柴田徹主将(スポ4=湘南ベルマーレU18)
――引退から時間がたった今、4年間を振り返って率直な気持ちを聞かせてください
楽しくもあり苦しくもあった、喜怒哀楽普通の大学生は味わえないような感情をたくさん味わうことができたと思います。ケガに始まり、ケガに終わった大学生活でしたが、引退した今、率直に感じていることは、幸せな4年間だったなということです。いろいろな人に出会えて、いろいろな経験をさせていただいて、たくさんの人に支えられながらこの4年間を過ごすことができ、無事にやりきることができました。最高に充実して幸せで楽しすぎた4年間だったと思います。すべての人に感謝しています。
――昨季から一転して今季はケガに苦しみましたが、ピッチ外からチームの状況をどのように感じていましたか
みんなが必死に戦う姿を見て、みんなを頼もしく思っていたのと同時に、自分自身の無力さに何度も悩まされました。結果が出ない中でみんなには本当に苦しい思いをさせてしまったなと感じています。それでも前を向いて戦ってくれたみんなには感謝しかありません。
――チーム状況が上向かない中で、主将としてチームをまとめることへの難しさはありましたか
ピッチに立てないという部分が一番難しかったです。みんながピッチで感じていることを理解しきれない、同じ土俵に立って話ができていないという点において本当に難しい部分はありました。ピッチの外で多くの人とコミュニケーションをとったり、練習中声を出したりすることぐらいしかできませんでしたが、常に自問自答を繰り返していました。何が正しくて何が間違っているのかの判断の重みもとても重く、ピッチに立てないだけでこれほどまでに状況が変わってしまうのかと毎日悩まされました。
――特に印象に残っている出来事や試合があれば理由とともに教えてください
前十字靭(じん)帯断裂です。今シーズンのすべてを奪われた気持ちでした。このケガには後悔が多く残っています。自分の体にもっと向き合っていれば防げたし、もっとみんなとプレーができました。情けないです。
――4年間をともにした同期へのメッセージをお願いします
ありがとう。みんなと歩んだ4年間、最高に楽しかった。俺は出会いに恵まれすぎています。出会えてよかった。4年間お疲れ様、そしてありがとう。
鈴木俊也副将(商4=東京・早実)
――引退から時間がたった今、4年間を振り返って率直な気持ちを聞かせてください
やっと終わったなというのが一番素直な気持ちです。ア式蹴球部にはたくさんのエネルギーを注いできたし、生活の中心でした。自分で選んだ道でしたがもちろん苦しいこともたくさんあったし、違う道を探そうとしたこともありました。ただ、4年間で1人の人間として、サッカー選手として成長させてもらったこの組織には感謝しています。
――昨季から一転して今季はケガに苦しみましたが、ピッチ外からチームの状況をどのように感じていましたか
今年はピッチの外から客観的に早稲田の試合を見ていて、ピッチ上で戦う選手たちの表情がとても苦しそうに映りました。良くない雰囲気を断ち切れなかったのは4年生の責任なので、特に1、2年生といった下の学年にはすごくやりにくい状況にしてしまって申し訳ないなと思っていました。個人的には、昨季同様に試合に出続けることでチームの先頭で引っ張っていく覚悟を持っていましたが、ケガに苦しめられ、ピッチの外から間接的に関わることしかできない状況にすごく不甲斐なさを感じていました。
――4年間で自分がア式蹴球部に何を残せたと考えていますか
僕は内部進学というかたちで早稲田大学に入学したので、毎年ア式蹴球部の中心を担う自己推薦やスポーツ推薦の選手たちとは歩んできた経歴が全く違います。しかし、僕が試合に出ること、プロになることによって多くの部員に色々な可能性を残せたと思っています。大事なのはこれまでの実績ではなく、今この瞬間でどれだけ積み上げるかというのを僕の経験から示せたと思います。
――特に印象に残っている出来事や試合があれば理由とともに教えてください
一番印象に残っている試合は1年時の関東リーグデビューとなった筑波大戦です。当時はものすごく緊張していたし、チームの状況も良くないまま迎えた試合だったので、かなりの重圧を感じていました。しかし、あの試合で90分出場し、勝ち点3に貢献できたことは本当にうれしかったし、大きな自信になりました。
――4年間をともにした同期へのメッセージをお願いします
