【連載】早慶クラシコ特集 第13回 外池大亮監督

ア式蹴球男子

 早慶戦に外池監督が初出場したのは1年生時。ユニフォームも間に合わず、貼り番での出場だった。4年時にはチームを勝利に導くゴールを決めるなど「早慶戦は人生を変えた舞台」と語る。選手として、監督として、OBとして。さまざまな視点から早慶戦を見つめてきた外池監督だからこそ感じた早慶戦の持つ特別な価値とは。

※この取材は9月2日に行われたものです。

「意識の整理や世界観は共有してこれている」

関東リーグ明大戦ピッチを見つめる外池監督

 

――開幕当初から昨年とは違ったフォーメーションを採用した経緯は

 

 フォーメーションとかシステムみたいなものは、その時どういうサッカーをしていきたいかという漠然としたイメージを4年生が中心となって決めていきます。そのかたちが人のイメージを含めてそういったものになりました。そもそも早稲田としてこのフォーメーションで攻めなきゃとか守らなきゃみたいなのはないので、そのこと自体を今年の4年生が決めて、最初は4-1-4-1というかたちになった感じです。

――中心になってフォーメーションを決めたのは島崎元選手(スポ4=川崎フロンターレU18)ですか

 

 そうです。はい。

――開幕戦の筑波大戦は手応えがあったゲームのように感じました

 
手応えはありましたし、守備の強度はなかなか上げれなかったのですが攻撃のイメージみたいなものはだいぶ共有できていたかなと思います。

――その後は4連敗となってしまいましたが、上手くいっていない要因みたいなものはありましたか

 

 4年生が中心となり、どういうチームマネジメントをするかというポイントで言うと、今年は、競技に対する意識は強いけど、組織やチームに対する意識が弱い傾向にありました。結果がついていかない中で、個人個人だったりグループとして上手く回らなくなってしまったところが一番大きな要因なのではと思います。

――第4節拓大戦(●2-3)では柴田徹主将(スポ4=湘南ベルマーレU18)が負傷されてしまいましたが、その後の主将の不在はチームにとって大きかったですか

 

 かなり大きかったと思います。あの試合もそれで逆転負けをしてというかたちで、そのこと(ケガ)を現実として受け止めつつ、徹もプロを目指している中で、かなり沈んでいました。そのこと自体がモロにチームに影響して、切り替えようとしたものの、なかなか戻せない状況にありました。

――第6節明大戦(△1-1)ではDFラインに鈴木俊也副将(商4=東京・早実)など4年生が戻ってきたこともあり、雰囲気がリセットされた部分はありましたか

 

 やっぱりピッチの外とピッチの中が少し繋がった。そういった空気感はまた出てきたと思いますし、西尾(颯大、スポ4=千葉・流通経大柏)も去年の途中からチームに向き合えるようになりました。コロナ禍という社会環境も影響している中で、チームが本当に強くなるとか、勝ち負けだけではなくて人としてグループとしてぶつかりあって成長するという課題を突きつけられたある意味良い状態でした。試合結果だったり、そういう現実の中でそれを受け止められる場面があるというのは、決してネガティブなことでは無いなと僕は思っていました。

――明大戦はチームとして一つ転換点となった試合だったと思いますが、その後のチームの雰囲気なども含めていかがでしたか

 

 中断期間にチームとしての課題をもう一度抽出し共有して、チームづくりをやって明治戦につながっていきました。攻撃の本当の意味の能力だったり、自分たちの効果みたいなところを出すまではなかなか至ってないです。しかし、守備を90分やり抜くとかベースなところにおいては意識の整理や世界観は共有してこれているのではと思います。

――外池監督にとって前期で一番印象的だったゲームは

 

 やっぱり勝った順大(〇3-1)の試合は、それこそ西堂(久俊、スポ4=千葉・市船橋)がゴールを決めて。みんな日々を大切にやっているとは思うんですけど、なかなかそれをチームの中や強度の中で作り上げるというのは本当に簡単ではないんだなと思います。西堂にしても、FC東京に内定しているという目に見えないプレッシャーなどがあると思います。そういった(お互いの)兼ね合いとかを色んなグループの中で共有しきれないというか、お互いに言い放って終わってしまっていることがありました。順大戦は色んな葛藤やもどかしさをリアルに受け止めてきた中で、それを乗り越えていこうというパワーが一つかたちになったので、ゼロをイチにできたのが一番大きかったんじゃないかなと思います。

