スケート部ホッケー部門卒業記念特集 第1回 FW林風汰『声』

アイスホッケー

 大学スポーツのプレーヤーは、学年が上がるにつれ、試合中の笑顔が減ることが多い。責任感や、考えなければいけないことの多さから、スポーツを純粋に楽しむことが難しくなるからだ。しかしスケート部ホッケー部門には、どのような状況でもチームを盛り上げるムードメーカーがいた。FW林風汰(教=東京・早実)だ。

対談に応じる林。1年時(左)と引退後

 両親ともにアイスホッケーを愛する家庭に生まれた林がアイスホッケーを始めるのは必然だった。父親の地元である八戸のリンクで滑り続け、小学生時代は自分本意なホッケーで「無双していた」と振り返る。得点を量産し、ただ楽しくてたまらなかったホッケーに、日々明け暮れていた。

パックを運ぶ林(2022年5月7日、春季早慶定期戦)

 いつからか、早大でプレーすることに憧れを抱くようになった。正月の東京箱根間往復大学駅伝ではエンジを応援していた。高校進学を考える時、もともと知り合いだった前田悠佑氏(令3社卒)や北村瑞基氏(令4商卒)が早実高へ進むことを知り、早実高でプレーすることへのイメージが湧いた。しかし、経験者の少ない早実高でのプレーは苦しい時期も多くあった。ケガなどによる欠員も含め、わずかな人数で出た試合で、18点差で負けたこともあった。試合で初めて、「早くリンクから上がりたい」と、すでにつっていた両足を伸ばしながら考えていた。だからこそ、早実高での3年間は林にとって大きな意味があり、学校から休部の方針が発表されると、一人リンクで署名活動を行うこともあった。

 早大に進学すると、再びホッケー漬けの毎日が始まった。「ちょっとなめていた」という部活動の真面目さへの驚きや、大人に見えた4年生との会話の難しさに戸惑いながらも、がむしゃらに走るプレーでホッケーを楽しんだ。新型コロナウイルスの影響を受けて部活動がほとんどできなかった2年生が終わると、3年生として、後輩を気にかけるようになった。1年時はスキルのある選手が自由にプレーせず、チームのために動くことが理解できなかったが、上級生の立場になると、自分が1年時にしてもらっていたことの大きさに気づいた。チームのために動くことの大切さを理解し、「なんでもしゃべれるような関係性を作ろう」と、意識的に動いた4年生。振り返れば、「楽しかった!」と朗らかに語れる1年間だった。後輩と積極的に話し、「友達」になり、練習以外でもたくさんの時間を共にした。もとからの性格によるものもあるが、それが自分の役目だと自覚していたからだった。DF務台慎太郎主将(スポ=北海道・駒大苫小牧)をはじめ、多くの部員が「尊敬している人」に林の名前を挙げる。「風汰が元気な時は(チームも)元気」(FW金井真、スポ3=北海道・苫小牧東)と、いつしかチームの雰囲気を左右する要になっていた。

会場の歓声に応える林(2023年1月7日、早慶定期戦)

 林のような、プレー以外の部分でもチームを動かしていくことのできる選手は、特に学生スポーツのチームにおいて大きな意味を持つ。林のホッケー人生は大学卒業とともに終わりを告げる。氷上でチームを鼓舞する林の元気な声が聞こえなくなるのは寂しい。いや、今度は観客席から、大好きな後輩に、大きな声援を送っていることだろう。

休憩時間中に笑顔を見せる林(右)

(記事 田島璃子、写真 田島璃子、落合俊、松平将太朗、荒井理沙)