【連載】『平成29年度卒業記念特集』第66回 松原有沙/女子サッカー

ア式蹴球女子

慕い慕われ、頂点へ

 「このチームで優勝できて、本当にうれしい」。創部史上初の全日本大学選手権(インカレ)3連覇を成し遂げ、カップを掲げた直後、DF松原有沙(スポ=大阪・大商学園)に心境を問うと、開口一番、こう喜びをあらわにした。1年間ア式蹴球部女子(ア女)を引っ張ってきた心優しき主将は、様々な憂悶を乗り越え、仲間とともに最高の舞台での最高の瞬間にたどり着いた。

 高校時代は、西の強豪・大商学園高でサッカーに打ち込んだ。1年時から公式戦での試合出場を重ね、その翌年にはU17日本代表に選出。年代別代表のワールドカップを戦うチームの一員として、アゼルバイジャンに飛んだ。そんな経験豊富なセンターバックは、最終学年になると、『背番号10』を受け継いだ。それはすなわち、主将就任を示す番号。名実ともにチームの中心として、初の全国制覇を目指した。しかし結果はベスト8。「後悔はあまりなかった」と振り返る一方で、「部活で一番を目指したい」という思いは残った。共に国際大会の舞台で戦った選手のほとんどは、なでしこリーグのクラブに活躍の場を求めたが、もともと大学進学を希望していた松原が下した決断は、『大学に通いながらクラブチームに所属』ではなく『大学サッカー部に所属』。インカレを観戦し、「日本一を目指すならここかな」と、上京し早大に入学する道を選んだ。

笑顔の中心には、いつも松原がいた

  2014年の春、用意されていたエンジのユニフォームに記された番号は、1年生では異例となる一桁の『5』だった。開幕戦にも先発出場。高校時代の試合観戦時に感じた通り、多彩な攻めのかたちを持つ早大のスタイルは、「ロングキックが武器の自分に合っていてやりやすい」。周囲からの期待に応え、すぐに主戦に定着した。しかし、開幕から1カ月後、フル出場を続ける中で負傷。秋までの離脱を強いられた。さらに、2年時、3年時も同様に春先に負傷。試合出場と負傷離脱を繰り返す中で、チームへの申し訳なさも芽生えた。「みんなで強くなろうとしている時に練習ができなかったりした。それで復帰したらすぐ試合に出させてもらっていた。自分が周りの人間だったらすごく嫌だったと思う」。春や夏の合宿で行われる厳しい走り込みには不参加続き。秋に行われる皇后杯やインカレで存在感を示してきたが、その原動力には「出させてもらうからにはチームのために」という強い思いがあった。

 最終学年を前にして、「高校のときの経験を生かせたら」と主将に立候補。しかし、高校と大学の主将の役割にはギャップがあった。さらに、主力メンバーが固定される中、試合の出場機会が伸びない選手たちのフォローにも苦心。「自分はサッカーができるのに試合に出れないという思いを、代表でしか味わったことがない。話を聞く努力しかできなかった」。常勝軍団を率いるプレッシャーも、並大抵のものではなかった。例年圧倒的な強さを見せ、昨年は9連覇がかかっていた関東女子リーグ戦(関東リーグ)で、上位につけるライバルに敗れると、大きな不安に襲われた。転機は8月に台湾で行われたユニバーシアード競技大会。いち選手として参加した松原は、急造チームで主将を任されたMF中村みづき(スポ=浦和レッズレディース/※早大では副将)が、積極的に周りと協力してチーム力を高める姿に、「気負いすぎる必要はない。もっと周りを頼ろう」と吹っ切れた。するとチームも軌道に乗った。タイトな日程を戦う11月、皇后杯本戦で国内屈指の強豪・INAC神戸レオネッサを撃破し大金星を挙げる。翌週、同じくなでしこリーグ所属のノジマステラ神奈川相模原(ノジマ)には惜しくも敗れたが、メンバー外の部員も多くが仙台まで駆けつけた。「一緒に戦えている感覚があった。うれしかった」。チーム力を掲げて先頭に立ってきた松原の尽力が報われた瞬間だった。一度、一枚岩となったチームは強い。チームの最大目標だったインカレも総力戦で戦い抜き、3連覇を勝ち取った。

 インカレ決勝を「このチームでできる最後の試合を大事にしようという気持ちが強かった」と振り返れば、3連覇についても「みんな優勝させてくれてありがとう、という感じ」とどこまでも仲間思いで謙虚な松原。思えば、早慶定期戦の先制弾やインカレ準決勝の2度の同点弾。相手にペースを握られ、苦しい戦況に陥った中で、ア女がここぞという場面で得点をもぎ取ると、いつも松原を中心に歓喜の輪ができていたように思う。「表立って何かをしたわけでもない」と本人は笑うが、そのチームのために尽くした姿勢は、チームメイトにも響くものがあったに違いない。今後はノジマでプレーを続ける松原は、「目標の選手」というDF高木ひかり(平28スポ卒)とチームメイトになる。「なんであんなに落ち着いてプレーできるんだろうと思う。いつかそういう選手になれたら」。昨夏のように『チームのまとめ役』の重圧から解放された今、きっとまたひとつ殻を破ってくれるはずだ。

(記事、写真 守屋郁宏)