1年生の頃から何度も何度もぶつかり、いろいろなことを話し合ってきた同期だったからこそ、最後は良い結果を出してみんなと思い切り喜び合いたかったのが今の本音です。ただ、同期と共に歩んだこの4年間があったからこそ、今の僕があることは間違いないし、この先の長い人生の中でも互いに切磋琢磨(せっさたくま)し合えるような関係でありたいと思っています。苦しい4年間だったけど、みんなと出会えたことが一番の宝物です。
平田陸人主務(商4=埼玉・早大本庄)
――引退から時間がたった今、4年間を振り返って率直な気持ちを聞かせてください
あっという間だったなという感覚もあれば、この1年半ぐらいは本当に長かったなという感覚です。1、2年目と3年目からの後半からでは全く別物で、3年目の後半からはチームの結果を直に受け止めなければいけない立場だったので、主務として悩み苦しむ時間が多く、チームに申し訳ない気持ちで過ごしてきました。一日が終わるのが長く感じるほどア式のことを考えるのが嫌な時もありましたが、その過程も含めてア式蹴球部の4年目は特に学びがあり、一人の人間として成長できる期間だったなと思います。
――4年生として、今季のチーム状況はどのように捉えていましたか
4年生では、ケガで抜ける選手が多く、ピッチ外から間接的に関わることしかできないと不甲斐なく感じていましたし、また下級生にもやりづらい雰囲気の中でプレーさせてしまい、多くの部員が苦しみながらプレーをしている時間が長かったなと思います。それを断ち切れなかったのは、4年生として主務としての力不足だったなと感じていますし、チームをまとめるのに、もっと違う方法があったなと思っています。
――選手として今季はケガなどもありリーグ戦の出場はありませんでしたが、選手としての自身をどのように振り返りますか
選手としての自分に対してはあまり後悔はないです。2年でリーグ戦には出場しましたが、元々、付属上がりの選手で自分が関東リーグに出られるほどの実力を持ち合わせているとは思っていないですし、自分の事よりチームに勝ってもらいたいという気持ちだったので自分のことはどうでもいいと思ってきました。また、4年目は、3年目に前十字靭(じん)帯断裂をしましたが、1年間長期離脱することなくプレーができました。それは、本当に社会人トレーナーや学生トレーナーのおかげなので、感謝の気持ちでいっぱいです。でも、付属上がりの自分のような選手がピッチに立つことは、もっと多くの部員のパワーになったなと思うと、もっと選手としての自分に対して厳しく突き詰めてやればよかったという後悔もあります。
――特に印象に残っている出来事や試合があれば理由とともに教えてください
後期の筑波大戦です。あの試合は残留するためには、必ず勝たないといけない試合でしたが、試合内容としては本当に最悪でした。しかし、守備に回る時間が多い中でも、全員が力を張り、体を投げ出していました。全員が粘り強く、愚直に戦い続け、そして応援席も一枚岩になって勝利を掴み取る、内容が悪い試合でも早稲田を一番体現した試合だったと感じています。
――4年間をともにした同期へのメッセージをお願いします
なんだかんだ最高の同期です。これからもお互い切磋琢磨(せっさたくま)していきましょう。
監物拓歩(スポ4=清水エスパルスユース )
――ア式での4年間を終えて現在の気持ちをお願いします
多くの経験をしてサッカー選手としても人間としても成長できたと感じます。多くの人に支えられサッカーができた事への感謝と何もできなかった自身の力不足を感じます。
――ケガを乗り越え復帰となった今季の戦いを振り返っていかがでしたが
プレーでもっと感謝を示したかったです。また、サッカーができる喜びをとても感じました。
――清水エスパルスに内定を決められました。個人としては、どのようなシーズンでしたか
力不足で自分のプレーで何も与えることができなかったです。
――4年間のア式での活動で得たものは何ですか
仲間や物事の考え方、チャレンジする姿勢です。
――ア式で手にした成果や学びをプロの舞台でどのように生かしていきたいですか
どんな状況でも常に前へチャレンジしていきます。
――1番思い出に残っている試合や出来事を教えてください
脳震盪(とう)です。
――同期に向けたメッセージをお願いします
感謝。共に頑張っていきましょう。
平田周(スポ4=東京・国学院久我山)
――4年間を終えて率直な感想を教えてください
自分を労いたいです。苦しいことはありましたが、今となってはどうでもよく、そんなことにむしばまれる自分はとうの昔に捨てました。それは仲間との思い出が多くあるからこそで、本当に感謝したいです。それと同時に、他者の評価や仕様のないことと自分自身とを切り離し、ブレない芯やスタンスを再確認できました。些細なこと、非論理的・非効率的なこと、理解し難い発言・行動など、そんなことはこの先も当たり前のように訪れると思います。これらのことでほんの少しでも簡単にメンタルがマイナスにならない、囚われて知らぬうちに悪い方向に行かないようにというのは、これまでの自分にとってはとても重要なことでした。なのでマインドという意味では大きく前進できたと思います。その意味で、ここまで進んでこれた自分を労いたいですね。
