【連載】『令和4年度卒業記念特集』第62回 務台慎太郎/アイスホッケー

アイスホッケー

長野には、ウルトラマンがいるらしい

インタビューに応える務台。1年時(左)と引退後

 DF務台慎太郎(スポ=北海道・駒大苫小牧)は、長野県で生まれた。5歳のころ、偶然友人のアイスホッケーを見に行った務台は、「すごくかっこいい」と感動し、スティックを握った。そして、次第にアイスホッケーの魅力に取りつかれていく。長野県は北海道や青森県に次いでスケートリンクが多く、アイスホッケーに触れる機会は多い。しかし競技力の向上のためには十分とはいえず、小学生の時には関東や北海道に遠征するなどしてスキルアップを図った。「その時からスケーティングが誰よりも上手だった」と小学校時代のクラブチームが同じFW平林慶太(スポ2=北海道・釧路江南)は当時の務台を振り返る。幼少期を北海道で過ごし、務台とともに副将としてチームをけん引したFW木綿宏太(スポ=北海道・駒大苫小牧)にも、務台の存在は届いていた。それは、木綿の周囲で「長野のキャプテン、白スケートウルトラマンメガネ」と、務台の珍しい白色のスケート靴とウルトラマンのような銀縁のスポーツメガネが話題になっていたためだ。

 中学校に上がるタイミングで、より充実した練習環境を求め、北海道・苫小牧に移住。スキルのある同期に囲まれ、レベルの違いを痛いほど感じ、さらに練習に打ち込むようになった。北海道への進学を後押ししてくれた家族に対しても、「結果を残して恩返しをしたい」と、中学生ながら自らの環境がいかに恵まれているかを自覚した。高校は全国屈指の強豪校である駒大苫小牧高に進学。厳しい練習と学業との両立に励み、学業では学年1位を何度も取った。そして、幼少期から憧れていた早大に進学し。1年時から1セット目でがむしゃらに走り、チームに貢献し続けた。ストイックな姿勢は尊敬を集め、4年時には主将に就くことになる。

パックを運ぶ務台。この日大学初ゴールを決めた(2019年4月27日、関東大学選手権、法大戦)

 務台はDFというポジション柄、得点で試合の雰囲気を手繰り寄せるような主将にはなりがたい。そんな務台だからこそ、「自分らしい主将像」を探すことにこだわってきた。主将になっても、それまでの自分と変わらないプレーや練習への姿勢を貫き、後輩に背中で語る。穏やかな性格で、後輩を気にかけ、信頼関係を築く。自分のいる環境にあぐらをかかず、常に周囲への感謝を忘れない。プレーヤーとしても、人としても、模範的な選手になることで、チームをひとつにまとめていく。実際、選手からは口々に務台への尊敬の言葉があふれ、その人望によって生み出されたチームの結束力は揺るぎないものだった。

円陣後にヘルメットをかぶる務台主将

 もう一つ、務台から繰り返し発されるのは「長野県への愛」だ。県を代表して出場した特別国民体育大会では、Aマークを着けて熱く戦い、県を背負うことへの並々ならぬ決意と当事者意識を感じさせた。「長野県のアイスホッケーに貢献したい」、そう話す務台は、大学卒業後、プロとしてプレーすることが決まっている。務台が活躍を見せることは、長野県でアイスホッケーをプレーする子どもたちにとっての希望となりうる。にこにことあどけなく笑う務台が氷上で熱く変身し、賢明にパックを追う姿は、誰かがアイスホッケーを始めるきっかけにもなるかもしれない。アジアリーガー・務台慎太郎はアイスホッケーを守り、盛り上げていくだろう。まるで、ウルトラマンのように。

拳を掲げる務台主将(2022年4月17日、関東大学選手権日大戦)

(記事 田島璃子、写真 田島璃子、宇根加菜葉氏、岡すなを、落合俊)