぱり本気で打ち込みたいなと思っている時に、吉村先生が当時(ソフトボールの)授業を持っていらっしゃって、喜久井町キャンパスで吉村先生の授業を取っていたら「どうや」みたいに声を掛けられて。その時のTAの方が、東大を落ちて高校時代も野球はそんなに強くないところだったけど日本一を目指す環境で一生懸命やっているというのを聞いてから「それなら自分もやれる」と思って。始めからそんなにエリートぞろいではないけど日本一を目指せるなんていい環境だな、と思って見学に行ったらあれよあれよという間に入部することになっていた、という感じです(笑)。
――野球部出身からソフトボールを始めて苦労したことはありますか
塩沼 似ているスポーツだと思うかもしれないんですけど、実際やってみるとスピード感とかが違くて。野球だったら、内野手で(一度打球を体で)止めてから投げてもアウトにできたりするんですけど、ソフトボールはしっかりグローブで捕って投げないとアウトにできないというところとかは苦労しました。バッティングも、まずバットにボールが当たらないという日々が続いて(笑)。ライズボールとかが特徴的だと思うんですけど初めて見た時はすごく驚きましたし、やっと当たるようになったらドロップとか落ちるボールが消えて見えて、そういうのにも苦労したという気持ちはあります。
飯泉 やはり球が速くて、「こんなに三振したことないぞ」ってぐらい三振を重ねるという…(笑)。僕は教育学部なので喜久井町でずっと練習をやっていて、いきなりこっちの所沢でピッチャーに打たせてもらっても、球が全然見えなくて。2年生ぐらいまではもう実際何をどうすれば打てるのか全然分からなかったです。僕は高校の時ファーストか外野かっていう感じだったんですけど、他のポジションにもいろいろ挑戦したりして、野球でやっていなかったこともプラスアルファでやってみたりしていたので全部違っていて大変でした。楽しいことには楽しいんですけど、うまくいかない日々ではありました。
――それぞれ主将・副将をこの一年間務めてこられましたが、就任の経緯は
塩沼 幹部選挙っていうのが例年東日本からインカレの間の時期にあって、そこで1年生から4年生までが投票をして、先生の承認の下で決めました。先生が選挙管理委員として、改まった雰囲気の中で決めます。
――なんとなく自分だろうな、というのは感じていましたか
塩沼 うーん…。
飯泉 いや塩沼はあったでしょ(笑)。
塩沼 まあなんとなく雰囲気というか、歴代の主将はみんな下級生から試合に出て経験を積んでいて、チームメートからの信頼をある程度獲得した状態で始める人が多い印象があるので。自分がやらなきゃいけないっていう覚悟は持っていました。
飯泉 (副将は)自分以外にもできる人はいたと思うのですが、その中で僕は「僕だろうな」というよりは「やりたいな」って気持ちがあって。だからってそれをアピールして雰囲気を出していたとかそういうんじゃないですけど(笑)。結果選ばれてなったという感じです。
――それぞれどのような主将・副将ですか
塩沼 二人でチームを引っ張っていく感じなんですけど、僕はチームの戦術的な部分や個々人のスキルに関してのアドバイスを中心にやろうとしてきました。飯泉が心構え的な当たり前のことだったり、そういったところを指摘してくれていました。
飯泉 僕としては塩沼にはプレーの事に集中してほしい、余計なところで心配をかけたくないっていうのがあったので。歴代のキャプテンを見ていてもやっぱり余計なところで心配がかかってしまう時ってどうしても結果が出にくいので、僕が言えるところは言ってしまうようにしていました。例えば全力疾走ができていないとか、後ろ向きな姿勢とか、そういう誰が見ても分かるような部分はできるだけ僕から言うようにして、塩沼は選手の起用や戦術に専念してもらえるように、塩沼にそういうことを言わせないようにしてきました。まあ最近は僕だけじゃなくて後輩がそういうことをどんどん言ってくれるようになってきたので僕が言うケースも減ってきています。
――四年間一緒に過ごしてきて、お互いの印象はどのようなものですか
飯泉 塩沼は冷静というか、誠実の権現みたいな感じ(笑)。本当にこつこつと文句も言わずやっています。尊敬できますし、結果も出しているのでより説得力があります。黙って背中で引っ張れる主将です。
