【特集】スケート部100周年記念特別対談 後編『結果を出して、資金を集めて』 土田英二(H.C.栃木日光アイスバックス)×春名真仁(日本アイスホッケー連盟ゴーリーコーチ)

アイスホッケー

 アイスホッケープロチームであるH.C.栃木日光アイスバックスの運営会社で取締役を努める土田英二氏(平8人卒)と、過去最高の世界5位を記録したアイスホッケー女子日本代表でゴーリーコーチを務める春名真仁氏(平8理卒)は、共に早大スケート部ホッケー部門でプレーした盟友だ。来春、スケート部ホッケー部門が100周年を迎えることを記念し、アイスホッケー界を率いるOBの対談を行った。仲の良い掛け合いから見える、アイスホッケーの展望とはーー。
 ※この取材は9月17日に行われました。

前編はこちら

★チーム経営について(土田氏)

――現在の具体的な仕事の内容は

土田 今は、チームの経営が中心となります。決裁権を持たせてもらっているので、ある程度判断をしながらやらせてもらっています。

――チームとして苦しい時期も長くあったと思いますが、一番苦しかったのはどの時期ですか

土田 楽な時はなくて。常に「乗り越えられるかな」っていう心配をしながら日々生活しています。

――西武のアイスホッケーチームがなくなったタイミングで、移籍してプロにならずに仕事を続けることもできたと思いますが、アイスバックスに入った理由は

土田 今の立場(経営)になるとは思っていなくて、ただアイスホッケーを続けたいって思いでした。その時に、日光からレンタル移籍の話をもらって、日光に行ったら、会社のチームとは違うクラブチームの面白さみたいなものをすごく感じました。最初の1年はレンタルだったのですが、自分でもなにかできることあるんじゃないかなと思って正式に移籍したんですよね。

春名 大学院で経営学勉強してたよね?

土田 あれは西武辞めた時。バックスに来る前に。スポーツ科学研究所っていう、間野先生(間野義之教授、スポーツ科学学術院教授)も所属されていた研究所です。間野先生に授業を聞かせてもらえる方法を聞いた時に、研究員になれば授業を受けていいと言ってくださって、そこで2週間に1回くらい混ぜてもらって。そこで間野先生をはじめ、今、静岡ブルーレヴズ(ラグビープロクラブ)の代表の山谷さん(山谷拓志)とかにも出会えて。人と会って人生変わっていったなと。春名がいなかったら、僕は日光に来なかったと思いますし。

春名 楽しそうに見えたみたいですね(笑)。

土田 うん、はい。日光に来たらまた違う出会いがあって。セルジオさん(セルジオ越後氏、現H.C.栃木日光アイスバックス シニアディレクター)とか。気が付いたらここにいるみたいな感じです。うちのチームは人のつながりで存続しているチームなので。ちょっと堅い話になりますが、スポーツって人をつなげる役割を果たすものだと思っています。スタンドで人が会う、そこで何かが生まれる。セルジオ越後とも、サッカーやりましょうって、その一言からのつながりで今はうちのチームの代表になっていますし。

――プロチームからみて、デュアルキャリアのチームはどのように映っていますか

土田 良いと思います。ただ都市部だからできる形態かなと。日光だとデュアルキャリアを受け入れる企業数が確保できないので。地域活動とか、人と人との活動をやってこそ応援されると思うので、そこは難しいんだろうなと思いますが。チームが増えるのは良いことなので。

――引退後の選手はどのような生活をしているのでしょうか

土田 市役所に入ったり、ご実家に戻ったり、あとは結構、栃木県に残る人が多いです。スポンサー企業さんに就職したり。結婚してそのままこっちにとか。

――他のチームに負けない魅力はどこにありますか

土田 ファンの熱量の多さは負けないと思います。そこは胸を張って言えるところかなと。

春名 チームのサポートも一番だし。

――地域の支えによって、廃部の危機を脱したのですよね

土田 そうですね。「廃部します」って言った時、いたんでしょ?

春名 いた。

土田 会議室でね。

春名 噂は流れてたよ。監督、キャプテンいきなり社長に呼ばれて。「これなんかあるな」って。

土田 「まさかうちが先か」って?

