【連載】『平成29年度卒業記念特集』第65回 鈴木裕也/男子サッカー

ア式蹴球男子

堅忍不抜

 鈴木裕也(スポ=埼玉・武南)を一言で表すなら、『真っすぐな男』。こう形容するのがぴったりだ。いかなる逆境に置かれても、挫折を味わっても、常に目標を持って自らの信念を貫く。その姿は、多くの者を魅了してきた。1年時から試合に出場し続けた分、プレッシャーは大きかったはずだ。「(プレッシャーを)気にしていたら自分のプレーが悪くなるだけ。できることを明確にするのが大切」。鈴木はそう笑顔で語った。

 サッカーができる環境を一度失った経験がある。それは中学生のときだ。顧問の辞任とともに、チームメイトが次々と練習に来なくなってしまった。壁に向かって一人でボールを蹴り続ける日々。それでも腐らずにサッカーを続けることができたのは、「高校サッカーの舞台で活躍したい」という明確な目標を持って取り組んでいたからだ。「こういう環境でも目標は達成できることを見せたい」。そう思いながら我慢の日々を過ごす。周りの環境に流されず、目標に向かって自分を貫く。鈴木が大切にしている信念は、この経験から教訓として得たものである。武南高に進学すると、きつい練習が待ち受けていたが、練習環境を失った経験があるからこそ「サッカーができるだけで幸せ」と思うことができた。

4年時の早慶定期戦ではゲームキャプテンも務めた

  高校時代、約250人部員がいる中でレギュラーを張っていた鈴木。様々な強豪チームからの誘いもあったが、それらをすべて断って早大でプレーする道を選んだ。練習参加を通じて得た刺激が大きかったこと、早大の先輩のような人間性を持った人になりたいと思ったのが決め手だった。1年時から途中交代で試合に出場するなど頭角を現す。「自分がチームを勝たせたい」と思う日々を過ごした。しかし、その強い思いとは裏腹に、チームが勝てないことに大きなもどかしさも感じるようになる。3年時は、「いきなり(チームが)勝てなくなった」。このまま自分が試合に出ていていいのかという葛藤もあり、大きな挫折を味わうことになる。そして悪夢の関東大学リーグ(リーグ戦)2部降格――。あまりのショックに、何も考えられなかった。

 最上級生としてのシーズンを、2部で戦う。その現実を受け入れるのは容易ではなかったはずだ。「1部で優勝したい」、「日本一になりたい」という大志を抱いて早大に入学したにも関わらず、突き付けられた現実はあまりにも過酷だった。しかし、前を向くしかなかった。「このままでは終われない」。自分が主体となって、絶対に1年で1部に昇格する。そう強く思い、副将になることを決意した。トップに立つ上で意識したのは、チームの目標に対して誰よりも『ぶれない』こと。チームの調子が悪くても、自分だけは目標からぶれることはなかった。しかし、迎えたリーグ戦では一時昇格圏外に落ちてしまう。そのぶん、チームの雰囲気も悪くなったが、懸命に戦い続けた。勝負は最終節までもつれこむ。勝利すれば逆転優勝と1部昇格が決まる、運命の国士館大戦。終始激しい展開だったが、3-2で試合を制したのは早大。劇的な逆転勝利に、古賀聡前監督(平4教卒=東京・早実)、同期と抱き合って涙を流した。「どんな状況でも目標からぶれずにやってきた結果が出た」。大きなプレッシャーとも戦い続けた副将は、そう笑顔で振り返った。

 ア式蹴球部で過ごした4年間で学んだのは、「周りに対する感謝と『今』に全力を尽くすこと」だ。「有名になりたい」。そんな気持ちで始めたサッカーだが、今は「自分の周りの人を笑顔にしたい」という思いが、サッカーに打ち込む原動力になっている。早大で過ごしたかけがえのない4年間は、鈴木を技術的にも精神的にも大きく成長させた。卒業後は、東京武蔵野シティFCでプレーを続ける。目標は、JFLでのベストイレブンと、J3参入だ。どんな環境に身を置かれても強い信念からぶれずに前を向き続けた鈴木なら、この先も大きく飛躍できるだろう。

(記事 下長根沙羅、写真 田中佑茉氏)