【連載】『FEARLESS』第2回 アメリカ出身 勝田×寺井

アイスホッケー

アイスホッケーが4大スポーツとして人気を誇っている北米。ワセダスケート部にはアメリカのアイスホッケーを経験した選手が二人がいる。この4年間誰よりも成長し続けてきた大学ホッケーを代表するゴールハンターの勝田貴之(国教4=米国・ライ高)と1年生ながら第2セットでがむしゃらなプレーをみせてくれている寺井敏博(国教1=米国・チョートローズマリーホール高)だ。今回は大学入学以前から仲良しだった二人にアメリカでのエピソードや日本での生活。そして日本学生氷上競技選手権(インカレ)の意気込みを語っていただいた。

※この取材は12月5日に行われたものです。

――お二人はアメリカから日本に来たということですが、まずはそれぞれの出身地について教えてください

寺井 コネチカット州に引っ越して住んでいて、(ことしの)3月から(日本に)来ました。日本に住むのは初めてなのでまだあまり慣れていないところがあります。

勝田 僕は日本生まれで、6歳のときにアメリカのニューヨーク州に引っ越して、高校卒業までアメリカで過ごしていました。

――アイスホッケーは何歳頃から始められましたか

寺井 僕は7歳くらいからニューヨークで始めました。(勝田と)同じエリアで始めたので、小さい頃からお互い知り合いで、家族も仲良かったです。

勝田 僕はアメリカに引っ越して半年くらいしてプレーし始めました。

取材に答える寺井(左)、勝田

――アイスホッケーを始めたきっかけは

寺井 きっかけというよりは父が勝手に防具を買ってきたんです(笑)。その前にサッカーと野球もやっていたんですけど、ホッケーもやってみない?と気軽な感じで言われて、最初はパブリックスケーティングみたいな、遊びみたいな感じで始めました。だんだんレベルを上げていくにつれてホッケーが一番好きなスポーツになって、それからずっとやっています。

勝田 アメリカに引っ越して初めて作った友達が誕生日パーティに呼んでくれて、そのパーティがアイススケート(クラブ)の誕生日パーティで。そのときはスケート自体何か分からなくて、実際に氷に乗ってスケートしてみたら、まだいまでも覚えているんですけど超楽しくて。「こんなに楽しいものはないぞ」と思って、みんなが氷を下りても自分だけずっと残ってスケートしまくっていて、それがスケートをやり始めるきっかけでした。それでコーチとプライベートレッスンみたいなのをし始めて、だんだんとただの普通のスケーティングからアイスホッケーというスポーツをするようになりました。

――お二人は小さい頃からお知り合いということですが、お互いの存在をどのように知ったのですか

寺井 アメリカでホッケーをやっている日本人が少ないんですよ。だから同じチームじゃなくても近くでやっていたので親が知り合って。

勝田 いま言った通りホッケーをやっている日本人があまりいないので、日本人でホッケーやっていたら分かるんです。小さいコミュニティにみたいなのがあって。

寺井 それで知り合って、それからプライベートレッスンとかを一緒にし始めました。有名なロシア人のコーチがいたんですけど、その人と一緒に。アイスホッケーキャンプも一緒にしました。でも同じチームになったのはことしが初めてじゃないかな。

寺井

タカの存在は大きかったです。(寺井)

――寺井選手がワセダを選んだのは、勝田選手の存在が大きかったのでしょうか

寺井 大きかったですね。誰も知らなかったら絶対に来ていなかったです。やっぱり彼にいろいろ、どういう感じかとかどういうホッケーなのかとか聞いたりしました。あと自分の母親が、日本語を学んで将来的に英語と日本語を生かせたら社会に出てから有利だからとワセダを推していて。ホッケーも日本は1部で強いですし。でもタカ君(勝田)がいたのは大きいと思います。

――勝田選手は寺井選手がワセダに入学することを知ったとき、どのように思いましたか

勝田 うれしかったです。小さい頃から知っている友達ですし、国際教養学部の選手がいままで他にいなくて3年間ホッケーのことを話せる人が周りにいなかったので、同じ学部にトシ(寺井)が来てくれて安心しました。彼は英語が話せるので、その部分も結構気楽になりました。英語が毎日話せるのはうれしかったです。

