【ソフトボール特集・第2回】吉田享平主将×高橋希望副将

男子ソフトボール

 全日本大学選手権(インカレ)連覇を達成した最強のチームを引き継ぎ、この秋新チームが発足した。インカレ3連覇への期待が懸かる新チームをけん引するのは、吉田享平主将(スポ3=群馬・中央中教校)と高橋希望副将(政経3=埼玉・早大本庄)の二人。年内の公式戦をすべて終え、課題も多く見つかる中、冬のトレーニング期間に入ろうとしている。新チームの様子や、創部50周年を迎える来季に向けての意気込みなどについて語ってもらった。

※この取材は11月24日に行われたものです。

「人間的にも、プレーにおいても1番になれるように」(吉田)

――新チーム発足からいままでを振り返ってみていかがですか

吉田 新しいチームになって、新しいことをいっぱい始めようって思って、新チームが始まる前からいろいろと準備してきて。いろいろ変化を与えたので、メンバーが(前のチームと)変わっても、いい結果を残せるだろうって思っていて。それで秋のリーグや関東大学選手権に臨んだんですけど、思うような結果は得られず、ショックを受けたんですが、そこからまたいろいろと工夫しながらやって、信じられる方向で今は(練習を)やっているので、来春に向けていい準備をしているなって思っています。

高橋 いいピッチャーが4年生に3人いたんですけど、その方々が抜けて、2年生と1年生のピッチャーに頼るという形になりました。ピッチャーが変わるということは、守備も飛んでくる打球が変わるし、守り方も変わるということを意識しようと思って(試合に)臨んだんですけど…。攻撃ではある程度点を取れた試合も多かったんですけど、守備でけっこう乱れて、大量失点したことが多かったので、それを修正しようってことで(練習を)やってます。

――前チームから具体的にどのような部分が変わりましたか

吉田 まずプレー以外の面では、日本一の(チーム)運営をして、日本一のチームになろうって思っていて。きょねんのチームとかでも、ソフトボールでは1番になれたんですけど、日本一の運営ができていたかなって思うとそうではなかったな、という気持ちもあったので。人間的にも、プレーにおいても1番になれるように僕ら幹部としては日本一の運営をしたいなって思っています。プレーの面では、やっぱり確率論なので、ソフトボールは。相手の情報を今までは抽象的にとっていたのを、具体的に「この情報とあの情報をこう使っていこう」って考えたり、僕の打っている感覚をみんなに伝えて、「こういう風にやれば打てる」っていうのを教えながらやっています。

高橋 今までは試合に行く移動とかもジャージとかの自由な格好が多かったんですけど、ことしから正装で、移動からワセダの格好良さを見せていこうと。あとはティーボール(大会の運営)もそうですけど、ボランティアとか、他の部活の試合を見に行ったりとか、そういう活動もどんどん取り入れていこうかなって。ファンを増やそうということで。プレーの面では享平(吉田主将)も言っていたように、とにかく確率を上げたいっていうことで、少しでも打てる確率が上がるようなことは全部取り入れて、そのための練習をしています。

――インカレ連覇のチームを継ぐことへのプレッシャーはありますか

吉田 そうですね。特に連覇をしているチームなので、インカレでも東日本(大学選手権)でも。それを自分たちの代で途絶えさせないっていうのは責任を感じているので、多少プレッシャーはありますけど、まだ3連覇なので。特に最初に優勝したときのチームの戦術をより発展させて、成熟させていこうっていうコンセプトでことしはやっています。いい成功例を参考にしながら、3年目の成熟ってことで。

高橋 他の大学もワセダが1番強いっていうイメージを持って秋を迎えて、一応追われる立場になっていたと思うんですけど、「ことしのワセダは弱いな」ってこの秋で多少印象付けられてしまったと思うので、その印象をまた「強いワセダ」にしていかなければいけないと思います。1年生とか2年生はインカレで負けたワセダを知らなくて。自分たちが弱い部分もあるんだなってこの秋で実感できて、そこからはい上がっていくという気持ちが強くなったんじゃないかなって思います。

