スケート部ホッケー部門の4年生の卒部を祝い、実施された卒業記念対談。第1回はGK村上隼斗(スポ4=北海道・駒大苫小牧)、FW北村瑞基(商4=東京・早実)、浅井万菜(法4=埼玉・早大本庄)が登場。アイスホッケーを始めた理由や印象に残っている試合など、ここまでのスケート人生を振り返った。4年間の写真を眺めながらにぎやかに進んだ対談には、兄や部への愛が詰まっていた。
※この取材は2月11日に行われたものです。
――最近はどんな生活をされていますか
北村 僕は卒業論文、23卒の面接。あと、しいて言えば麻雀ですかね、ひたすら毎日のように面接があるので。あと卒論もめちゃくちゃ厳しいゼミなので。計算に1カ月かかりました。結構大変な毎日を過ごしています。
村上 麻雀は瑞基(北村)と行って、あとは、ゲームやったり、YouTubeとかNetflixとか見たり、廃人みたいな生活をしています。
浅井 私は、ついこの前旅行に行って。
北村 北海道?
浅井 うん。
北村 馬鹿だろ、北海道に(わざわざ)行くやつ。変わってる。
浅井 北海道に旅行に行ったり、アルバイトをしたりっていう感じですね。
――北村選手、村上選手は国民体育大会(国体)に東京代表として出場されていました
北村 いやー、楽しかったです。東京の大学でトップの選手がいっぱい集まっているところで、プレーのレベル自体もすごい高かったですし。あとは、僕は早実の出身なので、普段あまりコミュニケーションをとらないような、北海道の高校の選手とも仲良くなれたし。あと決勝は、むっち(村上)が出てれば勝ったかな。それに尽きると思います。自分にとっては人生で最初で最後の日本一のチャンスだったんで、すごく楽しめたと思います。
村上 普段戦っている相手、うまい選手が同じチームにいるのはすごい新鮮でしたし、うまくて、楽しかったなっていうのが一番です。あとはやっぱり、決勝の北海道戦は向こうのキャプテンが自分の兄貴だったんで。最初っから試合に出たかったなと思ったんですけど、8個ぐらい(歳が)違うんで、本当に最初で最後の兄弟対決ですごく楽しかったです。
――浅井マネージャーは見ていらっしゃいましたか
浅井 動画で見ていました。
北村 嘘つくなよー。
浅井 本当に、本当に!
北村 絶対見てないだろー。
浅井 み、て、た!
北村 じゃあ脩世(DF大塚脩世、スポ4=長野・佐久長聖)は何県?
浅井 長野。
北村 うおおお!
村上 見てなくても分かるだろ。
――実際に見ていていかがでしたか。
村上 それは分かんないよね。見てないもんね。
浅井 見てたけど…
北村 見ても分かんない。
浅井 見てたけど…!
――面白かった瞬間などは
北村 「風汰(FW林風汰、教3=東京・早実)国体の方がいい」?
一同 (笑)。
浅井 いつもやってるメンバーと違うところと組んでやってるのは新鮮だし、分かんない選手とよく知ってる選手が一緒にやってるのが、いつもと違って面白いなって思いました。
北村 あのメンバーに分かんない選手いるのやばくね?
