北京五輪を振り返っていただいた前編。後編では永井選手の大学時代、競技生活を振り返っていただきました。五輪銅メダルを獲得された永井選手の基礎となった大学時代はどのようなものだったのでしょうか。
※この取材は2月28日に行われたものです。
「苦しい経験も仲間と一緒にやるからこそ乗り越えられる」
――岩手県出身ですが、どうして早稲田大学を志望されたのですか
この競技で、大先輩にあたる荻原健司さん(平4人科卒)、次晴さん(平4人科卒)兄弟が早稲田大学出身ということもありました。その当時キング・オブ・スキー荻原健司さんの姿は映像を通しても拝見していましたし、この競技をやっている上で憧れの存在だったので、僕も同じところでスキーをしたいなという思いが確か当時あったと思います。
――早稲田に入る前から(早稲田への)憧れがあったという感じですか
そうですね。具体的に進学を考えた時に大学進学するなら、荻原健司さん、次晴さん兄弟がいらっしゃったところでスキーしたいなという思いが強くなってきましたね。
――大学時代はどんな学生でしたか
すみません、あの本当に20年近く前のことなので(笑)。田舎から出てきて、右も左も分からないような感じだったと思います。
――大学時代はスキー部中心の生活でしたか
スキー部中心でしたね。同じスキー部でもみんな目標を高く、意識高く競技に打ち込む選手が周りにいたので自然と僕もその中で生活して行く上で、「もっと上を目指したい」という風に感じられるスキー部でした。全体的に部活動中心の学生だったと思います。
――早稲田生っぽいエピソードはありますか
寮から狭山ヶ丘の駅までが遠い(笑)! あとは所沢キャンパスだったのですが、茶畑を電車で通り抜けながら狭山ヶ丘駅まで行く道のりが、夏場は地獄でしたね。スキー部の寮が合宿場だったので、スキー部での共同生活でした。
――4年間で印象に残っている出来事はありますか
大学3年生の時の全日本学生選手権大会(インカレ)、ノルディックコンバインドの競技で早稲田1、2、3位と表彰台を独占した時が一番印象深いですね。
――早稲田に入ってよかったと思う点はあります
あの4年間、特に同期は同じ屋根の下で釜の飯食って共同生活していたので、仲間というのは今でも関わりがありますし、そこで得たものが大きかったので、スキー部の仲間ですね。
――今回の銅メダル獲得で、大学時代の同期などから連絡はありましたか
ありがたいことにお祝いのメッセージをいただきました。
――大学時代の4年間は楽しい思い出と苦しい思い出のどちらが多いですか
練習ってやっぱ苦しいものだと思うのですが、でも振り返ってみると楽しかったことの方が多いですね。苦しい経験も仲間と一緒にやるからこそ乗り越えられるじゃないですか。極端な話、もう倒れて動けなくなるくらいに(練習で)追い込んだことがありましたが、練習している最中めちゃくちゃきつくても、振り返ってみるとそれも一つのいい思い出ですね。
――スキー部での印象的なエピソードはありますか
一緒にきつい練習した時ですかね。同期は4年間一緒に倒れるまできつい練習をして、その後暫く動けず草むらで休憩して、その後ようやく寮に帰ったことは今でも鮮明に覚えています。たまに会った時もそういう話をしたりするので、やはり一緒に練習した日々ですね。
――早稲田で学んだことが今に生きていることはありますか
4年間合宿所で生活することで、共同生活への慣れというか、共同生活する上で自分本意じゃ動けない部分があります。どうしてもそこは譲り譲られの関係でいかなければいけないというところが、(大学での)共同生活で色々学ぶ事も多かったです。今も長期の遠征で合宿をしていますけど、そういう共同生活をしたからこそ長期の合宿でもストレスが少なく遠征できていると思います。そういったところでは4年間の合宿場での生活は全然無駄じゃなかったなと思います。
――これまでのスキー人生の中で早稲田での4年間はどんなものとして残っていますか
確実に僕の今の競技人生の基礎となる部分を作ってくれたなと思っています。その生活がなかったら、今の競技人生は全然違ったものになったのではないかなと思います。
