DF柴田徹主将 『怒りは”愛”に、恩返しは”湘南”で』 ~「ぜってぇ戻んねーよこんなクラブ」から始まったカムバック物語~

ア式蹴球男子

 吉報が届いた。柴田徹主将(スポ4=湘南ベルマーレU18)がJ1・湘南ベルマーレ(湘南)と契約を交わし、2023シーズンからJ1の舞台でプレーすることになった。湘南は柴田が高校時代にユースとして所属したクラブだ。「ぜってぇ戻んねーよこんなクラブ」。高校卒業時にはプロ契約に至らず恨みさえも感じていた湘南だが、今年9月、前十字靭(じん)帯断裂のリハビリ真っ只中の柴田にオファーを出した。現在の柴田は湘南愛であふれている。それはオファーをくれたからではない。大学4年間を通して湘南ベルマーレというクラブの本質に気づくことができたからだ。

 

早慶クラシコ(9月10日、〇2-0)で優勝トロフィーを手にした柴田。負傷欠場でピッチに立つことはなかったがベンチからの精力的な声でイレブンを鼓舞した

 柴田がJリーグを本格的に意識したのは高校に入ってから。15歳にして地元福島県から身一つで神奈川に乗り込んだ。周りの人の支えもあり生活面の不安はそれまでなかった一方で、Jクラブ下部組織のレベルの高さを痛感させられる。もちろんプロとの物理的な距離も一気に縮まった。驚くことに当時のトップチーム指揮官であった曺貴裁監督(平3商卒=現京都サンガ監督)は、ユースの公式戦だけでなく練習にも週に2日は顔を出していたという。こういった湘南ならではの恵まれた環境下で、プロになるための現実的な目標を設定できるようになった。さらにその実力を買われトップチームの練習にも参加するようになると、高3では主将を務めた。このままトップチームへ。福島で抱いていた夢物語は、間違いなくもうあと一歩のところまで迫っていた。

 

3月には関東選抜Aに選出され、福島でデンソーカップに出場した。

 「高校3年間は大学に行くとか一切考えてなかったんでショックは受けた」。湘南は高3の柴田に大学進学を勧めた。すなわちプロ契約は交わされなかった。グラウンド掃除や大学の授業、週末には自分の出ない試合の応援に行くし、上下関係だって多少はある。それまでユースで育ってきた柴田にとって部活でのサッカーには息苦しさを感じることもあっただろう。「(プロに)上げてくれなかったとか、(大学サッカーが)面白くないって思うじゃないですか(笑)。何で俺を上げなかったんだよっていう怒りみたいなものが多少あって。大学に入るときは(卒業後に)他のクラブに行って見返してやろうと思ってました」。弱冠18歳の若武者がこう思ってしまうのも理解できる。どんな選手にでも立ちはだかるサッカーを生業とするために越えなければならない壁を前に、柴田の湘南愛は『怒り』に変わってしまった。

 

 それでも柴田の心の片隅には『湘南』の文字が小さいながらも強く存在した。高校時代ずっと共にしてきたエンブレムは嫌でも目に入ってくる。そしてこの文字とエンブレムは大学4年間を経て大きく、もっと強く変換されていった。「高校3年間の状態でプロになってたらここまで大好きになってなかったと思う。高校の時は苦しいこともたくさんあったんで今ほど好きじゃなかったんですよ」。今思えばあの時大学進学を勧められたことはよかったことなのかもしれない。「大学に入ってベルマーレを外から見るようになったら、やってるサッカー自体も楽しいのはもちろんですけど、湘南という地域全体がベルマーレに関わっている。クラブも地域のために戦っているし、地域もベルマーレのために協力してくれたり、ファン、サポーターがめちゃくちゃ暖かかったり。大学に来て改めて感じた」。こうしたピッチ外での姿は、同じようにピッチ外での立ち振る舞いを大切にする早大にいたからこそ、より魅力的に映った。高校時代にも感じた湘南への恩や愛は、怒りという感情に隠れながらもずっと灯されていたのだろう。『怒り』は消え去り、より深まった『愛』が表に出てきた。

