【連載】新体制対談『エンジのヘルメット』 【第1回】ルーキー対談

アイスホッケー

 最初に登場するのは3人の新1年生だ。FW清水朝陽(社1=北海道・武修館)、GK飯見拓未(社1=東京・早実)、DF出路貴海(スポ1=東京・都立竹早)の3人は、これまでの経歴、入学形式、性格、ポジション、すべてが異なり、まさに三者三様。緊張した様子を見せながらも、寮生活や部員との関わり、今シーズン・4年間の意気込みを熱く語った。
 ※この取材は3月28日に行われました。

――入寮して3週間ほどが経ちました。朝3時起きはきついですか

飯見 はい(笑)。きついです。

出路 高校の時は7時とかだったので。

飯見 自分も朝練があっても6時とか、5時とかで。

――夜は眠れていますか

出路 (3人で)同じ部屋なので。

飯見 自分たちの部屋はゲーム部屋みたいになっていて。先輩たちがゲームしにきてずっと騒いでいるので、結局終わるまで寝れないっていう…。

――それはちょっと迷惑ですね(笑)

飯見 …(笑)。でも12時くらいまでなので。

――昼寝はしますか

飯見 しますね。でも今の時期だからできているので。授業が始まったら死んじゃうと思います。

――他の皆さんはいかがですか

出路 僕はゲームできないので。ずっと部屋にこもっていて。基本的に部屋のベットでゴロゴロしています。

飯見 ここ(清水)が一番多いです。ゲームしてるのは。

清水 …自分は、半分くらい…。全然やってないですよ。

飯見 緊張してるの?

――普段はもうちょっと喋られるんですか

飯見 全然喋りますよ! どうしたのどうしたの?

清水 …シャベルコト…ナイ。

一同 (笑)。

――はじめての寮生活の方は、実家は恋しいと感じますか

出路 家がある都心の方に遊びに行くと、「このまま家に帰りたいな」と思うことはあります。大きい声じゃ言えないですけど、周りを見渡すと(東伏見は)寂しいなって。

飯見 自分は高校生の時は一人暮らしをしていたので、慣れているというか。親元離れて4年目なので、そこに関しては苦じゃないかなと。

 

家族の影響で始めたアイスホッケー

――アイスホッケーを始めたきっかけは

清水 兄弟がいて。一番上の兄がやっているのを幼いころから見ていたので、幼稚園年中ぐらいで始めました。

――お兄さんを見て、かっこいいなと思われたということですか

清水 はい。

飯見 父がずっとホッケーをやっていて、地元(日光)のスポーツチームのコーチもやっていて。興味を持ちました。あと、地元はアイスホッケーが人気で、友だちも何人かやっていたので。

出路 僕も父と祖父がアイスホッケーをやっていて、ホッケー始める前に早慶戦とか見に連れて行ってくれて。早慶戦は盛り上がるしかっこいいなと思って、小1の時に始めました。

――高校までで印象的な試合はありますか

出路 マイナーな大会なんですが、小3の時のアクアカップっていう千葉の大会で。埼玉にあるウォリアーズっていうチームに、僕たちの代ならみんな知っている井口藍仁君(明大)がいて。そのチームと試合して、結局負けちゃったんですけど善戦して。その時が、自分も一番ホッケーを楽しんでいたような気がするので、印象に残っています。

飯見 自分は高校2年生の時の総体の1回戦。相手は水戸啓明高で。自分たち(早実)より経験者が3倍いるようなチーム。下馬評でも負けるだろうって言われてたんですけど、6-4でリードできて。自分も総体で初めて勝利にちゃんと貢献できたと思う試合がその試合だったので。印象的です。

清水 中2の時の全国大会で、決勝戦で3年生の先輩が、自分のパスからエンプティーゴールを決めてくれたところです。

――高校時代、先生に怒られることはありましたか

飯見 真面目に答えて大丈夫ですか(笑)。自分はキャプテンをやって、経験者が少なかったので、ホッケーに対する熱意も違って。去年はコロナの影響でリンクが1つ閉じていてほとんど氷上練習ができず陸上トレーニングばかりでした。モチベーションが下がってきた時に統率が取れなくて、一時期はやりたくない人は来なくていい、っていう方針にもしようと思って。でも監督とかと話して、未経験者にもインターハイの舞台に立ってほしいなと。結局みんなでインターハイの舞台に立てたので、思い出に残っています。

出路 クラブチームだったんですが、部活ほど私生活を見られるわけじゃなくて。いきってて、人と違うことをしたい時期で。髪を染めたり、ピアスを開けたり、チーム的に良くないことをしてて。監督とか先輩に「直してこい」って、1年に2〜3回くらい言われました。チームは髪染めだめだったんですけど、はっちゃけたかったので。

飯見 今もちょっと…?