これまでのホッケー人生を振り返る
――ホッケーをはじめた理由はなんですか
北村 自己PRですね。僕は父がスポーツ観戦が趣味で。2歳ぐらいの時かな、(アイスホッケーを)見る機会があって、やりたいって素直に思って言い出したらしいです。覚えてないけど。
村上 元々自分の家は父親と、あと10個離れた兄と8個離れた兄がホッケーやってて。お兄ちゃんのこと好きじゃなかったんで、ホッケーも見てなかったですし、嫌いなスポーツだったんですけど、8個上の方の兄がインターハイの決勝で、負けちゃって。その試合だけ見てて、自分が、何か分かんないけど、自分が、その、勝ちたいなって思ったんで始めました。結局負けちゃったんですけどね。
――高校までのアイスホッケーを紹介してください
村上 まとめると、自分のホッケー人生は、みんなが思っているほど楽しくは無いホッケー人生だったのかなあと思いますね。小学校6年生からっていう、結構遅くアイスホッケーを始めたので。中学も高校も、ほとんど試合に出てないです。大学3年生から出れると思ったんですけどコロナで試合がなくなって。4年生の春は出てなかったんで、ほとんど試合に出る機会は、無かったかなと。でも、ホッケーやってよかったなとは思います。
北村 まとめるのか、難しいな。小学校の時は最初始めたチームですごくよくしてもらってて。小澤田さん(小澤田匠氏、令2スポ卒)とか、あとSEIBUプリンセスラビッツの宮崎千里さんとか、良い選手がいました。だけど、それ以外の選手が全然いなくて。4年生の時、僕とたくさん(小澤田匠)以外の、後から入ってきたいい選手たちが全員移籍しちゃって。今後ホッケーをやっていく上できつくなって、移籍しました。移籍した先は、石橋拓実君(東洋大卒、現ダイナックス)に誘ってもらった神宮のチームです。そこでも、行ってすぐ試合に出してもらったりして。そこのコーチの小阪さん(REAL HOCKEY SHOP MAX)にもすごくよく面倒見ていただきました。5年生の頃から中高生と一緒に練習させてもらい、小学生ながらにすごく期待されてるなっていうことは感じながら、ホッケーをやっていて。勝ったらうれしいし負けたら悔しいぐらいの感覚でしたが、今考えたら、本場で北海道でやってる選手と一番実力が近かったのが小学生の時かなって思います。都選抜の試合とかでも、苫小牧選抜といい試合をして点を取って、あんまり挫折をせずに、小学校が終わりました。
中学校も1年目から普通に試合出してもらって、本当に順調にやってきた中で、初めて挫折したのが、中2の終わり中三前ぐらいのエリートキャンプ。U16のその日本代表に入るところで、今思い返すと普通に実力的に足りなかったんだろうなとは思うんですけど、ホッケー界のいろんなパワーバランスもあって、なかなか先に進めなかったのが、初めてのホッケーでの挫折です。その時にちょうど陸上も同時にやってたので、もう高校でホッケーやめようかなって、正直思っていました。ただ、その後のキャリアを考えたときに、2歳から中3までやってきたホッケーを利用して、今後人生設計をしていくのはどうなんだと父と母に提案されて、早実に入りました。
早実に入ってからは、大変なことの方が多かったですかね。やっぱり高校のレベルで初心者がいるチームでやるのは、かなり難しいってのもありますし、周りと差が開いていく一方だなと。結構ふてくされながらやってたところはありました。なので、大学では早稲田でホッケーをしたことは、ホッケー人生の締めくくりとしてはすごく助かった部分なのかなって思います。
――浅井マネジャーはどんな中高時代を過ごしましたか
一同 (笑)。
浅井 小学校は…2人の後に話すようなことも無いんですけど、小学校は何も無いし、中学校も…
北村 まあそうだろうな。恋愛とかもねえもんな。
浅井 うるさいなっ。中学校は硬式テニス部だったんですけど、毎日部活やって、高校受験で早稲田の本庄に入ったんで、塾通いながら部活やりながらっていう感じの中学時代で。高校は本庄が家から2時間半かかるんで、毎朝早く起きて…
一同 2時間半…?!
