【連載】『平成27年度卒業記念特集』 第56回 溝口聖/ソフトボール

男子ソフトボール

小さな巨人

 身長159cm、体重59キロ。その小柄な体型からバントやカットなどを主とする小技系の選手だと思われやすい溝口聖(人=長崎・佐世保西)。しかし、溝口はそれとは対照的なプレーをする。強豪・早大ソフトボール部の3番打者を務め、この小さな身体でこの1年間『日本一のチーム』を引っ張ってきた。いわゆる小さな巨人と呼ばれる存在である。そんな小さな巨人が主将としての過ごしたこの1年間とはどういったものだったのか。また彼を裏で支えた仲間の存在にそれぞれ焦点を当て、話をお聞きした。

 長崎にある溝口の実家は漁業を営んでいる。そのため進路決定をする際には漁師になることも考え、地元の長崎大学水産学部に進学しようか迷ったことがあるという。しかし、高校時代のソフトボール部の顧問に大学で競技を続けた方がいいというアドバイスをもらったこと、そしてワセダに高校の先輩が数人いたことが溝口の中で強く影響しワセダで競技を続けることを決意した。入学して一番戸惑ったのは高校時代とのギャップ。特に練習や試合を学生主体でやっていることや打席でのサインでさえ学生が出すことに驚いた。また指導者に強制されるのではなく、自分の役割とは何か自ら考え行動に移すことの重要性を早くから学び、日々成長していった。こうしてワセダでの4年間が始まったのだ。

小柄ながらもグランド内では大きな存在感を示した溝口。

 溝口が入学してからのワセダは最強。大学ソフトボール界の頂点に位置する大会である全日本大学選手権(インカレ)で3年連続優勝を果たし、各大会で毎回のように上位の成績を残す、まさに『日本一のチーム』だった。溝口も下級生の時からチームの主力として活躍し、順風満帆な日々を送っていた。しかし、4年時になり主将を任せられることとなると苦悩の連続。新チーム発足後に全体で掲げた目標『創部史上初のインカレ4連覇』が重くのしかかる。よく寝付けない日が続き、悩みや不安で打撃不振に陥ることもあった。それでも溝口は前を向き、その小さな背中でチームをけん引し続ける。そして迎えたインカレ当日。1回戦は難なく突破し、2回戦へと勝ち進む。試合は相手に先制を許し終始追う展開になるも諦めることなく、食らい付く。5回に2点タイムリー、そして最終回、2点差の場面で犠飛を放ち溝口は「日本一のチーム」の主将として意地を見せつけた。しかし、最後はわずか1点差に泣き、悲願達成はならなかった。1年間背負い続けた周囲からの期待に解放された溝口。対談では悔しさを語りながらも「あの1年は有意義な時間だった」とも振り返った。「金子(祐也、スポ3=長崎・佐世保西)には、また「強いワセダ」を作っていってほしい」と後輩に夢を託し、主将は新たなステージへと進んでいく。

 「このままでインカレ4連覇は達成できるのか」日に日に増すプレッシャー、目に見えない重圧が重くのしかかる。そんな溝口を陰で支え、救ったのが山口晋平副将(法=兵庫・白陵)と吉野恵輔主務(スポ=福岡・城南)だ。山口は試合に出場できずともチームの方針やスタメンなどに対して積極的に意見し、代走、代打を使うタイミングなどを助言。またベンチで一番大きい声を出し、チームを盛り上げた。吉野は新チーム発足直後から「溝口はグラウンドでチームの事だけを考えていてくれ」と声をかけ、主務として遠征の手配や道具の管理など、グラウンド以外のことすべてを完璧にこなし溝口を支える。「2人の力強いサポートが悩みや不安を楽にしてくれたし、おかげで俺がしっかりとチームを引っ張るという責任感も生まれた」と振り返り、2人への感謝の言葉を多く口にした。

 「(自分の中で)ソフトボールは自分を成長させてくれたものであり、今の自分を作ってくれたもの」と語るほど溝口の中でソフトボールという存在は大きなものとなった。ソフトボールを通して、世界と戦うという感覚、磨かれた人間性、そして数多くの仲間たちを得たことで一回りも二回りも溝口は成長した。4月から競技を退き、いち社会人として新たなスタートを切る。今までやってきたことは何もかが異なると思われがちだが、そんなはずはない。溝口はこのソフトボール部で培ってきたすべてのものを胸に別のステージで次こそ日本一の輝きを放つ。

(記事 本田京太郎、写真 藤川友実子氏)