ア式蹴球部卒業記念特集 第3回 DF松浦一貴『姫路から決意の上京 ア式で見つけた自分らしさ』

ア式蹴球男子

姫路から決意の上京 ア式で見つけた自分らしさ

 「サッカープレーヤーとして上に行きたいという気持ちと、BチームのトップとしてBチームを背負ってやっていかなければいけないという責任。この2つのバランスを取るのはすごく難しかった」。DF松浦一貴(スポ=エストレラ姫路U18)は、早稲田大学ア式蹴球部(ア式)Bチーム主将として過ごした1年を振り返り、素直な気持ちを打ち明けた。

 そんな松浦がインタビューで繰り返した言葉は、「こんな人になりたい」というものだった。

 

 カメラに向けてガッツポーズをする松浦

 サッカーとの出会いは小学5年生のこと。2010年南アフリカW杯での本田圭佑の無回転FKに魅了された。「あれを見てサッカーかっこいいなと思って。俺もあんなシュート打ちたいなと思って」。足の速さを買われサイドハーフとして活躍し、サッカーにのめり込んでいった。

 中学からは、街クラブであるエストレラ姫路に入団。強豪チームに所属するにあたり、「何か周りに差をつけないと試合に出れない」と感じた松浦は、コーチングに目を付けた。「基本的に声はずっと大きいですし、よくしゃべる方なんで(笑)」。自らの特徴を生かせるセンターバックに転向し、定位置をつかみ取った。

 高校時代には全国大会を経験するが、そこで抱いたのはネガティブな感情だった。「本当にトップトップの選手たちと対戦した時に、ちょっとプロは厳しいかなというのを感じた」。そんな進路に悩み始めた松浦は、クラブ関係者の存在の大きさを改めて実感する。専用グラウンド建設のために尽力するスタッフや、自身の運転で遠征に連れていってくれるコーチ。「クラブのために、自分たちのためにやってくれている姿を見て、こういう大人になりたいなと」。全国の舞台でレベル差を痛感し、大学では自身のスキルを磨くよりも、トップレベルのサッカーを学び、それを地元に還元することに価値を見出した松浦。関東の大学に行きたいという思いも重なり、早大への進学を決めた。

 

 倉田拓実(スポ=滋賀・草津東)とタッチを交わす松浦

 生活の拠点は姫路から東京へ。「標準語なんて夢だと思っていたので。そんなものはありはしないんだと思っていたら、本当に標準語だったので(笑)」。東京に来た初日を、こう振り返る。寮生活という環境、サッカーの質、トレーニングの強度。ア式へ入部を果たすも、様々な変化が松浦を苦しめた。自信を失い、いつしか周りが好むプレー、先輩に怒られないプレーばかりするようになった。そしてア式が持つ強烈な『個』の中に、松浦は埋もれた。

 しかし、松浦は長期オフに自分を見つめ直す。「サッカーを学びに来たのに、何がしたいんだ。自分らしさを出して自分のやりたいことを追求した方が、この大学生活が有意義に過ごせるんじゃないか」。これを機に、2年目は自分を前面に押し出したプレーをするようになった。ただ、どうもこれもしっくりこない。「それなりに満足感はあったんですけど、どこかチームじゃないなというか。サッカーは楽しいけど、チームスポーツで得られる喜びはあまり感じられていなかった」。

 

 流通経大に敗戦後のトップチームにBチーム主将として声をかける松浦

 そして3年目のシーズン。松浦に転機が訪れる。この年、ア式はミッションの一つとして『明日への活力になる』を掲げた。「それを聞いた時に、自分の中でそういうことかと感じる部分があったので、自分のサッカーの軸ができた」。軸が生まれた松浦に、もう迷いはなかった。3年生として来季に向けての話し合いをする中で、Bチーム主将に自分から手を挙げた。それは、これまで背中を見てきた2人のBチーム主将の存在があったから。1人は、榎本大輝(平31社卒=東京・早実)。「コンスタントに試合に出られない選手でも、誰かに感動を与えられる存在になれるんだな。こういう人になりたいなと思った」。もう1人は、小山修世(令3商卒=東京・早実)。「本当に圧倒的な熱量というか、絶対に勝つんだという思いを体現してくれていた」。『Bチーム』という難しい環境で、もがきながら苦楽を共にしてきた松浦だからこそ、そんなチームを引っ張ってきた2人が憧れだった。

 Bチーム主将に就任し、迎えたラストイヤー。9月、関東大学リーグ戦の立正大戦のベンチに松浦の姿があった。しかし出場はかなわず。「少し悔しさは残った」と語るが、決して腐ることはなかった。12月、全日本大学選手権(インカレ)初戦を控えた週の練習中も、Bチーム主将としての責務を果たし続けた。「Bチームの取り組みがインカレに影響を与えるというのは周りに言っていた。チームというものは1つだと思っているので、Aチームが良くてBチームが悪いということはないと思っていた」。自分が出場することはないと分かっていながらも、常に外にベクトルを向け、チームの欠かせないピースとして努力を惜しまなかった。

 

 笑顔で後輩を称える松浦

 エストレラ姫路での経験から早大を選ぶも、ア式という個性の塊を前に自分を見失いかけた。それでも、Bチーム主将という特異な存在が松浦を奮い立たせ、「誰かの幸せのために行動する」という自分らしさを発揮できる役職と出会うことができた。そして、「こんな人になりたい」と歴代のBチーム主将に憧れていた日々を経て、愚直にBチーム主将をやり抜いた松浦自身も、「まつくんのプレーで活力をもらいました」と言われるほど、後輩から憧れられる存在になっていた。

 Bチーム主将として一番うれしかったことを尋ねても、「下級生に支えられたシーズンだった。下級生の頑張りを見られたことがうれしかった」と、決して驕りを見せず、周囲への感謝を忘れない男の姿がそこにはあった。

 卒業後は関西に戻るという松浦。「エストレラ姫路の発展に少しでも貢献できたら」。標準語で夢を語った松浦が見据えるのはただ一つ、愛する地元クラブの未来だ。

(記事 長村光、写真 ア式蹴球部提供、橋口遼太郎)

◆松浦一貴(まつうら・かずき)

1999(平11)年7月11日生まれ。171センチ、65キロ。兵庫・姫路東高出身。スポーツ科学部。ア式蹴球部の展開するYouTubeチャンネルには毎度のように出演するほか、早スポ記者にも常に笑いを届けてくださる松浦選手。得意の一発ギャグも何度か披露していただいてきました!関東大学リーグに登録された際の紹介文章は「関西が生んだお笑いモンスター」。球際の強さを生かしたプレーはもちろん、それをも凌駕するパーソナリティが持ち味です!

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