出路 今は黒染めが落ちちゃっただけです(笑)。

清水 …自分は、優等生を極めてたので、怒られることはなく3年間過ごしました。

――ほめられたエピソードは

清水 仕事できるなーってよく言われます。

対談を聞く清水

――得意なプレーはなんですか

飯見 自信を持って言えるものはないんですけど、声は出せる方だと思っています。ベンチからでも氷上でも力になれるかなと。あとはキャッチング、シュートを左手でキャッチするのが気持ちよくて好き、得意なプレーです。

出路 2年の12月に骨折してから、勉強もあって15ヶ月くらいホッケーをやっていなかったので、あんまりホッケーのことを覚えてないっていうか…。ちゃんとやれてた頃は、FWが上がってきて、1対1をする時の距離感とか、スティックで叩くポークチェックでのカットは得意だなと思っていました。

清水 …自分の手の届く範囲ならパークをキープすることができます。

飯見 え、こんなに静かだった?

清水 ダイジョウブです。

 

早慶戦への憧れ

――早実を選んだ理由は

飯見 早稲田大学に行きたいっていうのもありますし、勉強ができてアイスホッケーができる環境。早慶戦も魅力の1つで。お父さんが連れて行ってくれたりもしましたし。もともと憧れもあったので、早稲田に入ってみたいなと。

――早大を選んだ理由は

出路 早慶戦を小さい頃から見てきて。一般で、早慶を目指す友だちが多かったので、勉強は当たり前にするものでした。国立ではなく私立の文系なら早慶に受かろうと思っていて。早稲田にありがたいことに入ることができたので、そのままホッケーも頑張ろうかなと思って入部しました。

――お父さまが慶大の卒業生かと思いますが、こだわりはなかったんですか

出路 なんで知ってるんですか(笑)。

飯見 なんでも知ってるんだよ(笑)。

出路 父も祖父も慶応で。慶応も受験では受けました。合格発表で落ちた日は1日中泣いたんですけど、時間が経ってみると、このエンジのユニホームを着られることは誇りだなと。伝統ある部活ですし、父も祖父も、家族も「(早大のユニホームを着られることを)いいね、羨ましいよ」って祝福してくれたので。自分も慣れないところもありますが、応援してくれているし、誇りは持っているので(笑)。今は、慶応が良かったとかはないので、全力を出し切るだけかなと。

清水 (早大に入るために)高校受験で早実入ろうかなとか、苫小牧東とかに入ろうか迷ったんですけど、ホッケーを真剣にやりたいと思って、武修館に進みました。武修館からも澤出さん(澤出仁氏、令3卒)とか、千葉さん(GK千葉琉矢、スポ3=北海道・武修館)がいて、早稲田に行くっていう思いは変わらず高校3年間取り組んで、合格できたっていう感じです。

――早大の進学に、千葉選手の影響は

清水 ないです!

一同 (笑)。

――入部して、イメージとのギャップはありましたか

飯見 体育会なので、上下関係厳しいのかなとか、寮生活なので先輩に気を遣いながら生活するのを想像していたんですけど、すごくフレンドリーというか、メリハリがありながらも1年生が楽に生活できているので。練習している時は真剣な先輩を見て尊敬していますが、ギャップを感じました。

――早実の先輩もいますが、高校とは雰囲気は違うんですか

飯見 変わってないかな(笑)。自分が重なったのは2人しかいないので。もっと厳しい人が(他に)たくさんいるのかなと思っていたんですけど、優しくしてくれます。

出路 僕は、早慶戦とか、大学リーグとか早稲田のアイスホッケー部のキラキラしたところしか見ていなかったので、その裏の3時起きの生活とか、高校もクラブチームで上下関係とかは意識しないでのびのびやってきた人生だったので。先輩方もフレンドリーで優しいし、ガッチリはしていないんですけど。自分の行動一つで早稲田の名前を汚したりすることもあります。入ってみて、裏で努力しているから、見てきた「早稲田」があるんだなと感じました。

清水 …自分は特にギャップはないです。

出路 どうした??

