【連載】『令和3年度卒業記念特集』番外編 第2回 DF住友愛斗×DF大塚脩世

アイスホッケー

 第2回には、副将として、またDFとしてチームの要となったDF住友愛斗(教4=東京・早実)とDF大塚脩世(スポ4=長野・佐久長聖)が登場。アイスホッケーを始めた理由や背番号への意味、弟への愛などを伺った。同席した杉林歩紀マネジャー(国教2=埼玉・早大本庄)も輪に加わり、和やかにホッケー人生を振り返る。
※この取材は2月12日に行われたものです。

――最近はどのような生活を送っていますか

大塚 大学院に行こうと思ってて、イギリスの大学院って条件付き合格みたいながあって、それを頂けたので、あとはIELTSのスコアを取るっていうだけなんですけど。そのために英語を勉強しています。本当にずっと寮にいます。しょうがないです。

住友 自分は寝てるか、お酒飲んでるかです。(記事じゃ)言えないよね。ウエイトとしてますっていうことにしよっか。

大塚 そんなわけない。

住友 なんでー、お前。そう、寝てるかウエイトしてるかです。「後輩たち見習え」、って言っといてください。

――県代表として出場された国民体育大会(国体)はいかがでしたか

大塚 国体は自分ら(長野県)は2試合しかしてないんですけど。ちなみに1試合目は、自分はPCRの検査の結果が届かなくて、(試合に)出てないんです。その日の試合は朝一だったので、みんな5時に起きて。自分も検査結果来てないのに5時に起きて、飯食わされて、ホテルで待ってろって感じだったので、ずっと寝ていました。次の日、試合をやったんですけど、当然のごとく足は動かず、1シフト目で失点をし。そのあと、第1ピリオド(P)は1-1だったんですけど、2Pからポンポン取られ、蓋を開けてみれば、5ー2。

住友 結構いい試合したじゃん。

大塚 (相手が)青森だったんですけど、去年も試合をやってて14ー2だったので。良いとは言えないですけど、まだマシだったのかなとも思います。

住友 楽しかったかなっていう。千葉代表で出てて、結構早稲田のOBもいるし。あと東京と試合やったり、神奈川と試合やったり。同じ早稲田、普段一同じ釜の飯食ってるやつが敵にいて試合をやるっていうのは国体でしか味わえないので、楽しいなって思いました。それで結果、青森が途中で辞退したから、

大塚 まじ運良いよね! なんなのー。

住友 ね。シードで、福井引いたし。東京にはボコボコにされたけど、なんとか7位になって、面白かったなって。

これまでのホッケー人生を振り返る

――アイスホッケーを始めた理由はなんですか

大塚 小4の終わりに始めたんですけど。軽井沢に引っ越してきて、そこで弟(FW大塚鵬蓉、スポ2=埼玉栄)が誘われて。それで自分も一緒に見学に行って、2人で始めたっていう感じです。

住友 鵬蓉(大塚)が誘われたの?

大塚 そうそう、それで2人で始めて。始めるのが遅かったので、学校終わったら、本当に毎日一般滑走に行ってたかな。一般滑走に行くか、家で勉強させられてるか。

住友 大1の頃も一般滑走行ってたもんな。

大塚 あほだわ本当に、今考えると。

住友 自分は母が学生時代カナダに留学してて、そこでNHLをよく見てたみたいで。千葉に住んでたんですけど、たまたま車で10分ぐらいのところにリンクがあって。やっぱりリンクが近いから、ホッケーのジュニアチームの広告っていうのもいろいろ出てて、たまたまそれを母が見つけて、ホッケーできるんだってなって。自分が体験に連れてかれて。それで面白くて、そこからですね。

