【連載】『令和2年度卒業記念特集』第20回 小野寺拓海/男子サッカー

ア式蹴球男子

格好いい男

 「俺が一番ヘタクソだ。ここにはいられない」。大学入学を決め、練習生としてア式蹴球部の練習に参加した際の小野寺(スポ=岩手・専大北上)に浮かんだ思いは、恐怖だった。

 高校時代、1年生からスタメンの座を勝ち取り、3年生時にはキャプテンとしてチームをけん引。絶対的な大黒柱であった小野寺だが、ア式蹴球部の練習に参加し、レベルの高さに驚愕(きょうがく)することとなる。「上手い人たちって、こうやってボールを蹴るんだ」。天狗になっていたわけではないが、上には上がいると思い知らされ、鼻をへし折られたという。

 それでも、小野寺は立ち止まることはなかった。立ち止まるわけにいかなかった。「技術で貢献できない。体力で貢献できない。チームに何一つ貢献出来ない人間では、この組織にいられない」。正式入部を勝ち取るため、全体練習が始まる数時間前からグラウンドに立ち、猛練習に励む日々が続いた。「評価されたくて、入部のためのアピールとしてやっているわけではない」と、誰にも見られないような早朝に。さらには全体練習の後にも猛練習を重ねる。すると、その思いは結実する。10日あまりで当時の新人監督である石川大貴(平30スポ卒)より、正式な入部が告げられたのだ。『史上最速入部』と現在まで語り継がれているほどのスピードであった。ただ、小野寺に生まれた思いは達成感ではなく、危機感であった。自身の実力や技術力への不安から来る恐れが、小野寺をさらなる練習へと駆り立てた。

 入部してからも、「明日チームいられなくなるかも」という恐怖に、「周りの選手に迷惑をかけられない」という感情も手伝い、懸命に練習を重ねた小野寺。時にはAチームの練習に合流することもあった。しかし、月日が経つにつれて、「頑張ることができなくなる時期」も増えたという。「上手くなっているのはわかるが、トップチームのレギュラーとして出場するには到底及ばない」。自身の限界を感じ、どのように努力をすればいいのかに悩む日々が続いた。「Aチームに昇格をしても、Bチームに戻りたいなと思ってしまう自分」に対する葛藤があったと話す。そんな小野寺を支えたのは、内に秘めた『信念』だった。「弱い感情を出すのはすごく格好悪いし、格好悪い自分を周りに見せるのが大嫌い。そして、自分が適当にやるのは周りにも迷惑がかかる。そういうのはありえない」。胸の内の弱い気持ちを払拭するかのように、練習に打ち込んだ。

リーグ戦のピッチでコーチングをする小野寺

 最高学年となり迎えた春、未曾有の疫病により、ア式蹴球部の活動もストップすることとなる。「自粛期間に入った際に、ホッとしてしまった自分も少なからずいた」。自分自身を繕いながらサッカーに取り組む苦しみは大きく、そのような日々から解放されたことで一息ついてしまったという。それでも、自粛期間においても筋トレやランニングに励む小野寺がいた。「どこかに関東大学リーグに出たいという思いがあった」。小野寺の原動力の根底には、1年生から持ち続けた『初心』があった。しかし、そのような初心を打ち砕く出来事が起こる。

 「無理だな、と思った」。自粛期間が明けリーグ戦が始まり、小野寺は画面に映るAチームの試合中継を眺めていた。映し出されていたのは、後輩たちが華麗なパスサッカーで相手を翻弄(ほんろう)する姿であった。「あの中には絶対に混ざれない」。それでも、小野寺の心が折れることはない。「ア式FCではスタメンを任せてもらえているが、そこを志している選手もいる。自粛期間に支えてくださった方もいる。ネガティブな感情がプレーに出ることは許されない」。新人監督という役割を任されていることからも、姿勢を変えるわけにはいかなかった。「格好悪いのはダメなんで」と、小野寺は笑う。

 そんな愚直な男にチャンスが回ってきたのは、リーグ戦も中盤に差し掛かった9月のこと。新型コロナウィルス感染対策の影響から、コンディションが整わない選手が発生した事情もあり、夢に見たリーグ戦のスタメンに名前を連ねることとなる。「自分の実力で全てを勝ち取ったかと言われればそんなことはない」と謙遜をするが、多くの先輩やチームメイトから激励、感激のメッセージが届いたという。これは、『誰かの明日への活力になる』という、ア式蹴球部の掲げたミッションを体現した『証』というべきであろう。また、その後もリーグ戦数試合で出場機会を勝ち取り、アミノバイタルカップや今季限りの全国大会、あたりまえにカップにも出場。満足感はないというが、初心を成し遂げたラストシーズンとなった。

セットプレーの列に加わる小野寺(左から2番目)

 「なんでデラくん(小野寺)って頑張れるんですか」。後輩から問われることもある。常に練習に打ち込む小野寺の姿を見れば、当然の疑問だ。しかし、小野寺自身は、頑張れない時も多くあると感じていた。「弱い自分を見られるのが怖いから」「格好悪いから」「迷惑だから」と、自分を取り繕っていたに過ぎないのだという。そんな小野寺に変化が訪れたのは今シーズンのこと。宮脇有夢(文構3=東京・早実)の発した「どうしてデラくんって堂々とプレーできるんですか」という言葉に衝撃を受ける。「自分の思いと、人から思われている自分にこんなにもギャップがあるんだ」。改めて、自分自身の周囲からの見られ方に気付かされた瞬間であった。「全然俺もそんなことないよ。結構緊張するし、逃げたいくらいだし」。ふと、弱い自分を素直にさらけ出し、共感ができたことで、小野寺の考え方は変わり始める。

 杉山耕二主将(スポ=三菱養和SCユース)と本当の意味で打ち解けたのも、今季のことであったという。「周りが頑張ってくれているから、俺も姿勢を示さなくてはならない」(杉山)。主将としてあるべき姿を見せ続けなければならない杉山と、理想像を体現し続けていた小野寺、同じ苦悩を抱えていることを知る。こうしてチームメイトに、時として頑張れない自分の話を吐露するようになっていった。「自分の弱い部分を隠すだけが、自分の見せるべき姿勢ではない。弱い部分をシェアすることで、同じように悩んでいる人の力になれる」。小野寺は、格好いい自分だけでなく、格好悪い自分でも『活力』を与えることができると気が付いた。

 小野寺にとって、忘れ難き言葉がある。『前例がないなら、あなたが前例になりなさい』。中学時代の監督に、幾度となく叩き込まれた教えだという。思い返せば、サッカーにおいて超強豪とは言えない高校への進学を決めた理由の一つには、「県で優勝をした前例がない高校で優勝にチャレンジする」ことがあった。ア式蹴球部においても、「自分みたいな立ち位置から試合に出るという前例はないかもしれないけど、それを打ち破る」ことを目指していた。恩師に植え付けられたパイオニア精神こそが、小野寺を突き動かし続けていたのだ。ア式蹴球部の『元気侍』の、大学サッカーは幕を下ろした。だが、『日本をリードする存在』、パイオニアとして、未来を『拓』いていくだろう。

(記事、写真 橋口遼太郎)