確かな『成長』、未知への『挑戦』
今季のア式蹴球部女子(ア女)は文字通り「最強」だった。関東女子リーグ戦、関東大学女子リーグ戦、皇后杯全日本選手権関東予選の全てで優勝し、見事関東三冠を達成。さらに先月行われた全日本大学女子選手権も制し、5大会ぶりに全日本王者戴冠を果たした。「過去3年間にはない勝負強さがあった」。記念すべきシーズンをこう振り返る山本摩也(スポ=スフィーダ世田谷)は、選手としてだけでなく、副将としてもチームの快進撃を支えた。ア女に捧げた4年間。それは彼女にとって、自身の確かな成長を実感できた4年間でもある。
一年間の浪人生活を経てア女に入部した山本。チームメートは想像通り実力者ばかりだったが、決してひるまなかった。ピッチに立って勝利に貢献したい。その一心で毎日練習に励み、着々と力をつけていく。上級生からも多くのことを学び、最初の2年間を充実した内容で終えた。
苦しい場面でも勝ち抜いてきた背景には得点力のある山本の存在があった
3年時になると、それまで積み重ねてきた努力が結実し始める。出場機会が一気に増え、ほとんどの試合でスタメンを張るようにもなった。だが、定位置を完全に確保しかけていた矢先に思わぬ試練が待ち受けていた。その年の9月頃から突如出番が減り、それまでとは打って変わって試合に出られなくなってしまったのだ。山本はア女に入って初めて、大きなカベにぶつかった。「あの時は本当に苦しかったし、きつかった。家まで泣きながら自転車こいで帰ってましたからね(笑)」。
なぜ試合に出られなくなってしまったのか。山本は自分自身をしっかりと見つめ直した。いまの自分から目を背けず、人や環境のせいにはしない。自ら監督やコーチのもとへ行き、自分に何が足りないのか、アドバイスを求めたりもした。「あの時初めて過去の自分を打ち破れるようになって、それまではできなかった考え方が、いつの間にかできるようになりましたね」。この経験が、その後の山本を大きく変えた。再びカベにぶつかっても、自分の力で乗り越えられる。気づけば選手としても、人間としても、さらにたくましくなっていた。「いま思えば、あの経験が自分にとって本当に大きなターニングポイントだったと思います」。
ラストシーズンとなった今季、山本はチームの中心選手として4つのタイトル獲得に大きく貢献した。プレーでの貢献に加え、副将としてチームの精神的支柱という役割も全うしたその姿を、後輩たちは目に焼き付けたに違いない。「この4年間をひとことで表すなら『成長』です。自分で考えて、自分で取り組める人間に成長できた。本当にア女や周りの方々のおかげです」。卒業後はスペインリーグでプレーすることが決まった。現在は、渡航の準備やコンディション調整、スペイン語の勉強などで大忙しの毎日だ。「外国人選手と実際に練習をしてみて、手応えも感じましたし、スペインは周りの環境もすごく恵まれています。だからここからは本当に自分次第。自分がどれだけやれるか。それにかかっているし、まずはしっかり準備をして、いつでもチームに合流できるようにしたいと思います」。巧みなボールさばきと、意外性を兼ね備えた攻撃センス。そして4年間を通じて学んだ、奇をてらうことなく、謙虚かつ貪欲に上を目指す姿勢。異国という未知の世界で結果を残すために必要なものは、すでに十分そろっている。さらなる成長を遂げるため――。山本の新たな挑戦が、いま始まる。
(記事 栗村智弘、写真 新庄佳恵)