質問に答える出路

 

選手を大切にする監督

――内藤正樹監督(平3二文卒=北海道・釧路湖陵)はどのような印象でしたか

飯見 入学前に練習に乗せてもらった時に、(内藤監督は)ゴールキーパーをやられていた方だったので、指導していただく場面が多くて。試合のことを常に意識して、考えてくれている人なので。早稲田に対する思いが伝わってきましたし、この人のもとで4年間やったら成長できるんじゃないかなっていうのは素直に感じました。

出路 最初合格したときもアイスホッケー部に入るかは迷ったんです。面接を内藤監督とした時に、髪の毛が金髪で、それで行かざるを得なくて金髪で行ったんです。その時も、「僕も一般で入ったから、受験が終わってはっちゃけたくなる気持ちは分かるよ」って言ってくださって。練習中にも厳しいときには厳しいですが、選手のことをたくさん考えてくださっていて、寄り添ってくれる監督だなと思っています。

清水 背背中をちょっと痛めていた時に、「長期的に見てホッケーを続けていく時に、大会に出られなくなるかもしれないけど、病院に行ったほうがいいんじゃない」とか、目の前の試合だけじゃなくて、自分自身のホッケーキャリアについて真剣に考えてくださって。アドバイスしてくれたりして、すごい1人1人を大切にしてくれて、良い監督さんだなあと思いました。

――入学前、お互いに面識はありましたか

清水 なかったです。

飯見 …え?

清水 え?

飯見 あったでしょ? 何言ってるの? 昔地元が一緒で。小学5年生までは同じ地域でやってきたので。面識あると思ってました。一方的だったの?

清水 昔過ぎて。

飯見 普通に喋れる程度には(面識がありました)。

出路 拓海(飯見)は東京都でやっていたので、喋ったことはなかったですが、Instagramとかはフォローしていたので、顔と名前は一致していました。

飯見 ここ(出路と清水)はないよね?

出路 (うなずく)

――仲良くなれましたか

出路 はい。バッチリです。

――入学前から知っていた先輩は誰がいますか

飯見 早実なので、幹汰さん(FW林幹汰、文2=東京・早実)、風汰さん(FW林風汰、教4=東京・早実)、和さん(DF金井和、文構4=東京・早実)、あと剛さん(DF松下剛、商3=東京・早実)とかは。あとはキーパーの千葉さんです。

出路 小学校のチームが琉矢さん(千葉琉矢)と一緒だったので。琉矢さんだけかな。幹汰さんは、(林幹が)新横浜にいた時に点を取られた記憶があるので、一方的に知っていました。

清水 自分は千葉さんと、駒沢(駒大苫小牧)の人たちと白樺の人達は知っていました。あとは林兄弟は家族ぐるみで知っていたので。

――棚橋選手(DF棚橋俊太、スポ2=愛知・東海)はいかがですか

清水 弟が(高校の)後輩なので、はい。

 

優しい先輩たち

――一人、仲がいい先輩を選ぶとしたら

飯見 自分はやっぱり、ポジションが被っているので琉矢さん。かわいがってもらっているっていうか。私生活ではムードメーカーっていうんですか?で、楽しく話してもらっています。練習の時は真面目に質問とかも何でも聞いてくれて、教えてくれる先輩。一番関わりがあるかなと。

出路 幹汰さんは、僕のことを全然知らなかったと思うんですけど、話しかけてくれるので。幹汰さんや琉矢さん、ムードメーカー的な人は話しかけてくれるのでありがたいです。

清水 千葉さんか幹汰さんです。基本的にあの二人と一緒にいるので。どっちかです。

インターミッション中に話す飯見(左)と千葉

――正直怖いなと思っている先輩は

出路 基本的に4年生は…。

飯見 たしかに。3つ離れてるので。あんまり話してないです。全員優しいのは知ってるし、話しかけたら答えてくれるんですけど。

出路 自分なんかが話しかけていいのかなって(笑)。

飯見 務台さん(DF務台慎太郎、スポ4=北海道・駒大苫小牧)、木綿さん(FW木綿宏太、スポ4=北海道・駒大苫小牧)は打ち解けてないです。あとは鎌田さん(FW鎌田悠希、スポ3=北海道・駒大苫小牧)とか。威厳があって。(清水に向かって)怖い人は?