北村 人生のどんだけ…
浅井 朝早く起きて学校に行って、部活やって、帰ったらもう寝るだけみたいな。本当に。ずっと学校と部活で。バイトも、時間遅いのでできないしっていう毎日でした。
――早稲田でプレーすることを選んだ理由はなんですか
北村 僕は早実なので、早稲田に入ることがほぼ決まった状態だったんですけど、高校生ぐらいの時に先のことなんか考えてる余裕が無かったので。中3から入学する時も。早稲田でホッケーやりたいみたいな気持ちを持って早実に入ったわけじゃなくて、勉強をメインに考えて、その中でホッケーをそこそこのレベルでできるっていう意味では、他に選択肢が無かったっていうのもあります。僕はあんまり素直じゃなくて、ストレートな感情表現とかをあまり好まないので、「早稲田のプライドが」みたいな、そういうのはダサいなと、すごい思いながら。「早慶戦に憧れて入ってきました」、「本当かよ」とかって。正直、早稲田っていうブランドのところを自分が内側にいるからこそ、「ふんっ」って思っていました。ただ、大学入って実際に今まで活動してくると、早稲田で戦えることの貴重さというのもどんどん社会人に近づいて理解していきますし、やっぱりその早稲田として勝ちたいっていう気持ちはこういう寮生活みたいなところで育まれていくんだなっていうところを実感しながら、4年間過ごしました。
村上 また兄の試合を見てなんですけど…
北村 結構好きじゃん、兄。
村上 気付いたら。気づいたらなんですけど。それは大学の試合で自分の兄が大学4年生で法政対早稲田。兄が負けて早稲田が勝って。で、そのまま早稲田が優勝した。
北村 山田虎太郎さん(平26社卒=現レッドイーグルス北海道)とかでしょ。
村上 そう。その時、早稲田が優勝した年で、かっこいいなってずっと思ってた大学ではあって。やっぱり、大学進学にあたって、ブランドじゃないですけど、早稲田にはすごい引かれるものがあって。ユニホームもかっこいいですし。
北村 しかもそうだよね、上京したんだもんね。せっかく上京するならいい大学に行きたいってなるよね。
村上 そうですね。大学行って、一部でホッケーできて、すごいいろいろ、すべて揃った環境にあるのが早稲田だと思ったのが一番の理由ですかね。
――実際に入部してみて、環境はいかがですか。
北村 話には聞いたけど、朝3時起きはやべえなと。
村上 それはそう。
北村 あとは3月は、実家でしっかり18年間暮らして初めて寮に入って、別に人間関係とかじゃなくて、普通に寮の環境に慣れなくて。僕たちは1年目で、はじめましてで同部屋だったんですけど、2人とも3月は体調ずっと悪くて(笑)。いや、トレーニングがきついとか練習がきついんじゃなくて、家を離れたっていう環境で疲れたり体調を崩したりするのもあって。4年間、やっぱり朝3時っていうマイナスな部分は、特に学年が上がるにつれてチームにとってきついなって感じることは多くなりました。あとはそうですね、ロイさん(鈴木ロイ、平31スポ卒=現横浜GRITS)優しかった! 本当にやばいって聞いて入ったので(笑)。4年生がめちゃくちゃ優しかった。
村上 大人の人が多かったよね。
北村 すごくこう、社会人っぽかった。優しいし面白かったし、僕らは朝3時に寝坊をして隣の部屋のロイさんと雄吾さん(矢島雄吾氏、平31スポ卒)に起こしてもらったりしてたので。
村上 何回もね。
北村 だけど、何か高校までと一番違ったのさ、「おごり」じゃない? かっこいいって思わなかった? 僕らが同期5人で飯食いに行ったところに、たまたま4年生1人でいて、普通に全額払ってくれたりとか。先輩ってこういうことなんだとか思って。そういうふうな先輩になりたいなって、自然と思ったのかなと。ただ正直、ご時勢的に、今年全然できなかったんで。正直それは申し訳ないなと思って。この恩は社会人になってからの後輩に使おうと(笑)。
村上 早稲田大学だから、頭みんな良いんだろうなと思ってて。あ、そしたらこれ頭悪いみたいになっちゃう(笑)。賢いんですけど、スポーツ校の自分たちにも分け隔てなく接してくれる。そこら辺はすごくありがたかったなと。早実出身だったり、あとはすごい頭のいい高校から来た人たちとかがほとんどで。何も気にせず接してくれたのがすごいありがたかったなって。寮生活も入って1カ月は本当に体調があんまり良くなくて、あれだったんですけど、今は、住めば都というか。
北村 出られなくなっちゃう(笑)。
村上 本当にそうだなー。たまに帰省しても今の寮のベッドの方が落ち着くんで、その不思議だなと。この寮は最高です。