春名 当時、他のスポーツもそうですが、実業団チームはそういう(親会社の経営不振から廃部となる)流れがあったので。

土田 次の年もギリギリまで分からなかったですからね。

春名 古河ファンがしっかり根付いていたんですよね。

土田 廃部の時、4万人ぐらいの署名だったよね。

春名 その2年後に、もう一回「やっぱり無理」ってなった時は10万人ぐらい署名が集まって。その署名で行政が支援しますってなって、日光市とか栃木県が支援してくれて。

土田 なかなかうまくいかなかったけどね。

春名 そうだね。なんとか食いつないだっていう感じで。

土田 でもスクール活動だけは辞めなかったんですよね、ずっと。収入源の1つにもなっていたので。そうしたら(日光出身の選手が)成長してチームに入ってくるようになり。地域の人が何を喜ぶかを考えた時に、狭い街なので、ちっちゃいころから見ている選手が成長して、プロ選手になった、じゃあ見に行こう!っていうのが街の人の喜びなんですよね。

春名 地元の選手とかめちゃめちゃ人気ありますよね。

――街にもたくさんの横断幕やポスターが貼られていますね

土田 ありがたいですね。

――今、チームの経営をしていて一番「楽しい」と思う時はどのような時ですか

土田 報われる瞬間は、試合に勝つ瞬間もそうですけど、スポンサー企業さんやファンの方が「うちのチーム」って言ってくれる時がうれしいですね。自分ごととして、自分たちのチームだと思ってくれているっていうのはとてもうれしいです。

練習するチームを見つめる土田氏

★アイスホッケーの指導について(春名氏)

――日本のアイスホッケーの指導の現状をどう捉えていますか

春名 結構厳しい現状だと思います。女子は何とかランキングを保ってますけど、実際、男子も女子もホッケー人口がかなり減ってます。首都圏はそんなに変動がないのかもしれないですけど、以前ホッケー選手をたくさん送り込んでいた北海道のホッケー選手がすごく減ってるので。

――どのような理由があるのでしょうか

春名 もちろん少子化はあります。1つしかスポーツを選べない中で、野球・サッカーを選ぶ子が多くて。

土田 日ハム(野球チーム、北海道日本ハムファイターズ)が来たのも大きいよね。

春名 そうだね。

土田 駒大苫小牧が(甲子園で)優勝して。北海道で野球で成功できる、ってなっちゃったもんね。

春名 野球は(北海道で)プロを目指すというのが現実的じゃなかったところから、今はプロを目指せる。もちろん、そういう外的な要因だけではないと思います。僕たちが「普及活動をちゃんとやってるのか」、と言われたら、そこも足りないと思うので。いろいろな要因が重なって、マイナースポーツ全体に言えるかもしれませんが、結構厳しい。昔は黙ってでも、北海道の釧路、苫小牧からいい選手が排出されていたので。なので、海外に出て、海外に行けるのも首都圏の子が多いですが、逆輸入で戻ってきたり、代表で活躍する、そういう現状になっています。

土田 白井(白井孝明氏、平11人卒)っていう早稲田の後輩がスポーツマネジメントの仕事をしていて、海外に留学する日本人選手の支援をしているんです。大体白井ちゃんのところですね。

春名 今は強化には役立っているので。代表選手もU20の代表の3分の1ぐらいは外国でやっている選手です。

――今でも体育の授業でアイスホッケーはやっているんでしょうか

春名 暖冬でだんだん期間が短くなっていると聞いています。あとは、指導者不足。どこの部活動も問題になっていますが。親が指導者になることが多かったので、卒業するとコーチが入れ替わってしまう。全てではないですが、しっかりとした指導の環境が整っていないのかなと。 

――その中で、女子の日本代表がランキングを上げられているのは

春名 もちろん選手の努力はあると思います。ただ、男子と違うのは、男子ほど男子の強豪国の全てが女子に力を入れていないことです。今までは整ってなかったですが、女子のオリンピックが定着してくる中で、今は徐々に、元々アイスホッケーの強かった国が力を入れてきています。指導者もいるし、アイスホッケーの環境が整っているヨーロッパの国がどんどん強くなっています。チェコが急に強くなったんですが、チェコってジュニア世代まではすごく強くて。ただ、その先でやれる環境が無くて、女子選手は主婦になって、ホッケーを辞めるような環境だったのが変わってきて、アメリカの大学行って、卒業後にプロになったり。選手が続けられる環境が他の国で増えているので、徐々にヨーロッパの国のほうが近隣に対戦国があってたくさん試合ができます。男子同様厳しくなっていくことは予測されるので、それに負けないように強化を続けていこうと。さらに上を目指そうというふうになっています。

――指導をする際に、理工学部出身であることは生かされていますか

春名 あんまりない…。

土田 あるんじゃない?

