熱き男の4年間
この男のプレーを見た者は鮮烈な印象を受けたに違いない。決して恵まれた体格とは言えないその体。迫りくる強敵を跳ね返しては何度も立ち上がる。ピッチに響き渡る魂の叫びは90分間途切れることなく仲間を鼓舞し、統率してきた。背番号4、金澤拓真(スポ=横浜F・マリノスユース)。その姿、その声はまさに今季のア式蹴球部の象徴。エンジの伝統にその名を刻むこととなる金澤の4年間は偶然ではなく、必然の積み重ねが紡ぎ出したものであった。
ユースチーム時代、大学進学を考えるに当たり金澤にはスポーツを学びたいという強い思いがあった。その志をかたちにできる環境として進路の選択肢となったのが筑波大学、そして早稲田大学の二校。高校3年の夏、早稲田大学ア式蹴球部の練習に参加したことが金澤にとって大きな転機となる。そのプレースタイル、人間性を追求する部の理念、考え方に金澤の心は強く共感した。「すべてがぼくにマッチしている、ワセダに行きたい」。選手としてだけでなく、一人の人間として成長を求めるワセダは金澤にとってまさに理想の環境。大きく惚れ込んだエンジの門を叩き、金澤の激動の4年間が幕を開けた。
金澤は正真正銘のチームの中心であった
練習から激しく体をぶつけ合い、身を投げ出してでもシュートを防ぐ。ユースチームにはなかったエネルギッシュな環境。「忘れかけていた」というその熱量は新鮮な体験として吸収され、金澤は純粋にプレーすることを楽しんだ。着実にその力を伸ばすと、2年目に大きなチャンスが訪れる。DFラインを支えていた主力の多くが卒業したことで、その出番が回ってきたのだ。金澤は臆することなくその存在感を発揮し、見事にスタメンの座を奪取。強豪ひしめく関東大学リーグ戦(リーグ戦)へと戦いの場は移された。身長173センチと、センターバックとしては小柄な体格。そこで、体が大きな選手がそろうワセダでの練習で対人守備を磨くと共に、日々のウェイトトレーニングでフィジカル面を強化するなどさまざまな努力を重ねていく。こうして屈強な選手を跳ね返すまでにたくましく成長。金澤は弱点を自らの武器に変えてみせたのだ。
「元々(チームを)まとめるのが好きだった」と、金澤には生粋のキャプテンシーがあった。それはワセダという環境でも変わらず、大きな支柱としてチームをけん引する原動力へとつながっていく。迎えた4年目、新体制の主将となることに一切の迷いはなかった。「おれがやる」――。金澤のラストシーズンが始まった。しかし、それは誰もが予想だにしなかった幕開けとなる。リーグ開幕戦こそ勝利したものの、そこから6戦勝ち星無し。屈辱の最下位に落ち込むまでチームは低迷した。それでも、第8節・慶大戦に勝利すると、この試合を契機にワセダの快進撃が始まる。前年度王者の専大を5年ぶりに破るなど破竹の7連勝。優勝争いをするまでにチームは急浮上した。「全体が本気になれていた」。このときのチーム状況を金澤はそう振り返る。それは選手一人一人が明確な意識を持って戦うというワセダの理念の下、金澤の熱い思いが伝わりチームが一つになった証だった。勝てば優勝が決まる最終節。相手の猛攻を背番号4が率いる強固なDF陣で跳ね返すと、後半に2得点。終了のホイッスルが鳴り響いた瞬間、チームを引っ張ってきた主将の目には大粒の涙が光り輝いた。それはワセダが19年ぶりの関東制覇を達成した瞬間だった。
いままで勝って泣いたことがなかったという金澤がラストシーズンに見せたあの涙。「それほどまでに自分が思いを注いでいた、濃い時間を過ごしていた」と金澤は静かに回顧した。あの涙は金澤の思いの結晶だったのだろう。「謙虚さ、そして王者としてのプライドを持ち合わせてほしい」。新たな戦いに挑む後輩へ向け、思いを語るその瞳にはエンジの魂がいまなお輝いていた。そしてそれはこれからも消えることなく輝き続けるのだろう。金澤拓真、それは誰よりも熱く、誰よりもたくましい男のことであった。
(記事、写真 桝田大暉)