――4年間で一番印象的な試合や出来事は何ですか
TRM(トレーニングマッチ)で主審を務めていたところ、センターサークルから動かなさすぎる(自覚なし)という理由で途中交代したこと。仮入部最初の公式戦観戦で、スーツに白靴下という何とも安易な服装ミスで来た安達(安達佳哉、社4=北海道・札幌大谷)に何度も危険だと指摘するが、どうにかなると思っていた安達の表情。後期筑波大戦後の内田さん(内田 謙一郎、平11卒=東京・早大学院)のホッとした顔。
――ア式に来て良かったなと思うところはありますか
サッカーに生きる、人生をかけてサッカーをするという仲間に出会えたことです。プロを目指す・目指さないに関わらず、サッカーというものに対して日々真剣に取り組むことや、サッカーに対する思考そのものの意識の高さがすさまじい選手がたくさんいました。私の在籍した高校は文武両道を強く掲げ、スポーツ推薦で入学した者であっても厳しく勉学を追求されましたが、文と武両方を追い求める素晴らしさがある一方、どちらかでうまく行かないときにもう片方に逃げてしまう恐れもありました。早稲田大学で体育会に所属するということも文武両道であるという見方ができるかもしれませんが、この組織には自分の想像を超えるサッカーへの取り組みや思考をする仲間がいて、彼らに出会えたことで世界が広がりました。
――キーパー陣へのメッセージは何かありますか
GKチームが一番元気で、うるさくて、ふざけてて、おもろくて、そんで団結したチームでいてください。あと、内田さんには常に感謝すること。タクマさん(伊藤拓真、平21卒)が来ないからといって忘れないこと。いじりも。
――同期へのメッセージをお願いします
なんかあったらすぐ連絡してくれ。いつでも会おう。あと伝説たくさん聞かせてくれ。
西堂久俊(スポ4=千葉・市船橋)
――4年間を終えて率直な感想を教えてください
あっという間だったな、というのが率直な感想です。多くに巡り合い、感じ、考える、そんな4年間だったと振り返っています。
――プロ内定が3年時に決まった中で、4年生になってからはケガなどもありチームに貢献できない時期が続きました。ご自身の中でどのような思いがありましたか
最後のシーズンを迎える前にプロ内定していたので、周りから求められるものや大きな期待は感じていました。そんな中で、今シーズンは離脱を繰り返してしまいました。プロ内定者で4年生なのに、ケガで何もチームに貢献できていない。これまでもピッチ内で示してなんぼの存在でした。それなのに、ピッチ内で貢献できずにいる自分がみんなの期待を裏切ってしまっている気がして、同期や後輩に対して後ろめたい気持ちになる時もありました。ア式蹴球部での存在意義をなくしていました。このままでは終われないと、復帰して再びピッチに立ち、チームに大きく貢献することだけを考えて、自分の存在意義を取り戻すためにリハビリに取り組んでいました。復帰して、最後の大事な時期に再び離脱をしてしまいました。結局、ア式蹴球部での僕の存在意義を取り戻すことはできずに、残念な思いでいっぱいでした。
――4年間で一番印象的な試合や出来事は何ですか
2年生の時の早慶戦です。あの試合での自分史上最も不格好なゴールが、自分史上最も価値のあるゴールになりました。早慶戦、当時の4年生のために、サイドハーフ西田(西田翔央、商4=東福岡)によるスタメン落ち、でも何としても勝たせたい、など様々な思いがありました。そんなあのゴールがきっかけで、自分の中で変化したものがありました。あのゴールがあったから自分がプロ内定まで進めたと思っています。
――ア式に来て良かったなと思うところはありますか
仲間に出会えました。同期、後輩、先輩。出会いに感謝しています。また、ア式に関わる多くの方々の支えがあり、日々サッカーに打ち込むことが出来ました。そのおかげで幼いころからの憧れでもあるプロサッカー選手になることができました。この異質な組織で、すごく考えさせられました。感じました。
僕はア式に来て、良かったです。
――来季からのプロの舞台でア式で学んだことや得れたものをどう生かしていきたいですか