質問に答える住友

――中高でのアイスホッケーを教えてください

大塚 小4から始めて、中学は軽井沢でアイスホッケー部がある中学が1個しか無いので、そこ(軽井沢中)で部活を3年間やって。その時は高校は、正直部活やりたかったってのがあるんですけど、家の教育方針というか、一応勉強しろみたいな感じで。でも、苫小牧東(北海道)とか、釧路江南(北海道)とか、そこそこ頭いいところとかあったんですけど。しかも苫小牧東とか、推薦で早稲田に来れたり。そういうパイプがあるっていうのを、家自体がまず知らなかったので。「そんなとこ行ってたら良い大学行けない」みたいな感じで。普通の地元の公立校行きたかったんですけど、落ちて、自称進学校みたいなとこ行って。そこでホッケーやるってなったときに、小学校の時に習ってたコーチがやっているクラブチーム(AC長野パルセイロ)が長野市にあって。その人の息子が、運上雄基っていう慶應の選手です。そこで高2までやってて、高3は受験勉強ということで、1年間全く運動もホッケーもせず。受験してみたら、どこも受からず。どこも受からずっていうか…

住友 (口パクで)長いね。

大塚 なに?

住友 良いよ、続けて。

大塚 長いって? 長いですか?

――大丈夫です。

住友 大丈夫ですって。

大塚 それで、次の年もう一回受けて、結局通ったのがスポ科だけだったので、スポ科に入って。2年間全く運動してなかったんですけど、ホッケーやりたかったので、ホッケー部入りました。

住友 急に(笑)。

 自分は小2からホッケーを始めて、そのとき千葉に住んでて、小学校5年生まで千葉でホッケーをやってました。その後に、家は引っ越してないんですけど、チームを変えて1回東京(西武ホワイトベアーズジュニアアイスホッケークラブ)に移籍して。それで東京で半年くらいやって、小学校6年生で1回苫小牧に引っ越して、そこで中学校2年生まで北海道の部活、中学校(苫小牧東中)でやってましたね。家が引っ越すとか、受験のこともあったので、中2の途中で東京にまた帰ってきて、小学校6年生の時にいた西武(西武ホワイトベアーズジュニアアイスホッケークラブ)に戻ってホッケーをやってました。一個上で、よっちさん(草島芳彦氏、令3教卒)が西武の1個上で早実に受かったってなって、ちょっと自分も興味湧いて、それで早実受けて。だから瑞基(FW北村瑞基、商4=東京・早実)とは中2からずっと一緒にやってます。それで早実入って、という感じですかね。(長さ、)こんな感じだよね(笑)。

大塚 (自分が)長すぎたわ。

――実際に早大のアイスホッケー部に入部してみて、環境はいかがでしたか

住友 俺らの代で、小堀さん(小堀恭之コーチ、平4人卒=北海道・駒大苫小牧)山崎さん(山崎浩市コーチ、平11社卒=北海道・釧路江南)が入ってくれてさ、指導面は一気に環境変わったじゃん。早実は夏に、大学の練習に体験で乗せてくれるんですけど、それに行った時に、内藤さん(内藤正樹監督、平3二文卒=北海道・釧路湖陵)とあと、前監督の工藤さん(工藤哲也監督、昭63社卒=青森・八戸)、その2人がいろいろ指導やっていて。「大学のホッケー、早稲田ってこういう感じなんだ」って。だけどいざ入ってみたら、指導者が変わって、一気に指導の質とかも、向上したので。いろいろ教えてもらうところとか、本当に今まで知らなかったことが多かったです。(寮から)リンクも近いですし、早実は2週間に1回ぐらい、1時間の練習しか無いので、半年で3年間分の練習したみたいな感じで。もっと早くこういういい環境でホッケー上手くなりたかったなあって。

大塚 自分が2年間やってなかったっていうのもあるんですけど、それ以上に周りの人がみんなうまくて。最初はまず氷ちゃんと滑れるのか、で。自分のレベルを上げるのでいっぱいいっぱいというか、レベルが違ったので、他に気を持って行くのがあんまりできなかったです。練習環境自体も、週4、週5で氷上乗って、しかもそのあと陸トレで、そんなハードにやったことがなかったので。自分にとって1年目は特に、インターバルとかも多かったですし、陸トレが本当にきつかったので、大変な1年目でした。