「スキーは相棒みたいなもの」
――北京大会を「最後の五輪」と話していらっしゃいましたが、現役は引退されるのですか
そうですね。W杯や世界の第一線で戦う試合は、完全に今シーズン限りで、代表活動は退こうかなと考えています。
――五輪はやはり特別でしたか
やっていること自体はW杯と変わらないですが、オリンピックは4年に1回ですし、注目度も全然違います。特に僕らみたいなマイナーな競技になればなるほど、普段の国際大会とオリンピックとなると全然違ってくるんですよね。やっぱりそこがオリンピックなんだなという感じです。
――第一線を退かれた後の目標はありますか
全然決めてないですね。今はとりあえず休みたい欲があって(笑)。というのも、今シーズン前の夏場で怪我がすごく多くて。怪我との戦いでもあったので、身体的にも結構ボロボロな状況で、本当シーズン始まる前はオリンピックの舞台はおろかW杯も戦っていけるのかなっていう不安が大きかったぐらいですね。本当に日々のケアだったり、トレーナーの方に見てもらったりとか微妙な調整をしながら戦ってきているので、正直今は体を休ませたいという思いが強いです。
――スキー人生を一言で表すなら何になりますか
一番熱中できたことですね。
――永井選手にとってスキーとは何ですか
競技はこれで終わるかもしれないですけど、スキー自体はやめないと思います。趣味として、もちろんジャンプは趣味でやる競技じゃないので多分飛ばないと思いますけど(笑)、クロスカントリーやアルペンスキー、バックカントリーなどスキーには本当にいろんな楽しみ方があります。それこそフィンランドは湖がすごく多い国でもありますが、冬になると湖が凍ってそこにクロスカントリーコースが作られています。それで今日も湖の上を走ってきたのですが、すごく気持ちいいです。クロスカントリーと聞くと日本では「きつい」とか「辛い」とかそういうイメージが先行しやすいと思いますが、そんなことはないです。実はとてもいい全身運動のスポーツですし、老若男女問わず楽しめるスポーツなので、そういった楽しみ方をしていきたいなと思っています。僕にとってスキーは、これからも付き合っていく相棒みたいなものですね。
――ずっと第一線で戦ってきた立場から離れることになりますが寂しい気持ちはないですか
寂しさはないですね。僕はノルディックコンバインドっていう競技は、本当にもうお腹いっぱい食べてきたので(笑)。これからはテレビの画面を通して応援できる立場になると思うので、全力でサポートとか応援をする側になれますし、それはそれで違った角度から競技を見られるので、そっちの楽しみの方があるかもしれないです。
――スキー人生で大事にしてきた信念などはありますか
僕の中では、競技をする上で“絶対手を抜かない、全力で戦う”ということを常にモットーというか自分の心情として持っているので、そこだけはぶらさずという感じでした。その 結果が良い悪いに関わらず、全力でやらないと「何がよかった、何が良くなかったのかな」とはっきり分からず明確に分析できないので、そういったところからもぼくは試合の上ではどんな試合に関わらず全力で臨むということを自分の中で決めて取り組んでいます。
――最後に新入生へのメッセージをお願いします
新入生の方たちはみんな若い方たちなので、無限に可能性を秘めていると思います。その可能性を存分にこの4年間引き出して、それらを今後の卒業後の人生に生かせるよう、充実した4年間を送ってほしいと思います。
――ありがとうございました!
(取材 宮島真白 編集 湊紗希、堀内まさみ)
◆永井秀昭(ながい・ひであき)
1983(昭58)年9月5日生まれ。170センチ。岩手・盛岡南高出身。2022年北京五輪、ノルディック複合個人ラージヒル31位。ノルディック複合団体銅メダル。今回のインタビューは永井選手の練習後に実施させていただきました。練習後にも関わらず、永井選手の爽やかな雰囲気と穏やかな人柄がとても伝わってくる取材となりました!