さっきも言ったように、ア式での日々は考えさせられ、感じさせられます。ア式で生きた日々は、色んな部分におけるものさしを与えてくれました。そのものさしは項目も尺度も様々です。一つの物事に対する多角的な視点を持つことでもあります。捉え方次第ではどうにでもなる、とも取れるし、捉え方次第では取り返しのつかないことになる、とも取れます。今後のプロ生活ひいては人生にも生きるものさしであり、いい方向に生かしていきたいです。
――同期へのメッセージをお願いします
この同期で良かったです。みんな本当にありがとう。大好きです。これからもよろしく。
西尾颯大(スポ4=千葉・流通経大柏)※リーグ最終戦、試合後のインタビュー
――今日の試合はどのような思いで臨まれましたか
降格が決まって、今シーズン全然勝ててなかった中で最後ぐらいは勝ちたいという思いもそうですし、来年に向けてみんなで笑って終わりたいなということは思っていました。
――試合を振り返っていかがでしたか
前半は良いプレーとか良いシーンとか、後半もあったんですけど、最後勝てなかったので、最後の最後まで勝てなくて自分たちの弱さが出たなと思います。
――大学最後のピッチに対して何か思うところはありましたか
勝って終わりたかったですね。
――4年間で印象に残っている試合や出来事は
2つになっちゃうんですけど、前期の順大に勝った試合と、早慶戦に勝った時が一番印象に残っています。
――具体的にはどのようなところが印象的でしたか
順天戦は、ずっと勝ててなくてやっと一勝できて。そのあと降格もして全然勝てなかったんですけど、ここからだと思って初勝利した時がすごくうれしかったです。早慶戦は部員やいろいろな人が作り上げてくれたというのももちろんそうですし、リーグ戦も全然勝ててなくて早慶戦も負けたら今年は本当に何もない代になってしまうので、早慶戦には勝ててよかったなと。なのでその2つが印象に残っています。
――4年間をともにした同期へのメッセージをお願いします
プロに進まない人はこれからも会えると思うんですけど、プロに進む人が俺らの学年には特に多くいてなかなか会えなくなると思うので、俺が続けることができなかったサッカーを楽しんでほしいというのが一番大きい気持ちです。
山下雄大(スポ4=柏レイソルU18)※リーグ最終戦、試合後のインタビュー
――大学生活最後の試合となりましたが、どのような思いで臨まれましたか
特にいつもと変わらず臨みました。
――ビハインドの中で投入されて、何か意識されたことはありましたか
得点が必要な状況だったので、できる限り前に行くように意識してました。
――ア式蹴球部で1番印象的だった試合を教えてください
この試合っていうのはあんまりないんですけど、2年生の時のチームは結構、シーズン通しての成績も良かったですし、1試合1試合自分たちの狙い通りの試合展開というか、支配して勝つという試合が多かったので、2年生シーズンの時は印象的でした。
――ア式蹴球部での4年間をプロの舞台でどのように生かしていきたいですか
ア式はいろいろな価値観の選手がいるので、違う価値観を擦り合わせるみたいなところは、ア式に入って試行錯誤した部分なので、そういうところをプロの世界でも生かしていければなと思います。
――同期へのメッセージをお願いします
4年目のシーズンは結果的に降格という結果になってしまったんですが、ある意味最後まで自分たちらしくここまで来れたなと思います。本当にこう言ったらあれですけど、自分的には良い学年だったなと思ってます。
水野雄太(スポ4=熊本・大津)※リーグ最終戦、試合後のインタビュー
――今日の試合はどのような思いで臨まれましたか
今シーズン苦しくて最後ぐらい勝って4年生の意地を集大成として見せようという話が昨日徹(柴田徹主将、スポ4=湘南ベルマーレU18)キャプテンからあり、気持ちを込めて戦いましたが結果がついてこず悔しい敗戦となりました。
――同点のタイミングでの投入、どのようなことを考えてピッチに入りましたか
同点で入った後、自分のファーストプレーで失点してしまってそこからどう盛り返すのか、どう攻撃のチャンスをつくるのか考えてました。自分の特徴は縦に仕掛けてシュートまで持ち込むところなのでそこを出したかったのですがなかなかうまくいかずに特徴が出せませんでした。
――思うようにいかない部分も多いシーズンだったと思いますがどのように振り返られますか
前期の最初の方は結局1点しか決めれず、後期に入ってからはなかなかメンバーに入ることもできなくて、最後3、4試合ぐらいは入って途中出場という形でしたが、うまく勝ちや結果につなげることができなかったのでチームのアタッカーの4年生として情けないなと思います。
――4年間で1番の思い出、印象的な出来事は