――背番号に意味はありますか

住友 ホッケー始めたときに10番をつけたんですけど、小学校2年生で別に希望の数字とかも無いみたいな感じで、母親が誕生月でいいじゃんみたいな。弟も一緒にホッケーをはじめて、弟は3月生まれなので、3番をつけたんですね。だけど自分1月生まれの1番が当時空いてなくって、それで母親が10月生まれなので、10でいいんじゃないみたいな。「うん、わかったぁ!」って、小さい頃の愛斗が言って。それで10番をつけて。だけどだんだん自分が大きくなってって、サッカーでいったらエースナンバーとか、バランスもいいし、10って普通に良い番号っていうのをのちのち知ってきたので、10を着けられるなら、そっからずっと10を着けようって言う感じで、高校からは7年間ずっと10。

大塚 まじ。あんま空いてないもんね、10。

住友 空いてない。空いてない。ちょうど、高校の大学も入れ替わりなんじゃないかな。確か田村心さん(田村心氏、平30教卒=埼玉・早大本庄)でしょ。10番、それで入れ替わりで空いて。そんな感じ。だから中学校の西武の時は24番。24日生まれなので。

大塚 自分は、大学入る前に今までつけてきたことがあったのが、13、18、10かな。大学入るときにどれも空いてないってなって。

住友 そっか(入部するのが)最後だったから、もう俺らもすごく決まった後か。

大塚 残ってんのが、言っちゃあれだけどあんまいい番号がなかったんですよね。その中で良さそうなのが、7で。前のキャプテン(新井遥平氏、平30スポ卒)が7で。いいのか悪いのかちょっとあれだったんすけど。しかものちのち、小堀さんが7だったっていうのを聞いて、着けちゃったからしょうがないかって思って、7やってましたね。

――副将になって意識していたことはありますか

住友 結構華唯(FW杉本華唯主将、スポ4=北海道・駒大苫小牧)に頼ってたからね。プレーに関してもホッケーに関しても。

――では、副将になったときはどう思われましたか

住友 選択肢がなかったから(笑)。でも下につけないで(副将を3、4年生で分けずに、全て4年生に)任せてくれるんだっていうのは、まずちょっと良かったなと。良かったっていうか、上の代のスタッフにも、ちょっと期待されてるんだろうなというか、応えなきゃなみたいな感じの気持ちはありました。結構華唯に頼っちゃったから、あんまり副将らしいことはしてないけど、最上級生として、とりあえず、後輩の手本になる、体張ったプレーで、チームを盛り上げたいと。上がそういうのをやってる姿を見て下が感じ取ってくれるところっていうのがあったと思うので、そういうところは副将っていうか、最上級生として意識してやってたことですね。

大塚 そうですね。本当に華唯に頼っている部分が多くて。一応最上学年だし、マークもつけてるしってことで。下にやらせるとか、いろいろ発言をしなきゃいけないなっていうことは分かってはいたんですけれど。自分自身そこまでちゃんとできていたわけじゃなくて、自分のできてないことを人に言うのが好きじゃなかったので、あんまり言うことができなかったっていうのは正直ありますね。山崎さんとか内藤さんとかに、もっと言えみたいな感じで言われていました。でも、自分のプレーを変えること、自分の4年としてというか最上級生として、その振る舞いをしっかりすることっていうのに意識を向けるのでいっぱいいっぱいで。正直下の学年の人たちに、何か教えてやれたとか、そういうことはあまりなかったんじゃないかなとは自分の中で思ってます。

――一番印象に残っている試合はどの試合ですか

住友 1年目の関東大学リーグ戦(秋リーグ)かな。そんなに試合には出てないんですけど、全試合、自分はベンチには入れてもらってて間近で見てたので。それまで、優勝したことも、優勝争いとかもしたことなかったので、貴重な経験を1年目でさせてもらえたなと、先輩たちには思っています。優勝していたら絶対その時も嬉しいけど、自分が出てないから、きっとあのときは心の底から喜べないというか。だから自分も出て、本当に優勝して心から、喜びたいなっていう気持ちがあって。いろんな思い、うれしさもあるし悔しくもあるし。1年目の秋リーグ、出てないけど、印象には残ってるかなと。