――前期通して得点力不足という課題がありましたが一番の要因はどこにあると考えていますか

 

 一言で言うと本当にゴールを取ろうとする意識というかエゴというか、そういったものが意識としてもなかなか持てなかった、そういった個が出てこなかったというのもあります。それは戦い方にも理由があったのではと思うので、今3バックをやっています。しかし、やはり攻撃の枚数を増やさないといけないなと。ちょっとサイドに依存していたという課題があったので、そういったところも要因だったと思います。元々4-1-4-1でイメージしていたワイドのところがあまり機能しない中で、そのやり方に逆にこだわってきてしまっていたので、そこが一つポイントだったと僕は分析しています。

「自分たちの立ち位置とか変化をどう共有していくか」

関東リーグ法大戦、平瀬をピッチに送り出す外池監督

 

――今もお話にあった通りアミノ杯から3バックに取り組まれていますが、いつ頃からこの構想はありましたか

 

 やはり前期反省をして点が取れない、じゃあどうやって点を取るか。だったら人を(前に)かけないといけません。自分たちのストロングや自分たちはここをやれているよねというバランスから考えた時に、後ろのビルドアップはだいぶできているとなりました。中盤の流動性を作ることと前にかかるタイミングを生み出すためには、多少サイドに負荷がかかるけど、前には人数がいるので真ん中の優位性を作る上でその状況を生み出す。かたちというよりはその状況を生み出すために、一つ整理してその立ち位置を生み出すべきかなと思いました。

――アミノ杯初戦は城西大相手に勝利(〇2-1)し、サイドでデビューした佐々木奈琉選手(社1=新潟・帝京長岡)が得点に絡む活躍をした中で、手応えはいかがでしたか

 

 非常に良かったと思います。あの試合は色んなチャンスを作り出していましたし、やってきたことがかたちになっていました。しかし、その後専修大戦(●0-2)の時に、あんなに逆に出ないかなというくらい(強みが)出ませんでした。やはりある意味タフじゃないというかそれを続けられないというところはまだまだ弱さなんだなと感じます。ただ公式戦という場で城西の時はしっかり出せていて、そんなに強度が低い相手でもない中で手応えがあったので、そのまま現在もそのかたちをベースに4バックも併用しながらやっているという感じです。

――アミノ杯2回戦の専修大戦は敗れてしまいましたが、あの敗戦は自分たちが何もすることができなかったのか、それとも相手に何もさせてもらえなかったのかどちらでしたか

 

 自分たちじゃないですかね。やっぱり「相手がカテゴリー的に下だ」みたいなウチにありガチなメンタル的なブレがあったのはすごい感じたし、そういったところが如実に出てしまったなという感じです。改めて今年のチームはそんなに簡単じゃないというか、一個積み上げたらそれをベースに上がっていく訳では無いと思いました。ただトーナメントであったのでそこは引きずる必要は無いです。ある意味それは整理された部分でもあり、僕自身としては試合数はそんなにできなかったんですけど、後期や早慶戦に向けてという部分ではしっかり作り上げる時間というのはそこから生まれると思います。そういうかたちで今を迎えているという感じです。

――専大戦で一度上手くいかなかった3バックというシステムを今も継続しようとした意図は何ですか

 

 上手くいかなかった訳では無いと思います。ボールがどこにあるかで3バックにも、4バックにもなります。単純にまず立ち位置がボールの状況によって変化していくだけです。3だから上手くいかないとか4だから上手くいくみたいなことではないですね。相手によって作り出されていくことです。自分たちの立ち位置や変化をどう共有していくかしかないので、それはまず個人やグループがそのイメージを持てるかだと思います。

「今のこの厳しい環境こそが成長機会だと実感していく場」

関東リーグ駒大戦、ピッチに指示を送る外池監督

 