北村 今後のために1個だけ。1個がっかりしたところは、大学1部のA、アマチュア最高峰なのに、まだ全員で同じ陸トレやるんだっていうこと。入ってすぐの時にグニョンさん(パク・グニョントレーナー)がいて、すごく厳しいけど、理にかなったトレーニングをしてくれる方だったので最初「おっ」って思ったんですけど。ただ、シーズンを過ごしていく中で、それぞれ個人の特性ってもちろんあって、しかもたった25、6人の人数で。明らかに、ウエイトをした方が良い人と、全然走れてないから走ったほうが良い人っていたりするわけで。せっかくスポーツ科学部もあるような大学なんだから、もっと勧誘みたいなのをして、もっとロジカルな細かいトレーニングがあるといいなって、今後のことではちょっと思います。
――浅井さんは、そのような選手たちと実際に活動されてきて、環境はいかがでしたか
インタビューに答える浅井
浅井 最初は、こんな男ばっかりの空間なんて無かったんで、いろいろと難しい面はいっぱいありました。マネージャーもやったことなくて。私の上の先輩3人はすごい仕事できる方々だったので、余計に比較して、(自分は)全然できないし。特に夏の陸トレとかも本当にきつい練習、2部練、3部練ってあるときに選手もピリピリしてたし、私がミスをすると「っやばいっ!」ってなって。本当に最初はつらかったし申し訳ないなっていう思いがずっとあったんですけど、ようやく4年目にして、ちょっとは成長できたかなと思いますね。環境的な面でも、最初は先輩、同期に限らず、とにかく足引っ張っちゃ駄目だっていうのと、そこまで関係が仲良くない築けてないときとかはどうしようって感じだった。でも、選手は優しいし。
村上 優しいからねー。
浅井 本当に皆優しいんで、それですごい助けられてますね。
北村 まじで4年間で一番成長したのは万菜(浅井)だった。「だった。」ただ戻るのも早い。
――背番号に意味があれば教えてください
村上 えっと、なんか、やだな(笑)。
北村 元カノ?
村上 違う違う違う。
浅井 兄?
村上 …の、同期!
一同 (笑)。
北村 めちゃめちゃ影響受けてるじゃん(笑)。
村上 自分がキーパーを始めるきっかけになったのが、国体に北海道で出てた山口連さんという人。自分の兄と同じチームでプレーしています。その人が、高校大学時代、39番。社会人になっても着けてます。その人に憧れて始めたんで、高校大学は39番ですね。
北村 僕は、ずっと19を着けてたんですよ。昔は。それは好きなプロ選手の影響で着けてたんですけど、移籍したタイミングで19番つけてる選手がいて。じゃあどうしようってなったときに、一番最初のよちよちで始めた時のチームで初めて試合した時にたまたま配られた背番号が2番だったんですね。なんで、もうそれでいいなと思って。正直こだわりとかはないし、ディフェンスの背番号だし。けどまあいいかなと思って。だから特に興味がなくて、2番です。
――4年間を振り返って一番印象に残っている試合は
北村 シーズンはやっぱり1年目の関東大学リーグ戦(秋リーグ)です。1年目の秋リーグは優勝争いもあったし、はじめてのあんな長丁場のリーグ戦を経験して、勝っちゃ空気いいけど負ければきついなっていうのを実感しながら。ありがたいことにポイントポイントで試合に使ってもらったりもしてて。チームの中で自分も何かしら貢献できたらいいなって思いながら戦ってすごく幸せな時間だったし、負けた時はすごいがっかりしたし。すごく印象に残ってて。ただ試合として一番印象に残ってるのは、2年目のサマー(大学交流苫小牧大会)の法政戦かな。準決勝の試合で。負けちゃったんですけど、はじめて上のセットで試合に1試合に通して出て、その中で、残り50秒ぐらいで太樹さん(生江太樹、令3スポ卒=現東北フリーブレイズ)にパス出して、太樹さんが決めてくれていたので、追いつけたみたいな。一番分かりやすいかたちでフォワードとして貢献できたかなとは思うので。それはすごく印象に残ってます。
村上 大学2年の時の秋リーグ中央戦。自分はずっと出てなかったんですけど、その中央戦だけ先発起用されて。負けたらもう優勝のチャンスはなくなる場面で、勝つことができて。
北村 そうそうそう、俺見てたよ。
村上 (ゴールキーパーは)勝敗に直結するポジションなので、チームを勝たせることがことができたなと。あと、内藤さん(内藤正樹監督、平3二文卒=北海道・釧路湖陵)にその日のインタビューで「チームから認められたんじゃないか」みたいなことを言われて、「あっそうなんだ。やっとか」と思って(笑)。なので印象に残っています。
北村 それまで違ったってこと?