春名 ゴールキーパーって、元々はシステマチックなプレーで。ある意味、FWとかは独創的なアイデアが必要なんですが、ゴールキーパーは意外とそうではなくて。状況を判断して、その時に合った正解を探していこう、というところで理系っぽいところはあるかもしれないです。

土田 でもキーパーってロジカルじゃん。確率論だよね?

春名 そうですね。本当に確率論で。

土田 このパックの位置だと、この位置でこのポーズを取ると止まるとか、そういう考え方でしょ?

春名 そういう考え方ですね。どんなパックに対してもいくつか守り方があるんです。100%の守りはないんです。優位性というか、自分の中で優先順位を作って、止めることが最優先だと思えば、こういう守りをしようとか。ただ、そうは言っても勘も必要ですし。運動能力も必要ですし。ただベースとなるところで、ロジックのシステムはキーパーが一番持っているかもしれないですね。ただ、コーチになると、今度は自分の頭の中にあるものを言葉にしなければいけないので、そこは難しいですね。文学部の方とか、喋りの立つ方のほうが向いていたりするのかも。後は特に、ジュニアとかも教えるので、その子たちの人格を見抜いたり、そういうところもケアしないといけないので、そこで学んだことは役立っていないです(笑)。人とのコミュニケーション能力は、そんなに得意な方ではないので、そこは苦労するところです。学びながらやっています。

インターネット配信の解説を務める春名氏

――アイスホッケーの人気を再加熱させるために意識していることはありますか

春名 英二はいっぱい持っているだろうから、僕から。僕はまずは今、自分がやっている仕事を通して、オリンピックでアベックで2つ出るというのがまずは目標です。札幌オリンピックの誘致の話もありますが、(主催国として)オートマチックに出るよりは、予選を勝ち抜いて男女ともに出るというのがアイスホッケーの起爆剤になると思うので、そこをまずは目指す。女子は今は出れているので、メダルを取るというところですね。それもインパクトがあることなので、選手のお手伝いをして一緒に強くしたいと思います。それと同時に、ジュニア、子どもたちの育成もすごく大事です。指導者が足りないので、指導者の育成も大事。同時に進行するのは難しいですが、いずれ僕もチームを降りることになると思いますし、もしかしたら5年以内にそういうことになるかもしれない。そうなったら、僕自身も子どもたちに教えたいですし、指導者を増やせたらなと思います。地道なことですが、僕がやっていることでホッケーの人気を高めようと思ったら、下からのサポートしかないのかなと。SNSをやらなくて、自分でファンを作れないので(笑)。

土田 僕は、今はこのクラブを安定経営させることしか考えていないですね。経営が安定し成功事例を作ることができたその先に、他のチームも方法が見えてくると思いますし、トップチームが安定したリーグをできると組織強化につながってくるかなとは思います。僕の立場でいうと、お金をどう集めて、どう強化につなげるかということなので、その点では、価値を自分たちで作っていって、その価値に対してお金を出してくれる人を集めて、循環させる、という仕組みを早く作り上げたいですね。まずはクラブの立場で、大きくしていきたいなと思います。

――地域性のあるアイスホッケーは、触れる機会のない人も多いと思います。そういった点での普及の難しさはありますか

土田 強化っていう意味でいうと2種類しかなくて。1つは競技者数を増やして、ピラミッドを作っていって、頂点のトップチーム(代表チーム)が強くなる。もう一つは少なくてもいいからスーパーエリートを作って、強くする。日本はもうピラミッドを作るのは難しい状況だと思うので、だったらちっちゃい頃から指導してスーパーエリートを作って、トップチームがランキングを上げていく。でもスーパーエリートを育てるには、資金が必要だと思うんです。他の国はバンバンお金を集めて強化に使っていて、そのスピードに差が出ていると思います。日本国内の他の競技も、補助金で強化をまかなうことでは世界と戦えないことに気付いています。そこに気付いた競技団体はそうして(お金を強化に使って)価値をあげていって、気付いていない競技は追いつけなくてどんどんマイナー化していく。そういう二極化が進んでいると感じています。そう考えると、どうやって価値を上げてお金を集めて、強化に投入して、さらに強いチームを作って、そういった良い循環をつくっていくことが必要かと。