――少し話が変わりますが、リーグの中断期間に外池監督は横浜FマリノスのOB戦に出場されていましたが、振り返ってみていかがでしたか

 

 僕にとってもすごく良いきっかけだったなと思っています。マリノスから電話があり、いついつ試合があってと言われて、リーグ戦とか試合が無いタイミングだったので、じゃあ行けますよという感じでした。ちょうど1カ月位前に連絡がありましたね。それで、(部員の)みんなにも「俺出るよ」と宣言をして、練習に一緒に入ったりとかクロスシュートやったりとか、それで外してみんなにすごい言われたりとかをしながらやっていました。ちょうどまさにそういう時にチームの中でも、これからどうしていくのかを話し合っていました。ベースはコミュニケーションでしかないです。自分自身もそういうことを通じて、足りていなかったことをアクションとして作り出し、自分も行動として表していく場面が増えたので、すごい意味があったなと思います。試合に向かうまでは、自分の中でそういったことがあったし、お互いに学生たちと共有する場面を作れていました。それはそれで意味があったのかなと。(試合に)入ってみて、点取るって宣言していて、惜しいシーンはあったんですけど結果取れず。でも(普段から)僕も監督としてすぐ近くで(選手を)見ていますが、(OB戦の時)から僕は練習の審判をやるようにしました。紅白戦とかゲーム形式の時に入って笛を吹くようにしたんです。

――選手と同じ目線に立つということですね

 

 そうです。そういったところでみんなの息づかいとか掛けてる言葉とかもう1個細かいところ、こっちにいると聞こえてくる言葉もあれば聞こえていない届いていない言葉もあります。そういったちょっとした目線とかを気にしたり、関係性を近い距離で見れるようになりましたね。そういうところはアプローチできるようになりましたし、それに審判をやっていれば運動になるかなとも思って(笑)。OB戦に向けての運動という意味でもやっていたのですが、すごく良かったな思います。実際に試合をやって、やっぱり「走る」って大変だなと気づいたんですよ。取れないボールを追っかけていくってすごい心が折れるし、でも走っていないと何かが起きなくて走ることには理由があります。例えば、「ここにプレッシャーをかける」とか「ここに戻るとか押し上げる」とか。ちょっとしたプレーの中であの場面(OB戦)はそれをみんながやろうと思っていてもやらなくても良い試合じゃないですか。でも、そこの中で自分は気付いたんです。こういう場面でこうすることが、チームにとって助かったりちょっとこぼれ球を拾えたりだとか、1個ボールがもらえたりなどが起きました。最初ゲーム入った時に1回もボール触れないんじゃないかなと思ったんですよ、久々に。パッと入ってみんなの力量がちょっと見えた時に1回もボール触れずにこの試合終わるんじゃないかなと思いました(笑)。そこから走り始めたんですよ。そしたら、ボールが来るようになったり、目が合うようになったり、声が届いたり、反応が良くなったり。さっき言った惜しいシーンもカウンターみたいになって、長いボールが入って2人くらいで攻めていた時に、僕だけ長い距離走ってサポートに行って、ここ来るんじゃないかなと思ったら(ボールが)来たんですよ。でも、そこにいなかったら多分あれは無かったです。一つ走るというものと声みたいなものはやはり大事です。改めてその重要性や重みというか、そのことが生み出す効果などを知れました。あの試合に出て、周りからも反応があって、「よく走ってたね」みたいな。「走る」って伝わるんだなと思いましたね。実際は何もしていないんですけど、でも伝わることが選手としての生きがいだったりやりがいであると改めて気付きました。だからこそ感謝では無いんですけど、自分がやってきたことをもう1回整理するすごい良い時間になったんで、とても意味があったなと思います。

――自分で経験したからこそという感じですね

 