――お二人で会話するときは英語なのですか

勝田 ほとんど日本語なんですけど、ミックスというか。日本語の単語を忘れてしまったときは英語ですぐ言える感じで。コミュニケーションがすごくスムーズです。

寺井 言いやすい、伝えやすい方で。日本語で伝えにくいなあと思ったら英語に切り替えたり、英語で伝えにくいと思ったら日本語で。ミックスマッチです。

勝田 結構悪い癖なんですけどね。国際教養学部の学生たちも、英語と日本語を話せる学生は結構ミックスなんですよ。で、僕たちの中では日本語と英語両方分かるから、ミックスになっても言いたいことが通じるんですけど、例えば英語しか話せない人とか日本語しか話せない人とかと話すときはミックスが使えないから…。

寺井 そう、だから(ミックスに)慣れちゃうと、普通の日本人と話すときは、(日本語が)分からないから英語で、とかできないじゃないですか。だから慣れると悪い癖になってしまうので、日本語は日本語、英語は英語で喋る方がいいんだと思います。

――普段生活していて日本とアメリカの文化の違いを感じることはありますか

寺井 アメリカにいたときはどこに行くにも全部車だったんですけど、こっちだとほぼ歩いたり電車乗ったり。狭い環境に人が本当に多くて、慣れるのに結構時間かかりました。

勝田 僕が一番調整するのが難しかったのは、上下関係。アメリカは、一応上下関係はありますし、年上の人をリスペクトするのは当たり前なんですけど、日本ほど敬語とかないし、学年のギャップが日本ほどないので、僕が最初来たときはそれがあんまり好きじゃなかったです。いまでも後輩先輩とか距離を決めちゃうのはあまり良くないと思っていますけど、それは日本の文化だからと思うようになりました。

寺井 自分もそれが一番。アメリカの方がルーズなので、先輩でも下の名前で呼んだり、敬語も日本だけじゃないですか。自分は高校卒業してホッケーの学校に1年間行って、そのシーズンの2試合目くらいで腕を折って手術して1年間(ホッケーが)できなくて、結局また次の年、アメリカには21歳までできるジュニアホッケーリーグがあるので、学校に行かないでそこで1年間に70試合くらいやって、それからワセダに来たんですけど、やっぱりこっちに来たら自分は1年生なので、(上下関係に)気をつけたり考えたり最初はしましたね。いまでも結構。日本に来て、そういうのはすごく勉強になります。

――寺井選手の通っていたホッケーの学校とはどのような場所なのですか

寺井 プレップスクールと言うんですけど、東海岸にいっぱいそういう学校があるんですよ。その中にホッケーチームが強い学校があって、アメリカの大学もすごく見に来るので、コーチと話してもう1年そこでやるって決めたという感じです。秋はウエイトとか他のスポーツをやって、11月くらいからホッケーのシーズンで。学校に通いながら毎日ホッケーやるんですけど結局自分はケガしてできませんでした。そのあとジュニアホッケーリーグで1年間ホッケーをずっとやっていました。

――ケガのリハビリは大変でしたか

寺井 すごく大変でした。3カ月くらい何もできなくて、そのあと2カ月くらいリハビリして。ほぼ回復するまでに4、5カ月くらいかかりましたね。いまもたまに痛くなるんですけど。

勝田

日本人としてのプライドがあった(勝田)

――アメリカと日本のアイスホッケーにはどのような違いがありますか

勝田 やっぱり選手のサイズの違いが一番大きいと思います。アメリカのチームは体つきが日本人とは全然違くて、大きい選手ばかりなので、フィジカル面はアメリカと比べると日本は少し弱いと感じました。だけどスピードはアメリカと比べて全然変わらないと思うし、むしろアメリカ人より速い選手は結構多いと思います。

