【連載】Get the glory 第1回 河野恭介主将

スキー

第1回 河野恭介主将

 ワセダのアルペンスキーをリードしてきた河野恭介主将(スポ4=長野・飯山北)。ついに大学ラストイヤーを迎え、今季はスキー部主将に就任した。スキー、ワセダ、そして憧れの舞台であるオリンピック出場への思いなど、いよいよ始まる今シーズンへの意気込みをうかがった。

※この取材は7月16日に行われたものです

飛躍と課題

笑顔で取材に応じる河野

笑顔で取材に応じる河野

――昨シーズンが終わってからこれまでどのような練習をされてきましたか

海外の選手に比べて体が小さいのでまずは大きくするということですね。全体的にボリュームアップするということを第一にやってきました。

――そのために具体的にしたこととは

重たいものを持つということです。重たいものを持てるということはそれだけ軸ができていなければならないし、バランスも同時に身につくことになります。いま自分に足りないものはそれかなと思うので、重たいものを持てるようにトレーニングしています。

――ことしは主将に就任されました。昨年から変わったことは

主将はある種マスコット的な存在なので(笑)、基本的には変わらないですね。仕事もことしは主務が選手なのでそこは手伝いながらという感じですが、主将としては毎朝、朝集合のときに一言話すくらいです。しかも半分くらいは「特にありません」って言っているので。締めるところは締められるようにして、そんな大したことはしていないです。

――インカレの後に主将に指名されたときの気持ちは

レースの途中にメールできたので、「マジかよ」という感じで。でもあるかなとも思っていました。指名制度ということは期待もあると思うので、それに応えようと思います。

――ことしのスローガンである『覚悟』にはどのような思いが込められているのですか

僕が勝手に決めました。

――そうなんですか(笑)

ほぼそうです。マネージャーと主務と一緒に食べ放題バイキングに行って、結局お腹いっぱいになるまで決まらなくて。『覚悟』は自分で考えていたのでそれでいこうと勝手に決めたのですが(笑)、自分に向けてという思いが一番大きいです。覚悟がない人は絶対に弱いし、途中でぶれたりして上には行けないし。ましてや世界と戦おうと思ったら覚悟なければ到底できないと思います。一番基本的だけど一番重要だと思って『覚悟』にしました。

――そのなかで夏季インカレも行われましたが、チームとして戦っていかがでしたか

夏季インカレはお祭りのような感じですが、1年生にとってはとても大事なイベントです。ワセダとして初めて出る大会で、ワセダを実感する良い機会なのでそういうところで先輩たちの姿や一体感を1年生に感じてもらうことで頑張ろうと思ってもらえたらと思っていました。なので僕的には結構重要な意味がありました。4年生の意地も見せられたので1年生にとっても刺激になって良かったです。

――昨シーズン全体を振り返って

周りからすればすごく成績が伸びて飛躍した印象があると思いますが、自分的にはけっこういけるなと思っていたところもあったし、思ったより良くて驚きましたけど、後半戦でダメなところもあったので、それでチャラになったかなと。結局終わり方が良くなかったので、終わり悪ければ全部悪かったというような気持ち悪さが残りました。そういう意味では浮かれてもいないし、日本代表に入るという目標は達成したけどやらなければならないこともたくさん見つかったので次につながる、気持ち的にも次だと思えるシーズンで良かったと思います。

――具体的に見えてきた課題とは

条件が厳しい中で雪がすごく固いとか、水を入れてほぼ氷のようにしたバーンとか難しいセッティングのところで攻めきれないところです。ヨーロッパにいたら当たり前だけど、日本やアジアのレースではすごくイージーな条件が多いので、そのなかで成績が出たことは良かったですが、難しい条件の時にミスが出たり、思い切りが出せなかったところはこれからヨーロッパでやっていく上でかなりネックになると思います。どうにかしなければいけません。