大塚 もちろん、1年生の時とかもそうですし、今年の秋リーグの、明治戦、印象は強いんですけど。超個人的なことっていうと、2年の時の夏大(大学交流苫小牧大会)の法政戦は一番記憶に残っています。合宿に入ってその後夏大みたいな感じで。合宿から、基本的には4つ目(4セット目)とかでずっと出てたので。それで法政戦の前、日大の試合でちょろっと出て。それで、次の試合も、なんか出れて。試しじゃないですけどパワープレーでなんか使ってもらえて。それでたまたま1点入れて、それでなんか結局同点になって、そこからPS(ペナルティ・ショット)に、ありがたく出させてもらって、得点決めることができて。自分の中でPSをちゃんと試合で打ったのははじめてで。そういうのもあって、その中では、結局負けちゃいましたけど、印象には残っています。

――机上の写真から、お気に入りを選んでください

写真を選ぶ住友(写真左)と大塚

住友 これ! 監督の笑顔が素敵だから。

一同 (笑)。

カメラに微笑む内藤監督

住友 自分の写真にするか。(他の人の写真にすると)めっちゃ熱いやつみたいになっちゃう。

大塚 これかな。(写真は下記参照)

一同 あー。

大塚 ああーなってなるじゃん(笑)。

失点後、GK村上隼斗(スポ4=北海道・駒大苫小牧)に声を掛ける住友(秋リーグ明大戦)

住友 この写真は失点の後だよね。どの競技でもだけど、キーパーが一番失点に近くて得点に遠いポジション。むっち(村上隼斗)は小学校の時から知ってるし。ディフェンスの気持ち的にも、失点したらだいたいディフェンスかキーパーのせいにされるので、お互い失点を背負うポジションとして、悔しいけど頑張ろうみたいな。ドンマイドンマイみたいな感じで声をかけているときだけど、そういうさりげないワンシーンをこういうふうに撮ってくれるとすごくありがたいし。失点を背負う者同士、その瞬間を撮ってくれると嬉しいなというか。同期だし。あ、これもめっちゃ好きです。

早慶戦終了後写真に納まる4年生

大塚 取ってつけたような(笑)。自分はそうですね、弟なんですけど。

大塚脩世(兄、写真左)と大塚鵬蓉(弟)

大塚 生まれてこの方ずっと、基本的には一緒にいます。運良く、弟と2年間のチームで。今まで基本的に入れ替わりだったので、初めて大学入って同じチームでホッケーをするってことで、しかも最後の4年目は、基本的に同じセットで組ませてもらえたので。1人のチームメイトとして、頑張ってほしいという気持ちはありますけど、兄弟だからこそ、思い入れは多少なりともあります。

――ホッケー人生で、一番影響を与えてくれた人は誰ですか

住友 やっぱりハッピーセット。(澤出仁氏、篠田純希氏、生江太樹選手=現東北フリーブレイズ、全選手令3スポ卒)あとは、レッドイーグルス北海道でプレーしてる今勇輔さん。彼は自分の1個上で、中学が一緒だったんです。同じディフェンスで、もう当時からうまかったので。あの人は自分も結構お手本にしているというか、一つの憧れにしてました。ハッピーセット。あの3人はすごく面倒見もいいし、3年間すごくお世話になりました。ふざけてるだけじゃなくてホッケーも本当にみんな上手い。ディフェンスで、純希さん(篠田)にはいろいろアドバイスをもらいました。尊敬してます。それで仁さん(澤出)も、FWだけど、ホッケーIQがすごく高くて。FWはこういうのが嫌だからディフェンスはこうした方がいいよとか、愛斗はこうだから、もっとこうしたらいいよとかすごい言ってくれたので。自分のホッケーIQもそうだし技術も高めてくれた人です。太樹さん(生江)も同じように、あんまり言葉数が多い人じゃないですけど、欲しいときに点数とってくれるし。いろいろシュートの打ち方とかも教えてもらったりとか。3人には、お世話になったなと。あと個人的にはよっちさん(草島芳彦)がいなかったら、多分早稲田入ってないので。これ言うとね、よっちさん、「オマエいいやつだな」って(笑)。彼との出会い、中2、西武で一緒になって、彼が早実入ったっていうのは、人生のキーパーソンって言ってもいいぐらい、結構重要な出会いだったな。