寺井 同じくやっぱりサイズが違うのと、(体の)当たりがアメリカの方が全然激しくて、ケガもしょっちゅうしていました。きょねんは自分がチームで一番小さかったんですけど、ワセダでは普通で、小さくはなくて。スピードとか技術は日本のホッケーはすごく良いと思っているので勉強になります。あと日本のホッケーはリンクがオリンピックサイズで広いんです。アメリカはNHL(ナショナルホッケーリーグ)サイズでちょっと小さいんですけど、小さいリンクで体が190センチとか2メートルくらいある人たちがすごい当たってくるので、(日本とは)ホッケーが違う感じがします。日本のホッケーはパスとか技術とかスピードで、ヨーロピアンスタイルな感じで勉強になります。

――アメリカのホッケーは当たりが激しいということですが、ペナルティの基準にも違いを感じますか

勝田 日本に来てアメリカのスタイルで最初やっていて、アメリカと比べると日本の審判は反則をばんばん取るので、アメリカでは大丈夫なチェックがこっちでは反則になったりという違いを感じて、そこを調整するのが難しいなと思いますね。

寺井 そうですね。自分も反則は全然こっちの方が多いです。ちょっとでも当たったりすると(反則を)取られたり。

日本人としてのプライドで

――アメリカでは自分よりも体の大きな選手たちに囲まれてプレーしていたと思いますが、そのために苦労したことはありますか

勝田 そうですね。やっぱり力で負けてしまう場面は結構多かったです。ただ日本人としてのプライドがあったので、気持ちでは負けたくないという感じで。絶対負けないという気持ちがあったからアメリカで13年続けられたと思っています。

寺井 自分も絶対負けないみたいな意識があって。スピードだけは負けたくないとか。そういう気持ちでやってきたと思います。

――関東大学リーグ戦(リーグ戦)は2位という結果でした。いま振り返ってみていかがですか

勝田 やっぱりきょねん秋リーグ優勝していましたので、ことしも絶対優勝したいという気持ちで秋リーグを戦っていたんですけれど、あいにく準優勝でした。秋リーグの第1クールはチームとしてはあまり良くなかったと思いますし、この流れだと全日本選手権(全日本)も出れないかなと正直そういう気持ちで。でも第2クールに入ってからはチームもまとまってきたなと感じて、毎試合結果も出せたし、優勝はできなかったですけれども、全日本学生選手権(インカレ)に向けてはチームとして良い結果だと思います。

寺井 自分はきょねんはチームにいなくて、ワセダが秋リーグ優勝しているということだけは知っていて。ワセダが圧倒的に強いんだなあとそう思って入ってきたので、簡単に全部の試合勝てなくて、他にも強い大学のチームがいるんだなと思いました。第1クールは初戦東洋大に勝って、でも法大に負けちゃって悪い流れだったんですけど、第2クールは無敗だったというのは大きいと思います。全日本に行ける権限も得たし、インカレにもつながっていくと思うので良かったと思います。

――勝田選手は4年生としてどのようなお気持ちで今シーズンを戦っていましたか

勝田 最後のシーズンだから絶対ことしも優勝したいという気持ちがありました。それと責任感もきょねんよりあったと思います。1年生はまだ優勝を味わってなくて、味わってほしかったので、そういう責任感を抱えて秋リーグ頑張りました。

――寺井選手は1年生ながら第2セットで活躍していますが、リーグ戦にはどのような意識で臨んでいましたか

寺井 何よりも勝つことが大切なので、勝つことにどうしたら貢献できるかとか、何ができるかとか考えたり意識はしていました。4年生、いまの自分のセットには晃さん(松浦晃副将、人4=北海道・釧路工)とか銘さん(羽刕銘主将、スポ4=北海道・駒大苫小牧)とかいるんですけど、4年生のためにインカレは絶対に優勝したいです。

――ことしは1年生が例年よりも多く試合に出場していました。4年生の勝田選手から見て1年生の活躍はいかがでしたか

勝田 僕自身1年生のときあまり試合に出られなかったので、ことし1年生が結構多く試合に出られるのはラッキーだなと感じています。チームにとってすごく良いと思いますし、僕らが卒業しても1年生は経験があるので、らいねんもチームを支えていけるという安心感もあります。チームにも貢献してくれたので本当にありがたいと思っています。