村上 違ったらしい(笑)。
北村 厳しいな!
浅井 私はシーズン的には1年の秋リーグが印象深いなって。でもその後、優勝できなくて悔しい思いをして臨んだ1年の時の日本学生氷上競技選手権の明治戦が印象に残っていて。4年生の引退がかかってる大会で、最後PS(ペナルティ・シュート・アウト)になって結局負けちゃったんですけど、それまで、その1年間のチームがどうだったとかっていろいろ思いながら試合を見て。その明治戦が印象に残っています。
机上に写真を並べる3人
――机上の写真からお気に入りの写真を選んでください
審判と話す北村(2021年秋リーグ法大戦)
北村 これは審判と喋ってるところです。この写真がというか、僕が1年目から、在籍してる間ほとんどの試合にベンチに入れてもらってた理由なのかなという1枚なので。僕、1年目のシーズンオフからずっとラインズマンとかやり始めて。ルールとかも全部覚えてルールブックをもらって。ある意味、大学リーグ1部のAは数少ない、ずっと東京に骨を埋めてきた選手なので。もちろん連盟の人とも面識はほとんどあるし。レフェリーとコミュニケーションを取ったり、あとはどういうジャッジなのかということを理解するのは、大学ぐらいのレベルになると大事なことなのかなと考えて。そういうところをたぶん評価してもらって、少なくともベンチにはいつもいて、ポイントで出してもらえる選手になったのかなという理由の1枚です。
パックを抑えようとしている村上(2021年秋リーグ明大戦)
村上 この写真なんですけど、さっき言った中央戦と同じぐらい印象に残ってる試合。この日は今年のチームで一番いい内容だったんじゃないかなっていう試合で。自分自身も当たって、結構試合をつくれていた試合です。相手の明治はスター選手が多い中で、結局負けちゃったんですけど、最後まで戦力差が大きい中で良い試合ができたかな。めっちゃ楽しかったですねこの試合は。楽しかった試合。佐久間(佐久間雄大、10番)いて、三浦(三浦大輝、7番)いて。めっちゃ強いんすよ、明治って。
北村 国体をやったらわかります。明治が一番強い。正直言って。
村上 一番上手ですね、面白いホッケーする人たちがたくさんいるんで。
北村 そう、明治って、明治じゃなくても活躍できる選手がいっぱいいるんですよね。たぶん。明治じゃなくても活躍できるってことは、誰とでも合わせられるような選手が多くて。そのユニホームによってプレーが変わらないチーム、良い選手たちがいっぱい集まって。
村上 それが集まっているから強いし、面白いホッケーをする、ということで選びました。
得点を喜ぶ浅井(写真、マネジャーの中で一番右)(2019年早慶戦)
浅井 このシーンが、ってわけじゃないんですけど、選手が得点決めてくれたときが一番うれしい瞬間なので。
北村 じゃあむっちには1回も喜ばなかったんだ。4年間ノーゴールでしょ。
村上 0ポイント…。
浅井 無失点で、得点を決めてくれたときが一番うれしいので、この得点シーンを私は選びました。
――早大のホッケー部の中で一番尊敬するプレーヤーは誰ですか。
北村 僕は太樹さんですかね。やっぱりうまいっすね。周りが見えてて、サイズあって、シュート早くて、パスもうまくて。いやあ、なんて言えばいいんだろう。例えば仁さん(澤出仁氏、令3スポ卒)みたいにめちゃめちゃ足が速いとか、慈英さん(ハリデー慈英、平31スポ卒=現レッドイーグルス北海道)みたいにめちゃめちゃシュートが速いとかじゃなくて。ゲーム感があるというか、すごく試合で味方を生かして自分が生きるプレーがすごくうまいなと思って。ホッケーIQが高いと思うので、ものすごくいい選手だなって思います。