大塚 カナダ行かないとじゃん。

住友 それは行かない。挙げるなら、そこの4人。1個上はすごくお世話になりましたね。

大塚 すごいなというか、なれたらかっこいいなと思ったのは、ロイさん(鈴木ロイ、平31スポ卒=現横浜GRITS)ですかね。人にはちゃんと言うし、人に言う以上に自分でやるし。ふざけてるときはふざけてますけど、何から何までストイックにやってて。今は横浜GRITSでやってますけど、ちゃんと自分で勉強して資格取ってみたいな、そういうところも本当にすごく尊敬できます。ホッケーだけじゃなくて、人としてとか、気持ちの面でも、後輩に対する接し方とか、上に立つふるまい方とか。そういうところ、本当にしっかりしていると思ったので、ああいう人になれなれたらいいなと思いますけど、難しいです。

住友 本当に理想のキャプテンですね。

大塚 見たことなかったのでああいう人。

住友 たまにバグるけどね。

大塚 そういうところがあるんだよね。

――では、早大の監督とコーチはどんな方でしたか

大塚 内藤さんはやばいよね。

住友 加賀美さん(加賀美俊介氏、令2スポ卒)がハンドリングやってるときに「オマエ野菜切ってるみたいだな」って。

一同 (笑)。

住友 大学に入る前、小堀さんと山崎さんのこと知ってた?

大塚 知らん。

住友 そうだよね。流石に世代も違うから知らなかったですけど、この2人がコーチになってから国体とか行くと、おじさんたちが、「あの2人はどんなことを教えてくれるの?」ていうのをめっちゃ聞かれて。特に小堀さんはどこへ行ってもレジェンドみたいなふうに話を聞くので、その2人に教えてもらえたってことはすごくうれしいし、ホッケーでもいろいろ学んだので。

大塚 ちょっとレベルの違うことを教えてくれます。

住友 うますぎるから。自分たちなりに噛み砕いたりとか、こうしたらいいのかなっていう感じで頑張っていました。

大塚 でもどっちもホッケーは好きだな。山崎さんって常にホッケーのことを考えてんじゃない。

住友 練習メニューもね。他には…

――杉林マネジャーはいかがですか

杉林 監督、コーチだから、選手と距離を置くっていう方たちじゃない。親身に近寄ってくださる2人だと思う。距離を縮めてきてくださる。

住友 すごい、用意してきた?

一同 (笑)。

住友 じゃあ、それで!

住友 内藤監督はインカレ優勝キーパーです。会計、金勘定とかは結構やってくれるから、主務が学校に提出するだけみたいな感じ。他大とか他の部活は全部自分たちで計算してて。主務からしたらすごく助かります。

大塚 いい人です。

――今後の予定を教えてください

大塚 今後の予定は、とりあえず、何月だろうな、あと3か月以内ぐらいには、IELTSの7.0を取らないと大学院に行けないので。それを取って、イギリスの大学に行けたらなとは考えてますけど、結構大変。基本的にそれまでずっと勉強なので、たぶん八王子のおばあちゃんちで暮らすことになると思います。

一同 (笑)。

大塚 ああ、個人情報すぎるって?

住友 誰も行かないから。

大塚 八王子の〇〇です。ホッケーをやる予定は今のところは無いですね。どっかでやろうというか、今の段階でやってる余裕も無いので。就職したら、また、いろいろ変わってくるとは思うんですけど、今の段階では。

住友 とりあえず1年半ぐらい?

大塚 うん。

住友 自分は、来週同期と、

――ちょっと細かいですね(笑)

住友 早めにツッコんでくれてよかった(笑)。今の段階では、来年4月から働くんですけど、全国転勤あって、47分の1なので、どこに行くかわかんなくて。配属先の発表は多分3月の頭。まだ分かんない状況です。4月からは地方で。だからホッケーも、行ったところにまずやれる環境があるかどうかっていうところが分かんないので。環境があっても、仕事が忙しかったらあんまりやる余裕は無いしっていう感じなので。全てが揃ったら、やるかもしれないですけど。

アイスホッケーとは、

「一つの道しるべ」(大塚)

「これまでの原動力」(住友)

――お二人にとって、アイスホッケーとはなんですか

住友 急にプロフェッショナルみたいな(笑)。

大塚 アイスホッケーは

住友 人生です?