 やっぱりもう47になって、そんな呼んでもらえることなんて無いと思います。それも早稲田の監督をやっているからというのは大きな要因です。その中で(早稲田を)代表してやりましたし、水沼さん(貴史、横浜FマリノスOB)とかに「外池は学生たちの見本になんなきゃ」みたいなことを言ってもらったりしました。そういうこともやはり全部つながっていくんだなと感じました。(繋がるという意味では)今のチームに、それをみんなの力でだいぶできるようになってきたました。課題に対してしっかり向き合って今シーズン中にそれをかたちにしていくというところでは、今のこの厳しい環境こそが成長機会だと実感していく場だと思います。みんながイメージできていれば、これからもっと良い時間になっていくのではと僕は思います。

――中断期間を踏まえて改善できているところはありますか

 

 本当にこの間の早関戦(VS関学大、〇1-0)とかは良い例で、山下(雄大、スポ4=柏レイソルU18)などがあれだけ守備に貢献したり、90分走れる力をしっかり身につけてきたり、何よりも意識が変わってというところはあると思います。

――前期の試合を振り返って、チームとしてうまくいかなかった原因はどこにあると考えていますか

 

 まずはシンプルにチームとしての完成度が低かったというか、どうやって相手を倒して勝ち点を積み重ねていくかというところに前期戦っていく中で少し迷いだったりブレだったりが出てしまいました。そこは前期戦う以前の準備の問題です。少し問題というか、もう少し詰められるものがあったのかなとは思います。戦っていく中で最初前期(ケガで)出れなくて、復帰してから守備の改善だったりとか、守備に関しては失点を減らしたりとかそういったところはできました。しかし、逆に点が取れなくなったりとか。課題が多い中で一つ一つその課題を埋めていく作業というには取り組んでいたのですが、埋めきれなかったというのが一番結果につながらなかったところかなと思います。

――残留争いに巻き込まれている中で後期勝利していくための鍵は

 

 走りを止めないということです。走る意味を見つけ続けるということは思考を止めない、現状の課題に向き合う、チャンスを探すということにつながってきます。それをやり続けるプラス声ですね。コミュニケーションを取り続ける。それによって効果は倍増します。これだけJリーグ内定者もチーム内に多いですし、当たり前のことを当たり前にやることの重要性をみんなが意識してやっていけば選手たちが集まっていくと思います。それが今年のチームの課題でもあります。それをいかに意識して、解決していくかが重要になります。自分たちの足りない部分にいかにして結果として表していくのかですね。この間の東京国際大とのゲームもそうでしたが、ゲーム自体をコントロールすることは十分できるチームだと思います。やり続けていく、走りつづけていくことが重要になります。

――先日、鈴木隆二コーチが鹿島アントラーズに引き抜かれました。その影響は

 

 影響は大きく、(鈴木コーチの)存在は改めて大きかったなと実感します。3年前からリュウジだけじゃなくて、早稲田のフットサルをやっている学生が融合したいとアプローチしてくれました。そこに隆二がつながっていました。そこからいろいろなチャレンジをしてきました。もちろん、うまくいかなかった部分もあります。しかし、新たな息吹、エネルギーというのを感じましたね。サッカーとフットサルはマーケットが一緒ですが、切り離されています。同じ日本サッカー協会の傘下にありますが。そのような状況で早稲田で新たなチャレンジをしていくことには意義があると思います。Jリーグがそのようなチャレンジをしていくのは難しく、本当の意味でクラブとして融合できるかということを考えるとなかなか難しいです。だからこそ、大学という場でサッカーとフットサルのつながりを探求、追求していくのはありだと思います。それはリュウジ自身のパーソナリティでもありますが、鹿島アントラーズという日本屈指のJクラブが彼の活動を評価してくれました。その挑戦のマインドというのは、日本のサッカーの課題です。有象無象コーチは山ほどいる中で、半年しかサッカーのコーチ経験のない人物がトップチームに引き抜かれるというのはさまざまな気づきになります。彼にとって本当に挑戦になると思います。彼の挑戦に関われてたというのはア式としてのポテンシャルにもつながります。学生がその場面に関わったということを感じて欲しいと思います。

――現実的な標準は

 