塩沼 僕は今冷静って言われた通り、逆に言うと熱さを前面に出せないところがあるんですけど、飯泉は練習でも試合でも見るからに熱い(笑)。そういうところは自分にはないところで、すごいなって尊敬しています。
――普段の生活でもそうなのですか
塩沼・飯泉 いや(笑)。
塩沼 まあでも、飯泉はわからないですけど僕は平穏な日々を過ごしています(笑)。
飯泉 僕も平穏ではあると思うんですけど(笑)。まあでも普段もアクティブな方ではあります。
――ここまでソフトボール部での四年間で、最も印象深い出来事は
塩沼 たくさんありますけど、1年生の時にアメリカ遠征に行かせてもらって向こうのチームとも試合ができたっていうのは、本当に一生に一度の貴重な機会だったと思います。あと、個人的にはショートをクビになったことですね。ショックはショックでしたが僕の中でもショートに対して後ろ向きな姿勢になってしまっていたので。前キャプテンの金子さん(祐也、平29スポ卒=長崎・佐世保西)に言っていただいて。結果的に他のポジションでここまでやってきて今は良かったと思っているんですけど、当時はショックでした。今振り返ると、あの時サードに転向して、そこからサードとして1年間主将をやってこれたのもあの時のことがあったからだと思うので、思い出深い、僕にとっては大きな出来事ですね。
飯泉 じゃあ僕は、去年のインカレで塩沼がクビになったショートを守れたことですね。もともと自分はどのポジションでも2番手として守れるように準備していたので、祐也さんが出れないとなった時点で「自分だ」って思って準備して臨むことができました。2年生までずっと試合に出れない、活躍できないといった中で、インカレは負けてはしまったんですけどソフトボールの全国大会でプレーできたことは自信になりました。でも一方負けてまだまだ足りないとも思わされて、いろんな意味で大きな出来事です。
――ショートを守りたいというのはずっとご自身の中で思っていたことなのですか
飯泉 僕は高校の野球部ではピッチャーだったのであんまりどこを守るとかなくて。ショートができれば他も守れるって気持ちでショートを中心に守備練習はしていました。特に2年生の時は当時キャプテンの溝口さん(聖、平28年人卒=長崎・佐世保西)なんかに毎日のようにノックを打ってもらっていました。
「34人全員で勝つっていうのが大事」(塩沼)
東日本でもここぞという場面で結果を残した塩沼。インカレでもかかる期待は大きい
――お二人にとってインカレとはどのような大会ですか
塩沼 今回のインカレは本当に最後なので、僕らの代になってから結局一度も優勝っていうのを経験できてなくて。溝口さんの代も祐也さんの代も優勝していなくて、最後に優勝したのが僕らが1年生の時のインカレだと思います。そう考えると、今回はどうしても結果が欲しいっていうのが一番です。終わり良ければ全て良しじゃないですけど、やっぱり最後いいかたちで勝って終われたら、僕らの代でやってきたことが「これで良かったんだな」って思えると思うので、内容よりもとにかく結果にこだわって勝ちにいきたいです。
飯泉 この大会のために4年間やってきたようなもの、このインカレで優勝するために大学生活やってきたようなものなので、絶対に勝ちたい。勝てなかったら何の意味もないってくらいの気持ちでいます。下級生の時は「先輩のために」って思いでやってきて、今の下級生も恐らくそういう気持ちでやってくれていると思います。その中で1年生の時は目の前で優勝を見せてもらって「インカレの優勝ってこんなにいいんだ」って感じさせてもらったので、今度は僕らが優勝して後輩たちに優勝を見せてあげたいって気持ちもあります。
――個人としても集大成となりますね
塩沼 僕はらいねん以降もソフトは続けて国体とか出れたらいいなと思うんですけど、やっぱり仕事が優先になってしまうので、今のように全てを懸けてソフトができるのは最後になります。
飯泉 僕も先生になって指導者になってって形でソフトに関わりたいって思っているのですが、選手として思いっ切りやるのは最後になりますね。
塩沼 僕は4番を打たせてもらっていて、僕が打たないと勝てないって部分も少なからずあるだろうし、監督さんも来て下さるので最後僕は選手としての仕事に専念して、チームが勝つためのプレーができたらいいなと思います。
飯泉 これまで小学生の時からずっと野球、ソフトをやってきて、当たり前のようにずっとあったので、それのない生活がまだ想像できないというか。でも、高校までは全国制覇とか全然現実的じゃなかったんですけど今は違って、日本一になりたくてこの部に入ったので、優勝に貢献できるように頑張りたいです。