自分は去年のインカレですね。シンプルに調子が良くて、びわこ(びわこ成蹊スポーツ大 )に結局負けてしまったのですが大学サッカーで一番楽しんだ試合がその試合だったと今振り返って思います。
――4年間共にした同期へのメッセージは何かあるか
最後4年目は苦しいシーズンでしたが、支え合いながらなんとか最後まで戦い切ったことは讃えられると思います。ですが降格してしまって、来年3年生以下に2部の舞台で戦わせてしまうことは非常に申し訳ないなと思います。そこは3年生以下に強い早稲田を取り戻してもらうように陰ながら応援しています。4年生の同期には4年間一緒に活動してくれてありがとう、これからも末永くよろしくと伝えたいです。
平瀬大(スポ4=サガン鳥栖U18)※リーグ最終戦、試合後のインタビュー
――今日の試合はどのような思いで臨まれたか
最後ぐらい勝ってみんなを笑顔にして終わりたいなという思いで入りました。
――前半から気迫溢れるプレーが光っていたがそこについては
毎試合気合いは入っていましたが、最後ということでもう降格は決まっていますし、何も失うものはなかったので本当に思いっきりプレーしてチャレンジをどんどんしようと思いました。
――大学生活最後のピッチはいかがだったか
楽しかったです。結果あのような形にはなってしまいましたが、内容としては個人的にはいいゲームだったと思っていますし、その中でやはり出てきた課題に対して来年以降改善して2部で勝っていってほしいなと思います。
――4年間で1番の思い出、印象的な出来事は
早慶戦や順大戦ですかね。苦しい中で初めて勝った試合なので、あれは印象的です。
――今後はプロの舞台へと活躍の場が移りますが早稲田、ア式で学んだことは
やはりみんなでやることやしたいことを統一することの難しさですね。簡単そうで一人一人考えも違うし、こうしようと決めてても一人一人やっぱり違うので価値観のずれだったりがあってそういう難しさはありましたね。
――4年間共にした同期へのメッセージは何かあるか
一緒にプレーしたことない人もいますし、ほんとに学連で頑張ってくれた吉岡(直輝、商4=東京・早実)であったり、女子マネジャーの菊池(彩花、政経4=千葉・渋谷幕張)だったり、裏で働いてくれてた人達に感謝をしたいですし、一緒に戦ってくれたAの4年のメンバーだったり、BでiリーグだったりFCで戦ってくれた4年生にほんとに感謝したいです。
――最後の試合ということでホイッスルなった瞬間はどんな気持ちでしたか
最後という中で覚悟はできてましたし、自分の中ではやり切ったのでもちろん悔しかったですけど、最後楽しいゲームができました。
江田祐基トレーナー(人4=東京・日大鶴ヶ丘)
――引退から時間がたった今、4年間を振り返って率直な気持ちを聞かせてください
振り返ってみて、長いようであっという間の4年間でした。改めて早稲田大学ア式蹴球部に入部して心の底から良かったと思っています。この4年間を通してさまざまなことを経験することができ、トレーナーとしても一人の人間としても成長することができました。また、トレーナーとして活動していくにあたって、ア式蹴球部は自分にとって申し分ないほど恵まれた環境であったと身に染みて感じましたし、ア式蹴球部で過ごした4年間は自分にとってかけがえのない財産になりました。この環境に自分の身を置くことができたことにとても感謝しています。
――苦しいシーズンとなったチームを、トレーナーという立場からどのように捉えていましたか
どのようにしたら選手を最高のコンディションで試合に送り出すことができるのかを考えていました。しかし、リーグ戦の終盤になってケガで主力の選手が試合に出場することができないなど、メディカルの立場として選手を最高のコンディションで送り出し続けることができず、自分にとっては不甲斐ない結果となってしまいました。
――トレーナーとしての活動を振り返り、自身がア式蹴球部に残せたものは何だと考えていますか
トレーナーとしてア式蹴球部に何か結果を残すことはできませんでしたが、4年間を通して選手に寄り添い、選手一人一人に対して誠実であり続けるという姿勢は貫き通すことができました。それが自分がトレーナーとして唯一残せたものだと考えています。
――特に印象に残っている出来事や試合があれば理由とともに教えてください
1年生の時の関東リーグで帯同した筑波大戦です。自分が関東リーグのベンチに入って初めてチームの勝利の瞬間を味わうことができました。当時は分からないことが多く失敗ばかりでしたが、当時の経験があったからこそ今の自分がいると思うので、あの勝利は自分にとって特別な勝利だったと思っています。また、4年目の早慶戦もとても印象に残っています。大勢の観客がいる中で早慶戦のベンチに入り、早慶戦ならではの独特の雰囲気を経験することができたのは、自分にとって最初で最後の貴重な経験になりました。