村上 自分は嘉鷹さん(谷口嘉鷹氏、令2社卒)ですかね。そんなにサイズはなくて、練習はめちゃめちゃ止めるってわけじゃないですけど、試合になったらめちゃめちゃ止めて、チームに勢いを出して、優勝争いできるところまでチームを持っていけるのにはすごい憧れがあって。こんなキーパーになりたいなって思いながらずっと背中を追ってました。
――浅井マネジャーは、見ててかっこいいなと思っていた選手はいますか
浅井 誰だろうな。みんなかっこいいんですけど。
村上 そういうのいらねぇんだよ。
北村 「お世辞です!」みたいなの。
浅井 なんでそういう捉え方するかなー。チームをまとめるという意味でロイさんはすごいなと。自分もストイックにチームにもちゃんとみんなができるようにいろいろ言うところはしっかり言うのが、尊敬できるところかなと思います。
――監督とコーチはどんな方でしたか
浅井 監督はマネジャーとして、選手と違う面で関わる部分が多かったです。特に会計の面だったり早慶戦の面だったり、学生として、分からない部分を監督に相談させてもらって、良いアドバイスをたくさんくださったり。あとは、こういうときはこういう行動をとるべきみたいなのもいろいろこの4年間で教わったので、そういう面ですごい感謝しています。コーチは、マネジャーをスタッフの一員として、いろいろ気にかけてくださった部分が多くて。2年の合宿で監督とコーチとマネジャーで別のところに泊まってたんですけど、その時も結構ご飯に誘ってくださって。合宿中の大変なことや、相談にのってもらったり、監督コーチともに本当にお世話になったので感謝しています。
北村 逆にこの3人で一番やばい人だと思いますか。
――小堀恭之コーチ(平4人卒=北海道・駒大苫小牧)ですか…?
北村 俺らからするとたぶん小堀さんが一番まともなんだよね。っあ、まともって、言い方変えよ。
村上 使って下さい。
北村 小堀さんはすごいしっかりしてます。この中で一番やばいのはたぶん内藤さんです! なぜなら、朝3時に自転車で(約14キロ)ここに毎日来るのはやばいからです! いや、正直スタッフになって自分がそれできるかって言ったら、ちょっと無理だなって思うので、すごくありがたいことだと思うんですね。やっぱり監督がいないと練習できないですし。なので早稲田ホッケー部に対しての熱量だったりとか、チームを守っていこうという気持ちに関して、僕は尊敬しています。山崎さん(山崎浩市コーチ、平11社卒=北海道・釧路江南)からはすごくホッケーのことを教えてもらって。小堀さんは、僕は日本リーグを見てたので、まさかこんなところにあの人が来るとはって思いながらわくわくして入りましたけど。比較的よく小堀さんと話してもらった方だと思います。今の4年生の代は小堀さんにとっても、1年生から4年生まで一緒に過ごした代で。結構声掛けてもらってる選手も多かったと思うし、そういう意味では、すごく、もうすごく面倒見てもらった代だなって。あと山崎さんは足が速いです。パスも強いです。でも小堀さんのパスは取れないです。
村上 監督は元々ポジションがキーパーなので、練習中だと自分が声を掛けてもらう回数が多い。すごくありがたかったです。たぶん、コーチ陣からすると何ができないのかわからない。本当にコーチたちは天才型だと思うので、(選手が)なんでできないか分かんない。それでも自分たちも分かるように、指導していただいたんじゃないかなって。あとは、ずっと3時起きで4時から練習なので、それに毎回来てもらって指導していただいたことはすごい本当にありがたいことだなって思ってます。
アイスホッケーとは、
「正解だったかまだ分からないこと」(北村)