――昨シーズンのなかで特に印象に残った試合は

志賀高原で行われたファー・イースト・カップ(FEC)というワールドカップの出場権利を懸けた大会で、皆川賢太郎選手と最後1位争いをしました。最後3レースを残したその志賀高原のレース会場がヨーロッパに近いような硬い雪でとても急な斜面でした。苦手ではないですが、動きが硬くて、かみ合わず、スキーのセッティングもうまくいきませんでした。結局1本目で出遅れてしまって、2本目は挽回したものの2日目の1本目でまた失敗して、賢太郎さんに1レース残して優勝を明け渡してしまったという2戦ですね。今まで自分では急斜面が得意だと思っていたのですが、シリーズの優勝争いとかいかなきゃいけないけど、失敗は許されない良い場面で自分の力が出せなかったということが露呈したレースだったので印象に残ったというか、一番悔しいレースでした。

――では、FECのスラロームでの総合2位という結果については悔しいという気持ちが強いということでしょうか

そうですね。上位にいることがあまりなかったので、最初の方はあまり意識せずにやれていたのですが、途中一度失格になってしまってそれで賢太郎さんに水を開けられてそれで次は頑張らないとやばいとか、次失敗したら後がないということを考えてしまいました。賢太郎さんはベテランなのでプラン通りに進めているのに対して思ったより僕は成績が出ていて食らいついているという感じだったのでその経験値の差がそのまま結果に出てしまったのかなと思います。滑りでは負ける気もしないし、同じ条件で滑れば絶対に勝てると思うのでそれを出せなかったことが問題だと思います。

一度きりの瞬間を滑るという魅力

――スキーを始めたきっかけは

僕は長野県の1番北にある野沢温泉村というところに生まれて、家の裏がすぐスキー場でした。学校でもスキーの授業があって、小学校1、2年生は絶対にスキーをしなければならないような環境だったので、当たり前のようにスキーをして、学校がない日は山に行っていました。おにぎりを作ってもらって、滑って、スキースクールのおじさんにお味噌汁をもらっておにぎりと一緒に食べて、またナイターまで滑って帰ってきて夕御飯食べて寝るという生活を当たり前のようにやっていたので。その頃は遊びという感覚で楽しいからやっていて、それがきっかけですね。楽しい遊びというか、そういう感覚は今もあるし、遊びの域でした。競技に移ったきっかけは、小学校1年生から3年生までが出るジュニアの大会を村でやってくれて、それでずっと1位だったんです。でも長野県はけっこう強いので、外の大会に出たら全然ダメで。緊張もしたし、車酔いもすごくて、行く時に何回も吐いてそのまま出れないといこともありました。それで悔しいという気持ちもありました。その頃、ジャンプとクロスカントリーの体験入部ができて全部行ったんですけど、クロスカントリーは疲れるし、汗かいて帰り道寒いし、ジャンプは子どもの頃はスキーを担いで自分で登らなくちゃいけなかったので。ある程度大人ならリフトで上がれますが、歩いて登るのはしんどいとなりました。アルペンはリフトで上れて下るだけで、昔からやってましたし、これだなってそれで決めました(笑)。かなり安易な考えで始めました(笑)。

――アルペン競技の魅力は

他の陸上やバレーボールなどの室内競技や記録が出るような競技とは違って、条件が毎回必ず違います。雪質、雪の量で斜度も変わるし、あとは何番目に滑るかで条件も変わります。コース整備の入り方、ポールの立て方も人によって全然違うし、ルールも変わったり、視界も悪かったりというのもあるので、同じ瞬間が絶対にないんです。結構珍しいと思いますが。要はその場面場面で対応しなければならなくて、あとはセッティングにしてもそうだし、この雪だったらワックスはどうであるかスキーのサイドのエッジ金属の角度をどうするかなどすべて対応していかなければならないので。そのタイムにつながる要因が他の競技に比べてとても幅広いというか要素を含んでいるものがたくさんあります。陸上だったらフォームや筋力とかあると思いますが、そういう体だけでない部分の対応もしなければならなくて、考えることが多いのでそういうところ一つ一つ詰めていって最後はスタート切れば同じ条件なので、そこまでどのように準備してもっていき、実際に戦うかという過程がすごく面白いと思います。いきなり始めてできる競技ではないですが、小さい頃からやってきて一つずつ覚えてきていまこうやっていろんな知識があるからできるということもありますね。まだまだ上の世界ではシビアなことが求められると思うのですが、そういうことを考えながら競技に臨んでいく過程があるので、なおさら勝ったときが嬉しいです。条件に合わせるというのが自然相手なので、1番自然を楽しめるスポーツなのかなと思います。