――チーム発足時から「国士舘大に勝ってインカレ優勝」というのを掲げていたとのことでしたが、その国士舘大と2回戦で当たることになる今回のトーナメントを見て感じたことは
塩沼 インカレは各地域の予選を勝ち抜いた強い大学ばかりになります。1回戦の立命大も強いところですし、国士舘大ももちろんそうです。僕たち個々人で力が下回ってしまうことがあっても、チーム一丸となっていけば越えられると思うので、どの試合でも気持ちを切らさずにやっていかなければと思います。
飯泉 僕は初めてこのトーナメントを見た時「これはいい組み合わせだ」と思いましたね。立命大は溝口さんの代の時に負けてしまった相手で、国士舘大はこれまでずっと意識してきたチームなので、ここに勝ってなんぼというか、このチームに勝ってのインカレ優勝だと思っています。立命大に関しては、溝口さんの代の4年生が全然実力のない僕たちをあの試合で使ってくれたのはこのためだったって今感じていて。そういう意味でも、これは勝つしかない組み合わせだって燃えているというか、やってやろうじゃないかという気持ちになっています。
――インカレ優勝に向けてのキーパーソンは誰だと思いますか
塩沼 僕であることは間違いないと思いますが、東日本では丹野とかが調子良くて下位打線からしっかり打線をつないでくれたりというのがあったので、ラッキーボーイ的な存在も(出てきてくれると)大きいと思います。あと東日本は(地元である福島の)郡山であって僕にとってすごいやりやすい環境だったので、今回は岡山勢の3人に期待したいなと思います。
飯泉 僕は増形(俊輔、社4=千葉敬愛)だと思います。それまで結構打っていたのにこの新チームが始まってからなかなか結果が出なくて苦しんでいる中で、同じ本キャンなので一緒に喜久井町の方で練習してその姿をずっと見てきたので。そういう仲間としての思いもありますし、実力ある選手だとも思っているので、この悔しい思いをしてきた増形がムードメーカーでもあるのであいつが乗ってきたらチームにも勢いが出るんじゃないかと期待ですね。
――チームとしてはどんな流れをつくれたら理想的だとか、こういう雰囲気の中でやれたらというのはありますか
塩沼 東日本から紺碧隊も始まって、試合に出ている人だけで勝つんじゃなくて、ベンチ外の人も含めて全員、34人全員で勝つっていうのが大事だと思うので、みんなで雰囲気をつくっていけたらと思います。そうやって相手をのみ込んで、ワセダのペースで試合をつくれたらいいなと思います。
飯泉 ハッピーな雰囲気でやれたらいいですね。競技を楽しむっていうのが最終的には一番大事だと思いますし、これまでさんざん苦しんできて厳しいことも言い合ってここまできたので、最後はその分ハッピーな雰囲気でできたらいいなと思います。
――最後に、インカレへの意気込みをお願いします
塩沼 最後の大会になるので、いいかたちで終わりたいので悔いの残さない大会にしたいと思います。そのために、チームとしても個人としてもやらなきゃいけないことはたくさんあると思うので、インカレまでしっかり準備をして思いっ切り楽しんでプレーして、いい結果が出ればいいなと思います。
飯泉 これまでの一日一日、一球一球の積み重ねが発揮される場だと思うので、僕だけじゃなくみんながやってきたことを発揮できるように、最高の準備をして臨んで、最後塩沼を胴上げして終わりたいと思います。
――ありがとうございました!
(取材・編集 三浦遥、久野映、写真 岡田静穂)
◆塩沼泰成(しおぬま・たいせい)(※写真左)
1995(平7)年12月12日生まれのO型。177センチ。福島・安積高出身。スポーツ科学部4年。内野手。インカレにおいて「自分がキーマンであるのは間違いない」と語った塩沼選手。その強い責任感を力に変え、主将として、4番として、大学生活の集大成を必ずや有終の美で飾ってくれることでしょう!
◆飯泉召(いいずみ・しょう)(※写真右)
1994(平6)年10月27日生まれのA型。176センチ。埼玉・与野高出身。教育学部4年。内野手。チームや後輩のこととなると、それまで以上に饒舌(じょうぜつ)になる飯泉選手。その姿からは、チームへの強い愛が伝わってきました。チームきっての「熱い男」が、日本の頂点へチームを導きます!