――4年間をともにした同期へのメッセージをお願いします
4年間本当にありがとう。みんなとだからこそさまざまなことを乗り越えることができました。みんなとの出会いは自分にとって一生ものの財産です。これからもそれぞれのステージでお互い頑張ろう。自分もみんなに負けないように頑張ります。
島崎元(スポ4=川崎フロンターレU18)
――4年間を終えて率直な感想を教えてください
気付けば終わっていた。という感覚です。この4年間自分的には苦しいことの方が多かったですが、今となってはそれが今後の人生に生きてくるだろうなと感じています。
――戦術担当として今季なかなか結果が出ないチームをどのように見ていましたか
チームとして勝利できなかったのは本当に自分の責任が大きかったと思います。選手は全力で戦ってくれていました。戦術面としてもリーダーシップの面でも足りないところだらけでした。さらにア式にはプロ志望が多くいる中で来年2部でプレーするというのはチャンスを減らしてしまったなと感じています。
――メンバー入りはあった中で、最終的には関東リーグ出場は叶いませんでしたが選手としての自身をどのように振り返りますか
4年間ケガなどでなかなか継続的にサッカーをすることができなかったのですが、最後は出場は叶わなかったもののしっかりとサッカーにおいても自分の存在意義を示すことができたので、良かったと感じています。
――4年間で一番印象的な試合や出来事は何ですか
4年目の後期桐蔭横浜大戦です。逆転勝ちもそうですが、今まで苦しんでいたメンバーが出場して、その選手たちの頑張りがそのまま試合の結果につながったのが印象的でした。
――ア式に来て良かったなと思うところはありますか
多くの繋がりと、ア式だからこそのこだわりというか、他の組織では味わえない独特の環境に身を置けたのは良かったと感じています。さまざまな考えを持つことができました。
――同期へのメッセージをお願いします
4年間本当にありがとう。AT(アナライズチーム)を任せてもらったのにこのような結果で終わらせてしまったのは本当に申し訳ないが、みんなと共に最後まで部活ができて良かった。これからもよろしく。
吉岡直輝(商4=東京・早実)
――4年間を終えて率直な感想を教えてください
何も成し遂げられず多くの悔しさが残りましたが、ア式蹴球部に関わる多くの方々に支えていただき、本当に充実した4年間になりました。
――ピッチの外からチームを見る機会も多かったと思いますが、今季のア式の姿はどのように映っていましたか
苦しいチーム状況が続くなかで、選手スタッフ全員が常に前を向き、AチームBチーム関係なく毎日の練習や公式戦に向かえていたと思います。関東リーグのメンバーやベンチの学生スタッフは、とても頼もしく映りました。
――4年間で一番印象的な試合や出来事は何ですか
4年目の早慶サッカー定期戦です。自分が出場していない試合で悔しいという感情が一切なくなり、自然と涙が出るほど勝利を喜べたのは、初めてでした。
――ア式に来て良かったなと思うところはありますか
自分の損得勘定を捨て、部員各々や組織全体を思考して動き続ける毎日は、ア式蹴球部でしか経験できない貴重な時間だったと思います。また、ブレない軸と高い熱量をもつ人々に囲まれる環境を通じて、「自分がどう在りたいのか」を考える癖ができたことも、ア式でよかったと思います。
――同期へのメッセージをお願いします
自分の立場を理解し、自分の言葉に耳を傾けてくれて、本当にありがとう。次の舞台でも、おのおの頑張りましょう。
生方聖己(スポ4=高崎経大付)
――ア式での4年間を終えて現在の気持ちをお願いします
自分で自分を褒めてあげたいです。プロになるために大学サッカーを続けました。プロになるために大学に来ました。自分で立てた目標を達成できなかったこと、人生で初めて挫折を味わいました。しかし、その目標に向かって歩んだプロセスは、間違いなく自分だけのものです。入部した時は1ミリも通用しなかった。人生で何回下手って言われたか分からない。それでも俺ならできる、俺がやれないわけないと信じ続け、最後は関東リーグに出場することができた。この過程で得た人生の秘訣は、間違いなく大きなものであると確信できています。4年目は、組織的な問題も含め非常に苦しい時間が多かったです。しかし、ここまで来れたのは本当に多くの人に助けてもらったからです。自分より遥かに上手い先輩、同期。彼らが私の師でした。そしてずっと寄り添ってくれたGKコーチ。身内。本当に感謝しています。ここまで自分に素晴らしい景色を見させてくれてありがとうございました。