「やりがいしかないスポーツ」(村上)
――皆さんにとってアイスホッケーとはなんですか
村上 プロフェッショナルみたい(笑)。
北村 「正解だったかまだ分からないこと」ですかね。ホッケーやってて良かったかどうかとか、自分にとってホッケーって何だったのか、答えが出るのって、もっと人生の答えが出たときだと思うので。正直他にもやりたいことがなかったわけではないし、それでも、体力的にもスケジュール的にも、それから自分の立ち位置的にも、一目散にホッケーをやるしかなかったし、やってきたこと自体に後悔はないですけど、それがどういう答えだったのかは、まだまだわからないかな、引退してすぐには。なので、アイスホッケーやってきてよかったなって思える人生になるのか、何か別のことでやってみればよかったなって思う人生なのかは、この後、自分がどう生きるか次第なのかなって思ってます。
村上 俺は瑞基と違って、やりたいことが無かったんですけど、
北村 アイスホッケーはいつまでもやりたい?
村上 いやいつまでもは無理だろ。体力的に。本当にやりたいことが無かった。たぶんホッケーがなかったら、何もやってないです。そもそもスポーツ嫌いなので、体を動かすってこと自体はあまり好きじゃないんですけど、ホッケーはなぜか楽しかった。「やりがいしかないスポーツ」なんじゃないですかね。他のスポーツもすごい難しいところはたくさんあると思いますし、他のスポーツの方が、日本だと稼げるし、有名だし。だけど、スケート履いて、重い防具着て、パック扱って、体のコンタクトありってこんなスポーツたぶんあんまないと思うんですよね。他の競技やってる人に申し訳ないですけど。
北村 一番面白いでしょ。球技では。間違いない。
村上 アイスホッケーが無かったら、本当に出会えない人ばっかりだったので、すごく良かったと思います。
――マネージャーの魅力はなんですか
北村 営業力試されるよ。
浅井 えー。他のチームがどうとか、分かんないですけど、選手が同じ空間でずっと生活してるので、選手同士の仲がいい、チームとしての一体感は早稲田のアイスホッケー部だからこそ味わえるんだと思う。一緒には暮らしてないですけど、同じチームとして関われることで、一体感を一緒に味わえるところが一番の魅力です。アイスホッケーの1部Aで戦えるようなチームは、試合も面白いし、優勝も味わえるかもしれないので。マネジャー業という意味では、他の大学と違うのは早慶戦の運営とか。本来であれば2000人以上のお客さんを動員するようなイベント運営に携われるのは他の大学ではできないこと。そういう大きなことに挑戦できる環境が整っているのは、早稲田しか無いのかなと思います。
――今後の予定について教えてください
北村 ホッケーは今のところやる予定はなくて。一番大学で、高いレベルでやって一番楽しかったっていうのが自分の中に残るので。それこそプロとか、北海道の社会人チームみたいなレベルじゃないと、自分が心から楽しめないだろうなって思うので、だったらやんない方がいいかなっていうのはあって。ただ、昔からジュニアの指導者をやってみたい気持ちはあるので、そういう機会があったら、携わってみたいなと。運動は基本的にどこか野球とゴルフしかやらないと思います。
村上 自分が選手としてやることは、とりあえず今のところは無いです。日本一を目指してきて、週4回とか5回とかの練習がある中での、そういった熱量でやらないと面白くないと思ってるので。1回辞めて、それでもまだホッケーやりたかったら、どこかでチーム探して、やらせてもらおうかなって感じです。あとは4月から社会人になって、大学の職員になるんですけど、大学のチームのキーパーコーチをやらせてもらえることになっているので、アイスホッケーにはずっと携わってるとは思います。
