3度のけがを乗り越えて -DF平瀬大 4年目の覚悟-

ア式蹴球男子

平瀬選手のTwitterより

 「大学で出た試合は練習試合を含め6試合。実際に練習をした期間は4ヶ月」。そう平瀬大(スポ4=サガン鳥栖U18)のTwitterにつづられたのは、2022年4月1日のこと。スポーツ推薦で早大に入学し活躍を期待されながら、平瀬はつい先日、4年目にして初めての関東大学リーグ戦(関東リーグ)に出場を果たした。3度のけがを乗り越えて、初めての舞台に立つ男の目には、一体何が映っているのか。

第2節東洋大戦のピッチに立つ平瀬

 サッカーは自分の意思で始めたのではない。小学2年生の時、3つ上の兄がやっていたため、気がついたら自分もサッカーをしていた。中学1年時にサガン鳥栖ユースに合格し、生まれ故郷の長崎を離れ、新天地の佐賀でサッカーを続ける。この時からプロになりたいと口にしていたものの、「それは強く思い描いていたものではなかった」。

 サガン鳥栖ユースで、平瀬は驚くことになる。「周りとのレベルが違いすぎた」のだ。サッカーの技術も知識も、周囲と自分の間には大きな差があった。当然試合メンバーに絡むことはできない。しかし、そこで平瀬は折れることなく、毎日2、3時間早くグラウンドを訪れ、自主練をするようになる。その努力も実り、高校1年時からチャンスをつかみ始め、高校3年時には高校サッカーの国際大会であるサニックス杯のベストイレブンに入るほどの実力をつけていた。

 確実にプロサッカー選手へのステップを踏んでいるように見えたが、高校3年生で迎えた7月、平瀬のサッカー人生に大きな影響を及ぼす出来事が起こる。ボールをクリアしようとした後の着地で相手キーパーに乗っかってしまい、前十字靭帯と半月板を痛めた。「そんなに落ち込みはしなかった。楽になったというか、もう(ユースでのサッカーは)引退だと思った」。復帰には10カ月ほどかかると言われるこのけがを負った時の心境を、平瀬はこう語る。

前線へとボールを持ち運ぶ平瀬

 ユースチームでのラストシーズンを戦い切れないと分かったものの、平瀬にサッカーをやめるという選択肢はなかった。復活の舞台として選んだのは、大学サッカー。ある大学から推薦の確約を得ていたが、早大の玉井智久スカウトコーチ(平12卒)の存在もあり、書類が通るか分からないと言われた早大を志した。「リスキーだけど、賭けてみたかった」。結果は合格。平瀬のステージは大学に変わった。

 当初は5月にチームと合流する予定だったが、焦りもあってか、リハビリのペースを上げすぎてしまった上に、上半身だけを鍛えすぎたこともあり、大幅に復帰時期が後ろにずれ込んだ。7月のけがから翌年11月のトレーニングマッチに出場するまでにかかった時間は、1年4カ月。ここから関東リーグを始めとする公式戦のスタメンを狙っていきたい平瀬だったが、コロナウイルスのまん延により、ア式蹴球部は活動休止を余儀なくされる。この自粛期間、平瀬は帰省していた。

 その自粛期間の2020年7月にそれは起こる。古巣・サガン鳥栖ユースで練習をしていた際、前回痛めた足と同じ足を痛めたのだ。下された診断は前十字靭帯断裂。「1回目に比べたら相当焦ったし、危機感を感じた」。また8カ月。そんな言葉が頭もよぎる中、平瀬はnoteに「挫折を受け入れ味わう。失敗や苦境から目を逸らさない」と記していた。

 そう思えたのは、玉井コーチの存在が大きい。「前向きな言葉をたくさんかけ続けてもらった。それでこの怪我に対する向き合い方も変わった」。早大に誘ってくれた玉井コーチの存在が大きな励みとなっていた。リハビリに懸命に取り組み、21年の関東リーグ後期、出場登録メンバーに平瀬の名前が加わった。

DF西田翔央(商4=東福岡)とコミュニケーションを取る平瀬

 ところが、昨年の関東リーグに平瀬が出場することはなかった。またも、同じ足の半月板を痛めたのだ。これで3回目。「またか」という思いがあふれ出た。絶望した。しかし、2度の大けがを乗り越えた男がここで折れるはずない。「良い意味でこの状況には慣れていた」と、平瀬は前を向いていた。「何をするべきなのかが自分の中で明確だった。しっかりと手術してからの自分の課題について取り組むことができた」と自分のやるべきことを着実にこなしていった。2度のけがで得た反省から、「鍛えすぎないこと」を意識した。時間の使い方も変わった。「目標を達成するための、プロになるための、自分をよくする方法をかなり考えた。

 けがを繰り返していた平瀬を支えたのは、プロになるという「明確な目標」だという。そして来る4月16日。関東リーグ第3節。平瀬はエンジのユニホームを身にまとい、関東リーグのピッチに立っていた。

 今年度の早大としての目標はもちろん『日本一』。「リーグも制覇して、インカレも1位を取りたい」。そして、平瀬自身にも明確な目標がある。それは『プロサッカー選手になる』こと。小学2年生の時になんとなく初めたサッカーだったが、いつしか「プロの舞台で戦いたい」と思うようになっていた。どれだけ大学でのプレータイムが短くなってしまっても、やはりこの夢にはこだわりたい。3度のけがをしている間も、そしてこれまでのサッカー人生を、支え続けてくれた両親へ。「ここまで支えてくれた分、夢を叶えた瞬間を見てもらいたい」。

前線へとパスを送る平瀬

 練習試合も含めて、平瀬が早大で出場した試合はまだわずか8試合だ。けがをしていなければ、この数字は2倍にも3倍にもなっていたかもしれない。しかし、けがをしなければ得られなかった経験を、平瀬が積んでいるのもまた確かだ。見つめるべくは過去よりも未来。立ち止まる時間など、もうない。チームのためにも、個人の目標を達成するためにも、まずは勝利が必要だ。今シーズン初勝利を得るために、明日、平瀬は大学に入って9回目となる試合のピッチに立つ。

(記事 内海日和、写真 水島梨花、宮島真白、前田篤宏)

 

関連記事

今季初ゴールを含む2得点も…まさかの逆転負けでリーグ戦2連敗

◆平瀬大(ひらせ・だい)

2001年(平13)3月28日生まれ。180センチ、75キロ。佐賀・龍谷高出身。前所属・サガン鳥栖U18。スポーツ科学部4年。関東大学リーグで、1部通算2試合出場(4月29日現在)。