――1番思い出に残っている試合や出来事を教えてください
出来事は仮入部2日目の学年MTG。試合は関東リーグ2試合目の東京国際大戦。生まれて初めて、自分をサッカーうまいの括りに入れてあげようと思えた日です。
――noteを拝見し、生方選手にとって今シーズンは苦悩のシーズンであったと伺えました。今シーズンを振り返りいかがでしたが
ドイツから帰り、関東リーグに登録されるまでの2〜4月は、人生で最も順調に事が進んでいました。こんなに順調に人生を歩んだ経験がなかったため、あまりの環境の変化に現実か夢かの区別がつかなかったです。今までずっと憧れていた関東リーグの舞台で、プロに引け目を取らない選手たちと同じピッチにいる自分に感動していました。しかし、トップに上がったと同時に、今までには経験したことのないストレスにさらされ、崩れました。6〜8月は暗黒期。何度も死にたいと思うくらい鬱(うつ)状態にさらされていました。それでも、多くの方のおかげで復活することができ、最後は再びサッカーのサッカーにしかない魅力に取りつかれながら前を向くことができました。人生でもトップレベルで密度の濃い1年間でした。いい経験だったとは言えないが、思考が180度変わり、人生についても深く考えた1年でした。
――ドイツ留学をされましたが、留学経験はその後に大きく影響を与えましたか
かなり大きな影響を与えたと思っています。ドイツに行ったことで、客観的に自分の実力を見つめ直すことができました。またさらに、現地のスタッフの方・参加させてもらった各チームのスタッフの方に「自分の◯◯なプレーが素晴らしい」といったかたちで、加点方式で自分を評価してくれたことも、自信につながりました。現地の選手から一番学んだ点は、メリハリとモードの切り替え。ア式では、サッカー以外のピッチ外の行動がピッチ内に繋がるという概念があります。しかし私は、このような思想が故にサッカーを純粋に追求することができなくなっていました。ア式だけではなく、日本のサッカー育成年代では、サッカーより前に社会儀礼・教育が優先されることがあり、しばしばサッカー部にいる意味を見失う傾向が強いと思います。しかしドイツでは、サッカー中はサッカーの話しかしない。監督は自分の戦術を浸透させるために大きな熱量を持ち声をかける。選手はサッカーに情熱を持ち取り組む。終わったら秒で帰る。これが私にとっては最高でした。大切なものを思い出せました。また、モードの切り替えという点では、ドイツ人は試合に命を賭けてた。練習の強度とまるで違う。その中にいることによって改めて試合で活躍できなきゃなんも意味ないという考えに変わることができました。また、それによって練習における小さなミスを引きずらなくなりました。私が一度参加したチームで、安易なミスで失点してしまった際にすぐ監督からwiter(やり続けろ)と声をかけていただき、自分の良いプレーだけを見てくれ、次の練習にも呼んでいただいたという経験も、結局大事なのは試合だな、っていう思考に変わりました。4年目自分が関東リーグの舞台で戦えたのも、間違いなくこのドイツでの経験のおかげだと思っています。
――早慶戦では実況をされていましたが、非常に分かりやすく楽しませていただきました。ピッチにいなくともベンチや応援で大きな声でチームを鼓舞されていた姿も非常に印象的でした。1年間を通し、あらゆる役割でチームを支え続けたという印象を持っているのですがご自身として何か思いやメッセージをもちこのような行動をされていたのでしょうか
実況に関しては、シンプルに興味があったのでやってみました。前期の3〜6月は、生まれて初めての規模感で個人だけでなくチームに目を向けました。理由は「1人の力では勝てないレベルにきたこと」。「GKというポジション柄、信頼が命で、その信頼を築くにはコミニケーションの積み上げだったため、ピッチ外でのコミニケーションもかなり大切になってきたこと」。やはりどこかで4年としてみたいなのはあった。これらの急激なストレスにより潰れた6月以降は基本何も担っていません。前期、B(チーム)のTMを担った理由は、シンプルにこのままじゃ勝てないだろって思っていたからです。良い意味でも悪い意味でもサッカーを教える人がいない。そのため、Bチームの人間は自分の能力範囲外のプレーを身につけることがなかなか難しく、勢いでサッカーをする傾向がありました。積み上がってる風で積み上がっていない。そういった現状を踏まえ、サッカーを教える人はいなくとも、統率する人は間違いなく必要だと感じ担わせていただきました。自分がA(チーム)に居たこともあり、トレーニングメニューなどは学生コーチがつくってくれたので、自分は試合の指揮など美味しいとこどりだけをしてしまったのでそこは申し訳ないと思っていますが、伝えることは伝え、それに選手たちがついてきてくれたのでよかったです。Bの皆には自信を持ってプレーして欲しかったという思いからもやりました。
