まだ、
気付いたら、アイスホッケーをしていた。北海道出身のFW木綿宏太(スポ=北海道・駒大苫小牧)にとって、一番身近なスポーツはアイスホッケーだった。小学生時代は朝から晩までひたすら練習に打ち込み、家でもスティックを手放さなかった。6年時には、全道小学生選手権でキャプテンを務め、自身の決勝ゴールで優勝。全日本少年大会でも帯広選抜のキャプテンとして、チームを優勝に導いた。
対談に応じる木綿。1年時(左)と引退後
そんなホッケー少年だった木綿だが、中学校では学年が上がるにつれ、ホッケーに真剣に向き合う時間が減っていった。友だちと遊ぶことが楽しくなり、ホッケーをすることへの疲れを感じた。体格が良くなり、真剣に練習をしなくても戦力の低下を感じなかったこともかえってあだとなった。そのふさぎ込まれた向上心はチーム全体に漂っており、「そこで1回ホッケーの技術が落ちた」と話す。
高校は、桶谷賢吾氏(平16卒)が監督を務め、全国を何度も制している駒大苫小牧高に入学。レベルの高い環境の中で、またひたすらに練習をする日々が始まった。部の方針や、親元を離れ自立した生活が始まったことにより、人としても成長した。高校3年時の全国高等学校選手権では優勝を果たし、有終の美を飾った。
パックを運ぶ木綿。1年時
「インカレ(日本学生氷上競技選手権)で優勝した早稲田を見たんです」「寺尾裕道選手(平24卒=現ひがし北海道クレインズ)に憧れていて」。小学生の頃から漠然と抱いていた早大に行きたいという夢が、ついに実現した。鳴り物入りで入学し、初めて出場した公式戦では、1ゴール1アシストを記録。1セット目に起用される試合もあり、ルーキーらしくホッケーを楽しんだ。しかし、新型コロナウイルスの影響を受け、部活動が停止に。卒業後にプロの道に進むことを考えていた木綿にとって、公式戦のない1年はもどかしい期間となった。公式戦が再開した大学3年生も、「成績を残さなければいけない」という焦りや、上級生になった責任感から思うようなプレーができず、1年間での得点は6に留まった。4年時には副将としてチームをけん引。チームの総力は1年を通して向上していったが、インカレは東洋大に敗北。「試合のビデオも一番見ている」と、その一戦への悔しさは今でも拭えない。
パックを保持する木綿(2023年1月7日、早慶定期戦)
陽気な性格の裏で、自分自身への物足りなさを語ることの多い木綿。これからは、プロ選手としてアイスホッケーをプレーすることになる。「こいつ(DF務台慎太郎、スポ4=北海道・駒大苫小牧)と一緒に、日本を背負う選手になりたい」。その時の表情は本気だった。さまざまな気持ちでホッケーに向き合ってきたからこそ、これからの戦いも、一つ一つ着実に、勢いよくこなしていくのだろう。木綿は、追いつけない理想の自分を、まだひたすらに追い続けていく。
得点を喜ぶ木綿(手前)と務台
そういえば、4年間早スポに言い続けていた、「彼女が欲しい」という夢も、まだ叶えていないようだ。
(記事 田島璃子、写真 田島璃子、岡すなを)