 

 「忘れてはいけない試合」。3年時にプレーしたある2試合は柴田のサッカー人生に大きく刻まれることになる。昨年10月24日、この日は早慶クラシコ(●2-3)だった。2-2で迎えた92分。右サイドで橋本健人(現レノファ山口所属)と対峙した柴田だったが、勢いに押されて突破を許しそのまま逆転ゴールを決められた。満員の西が丘フィールドは10年ぶり敗戦に静まり返る早大と10年ぶりの勝利に歓喜する慶大に分かれ、その真ん中で柴田は涙をぬぐった。そして12月の全日本大学選手権(インカレ、●2-2・PK3-4)。びわこ成蹊スポーツ大との2回戦はPK戦までもつれこんだ。早大の1番手に指名されたのは柴田だった。右足を振り抜いたものの、GKにコースを読まれ失敗。その後両者1本ずつ外し、日本一を目指した早大の道は2回戦で途絶えることになった。大学で印象に残る試合を聞かれると柴田は必ずこの2試合を挙げる。「自分のせいで負けたんで。この試合を取り戻すことはできないけど、自分の中でモチベーションになるって言ったらあれですけど、勝たないといけない理由を思い出させてくれる試合」。なぜ勝たないといけないのか。競技スポーツである以上、愚問中の愚問ではあるがあえて聞くとこう返ってきた。「いろんな人に悔しい思いをさせてしまって、悔しんだり悲しんだりしている表情も見て。そういう思いはさせたくないし、(当時の)自分が良ければそういう思いはさせてなかったと思うので」。

 

120分で決着がつかなかった昨季インカレ2回戦。1本目を任された柴田のシュートがネットを揺らすことはなかった

 

 オファーのタイミングは不可思議なものだった。4月に前十字靭帯を断裂したが、リハビリ中の9月に何の前触れもなく届いたという。経緯の詳細は柴田自身もまだ分かってないというが、「けがをしてからの立ち振る舞いとか、ピッチ外での振る舞いも見てくれてた」と伝えられたそうだ。

 結局、負傷した4月以降で試合に出場する柴田の姿は見られなかった。3年時に抱いた悔しさを早大で晴らすことなく、11月13日、柴田は早大ア式蹴球部を引退した。柴田は次のステージへと進むことになる。湘南というクラブに魅せられたからこそ、目標はピッチの中だけに収まらない。7年間で培ってきた湘南への愛を表舞台で体現することを誓った。「クラブの発展に貢献したいって言ったらあれですけど、地域と常に協力し合って互いをたたえ合っている、中々ここまで温かいクラブはないと思うので、そういう所にも目を向けたいかなって。例えば地域の方と交流するとか、アカデミーとかスクール生のところに顔を出すとか、些細なことかもしれないけどプロの選手は夢を与える職業だと思うので、地域のためにも自分の中でできることをやっていきたい」。自分の姿を想像しながら話す柴田の目に一点の曇りもなかった。

 11月上旬、東伏見のグラウンドでお会いした際に、「(湘南の)残留おめでとうございます」と伝えると力強い言葉でこう返ってきた。「開幕狙ってるんで」。J1という日本最高峰の舞台で湘南に勝利をもたらし、ピッチ内外で湘南への愛を体現する柴田の姿を見るのが待ち遠しいばかりだ。

(記事、写真 前田篤宏)

加入内定に際して色紙に自由なテーマで一言を書いていただきました!

 

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◆柴田徹(しばた・とおる)

2001(平13)年2月18日生まれ。172センチ。湘南ベルマーレU18出身。スポーツ科学部4年。大学のゼミでは丹羽匠(スポ4=ガンバ大阪ユース、来季AC長野パルセイロ加入内定)選手と同じだそうです。同じゼミ、同じ学年から2人のJリーガーが誕生とは何とも贅沢です