――勝田選手は1年生のときはなかなか試合に出られなかったということですが、4年間でここまで大きく成長できたのはなぜだと思いますか

勝田 一つは先輩がアドバイスをくれたり、周りの選手が支えてくれて成長できたと思います。あとは1年生で出られないという悔しさがあって、練習しているのになんで試合に出られないのかという悩みもありましたし、そういう悩みとか怒りをモチベーションにして、いつか試合に出られるように頑張ろうという気持ちで毎日頑張ってきたので、日々成長できたのかなと思います。

――お二人は同じFWですが、お互いのプレーをどのように感じていますか

勝田 僕とトシは結構プレースタイルが似ているのかなと思っていて、僕が卒業したら僕の分頑張ってほしいです。あんまりチームにがんがんチェックにいく人がいないので、トシがまだ1年生というのは本当にチームにとっては良いことで、このままプレーを変えないでいままでやってきたホッケーを続けてほしいです。

寺井 (勝田は)すごく速い選手で、見ていても一番気持ちが入っていると思います。チェックも激しくいくし、自分がパックを持っていたらシュートもいくし、ホッケーに対して熱心な心があるので、自分もそういう心とかプレーを見習いたいと思います。

――リーグ戦は前半戦と後半戦でチームが変わったように見えましたが、その要因はどこにあると思いますか

勝田 やっぱり優勝は難しいかもしれないけどこのまま負け続けたくはないという気持ちがみんなあって。一人一人がそういうことを意識していたのでチームがまとまったと思います。あとはキャプテンがチームを引っ張ってくれたという部分があると思います。すごくチームをまとめてくれました。

寺井 先輩とか4年生のリーダーシップがみんなをまとめて、これから頑張ろう、切り替えようという感じで引っ張ってくれたので、心強いというか切り替える気持ちになりました。数字で言うと第1クルーと第2クルーでPP(パワープレー)の成功率がすごく上がって、勝つのには5対5も必要ですけど、与えられたチャンスでいかに点を入れるかで(実力が)近いチームだと差が出ると思うので、第2クルーは本当にPPの成功率が高くて、それで勝てたという場面も多かったと思います。

――今季を振り返っていただいて、キャプテンの羽刕(銘,スポ4=北海道・駒大苫小牧)選手はどんなキャプテンでしかた?

勝田 本当に素晴らしいキャプテンだったと思います。今までのキャプテンの中で一番安定してると思います。選手一人一人をサポートしてくれるキャプテンだと思います。憧れている選手ですし、信頼できるキャプテンだと思います。

寺井 一年生から見てもやっぱりリーダーシップがあるキャプテンですね。冷静で頭もいいので、怒ったりはするんですけど、焦ったりはしないので、チームをまとめてくれてます。

――リーグ戦のMVPを選ぶとしたら

寺井 タカ(勝田)とか晃(松浦、人4=北海道・釧路工)さんとか、一騎(池田、スポ3=北海道・駒沢苫小牧)さんとか。あと、キーパーの修史(遠藤、社1=東京・早実)も成長してくれたと思います。

勝田 一人だったら銘ですね。やっぱり銘がいなかったらチームもまとまらなかったと思いますし、本当に氷も上でも、生活面でもチームをリードしてくれる選手なので、彼がチームのコアだと思うのでMVPは銘ですね。

――インカレの意気込みを聞かせてください。

勝田 最後の最後の大会なので、4年生として優勝したい気持ちでいっぱいです。あと、インカレ優勝したことがないので、インカレ優勝した気持ちを味わいたい気持ちがあります。

寺井 自分はインカレ経験なくて初めてなんですけど、初めてなので楽しくプレーしながら卒業する4年生のために絶対に優勝したいと思います。

――勝田さんは卒業後ホッケーを引退することになると思いますが、今まで応援してくださった方への感謝のメッセージをお願いします。

勝田 一番の感謝したいのは僕の親ですね。いつも見に来てくれるし、死ぬほどサポートしてくださって。お金もすごくかかったのですが、僕がアイスホッケーが好きということで、続けるようにサポートしてくれて、本当に感謝しています。ホッケーはあと一ヶ月で終わるんですけど、最後の勢いでインカレ優勝してアイスホッケーのキャリアーを終わらせたいと思います。あと、友達にも本当に感謝しています。いつも大人数で応援しに来てくれてるので。みんな週末だから自分のやりたいこともあると思いますが、わざわざ東伏見まで僕の試合を見に来てくれてるのでありがたいと思います。

――オフの時は何をして過ごしているんですか?