――幹部のご経験はありますか

吉田 自分は小学校、中学校、高校とキャプテンをやっていました。

高橋 自分は小学校のときサッカーで副キャプテンをやったぐらいです。野球とかソフトボールではないです。

――創部50周年を迎える来季にはアメリカ遠征も控えています

吉田 アメリカ遠征に関しては、日程的に厳しいというか。東日本があって、インカレがあって、その間ぐらいの日程になると思うので。正直、結構チャレンジングなことになるかなっていうイメージなんですけど。それでも行く価値があると思って僕らは行く準備をしているので。「インカレで3連覇した」って世間の人に思ってもらうのと、「世界選手権で勝った」って思ってもらうのとでは、意味も変わってくると思うので。いい経験になると思って、いろいろと大変な部分もあるんですけど、頑張りたいです。

高橋 アメリカに行く前にまずは日本で勝たなきゃなっていう気持ちは、特にいま結果が出ていない中なので、それが1番だとは思ってるんですけど。日本で勝つやり方とアメリカで勝つやり方って、吉村先生もおっしゃっているんですけど、違う部分もあって。アメリカでも通用するやり方で、これからやっていかなければいけないなって思っています。

――アメリカ遠征以外の取り組みや目標などは考えていらっしゃいますか

吉田 ことしのチームでは、ワセダのソフトボール部というのを多くの人に知ってもらって、ファンを増やしたいという気持ちが強くあります。50周年もいいきっかけなので、らいねんの3月頃に50周年を記念するという形で、ワセダが主催する大会をやる計画を立てています。

高橋 その大会や、先ほども言ったように、ティーボールやボランティア、それから他の部活の応援などで、大学内でも、地域でもファンを増やすような活動をしています。

――インカレ連覇も達成し、ワセダは黄金時代に入ってきているのではないのでしょうか

吉田 強い時期に自分が(チームに)いられるっていうのはうれしく思います。僕がいま率直に感じているのは、(インカレ)連覇ができるのはことしまでだと思っていて。それはもう新チームが始まったときから後輩には伝えています。僕はことし勝つだけじゃなくて、僕が関わった今の1年生や2年生、次に入ってくる新1年生にも勝ってほしいなという気持ちがあって、「ことしはお前たちが4連覇、5連覇できるように努力してくれ。俺たちの背中を見てくれ」っていうのは(新チームが始まった)最初に伝えていますね。この黄金時代が長く続いてほしいなっていう気持ちがあります。

高橋 黄金時代ということなんですけど、先ほどから言っているように、ちょっと(チームとして)足踏みしている状況なので。いままで調子に乗っていたわけではないですけど、一度やっぱり原点に返らないといけないかなっていう気持ちがあるのと同時に、10連覇するための3連覇っていう気持ちも持っていかなければいけないかなと。ワセダの伝統を継承していかなければいけないので、その中で3連覇をしたいなと思います。

――ワセダは学生主体で練習をするチームですがどのような印象をお持ちですか

吉田 大学生なので、一社会人として主体的に行動させていただいているのは、吉村先生にはとても感謝しています。そういうなかで吉村先生に人間性やプレーの面で指導していただいて成長できているのは、この部活のいい点だと思っていて。その中で勝てているっていうのは、選手としてとてもうれしく思いますし、自信にもなっています。

高橋 吉村先生がよく「ワセダは頭がいい」っておっしゃっていて、やっぱり頭で相手を上回れば、勝てるんじゃないかっていうのがあります。選手も頭を使って、先ほども言った「確率を上げる」ということができれば、強いんじゃないかと。

――選手主体のチーム運営を入部当初はどのように感じられましたか

吉田 高校の時もある程度は主体的にやらせて下さる先生で、(部活は)主体的にやるものなんだろうなとは思っていたんですけど。このチームに入って、ベンチからサインが全く出なかったり、先生がいつもいる訳ではないということにとても驚きました。最初はソフトボールと野球の違いなのかなと思ったんですけど、このチーム特有なので。でもいまはそれに慣れて、このスタイルのほうがいいって自信を持ってやっています。

高橋 一番最初に自分が入部してすごいなって思ったのが、選手だけのミーティングで下級生が先輩に「しっかりして下さい」とか、「上がしっかりしなきゃ強くならないですよ」みたいな発言をしていて。自分の経験のなかで、下級生が先輩にそういうことを言える環境が今までなかったので、これはすごいなって思って。先生がいらっしゃらない分、人数も他の部活に比べたら少ないし、全員で一体となるには、そういう下(の学年)からも意見をぶつけてもらうっていうのは面白いかなって思いますね。

――3年生のみんなさんの仲はいいですか

吉田 仲いいと思います、結構。チーム全体で遊ぶのを企画したいと個人的に思っていて。1回、試合が雨で中止になったときに、たまたまレンタカーもあったので、「ボーリング行こう」って、みんなを連れていきました。チーム全体もそうですが、特にこの学年は仲いいと思います、希望(高橋)以外は(笑)。

高橋 いや、でも新チームになってから、よくご飯のお誘いがあるんで、自分がこっち(所沢キャンパス)に来るときは大体一緒にご飯食べてます(笑)。

――ではきょうはこの後も?

