後藤若葉#1『離脱期間は8カ月、出場時間は65分』

ア式蹴球女子

 65分。これはア女(ア式蹴球部女子)の新主将、DF後藤若葉(スポ4=東京日テレ・ヴェルディメニーナ)が3年時に公式戦でピッチに立った合計時間だ。入学から2年間、順調な選手生活を送った後藤だったが、3年時に不運が不運を呼ぶ形で思いもよらない1年を送ることになる。

 

皇后杯1回戦の試合前。昨季の多くは裏方として精力的に働いた

 

 後藤は1年時からア女を最終ラインから支え続けこの春で入部4年目を迎えるDF、守備の要だ。先手を読む鋭い対人守備や長短のパスを用いたビルドアップなどが特徴の大学ナンバーワンCBで、頻繁に前線に駆け上がりゴールをうかがう積極性もまた魅力の一つだ。それらの特徴をいかんなく発揮したのが2年時の全日本大学女子選手権(インカレ)。ア女史上初のインカレ全試合無失点に貢献し、決勝では先制ゴールも決めると2年生にして大会MVPに輝いた。

 

2年時のインカレ決勝。大雪のなか歓喜に沸いた

 

 しかし、このインカレ決勝から354日後、昨季のインカレ初戦まで後藤が臙脂(えんじ)を身にまとい公式戦を戦うことはなかった。
 苦難の始まりは大学3シーズン目の開幕直前、2022年3月の練習試合での何げない一瞬だった。「パスを出した時に膝が抜けた感じになって、その後も20分くらいプレーしたけどずっと力が入らない感じがあって、一回やめとこうとなった」。少しの違和感は当初、1カ月もたたずに解消されるはずだった。「MRIを撮ってもらったら『靭帯にも影響ないからちょっと休めば治る』と」。
 けがをしてから2週間後、安静にしてから動かした膝にはまだ痛みが残っていた。炎症という解像度の低い言葉でまとめられ続けた謎の痛みは、何度夜が明けても消えることはなかった。期待感が高まった注射療法は効果がなく、後藤を奈落の底へ突き落とした。「リハビリをしているというより、経過観察をしている感じでどうなるか分からない不安があった」。気付けば夏を迎えていた。

 

ア女のサポートだけでなく審判を務めることも

 

 もちろんその間チームはインカレ連覇とプロ撃破に向けシーズンを戦っていた。筆者が印象に残っているのは昨年6月25日の帝京平成大戦。ラストプレーでの劇的勝ち越し弾は昨季のハイライトのひとつだったが、このゴール直後、後藤に喜ぶ仕草はなくグラウンドの隅で歓喜に浸るイレブンをただただ見つめていた。「最初はチームもうまくいってて、そこに対して自分が復帰したら何ができるかを考えて見ていたから苦しさはなかったけど、3年生として、いつも試合に出てた人としてそんな姿を見せちゃいけないという部分は正直あった」と同時に、「試合には来て運営はしてるけどチームと一緒に一喜一憂することができなかった」と離脱者としての苦悩を明かした。

 

スタンドからアドバイスを送る後藤

 

 この帝京平成大戦から半年後の12月末、後藤は晴れて復帰を果たした。8か月間の離脱期間の中で大きな転機を迎えたのは「経過観察」が5カ月目を迎えようとしていた8月。軟骨に異常がある事が判明し、リハビリがゼロからのスタートになることを覚悟したうえで手術に踏み切ったのだった。「治ると分かったからリハビリに集中できた」。復帰直後にシーズンが終了したこともあり、出場した2試合は共に途中出場で計65分間の出場にとどまったものの、今年2月には大学選抜に選出され、浦和レッズレディースとの親善試合で約1年ぶりのフル出場を果たした。試合後には相手の監督から「出足も早く素晴らしかった」と高評価を得ている。守備の要としての後藤若葉が返ってきた。大学選抜で背に付けた『3』は不完全燃焼に終わった昨季の番号でもある。自身にとって「特別な意味を持つ」とするこの番号は新シーズンも後藤の背に大きく記される。

 

復帰戦となった昨年12月26日のインカレ初戦

 

 「サッカーに対して考えが整理された一年。サッカーをできるありがたみをめちゃくちゃ感じた」。後藤は3年生をこう振り返り主将として新シーズンに挑む。高校3年生の時には日テレ・東京ベルディメニーナからトップチームに上がる選択肢もあったが、人としてサッカー選手として成長するために「ア女で4年間を戦うと決めた」。だからこそ今季にかける思いは強い。全ては大学日本一と皇后杯ベスト8のために――。臙脂(えんじ)の3番は大学ラストイヤーを駆け抜ける。

(記事・写真 前田篤宏)

 

#2、#3はこちらから

『後藤若葉#2 主将・後藤若葉はア女に何をもたらすか』

『後藤若葉#3 もう一度なでしこのユニフォームを着るために』