――4年間でチーム、後輩に何が残せたと思いますか
この身長でも関東に出れるということ、あれだけ下からでも着実に積み上げれば伸びるということ、サッカーを追求する姿勢です。
――同期に向けたメッセージをお願いします
環境はここだけじゃない。ここで不必要に自信を失った人も、必ず次のステージで頑張ってほしい。自分の信念を持ち続けて、面白い人生にしてほしい。
余合壮太(社4=千葉・市船橋)
――ア式での4年間を終えて現在の気持ちをお願いします
覚悟が足りなかったなと思います。これまでの人生を振り返り中高と比べても、この大学4年間は自分に甘かったなと感じています。コロナだったりケガだったり、さまざまな負の要素がありましたが、それを乗り越えるだけのパワーを出せずに終わってしまいました。この教訓をこの先必ず生かしていかないといけないと思います。
――一番思い出に残っている試合や出来事を教えてください
やっぱりオフの日に同期とたくさん遊んだことです。一番は決められないですが、2日オフに開催される寮外生ドライブ遠征はすごく楽しかったです。
――今シーズンは関東リーグ出場など躍進を遂げられたと思います。シーズンを振り返りいかがでしたか
個人的には躍進とは程遠いシーズンでした。関東リーグに出たのも1試合だけですし、選手としてチームの力になれずに終わってしまい、不甲斐ない気持ちでいっぱいです。
――ア式に来てよかった思った部分を教えてください
良くも悪くも「自由」を与えられた4年間で自分の甘さや弱さに気付けたことです。また、学業をとってもサッカーをとっても、高いレベルで取り組んでいる仲間がいることで、時に劣等感や無力感を感じながら人としての基準を高められたかなと思います。
――同期へのメッセージをお願いします
ありがとう。めちゃくちゃ楽しかった。一人一人見れば優秀なやつらばっかりだから、それぞれの場所でお互い頑張ろう。
菊地彩花マネジャー(政経4=千葉・渋谷教育学園幕張)
――ア式での4年間を終えて現在の気持ちをお願いします
正直あまり実感は湧いていないです。長期のオフに入っただけで、また皆でシーズンを始めるのではないかと思ってしまいます。それぐらいア式蹴球部は私にとって居心地の良い場所だったんだなと痛感しています。
――一番思い出に残っている試合や出来事を教えてください
後期の桐蔭横浜大戦です。明大戦で大敗した後、学年内でお互いに抱えていた思いをぶつけ合う機会がありました。同期が何を抱えて日々ピッチに立っているのか、それがどんなに辛いことか、そこでその本質を知ったような気がして、チームに貢献できていると慢心して成長を試みない自分が情けなくなりました。それ以後、同期を支えたいという気持ち一心で次の東洋大戦に向けてできることは何でも取り組みましたが結果は出ず、勝つことの難しさと取り組み続けることの苦しさを改めて感じました。それでも皆で前を向いて支え合い勝ち取った桐蔭横浜大戦の勝点3は数字以上の価値があったと思います。
――マネジャー、学連とチームを支えられいましたが、4年間を振り返っていかがでしたが
マネジャー兼学連という立場はまわりの理解なしにはできていなかったと思います。マネジャーの先輩後輩はもちろん、選手のみんなも支えてくれてやりきることができました。
――デンソーカップなどに学生スタッフとして参加されていましたが、ア式内部だけでなく、外部の方とつながる経験から得るものや学んだこと、チームに還元できた部分はありましたか
ア式以外の人と関わることで、ア式を客観視する機会が多かったように感じます。他大学の選手・学生スタッフ・監督から見た早稲田大学ア式蹴球部とはどのようなものなのか、良さもありながら改善が必要だなと思う部分もあり、とても学びがありました。
――ア式での経験は今後の人生にどのように生きてくると思いますか
ア式のマネジャーは何かに常に挑み続けなきゃいけないような環境があります。想像通りではなくそれを超えていくこと、これから先も挑戦し続けたいです。
――最後に、同期に向けたメッセージをお願いします
4年間をみんなと一緒に歩めてすごく幸せでした。本当にありがとう!