大塚 言わん言わん。やめるんだから。

住友 僕の全てです?

大塚 一つの目標を与えてくれたものというか。大学受験するときにホッケーやってなかったら、適当に大学に行ってたと思いますけど、アイスホッケーがあったおかげで、大学でやりたいという一つの目標にもなりました。そのおかげで浪人期間も頑張ることができました。このスポーツのおかげで、この舞台に立てたという。一つ、大きく感謝しているものではありますね。

住友 つまり、アイスホッケーとは?

大塚 一つの道しるべ。

住友 かっこいい…。

一同 (笑)。

住友 スポーツ全体的に言えることかもしれないですけど、アイスホッケーやっていたおかげで、出会えた仲間とか、この自分の進路が決まっていったっていう感じなので、いろいろ刺激も受けましたし、アイスホッケーを通じて出会った人たちとか、それやってたおかげで、自分のね、これまでの人間が形成されたので、これまでの僕の全てです。

一同 おぉ。

大塚 わあーっ! とはならないだろ。

住友 やめて、茶々入れるか笑うか。でも本当にホッケーがあったおかげで今の自分があるので、感謝してます。うーん、一言で何か言ってほしいんでしょ?

――はい(笑)

住友 難しいなー早スポ。(杉林マネジャー、)出てくる?

杉林 これまでの自分の原動力とか。主軸っていうか。

住友 まあでも、そうだな…。

杉林 「まあでも、そうだな」で終わらせないでください(笑)。

大塚 違ったんかってなるじゃん。

住友 良いこと言うなーって。

大塚 ピンときておりません。アイスホッケーとは?

住友 これまでの原動力です。BY杉林歩紀で(笑)。

――最後に、お互いに向けて一言お願いします

住友 達者でな。

大塚 (住友とは)同じディフェンスとして、この4年間一緒にやってきました。

一同 おぉ。

大塚 まだ内容言ってないんだけど(笑)。1年目の時とかも、陸トレも2人で後ろずっと走ってましたけど、その頃から一緒に頑張ってきたという自覚があったので。今後、ホッケーから離れるかどうか分かんないですけど、仕事でも成果を出せるように、頑張ってください。

住友 脩世に言うこと、無いわ(笑)。

大塚 (笑)。

住友 留学頑張ってな。

大塚 あー、頑張ります。

住友 日本に帰ってきたら、会おう。

大塚 帰ってくるんだけどな。

住友 良いよもう、帰ってこなくて(笑)。ちゃんと言うと、本当だったら同期になるはずの無い人だったけど、1回受験を失敗してくれたおかげで同期になって。脩世は、上の代にいるより、この代にいて、キャラ的にもよかったんじゃないのかなというふうに、結構自分たち同期の中でも言ったりもするので、1個下に落ちてくれて良かったな、楽しくなったなと思います。2年のときは一緒にディフェンス組んで、秋リーグかな。セットプレイしたりとか、陸トレもさっき言ったけど、後ろの方で2人走ってたりとか、いろいろある。大切な同期の1人です。気が向いたら連絡して。留学頑張って。

大塚 はい。

住友 死なずに帰ってきてください。

(取材 岡すなを、田島璃子 編集 田島璃子)

今回もハリウッドザコシショウが大好きなお二人

◆大塚脩世(おおつか・しゅうせい)(写真左)

1999(平11)年3月3日生まれ。170センチ、73キロ。長野・佐久長聖高出身。スポーツ科学部4年。お風呂によく入る大塚選手。まず朝起きて1回。氷上練習の直後に1回。もし出かけるならその前に1回。出かける理由が散髪ならそこでシャンプー。寝る前に1回。多くて5回もお風呂に入るそうです!

◆住友愛斗(すみとも・あいと)

2000(平12)年1月24日生まれ。173センチ、66キロ。東京・早実高出身。教育学部4年。普段は温厚で優しさにあふれているものの、氷上では少し荒くなる住友選手。スケート部の卒業旅行では、運転席での荒さも見せたそうです!