吉田 いや、ないですないです(笑)。

――一緒に食事に行かれるときはどのようなお話をされるのですか

高橋 基本的に後輩を交えて行くんですけど…

吉田 そうですね、2人では行けないです(笑)。

高橋 2人では、そうなんですよ。自分は全然行きたいんですけど。

吉田 彼女か(笑)。

高橋 いや(吉田主将は)ツンデレなんで、もうしょうがないです(笑)。

「ソフト部に対する見方が変わった」(高橋)

副将の高橋。最終学年に懸ける思いは強い

――お二人がソフトボールを始めたきっかけは何ですか

吉田 自分はもともと野球を高校までやっていて、それで六大学で野球をやりたいと思って受験したんですけど、現役の時は落ちてしまって。1年間ずっと勉強していたら、高校までちゃんと勉強やってなかったので、楽しくて。「スポーツはもういいかな」ってだんだん思えてきちゃって。たまたまスポーツ科学部に受かって、もういいかなって思っていたのに、親に「野球やりたくて浪人したんじゃないの、しかもスポーツ科学部なんだし」って言われて。「やっぱり何か運動部を見てみようかな」って思ったときに、2年前にインカレ優勝したときのメンバーである太田さん(宗之祐、平25教卒=群馬・中央)とか、高校時代の野球部の同期でもある根岸(祐太朗、人4=群馬・中央中教校)とかがソフト部でやっていて。たまたま連れられて見にきたら、いつの間にか勢いで入ってました(笑)。本当に勢いなんですよね。最初、特にやりたいとか楽しいとか思ったわけでもなく。「次も来るよね?」みたいな感じで。体力的にとても衰えていたので、野球部でやりたいっていう熱意は無かったですね。

高橋 自分もソフトボールやるとか、自分が所沢に来るとか、全く考えていなくて。もともと野球部に3、4ヶ月程いたんですけど、そしたらこの所沢キャンパスに来ることもなかったんだろうなと思っていて。この部に入ったきっかけは、野球部でけがしてしまって、病院に行っていて雑用をおろそかにしてしまった時期があって。その時期に東日本大震災があり入学式もなくなって、学部のTOEFLの試験があったんですけど、そのときに(サークルの)勧誘活動がいっぱい行われている中で、最初に声をかけられたのがソフト部でした。最初は野球のサークルなのかと思ったんですけど、聞いたらソフト部だってことで。「そういえばソフト部あるのか」って思って、(部員の人たちと)話をして。中学の時の友達で、関西の大学でソフトボールをやっている人が2人いるんですけど、「こいつらと全国で戦ったら面白いだろうな」っていうのと、やっぱり日本一、世界一になっているところにひかれて、入部しました。

――平日に練習する際、早稲田キャンパスに通っている選手は喜久井グラウンドを使用しています。そのため部全体で練習する機会が限られていますが

吉田 最初、喜久井(グラウンド)を普段使う人はデメリットを多く感じていて。「所沢キャンパスの方が練習できているからな」って気持ちもあったと思うんですけど、僕はそこをメリットに変えようと思って。1週間(喜久井グラウンドでの練習を)見ないで、土日に(全体練習で)会ったときに成長していたら、やっぱり目立つじゃないですか。毎日見ていると変化がわかりにくいので、毎週何かしらの変化をしてきたら、それは自分にとってメリットになるっていうのを伝えました。今は最低限の練習メニューをグラウンドは関係なく与えているので、大きな差はないと感じています。