――浅井さんはアイスホッケーを始める予定は
浅井 いやー。始めることは無いですかね。
北村 まじ怪我すると思う。やめたほうが良いよ。本当に。
浅井 見るので十分です。
北村 気付いたら相手のゴールに突っ込んでるよ(笑)。
――最後に、お互いに一言お願いします
北村 (浅井マネジャーに)まず4年間お疲れ様でした。4年間で一番成長したのは万菜だなって僕は思うので。本当に入ってきた時は、これやばいぞって正直思って。それこそコーチ陣が僕たちに思うのと一緒で、何が分かんないのかわからなくて、僕には。もちろんマネージャーの立場を僕はやってないんで、そっちの立場だったらそっちも難しいことあるんですけど。そんな難しいことじゃないのにって思うことが万菜はできなかったりしてて。そういった環境に揉まれて、いい先輩を見てきたのかなって思います。逆に自分が先輩になったときに、すごく一気に、自覚を持って変われたところは本当に素晴らしいことだと思うので。後輩がいなくなっても、それを継続してもらっていいですかね。
浅井 はい(笑)。
北村 周りから見られてることも意識して行動するようにしていただけると僕は安心できるなと。
浅井 じゃあ私がむっちに。
村上 おー。
浅井に褒められる村上
浅井 キーパーは常に2人しかいないので、練習においても両サイドに立っている重要なポジション。本当に私は見るだけですけど、チームとして重要なポジションを4年間勤めてくれて、感謝しています。あとは、試合も特に今年はメインでずっと出場してた機会が多くて、チームの勝利にはやっぱり欠かせない。キーパーってメンタルが、試合の流れによって左右されやすいポジションだと思うけど、そういう難しい中で、いろんな数多くの試合を勝利に導いてくれたのはむっちのおかげかなというので、感謝しています。
村上 じゃあまずは、4年間お疲れさまでした。1年生の時は同部屋で、1人でドラマ見ながらうひゃうひゃ言ってて、なんだこいつと思ったのを鮮明に覚えています。瑞基は本当に自分が使われている意図だったり、自分がこのセットにいるから、自分の仕事はこれだっていうことをちゃんと理解して、プレーに徹してくれて。(得点を)決めたらその日はうるさいけど、欲しいときに入れてきてくれるから、キーパー的にそれはありがたかったなって。同期は、6人しかいない中で、ものすごい、ちゃんと意見を発する人。そこもありがたかったかなって。4年間お疲れ様でした。
北村 お疲れさまでした。
――ありがとうございました!
(取材 岡すなを、田島璃子 編集 田島璃子)
後輩に向けてのメッセージを掲げる3人
◆浅井万菜(あさい・まな)(写真左)
1999(平11)年8月6日生まれ。埼玉・早大本庄高出身。法学部4年。しっかりしていそうで、ちょっとおっちょこちょいな浅井マネジャー。対談中もいろいろなエピソードが炸裂しましたが、掲載できませんでした。しかし、そのおちゃめな部分が部員に愛されていたのではないでしょうか!
◆村上隼斗(むらかみ・はやと)(写真中央)
2000(平12)年3月17日生まれ。173センチ、69キロ。北海道・駒大苫小牧高出身。スポーツ科学部4年。いつでも勝ち気な村上選手、麻雀でも耐えきれず暴力をふるいかけたそうです。危うくペナルティ。村上選手と麻雀をする際はお気を付けください!
◆北村瑞基(きたむら・みずき)
1999(平11)年11月10日生まれ。173センチ、82キロ。東京・早実高出身。商学部4年。北村選手は部屋が汚いことで有名。足の置き場がなく、毎晩ベットまでジャンプしているそうです!