 もちろん、目標は日本一です。しかし、そのためには残留し、インカレに出場しなくてはいけません。現実的にやっていくしかないです。しかし、改めて思うのは自分たちのビジョンを貫けるかという部分です。走り抜くというのは哲学です。そこを大事にしていかないと目先だけになるとそもそも何も残らなくてなります。みんなが勇気を持って取り組めるかということになります。僕自身も、そこをぶらさずにやっていきたいなと思います。

「(早慶戦は)大学サッカーの大きな象徴」

関東大学リーグ戦順大戦にて叫ぶ外池監督

 

――早慶戦はどのような舞台ですか

 

 大学サッカーの大きな象徴です。現在の大学サッカーは、競技力にはベクトルが向いていますが、運営や全体の価値みたいなものを高めていくというのはまだできていません。選手がJリーグに行くみたいなのはできるようになってきましたが、それはJリーグの課題に大学がうまくフォローアップした結果だけです。大学サッカーが日本サッカーにどういう意味づけがされているのか、どういう効果をもたらしたのか。サッカーに関わらず大学という場所である以上日本社会の担い手として、スポーツを通じて社会に触れていく人材を輩出していけるかということになってくると思います。可能性に向かってやっていっていくということです。早稲田も慶応もそうですが大学という場はそれを超えて探求することができます。挑戦し、エラーをしながらできるというのはすごく大きな環境であると思います。早慶戦はそれをスタジアム全体で表現することができる象徴ですね。ア式蹴球部としては来てくれた方々、配信で見てくれる方たちに向けてピッチ上で自分たちの情熱を表現して、全身全霊でぶつけていく。そのために慶応大学をしっかりリスペクトし、相手にとって相応しい相手に自分たちがなっていくということです。自分たちをどう作り上げていくかということです。試合としてはすごくシンプルです。そこに対する早慶の方々のいろいろなエネルギーや運営の力などが巻き込まれて90分という時間の中で交歓、共鳴していく。スポーツが文化になっていく瞬間ですね。サッカーの意味とは、なぜ早稲田なのか、なぜア式に来たのかにつながってきます。学生たちが担い手として場を作り、お互いに交歓していく。「ア式」の「アソシエーション」とはまさにそのことだと思っています。自分たちが主体的にどう作るか。サッカー、スポーツ界として向き合う上で後先考えずにトライできるかが重要になってくると思います。利益ではなくて、自分たちが表現したいことを。もちろん、その中でエラーやミスは出てきます。それもまた自分たちが感じられないものです。もっと重く、もっと輝くとどっちにも働いていきます。

――外池監督にとっては

 

 僕自身も早慶戦で人生が変わりました。1年生の時に後半から出させてもらいました。貼り番みたいなので。当時、すごく有名だった僕の1つ上の上野良治さんと交代しました。マリノスでまた一緒になるのですが(笑)。超高校級と言われていた人で、スタンドからは「何で上野を貼り番のやつと変えるんだ」っていう声がある中ピッチに出ました(笑)。「なんなんだ、アイツ。1年で」みたいに1年出身で早実というだけで何もないザコみたいなやつと(笑)。スタンドも急にザコ出てきた見たいな。大体そうじゃないですか。全国大会に一度も出たことがない高校出身のやつが、1年生から選手権に出場して、高校選抜にも選ばれ、オリンピック代表にもなってる人と変わる。いろいろな逆風がある中でもピッチには立てるんだ。こんな空気があるんだと思いましたね。大学に入って初めての公式戦が早慶戦だったので。

――リーグ戦よりも前にですか

 

 はい。当時、僕らの時代は付属校が20分で前座みたいなのをやっていたんですね。早実対慶応志木とか。それが終わった後に国立のスタンドで早慶戦を見ていました。すごいなと思っていました。自分が出ることはないだろうなとも感じていました。それで1年から出してもらえたので。

――メンバー入りは当日知ったんですか

 