アルペン部門を引っ張る

アルペン部門を引っ張る

――道具に対してもこだわりは強いのですか

そうですね。僕は日本産のスキーを使っていて、いま湯浅直樹さんという方がきょねんワールドカップで3位になって同じスキーを履いているんですが、その工場の方がとても熱心でマニアックで、すごく研究して選手のためにつくってくれます。その姿を見たり、現場で会ったりするとその人たちの取り組んでいる姿勢から頑張らなければいけないなと思うところもありますし、それをテスターとして僕が「良いです」、「悪いです」と言いながら作り上げてきたスキーもあるのでそういう意味ではハートという国産のブランドのスキーで勝ちたいという気持ちはありますね。ただ自分はこうしたいというのはあるのですが、ワールドカップで戦うためのスキーをつくるので湯浅直樹さんの意見でつくられていて、こだわりというよりはそのスキーで勝ちたいという思いが強いですね。

――大学に入学するにあたりワセダを選んだ理由は

同じ村出身でオリンピック選手の河野孝典さんなど野沢の先輩がたくさんいたことと、飯山北高から前主将のレンティング陽(平25年スポ卒)がいたり、今も2年生に傅田(翁玖、スポ2=長野・飯山北)がいたりしますが、飯山北高からの流れもあったし、陽さんは結構尊敬していて頑張っている話も聞いていたので。あとはスポーツ科学を学びたいというのがあったからです。いまトレーナーコースなんですが、ケガをした時にリハビリをしながらこういうことができたら、自分の体がわかればすごくプラスになると強く感じたので勉強したいと思いました。スキー部に関しては、アルペンはいませんでしたがランナーなどに野沢の先輩もたくさんいるし、環境も整っているので迷わず決めました。

――レンティング選手の名前が挙がりました。前主将をされていましたが、どんな印象をお持ちですか

印象は変わってるなってくらいです(笑)。すごく独特ですね。競技も強かったし、そういう考え方もあるんだとか、こういうスタイルもあるんだというのを感じました。僕も人の真似とかしたくないタイプなので、すごく個性的な陽さんはかっこいいなと思いましたし、尊敬していましたって感じですかね(笑)。

――寮生活の良い点と悪い点は

良い点は、人がいっぱいいるのでトレーニングのパートナーや補助の面で都合がつきやすいということが1つあります。あとは賑やかなので良くないことがあっても落ち込んでいる暇はないと思います(笑)。僕はあまり落ち込んだことがないのであんまり関係ないですがそういうところは良いですね。悪い点は、僕の場合一人部屋なんですけど、一人部屋になったおかげで部屋が汚いというところが悪い点ですね(笑)。あとは問題ないかな。

――オフの日の過ごし方は

漫画を読みます!

――どういったものを読みますか

なんでも(笑)。ひたすら。

――最近面白かったものは

『モンキーターン』という競艇の漫画です。賭け事の世界で情報が漏れてしまったり、お金懸っているけど上下関係はあるとか面白いなと思いました。それで、これはやるしかないと思って、調べたら身長が170センチ以下、体重50キロ以上ということが分かって。みんな51、52キロとかで、体重は軽い方がボート速いから。でも自分は177センチの77キロだから無理で、諦めるのは悔しかったです(笑)。マンガにけっこういろいろと教わって生きてきたという感じはありますね。

――ほかに最近ハマっているものはありますか

(持参していたカメラをさして)これこれこれ!