清水 …棚橋俊太。

飯見 絶対ウソだろ(笑)。一番仲いいですよ(笑)。

――嘘だということですが、一応、理由はなんですか

清水 理由はホッケーのゲームが上手なので。勝てないです。

――仲良くなりたい先輩は

飯見 高1の時、早実で早慶戦を見ていて、初めてちゃんと大学戦を見た時、大学1年生の務台さんや木綿さんが印象に残っていて。特に務台さんです。大学1年生なのにすごく活躍していて、一緒にやってみたいなってずっと思っていて。まだあんまり話したことはないですが、(自分は)キーパーで、(務台さん)はDFで、(役割が)かぶる所も多いので、仲良く話せたらなとは思います。

出路 2年生の先輩は近い感じで接してくれていて、喋れるようになってきたんですけど、3、4年生はしゃべれないので。務台さんとかDFでポジション被っているし、練習見ていてうまいなって思うので。アドバイスとか頂けたらなと思うんですけど、なかなか話しかけられないので、頑張って話しかけようかなと思います。

清水 鎌田さんです。シュート上手なので教えてほしいです。

飯見 (鎌田は)体格がムキムキじゃないですか。勝手に怖いイメージで。本当は優しい方なんですよね。まだ時間はかかるかなと。4年生と一緒にいることも多いので。

笑顔で語る飯見

 

大会でタイトルを

――4年間の目標を教えてください

飯見 1回は日本学生氷上競技選手権(インカレ)や関東大学リーグ戦(秋リーグ)で優勝するっていうのが、4年間の目標です。

出路  今は全然足が動いていなくて、ついていくのが精一杯で。今年1年は練習にとにかく食らいついていって、4年には自分が引っ張ってインカレとか関東大学選手権(春大会)とか、タイトル1つ優勝できるようになるのが目標です。

清水 4年間を通して、「早稲田といったらこいつだ」という選手に。まず1年目から試合に出て、大事なところで決めるような選手だったり、体を張って守るところだったり。スペシャルプレーとかで出られるように日々の練習からがんばります。

――まもなく関東大学選手権が始まります。今年の目標を教えてください

飯見 去年、ほとんど練習できていなかったので。今はついていくのが精一杯ですし、役に立ててなくて足を引っ張っている部分もあると思うんですが、1年間で通用するレベルというか、先輩方を手助けできるような実力がつくまで経験を積んでいきたいなと。あとは、試合に出てなくても、声をどんどん出して少しでも勝利に貢献できるようにしたいです。

出路 春大会は出場機会はあんまりないと思うんですけど、ベンチからでも声出したり、出られる時は全力で。あんまり役に立てることは無いと思うんですが、自分にできることを全力でやろうかなと思っています。

清水 今年の目標は試合に出ることです。

目標を掲げる三選手

(取材・写真 田島璃子、及川知世)

◆清水朝陽(しみず・あさひ)(写真左)
 2003(平15)年6月22日生まれ。170センチ。北海道・武修館高出身。社会科学部1年。上級生の対談でよく名前が上がった清水選手。対談中は非常に静かでしたが、普段はそんなことはないとのこと。猫をかぶっていらっしゃるようでした。今後の対談に注目です!

◆飯見拓未(いいみ・たくみ)(写真中央)
 2004(平16)年1月21日生まれ。165センチ。東京・早実高出身。社会科学部1年。対談前に出路選手に髪の毛をセットしてもらったという飯見選手。対談もリードしてくださり、しっかりした部分が見られましたが、うっかり杉林マネジャーにタメ口を使ってしまい、大変焦っていらっしゃいました!

◆出路貴海(でみち・たくみ)
 2003(平15)年11月24日生まれ。172センチ。東京・都立竹早高出身。スポーツ科学部1年。出路選手と飯見選手は名前の音が同じ「たくみ」。普段は名字で呼ばれることが多い出路選手は、「仲見さん(FW仲見颯太、スポ2=北海道・苫小牧東)に『たくみ』って呼ばれて、自分だと分からなかった」とおっしゃっていました!