高橋 自分は喜久井町でずっとやっていて、なおかつ政経とかだと土曜日に授業が入ってしまうので、土曜日の全体練習に遅刻ないしは欠席しなきゃいけないという時があって。それがすごく不利だなっていうのは思っていましたね。やっぱり夏休みに入って毎日こっち(所沢のグラウンド)で練習したら、それだけ調子も上がってきますし。普段から投手の球を見られる機会も所沢に比べて喜久井だと少ないので、できれば所沢でやりたいな、っていうのは選手としては思っていました。そして、実際にこう運営する側になって、享平(吉田)もそういう風に、一週間見ないで次の日曜日に成長した姿を見せてくれ、ってことを夏ぐらいから言ってくれたので、それは面白いな、そうだなって思って。いまは喜久井で練習している下級生の子も頑張ってくれています。

――高橋さんは自宅も遠く一週間あちこち動き回る生活をしているそうですが、もう慣れましたか

高橋 まあ正直しんどいですけど、まあしょうがないなっていうのはありますね。でも一番ありがたいのは、いつも赤瀬(公平、スポ3=愛知啓成)だとか、沓澤(翔、スポ3=大阪・関西大倉)だとかによく泊めてもらっていて。自分が泊めてあげる側だったらたぶん泊めてないと思うので…この人(吉田)みたいに泊めてくれない、家にすらも入れてくれない人もいるんですけど(笑)、本当に泊めてくれる人には感謝しています。

――家に入れないのですか(笑)

吉田 そうですね、まあちょっと狭くなっちゃうので(笑)。

高橋 かわいい子しか呼ばないらしいです。

――ワセダのソフトボール部に入ってから3年が経とうとしていますが、振り返ってみていかがですか

吉田 1年の時は辛かったなっていう印象ですけど、2年、3年は先輩方のお陰でいい思いさせてもらっているので、このソフトボール部を選んでよかったなっていう気持ちです。

高橋 入部して最初のときは享平と二人で投手をやれと言われていたんですけど、気づいたら享平だけ試合に出ていて、「あれ、いいなあ」って思って。その時のインカレでは1回戦で負けてしまったのですが、秋から頑張ろうって気持ちでやっていて、1年生の秋から結構試合に出してもらえるようになりました。だけど結果的に2年生でも3年生でも最後レギュラーを取れなかったので、個人的にはすごく悔しい思いはしてきました。でも逆に、きょねんのインカレの1週間前に紅白戦中に右足首を骨折して試合に出られなくなって。それで少しソフト部に対する見方が変わったというか、「こういう風に一歩引いてみたらこういう風に見えたりするのか」って気づきました。この役職につきたいなって思ったのも、そのけががあったからかなって思います。

「常に先頭に立って引っ張っていきたい」(吉田)

4番打者、主将としてチームを引っ張る吉田

――主将と副将に選ばれてから、気持ちの面などで変わったところはありましたか

吉田 もともと僕は、2年の時に飲み会で4年生の方に「お前主将やれよ」って言われて。「そうか、やろうかな」って気持ちが芽生えてはいたんですけど、実際にやるつもりはありませんでした。でもきょねん、東日本の時に選挙があって、北村さん(和也、人4=長野・佐久長聖)が主将に選ばれたんですけど、その時に「あ、次俺やろう」って思って。きょねん1年間は、「らいねん俺が主将をやるんだろうな、俺だったらどうやろうかな」っていう気持ちで1年間チームを見ていました。それでことし、さあやるぞって気持ちで始まったので、その後には大きな変化はないかなって個人的には思っています。

高橋 けがして一歩引いて見る機会があったことによって、試合に出る、出ないに関係なくこういう見方も面白いなって、結構ことしに入ってからはそういう気持ちでやっていたので、その面ではあんまり変わってないんですけど。あとは選手として、自分が打たなきゃなっていう気持ちは前より強くなったかなって思います。享平が、まあ結果的にリーグ戦できょねん首位打者取ったんですけど、最初は本来のバッティングができていなくて。享平でも意外と打てないものなんだなって思って、じゃあ自分ももっとちゃんとやらなきゃいけないなって思いを強くしました。

――お二人はどのような主将、副将像を理想としていらっしゃいますか

吉田 選挙で僕を信じて投票してくれた同期や後輩ばかりなので、その信用を裏切ってはいけないな、と。自分が常に先頭に立って引っ張っていきたいな、という気持ちです。

高橋 僕は選挙で他にもやりたい人がいる中で選んでいただいているので、自分に投票しなかった人たちにも認めてもらえるような副将になりたいなとは思っています。プレーでも戦術でもしっかり考えられる主将がいるので、そっちの方は割と任せっきりで、また違った目線から…例えば、そんなにうまくない選手にもしっかり目を向けたりだとか、いろんな選手と話すようにしようっていうのは心がけています。