――どういったものを撮るのですか

風景を撮りたいんですけど、どこにも行ってないので来週から行くニュージーランドでいっぱい撮りたいなと思います。

――河野さんにとってスキー部はどんな存在ですか

1年生の時に感じたスキー部といま思うスキー部は違うかな・・・。言い表せないですね。なんだろうな。ちょっと口下手なのであんまり言い表せないです(笑)。仲間って言ったら違うし、味方でもないし、ライバルでもないし、家族は言いすぎだし・・・。パス!

――はい(笑)。では1年生の頃から変わったというのは具体的にどういうことでしょうか

1年生は上の学年を見てみんなすごいなという気持ちだったり、もっと頑張ろうと感じなんですけど、4年生になるといろんな人を見るようになったから集団の意識が高まってきたと思います。1年生の頃は集団の中に属していて頑張ろうという気持ちだったけど、主将になったからかみんなを引っ張っていこうという気持ちが強くなったかな。面倒見が少し良くなったかな。

――後輩とけっこう絡む方ですか

寮で1番連れ出してると思います。行くぞって。「おばけ出るらしいからトンネル行こうぜ」って(笑)。「ダーツ行こうぜ」って。それをしているかマンガを読んでるかですね。

――スキーを始めてから1番嬉しかったことと辛かったことは

1番嬉しかったことは、多分この先にあると信じているのでいま頑張ろうと思います。辛かったことは高2、3のときです。膝の前十字靭帯を2年連続で断裂して2年間リハビリしなければならなかったことです。しんどかったですね。2年目は同じことの繰り返しだし、痛いし、病院だし、不自由だし。

――大学に入ってから辛かったことはありますか

急性ウイルス性胃腸炎になって3日くらい入院した時が、食べれないし辛かったですね。そういうのではないよね(笑)?あんまり悩んだり落ち込んだりしないタイプで、したとしても寝たら忘れるくらいな感じなのであんまり思い出せないですね。

「スキーが本当に好き」

――ニュージーランドへ雪上トレーニングに行かれるようですが、雪に乗るのはいつ以来ですか

5月の第一週以来なので2ヶ月ぶりです。雪上に立つのですが、陸上トレーニングも同じくらい重点を置いてやりたいと思っています。

――いまの時期にできる雪での練習だからこそやりたいことはありますか

ひとつは全日本のコーチがクリスチャンという外人のコーチに変わるのでコミュニケーションをしっかり取ることです。自分の技術の基本は湯浅直樹さんのスキーのメーカーのチームとしての方針があって、それで統一されているのでそれにどのように結びつけるかというのをクリスチャンと話し合いたいです。あとそれに合わせて基本的なところをどれだけ煮詰めていけるかということをやっていきたいです。レースもありますが、体の基礎的なところをつくりながら滑りの基本もつくっていく合宿にしたいです。

――遠征先で不安なことはありますか

ニュージーランドは何回か行っているので大丈夫です。わりと不安なのはごはんですが、ニュージーランドはすごくよいので。早くムール貝が食べたいです(笑)。白ワインとムール貝。スポ科の中村千秋先生にお店を教えてもらったので早く行きたいです。

――ニュージーランドで具体的にやりたいことは

フィジカルは夏が雪上と照らし合わせながらできる有効な時間だと思います。秋になるとレースも始まって、実践的な練習が多くなる中で積み上げてきたものをどれだけ出せるかということになります。積み上げる段階で一度滑ってこういうところが足りないなと試行錯誤ができる良い機会だと思うので、それをしっかり繰り返していき確かな方向性というものをつくって秋の遠征に取り組めるようにするということ、秋の遠征までのトレーニングでやることをそこでももう一回考え直したいです。いろいろトライしてどこを強化すればいいのかということも見つけたいです。