勝田 クラブ行くかどうか友達と遊びます。

寺井 僕もクラブ行くか、寝てます。

――アメリカの食べ物とかは食べたくなりますか?

寺井 メキシカン料理とか。すごく食べたいですね。
ピザとかもこっちでは気軽に食べれないのが苦しいというか、食べたいですね。

――日本の食べ物で苦手な食べ物はありますか?

寺井 僕は向こうではあんまり白いご飯を食べなかったんですが、寮では全部白いご飯だったので、最初は食が進まなかったのですが、最近は慣れてきて最近は白いご飯もいっぱい食べるようになりました。

勝田 絶対食べられない物はないんですけど、僕は鰻があんまり好きじゃないです。

寺井 え?最高の贅沢じゃん!笑

「アメリカのでかいピザが食べたい。」

――ニューヨークの魅力を教えてください。

一同 やっぱりピザじゃない?

寺井 家の家も離れているし、落ち着いてるんですけど、ニューヨークまでも近いし、車でどこでも行ける感覚がいいです。

勝田 ニューヨークっていうとみんなマンハッタンとかすごく都会を想像するんですけど、僕らが住んでる所は田舎ではないんですけど、平和で住みやすい所です。あとは、季節が最高です。冬は寒いんですけど、すごく綺麗です。

寺井 あと、夏が日本見たく蒸し暑くないです。暑いときは本当に暑いんですけど、ちょうど気持ちいいくらいの日が多いですね。

勝田 あとはやっぱりピザ!

寺井 でかくて安くて美味しいです!

――アメリカに行った時、食べ物の量が多いと思ったのですが、逆にお二人は日本の量が少ないと感じますか?

寺井 少ないですね!

勝田 マクもこっちのサイズと向こうのサイズが違いますね。

寺井 あんまりお腹いっぱいにならないよね。こっちだと。

――日本のドラマはよく見ますか?

寺井 母親が日本のドラマが好きだったので、こっちにいる時より(向こうで)みました。あと、みんな見ているのは見ます。半沢直樹とか。

勝田 僕はぜんぜん日本のドラマは見てないんです。アメリカのショーは好きなので、アメリカのドラマはよく見てます。

――最後の質問になりますが、お二人の出身地のアメリカでは人気のスポーツですが、日本ではまだマイナースポーツですけれど、日本のアイスホッケー界盛り上げるために必要なのはなんだと思いますか?

勝田 僕はプロチームを一つ東京に作ったら、西武みたいに。新横浜とかをホームにするチームができたらホッケー界も盛り上がるんじゃないかなと思います。あと、試合中の音楽!アメリカでは結構センスが良くて、盛り上がる曲とか、いい歌を選曲してるんので、会場もすごく盛り上がるんですね。音楽で観客も選手も盛り上がるので。日本もホッケーっぽい歌を選曲して流してくれたらみんな盛り上がると思います。

寺井 自分もやっぱりアジアリーグのチームを北海道ばかりじゃなくて、東京にも作った方がいいと思います。特に小さな頃からホッケーが見れる環境を作るのが大事だと思うので…ユスプログラムにももっと力入れた方がいいと思います。

――ありがとうございました!

(取材・編集 尹眩晶、末永響子)

WalkingDead

◆寺井敏博(てらい・としひろ)(※写真左)

1993(平5)年2月19日生まれ。174センチ、75キロ。米国・チョートローズマリーホール高出身。国際教養1年。寮のご飯が口に合わない時は本人自慢の「マヨネーズー醤油かけご飯」を作ってらしゃるようです。ニューヨーカー特製のフュージョン料理の味が気になりますね!

◆勝田貴之(かつた・たかゆき)(※写真右)

1992(平4)年1月25日生まれ。178センチ、75キロ。米国・ライ高出身。国際教養4年。最近はアメリカの人気ドラマ「Walking Dead」にはまっているという勝田選手。取材写真ではドラマに出ているゾンビのキャラクターを表現してくださいました!