――ソフトボール部として過ごす最後の1年になっていきますが、それに対して特別な気持ちはありますか

吉田 最後だから、っていう気持ちは特に持たないんじゃないかと今のところ思っています。でも同期10名でやれるソフトボールは日に日に減っていく訳で。そういった中で、同期でも出られない奴もいるんですが、特に最後インカレ、全日本総合(選手権)で同期全員が笑って終われるようにしたいなっていうのは常に思っています。

高橋 きょうも、これおそらく慶大と戦うのは最後なのかな、と。1年後もう自分がソフトボールしてないんだなあっていうのは思うんですけど。最後の秋のリーグ戦ももう終わってしまって。

――これから冬のトレーニング期間に入りますが、来季の個人としての目標を教えてください

吉田 大学生活でもうソフトボールは終わりかな、って今のところは思っているので。きょねん、ことしとインカレ優勝させてもらって、その時もクリーンナップ打たせてもらって。それでもインカレで勝っているだけで社会人にはまだ認められてないなという印象もあるので、全日本総合に出てめちゃくちゃ打って、それでワセダに吉田っていうのがいるんだぞっていうのを印象づけて、スパッと(ソフトボールを)辞めたいなって思っています(笑)。

高橋 結構(吉田選手を)うらやましいなって思っている部分が多いんですよね。リーグ戦7回ある中で1回くらい首位打者取りたいなって思っていたんですけど、もうこいつことし2回も取ってて、すげえなって思って…。ソフトボールマガジンの表紙にもなってますし。でも、そういう選手は少ないんだなあと思っています。自分は目立つタイプじゃないんだなって思って、地味でも何でもいいからしっかり仕事に徹そうかなと。この秋になって、打つ時は右中間を狙ってやっているんですが、個人的にそれが前に比べてすごくできるようになってきています。吉村先生(正監督、昭44教卒=京都・平安)にもこの間言われたんですけど、もっと自分の役割を心得ようと。悪い癖でホームラン狙おうかなって思っちゃうんですけど、その気持ちを抑えて常に右中間、センター前、ライト前っていうのを狙っていこうかなと思います。記録とかそういうのは…本当は欲しいですけど、抑えていきます。こういう取るべき人(吉田)が取れば良いと思います。

吉田 でも一番数字について言ってますよ(笑)。「いまのところ俺(打率)5割だ」とかずっと言ってますもん。

高橋 やっぱね。欲しいよね、そりゃあね。

――チーム全体の目標は

吉田 最初に呈示したのは、インカレ3連覇、全日本総合で優勝しよう、ということ。それで後輩達がその後もインカレ4連覇、5連覇できるような基盤となるチームを作りたいなと思っています。

高橋 目標はインカレ3連覇、全日本総合で優勝、それからアメリカに行く場合は世界一を取りたいなっていうのはあるんですけど、今1試合勝つだけでもなかなかしんどくて、試合を長く感じて。前はコールドが当たり前だったのが、最近はそれもできないので。まずは1試合1試合勝てるチームにしたいなと思っています。

――ありがとうございました!

(取材・編集 土屋佳織、芦沢仁美)

◆吉田享平(よしだ・きょうへい)

1991年(平3)4月24日生まれ。183センチ79キロ。群馬・中央中教校出身。スポーツ科学部3年。内野手。どの質問に対しても真摯に答えを考えてくださる姿が印象的だった吉田選手ですが、時おり高橋選手に鋭いツッコミを入れることも。高橋選手いわく「ツンデレ」な主将が、来季もその魅力でチームを引っ張ります。

◆高橋希望(たかはし・のぞみ)

1993年(平5)2月25日生まれ。169センチ72キロ。埼玉・早大本庄高出身。政治経済学部3年。外野手。早生まれのため、主将の吉田選手、主務の柏原祐太選手(スポ3=大阪・清風南海)とはほぼ2歳離れている高橋選手。入部当初は気を遣っていたそうですが、「今は余裕」とのこと。仲の良さを感じさせるトークで、取材を盛り上げてくださいました。