常に良い仲間に恵まれた
成績で引っ張らない自分なりの主将。ことし、全日本学生選手権(インカレ)で創部初のアベック優勝を成し遂げ、早大は名実ともに王者となった。このチームをまとめ上げた立役者、湯本啓太主将(スポ=長野・中野立志館)は3年生頃から、自身の成績が伸び悩んでいた。同期や後輩の活躍に喜ばしさを感じながらも、主将として成績で劣る場面に葛藤していた。しかし、湯本が導き出した自分なりの主将としてのあり方は、『全てを楽しむ姿を見せる』ことだった。
スキーが盛んな長野県に生まれ、兄の影響で、小学校1年生のとき何気なくスキーを始めた。しかし、中学2年生の時、湯本をスキーに没頭させる転機が訪れた。全国中学校スキー大会で175人の頂点に立ち、全国優勝のタイトルを獲得したのだ。前回大会では緊張のあまり実力を発揮できず、雪なし県にも劣る惨敗。それだけに、下馬評を覆し現れた中学2年の新星に、周囲からは連覇の期待が高まった。しかし、その重圧が故、序盤からペースをあげあまりのハイスピードに自ら苦しみ卒倒、まさかの途中棄権に終わった。栄光も挫折も味わった中学生活は、湯本にとってスキーのファンダメンタルをやしなえた期間だったという。スキーを楽しむことを体得した。
チームの優勝を涙を流して喜んだ湯本
スキーの根本ができあがり、特に仲間に恵まれ、自分なりのチームの在り方を学んだのが高校時代だ。地元の中野立志館高等学校に進学し、高校3年生の時、全国高等学校スキー大会で優勝、高校としては20年ぶりの快挙だった。その偉業達成、2度目の全国タイトル獲得の裏には、恵まれた楽しい人間関係の存在が大きくあった。当時のメンバーは、馬場(専大)をはじめとした10人以上が会場に集まり、パイ投げをするなどして引退する湯本を慰労した。クロスカントリー競技という持久力の必要な辛い競技を続けられるモチベーションは、練習や試合をやりきったという達成感の他に、気の合う仲間との楽しい時間は欠かせず、高校時代に経験したその空間こそ、湯本が求める理想のチームの在り方となった。
中学では個人としてスキーの技術と滑る楽しさを学び、高校ではチームとして、実力を発揮するのに必要な仲間づくりを経験した湯本。インカレアベック優勝を掲げ、日々邁進。成績が落ち込みスランプに陥っても、気にしないというのが湯本の流儀だった。4年目のインカレでも勢いを取り戻すことは難しく、リレーメンバーに選出されることはなかった。しかし、主将としては、当代一流の成果を残したのだ。創部98年、一度も達成されることのなかったアベック優勝を成し遂げられるチームを率いた。実力のあるメンバーに恵また。『楽しく、仲間が支えになるチーム』を作り上げた。この2つが揃い、インカレ男女総合優勝の快挙が達成されたに違いない。人望が厚く、チームのムードメーカーである湯本は、時に体を張り、常に率先して盛り上げ、自分の色を追い求め先導した。「とにかくバカやって、楽しめるチームを作る」という考えは一戸剛監督(平11人卒=青森・弘前工)としっかり共鳴した。「常に良い仲間に恵まれました」。この言葉は湯本が何度も口にする言葉だ。仲間に恵まれた主将・湯本の面目躍如たる指揮が、アベック優勝というタイトルに貢献したのだ。
(記事、写真 藤田さくら)