 当日ではないんです。ずっとBチームにいて、早慶戦の前はチームが良くなかったんです。当時は春にアミノバイタルカップみたいなトーナメントがあって、6、7月に早慶戦がありました。春が全然良くなくて、チームを鍛えることとなりました。練習試合で得点をとってきたらたまたま早慶戦の1週間前くらいにBから上がりました。それでもAには30人くらいいました。Aチームに入っちゃったので喜んでたら、20人も入っていました。それで、ユニフォームが間に合わないとなって貼り番になりました。リーグ戦ならば、出れませんでした。1人だけ人数を超えた番号でしたね(笑)。早慶戦なのになぜか貼り番という。よく分からない。激動ですね。だから、記憶はないですね。未だに何をしたのか分からないです。確か、出て負けたんですね。後半、出て何も出来なくてそのまま終わったという感じですね。

――早慶戦に向けてメンバーの構想とかは決まっているんですか

 

 Bチームからの圧力がありました。今、Aチームが大きなグループになっています。早慶戦は登録としてのカテゴリーがないです。リーグ戦も後ろに流れたのでAチームがノースアジア大とトリプルマッチをして良い悪いがはっきり出ました。よくなかったメンバーたちとBトップのメンバーたちとの紅白戦があります。それを経て、Aチームでゲバをやります。

――なら、もう今まさにということですね

 

 ようやく今1つ、ベクトル、試合に出たいというエゴやそのために何をやりたいかということを形にするにはコミュニケーションが大事です。自分の力だけでは無理ということを知るのも大事です。守るためには1人では守れません。そのことにみんなが気づいてきています。それはそれぞれが持っている課題に少しずつ触れていくことでチーム全体が導かれていくのではないかと思っています。それを信じてやってきているので、手応えはあります。

――チームの雰囲気は

 

 いい状態というか。まだ早慶戦、後期リーグも消化していないのでこれからです。沸々としたものはや「やってやろう」という気持ちは感じます。乗り越えようという空気が出ています。あとは1つ1つ手応えを形にしていきたいと思っています。

――3年ぶりに早稲田が早慶戦に勝つために重要になってくる鍵は

 

 勝つために…。慶応は間違いなく、謙虚に愚直にやってくると思います。そのことを我々も負けないくらい、それを上回るくらい愚直に謙虚にやっていきます。そこにヒーローが出てくる、早慶戦にはヒーローが必要です。そういうものにみんなが向かっていくことが重要です。僕も4年生の時に得点を決めて、試合に勝ちました。その前の年も勝ちましたけど、やはり得点をとって勝った時はヒーロー感がありましたね。自分の中で勝手にですけど。早慶戦で得点をとって勝ったというのは自信になります。大学生はみんな悶々としているし、学年も、年齢も関係ないです。高校までは一学年が大きかったですけど、今はそれがとっぱられています。正解がわからない中でスポーツはみんなが同じ絵を描けます。人や組織を導く、求心力のある存在です。社会を導いていく力のあるものです。大学生が突き抜けるには早慶戦という舞台は必要です。選手が日本を代表する選手になっていったり、日本を代表する企業家になっていったりにつながります。そのような舞台で夢や希望を経験するべきかなと思います。プロになるのが夢ではなくて、この舞台で何をしたいかでしかない。何を感じたか、何を共有できたか。それが1番の結果だと思います。みんなの人生の中で大きな存在であり続けるものであります。その中でみんなでその価値を創り上げていくことは必要です。

――早慶戦に向けての意気込みや思いは

 

 点を取って勝つ。感動する試合ですね。感動する状況には確実になってきています。感動したいし、感動させたいです。部を超えて早慶の人全体で感動できる試合を作っていきたいです。

――ありがとうございました!

(取材・編集 髙田凜太郎、水島梨花 写真 水島梨花、前田篤宏、宮島真白)

早慶クラシコに向けた意気込みを書いていただきました!

◆ 外池大亮(とのいけ・だいすけ)

1997(平9)年社会科学部卒業。1997年にベルマーレ平塚(当時、現湘南ベルマーレ)に入団。その後横浜F・マリノス、大宮アルディージャ、ヴァンフォーレ甲府など、計6クラブを渡り歩いた。現役引退後は電通に入社。その後スカパーに転職し、現在もスカパーに所属しながらア式蹴球部監督を務める。J通算183試合出場、29得点。早慶クラシコで劇的な経験をした外池監督。自身の人生を変えたともいう決戦に向け、準備は万端です!