――ことしはオリンピックとユニバーシアードがあり、まずはワールドカップの出場を目指すことになると思いますが、ワールドカップはどのようにすれば出場できるのですか

国の枠が一つあるので、それを争います。いまのところ代表でワールドカップの出場権利を持っていない人の中では世界ランキングが一番良いので、レースは何があるかわからないですが狙える位置なのでまずヨーロッパカップという一つ下のカテゴリーですごく厳しい戦いになると思いますが、そこで結果を出してまず日本人で一番になることですね。ちゃんとやっていけばできると思うので、そこは通過点といまは考えています。

――目指す先はオリンピックということでしょうか

はい。チャンスがあるのに丸投げする必要もないので。厳しいことはわかっていますが、もちろん目指します。今までどんスポーツでもそういう厳しいことをやった人がヒーローになっていると思いますし、そういう人がいっぱいいる中で自分にできないと決めつけるのはおもしろくないです。そうなれるように頑張りたいです。

――オリンピックに対する特別な思いはありますか

アマチュアスポーツはオリンピックが一番露出も高いし、プロスポーツ以外で何かあればオリンピックというのが日本の現状だと思います。この間スキーの雑誌の取材を受けた時に「最終目標は何ですか」と言われて、「国民栄誉賞」って言ったんで。オリンピックじゃないと無理だから(笑)。それくらいアマチュアスポーツをしている身としては特別というか次元が一つ上の注目度ですね。レベルはワールドカップと一緒ですが、取り上げられ方が違うし、人生も変わるだろうし、そういう意味ではそこは目指さなければと思います。あとは長野オリンピックを観たというのもあります。人もいっぱいいたし、実際僕の村も会場になってその盛り上がりを見ていたので。この間も久しぶりに見ていたのですが、金メダルをとったジャンプ団体。超満員のお客さんのところで万歳していて気持ちよさそうだな、ここでやりたいなと思いました。オリンピックに出たいです!

――ユニバーシアードでの目標はやはり金メダルですか

はい。勝ちを狙わないと面白くないので優勝はもちろん狙います。ヨーロッパカップで使われているコースで、斜面も良くて雪も硬いところなので自分を試す良い機会だと思います。スタート順のドローには入ると思うので良いゼッケンで勝負できるはずです。楽しい戦いできたらいいなと思います。

――国内の大会と海外の大会への意識の差はありますか

あってはいけないのですが、国内の方がみんな知ってるし、スタッフや現地の人も知り合いが多いのでどこに行ってもホームのような感じがあります。海外だと日本人は全然いないし、アウェーというか緊張感がありますね。ことしの冬はヨーロッパのレースにたくさん出ると思いますが、慣れていかないとなと思います。そういうところを無視していきなり結果を出さなければならないので、意識はより高く集中しなければと思っています。

――最後にことしの目標と今後の目標を教えてください

ことしの目標はオリンピックに出ること、ユニバで金メダルを獲ることですね。厳しいですが頑張ります。今後の目標は国民栄誉賞とか言いましたが、ひとつは僕はスキーが本当に好きなのでアルペンだけでなく、誰も滑ったことがない新雪で滑るカントリースキーやハーフパイプなどが楽しさを分かっているのでその楽しみ方をいろんな人に伝えたいです。そのひとつの手段としてもアルペンスキーで結果を出さなければならないですが。アルペンスキーはすべてのスキーの基本になると思うので、アルペンスキーを極めてそれで他のスキーに還元して違うスキーにも挑戦したいです。結果的にはスキーの普及ができたらと思います。いろんな人にスキーをしてもらいたいです。

(取材・編集 荒巻美奈、辻玲乃)

「挑戦」の1年に

「挑戦」の1年に

◆河野恭介(こうの・きょうすけ)

1991(平3)年10月2日生まれ。アルペン競技。全日本ナショナルチームランクC。長野・飯山北高出身。スポーツ科学部4年。持ち前のユーモアあふれるトークをしてくれた河野選手。取材に同席していた上村マネジャーは河野選手の実家に連れて行ってもらったそうで、「とても後輩思い」と話してくれました。ただ部屋の汚なさが欠点? 部屋掃除も頑張ってください(笑)