【連載】『令和4年度卒業記念特集』第11回 鈴木俊也/男子サッカー

ア式蹴球男子

考え続けた4年間

 ゴールを決め、ベンチメンバーの元へ飛び込む鈴木

「ひたすら考え続けた4年間だった」。これはDF鈴木俊也副将(商=東京・早実)がア式蹴球部(ア式)での活動を振り返って放った言葉だ。今何が大事で何を尊重しなきゃいけないのか、考え続け成長したその先には何があるのか。鈴木のサッカー人生に迫った。

 2歳年上の兄の影響もあり、小学1年時にサッカーを始めた鈴木。その後、中学進学時にFC東京の下部組織へ所属したことをきっかけにプロを現実的に意識するようになる。プロの選手が練習に来たり、プロの試合を見に行ったりとプロサッカーが身近にある環境に身を置いたことで、「プロへの道が明確になった」という。

 しかし、目標としていたユースへの昇格はかなわず。学業もサッカーも取り組める環境を求め早実への進学を決めた鈴木だが、理由はもう一つある。「中学卒業時に3年後にプロになっているイメージがなかった。大学での4年間も含めれば、個人として成長してプロへの道が見えるのではないか」と、大学までの7年間をかけてプロサッカー選手になるための選択でもあった。大学での4年間を終えた今、当時の自分の選択について改めて問うと「めちゃくちゃよかった」と笑顔で振り返った鈴木。「生きていくうえで一人の人間として大事なものを教わった気がする」と、同期、先輩、指導者、さまざまな人との出会いを経てサッカー選手としてだけでなく、一人の人間として成長した早実での3年間であった。

 ドリブルでボールを前線へ運ぶ鈴木。柴田主将離脱後はキャプテンマークをつけ、チームを牽引した

 そうして迎えたア式での1年目は、公式戦デビューを果たすなどプレーに手ごたえを得た一方で、組織に慣れることに苦労した。「いろいろな人がいる」。これは鈴木が入部前の練習参加時に抱いた印象だ。ア式にはさまざまなバックグラウンドをもつ人が集まり、サッカーがめちゃくちゃうまい人、コミュニケーション能力が高い人、発信力が高い人、それぞれに個性がある。そうした人たちとのかかわり、サッカーだけにフォーカスしない組織体制に1年目から順応するのは容易ではなかったという。

 2年目は、ケガや同ポジションにDF阿部隼人(令2社卒=現FCティアモ枚方)という絶対的存在がいたこともあり、出場機会には恵まれなかった。しかし、シーズンオフになると「予想してなかった」という大宮アルディージャからのオファーが舞い込んだ。「タイミングがよかった」と振り返るこのオファー。シーズン通した出場試合数は10試合にも満たなかったが、自身がアシストを記録した試合に大宮アルディージャの強化部が視察に来ていた。その後呼ばれたキャンプで好パフォーマンスを発揮した鈴木は、プロへのチャンスを確実にものにし、2年目のシーズンオフという異例の早期に内定をつかみ取った。

 目標であったプロサッカー選手への道を切り拓き、関東リーグでは全試合フル出場を果たすなど「一番個人として成長した年」と振り返る3年目。プロ内定を決めたことで自分への自信が強まり、立ち振る舞いや試合中の発信にも今まで以上に自信を持てたという。そして鈴木が最も成長を感じた要因が、サッカーの捉え方だ。チーム状況からセンターバックに挑戦したことで、責任感が芽生えたと同時に「どうやったら失点を減らせるか」と今までの攻撃的思考に加えて守備の部分で選手としての引き出しが増え、サッカーをより広い面で捉えるようになった。

 内定者会見にてプロへの意気込みを語った

 プロ内定、フルタイム出場と、選手として圧倒的な成績を残すも唯一届かなかったもの――。それは「タイトル」だった。「一度も取れていなかったのはすごく悔しいし、ずっと考えていた」と意気込んで臨んだ大学でのラストシーズン。しかし、入学時から注目され、歴代最多のプロ選手を輩出した年代をもってしてもタイトルには及ばなかった。主将であるDF柴田徹(スポ4=湘南ベルマーレU18)の長期離脱に加え、「勝つためのプロセスや、何を重要視しそのために何をすべきか、そういった過程がバラバラだった」というチーム状況。難しいシーズンに対して、「それらを統一する方法を見つけ出せなかったことが最大の原因」と振り返る。さまざまな経験をし、そのたびに考え続けたこの4年間。鈴木は何を学び、今何を思うのか。

 ア式での4年間で自分のプレーや勝敗が人に与える影響の大きさ、サッカーのみでなくスポーツにどれほどの力があり大切であるかを実感したという鈴木。自分のプレーは自身のステップアップのためにも重要であることは前提とし、「お金を払って見に来てくださる方々のために何ができるかを常に考えたい」と言葉を残した。考え続け辿り着いた自分なりの答え、そしてア式での4年間の思いを胸に、鈴木はプロの世界へと羽ばたいていく。

(記事 栗田優大 写真 橋口遼太郎氏、前田篤宏)