――結果を出す必要がありますね

土田 そうですね。女子の代表はその循環が始まっているような気がして。でも男子はその循環が作り出せていないので。

春名 首都圏にリンクも少ないですし。人口でいうと、何十万人に1人くらい。

土田 日本アイスホッケー連盟の登録者が1万8000人くらいだったっけ。

春名 そうか。

土田 女子は1,200人とかだよね。

★現在の早大スケート部ホッケー部門について

――現役の早大の試合を見ることはどのくらいありますか

土田 僕はスカウト人材と一緒に見に行ったりします。GMとか、監督とかと。

春名 僕はコロナ禍になってからは行っていないです。ストリーミングで見られる時は見ています。コーチになってから何度か見に行っています。なかなか、今のメンバーを見る限り、厳しい状況ではありますよね。心配はしていますね。早実のアイスホッケー部も含めて。

土田 究極的なところを言うと、「学生スポーツ」は4年間の限られた時間の中で戦うことに残酷さも美しさもあると思っています。決して勝ち負けが全てじゃない。今の現役の選手には言えないですが、勝利は素晴らしいけれど、勝ち負けじゃないところに価値があると思っていて。早稲田の伝統と格式を継いでいってくれれば。もちろん選手や監督は勝ちたいでしょうけど。やっぱり、応援したいチーム、一生懸命やるチーム(が良いです)。みんな、一生懸命だったじゃないですか。

春名 一生懸命やって、なんとか食らいついていた感じですよね。

土田 勝とうと思えば、スカウトして、学費いりませんって言って、いい選手集めて、良いコーチ雇って練習すれば勝ちますよ。でもそんなことを求めている訳じゃないでしょ。

春名 みんながみんなプロになるわけじゃないし。4年間早稲田の体育会でやるということだけでも価値があると思うので。

土田 あと、アイスホッケーに貢献するのであれば、三田会(慶大OB)みたいな結束力が早稲田にはないじゃないですか。

春名 そこが早稲田らしさですけど。

土田 100周年を迎えるなら、なにかやらなきゃだめですよね。(僕たちが)なにかしないと。

――最後に、現在の早大スケート部ホッケー部門にメッセージを

土田 4年間は長いようであっという間なので、1日1日を大切に、積み重ねてほしいなって。卒業してもかけがえのないものが残ると思うので。それが優勝だったら最高ですが、勝たなくても残るものはあると思います。

春名 戦力が厳しいことは分かっていると思うので、努力や結束力で最後まで戦ってほしいです。あとは、僕たちもそうですが、4年間、アイスホッケーだけじゃなかったので。寮生活もそうですが、アイスホッケー以外のことも楽しんでほしいなと。

土田 世界を広げてほしいね。

春名 そうですね。当然他の部の友だちもいるだろうし、他校の友達とも、楽しみつつ、ホッケーを真剣にやるというのが早稲田かなと。僕は思っているので。学生自身が十分分かっていると思いますが、早稲田らしくやってほしいなと。

土田 死ぬほど練習して、知恵と工夫で勝ってほしいな。

春名 あの2人(堤監督・山崎浩市コーチ、平11社卒=北海道・釧路江南)はそういうところも経験しているので。

土田 良いスタッフがいますからね。

――ありがとうございました!

参考≫H.C.日光アイスバックス

(取材・写真・編集 田島璃子)

◆春名真仁(はるな・まさひと)(写真左)
 1996(平8)年理工学部卒。釧路湖陵高出身。早大スケート部ホッケー部門でプレーした後、古河電工アイスホッケー部に入団。チームの解体、プロチーム化により、HC日光アイスバックス(現H.C.栃木日光アイスバックス)に設立時より入団。海外挑戦の後もアイスバックスに復帰し、2006ー2007シーズンより王子製紙アイスホッケー部(現レッドイーグルス北海道)に移籍。2015ー2016シーズンには再びアイスバックスに移籍し、翌シーズンに引退を発表。現在は日本アイスホッケー連盟に所属し、ゴールキーパーの指導に尽力する。あだ名はハルピン

◆土田英二(つちだ・ひでじ)
 1996(平8)年人間科学部スポーツ学科卒。苫小牧東高出身。早大スケート部ホッケー部門でプレーした後、西武鉄道アイスホッケー部に入団。2003ー2004シーズンにHC日光アイスバックス(現H.C.栃木日光アイスバックス)に期限付き移籍をし、翌シーズンに残留。2008ー2009シーズンには主将を務める。2010-2011シーズンをもって引退し、以後はスタッフとしてチーム経営に関わる。現在は運営会社である株式会社栃木ユナイテッド取締役兼チームディレクター