これまでもこれからも
「私もきらきらのスカートがはきたい!」。この一声から始まった安藤美裕(教=東京・早実)というスケーターの物語をひもといていこう。
幼稚園の頃の友人がきらきらの衣装を着て、スケートをしている姿に憧れ、小学1年生の秋、フィギュアスケートを始めた。好きな選手は真央ちゃんと大ちゃん。「私、アイスダンスもやっていて踊れる選手が本当にすごいと思います。」と話した。
幼少期は「飛べない」という壁が立ちはだかった。「背がもともと高くて、周りの子がくるくるってジャンプを軽々飛んでいるのをみて、自分の限界はどこなんだろうと不安になることもあって」。そんな不安に立ち向かいながら、月日が流れていく中で、フィギュアスケートは安藤にとって生活の一部となり、切っても切り離せないものとなっていった。高校時代は、たくさん合宿にも参加し、勉強との両立の中で睡魔との戦いだった。
早稲田大学に入学し、所属していたリンクの先生の紹介で、スケート部に入部した。「大学生活の上での勉強とスケートの両立は高校の時と比べ、時間配分を自分で考えて授業を取れるのでそこまで大変ではなかったです。映画がすごく好きで、それに関連した授業もとっていて自分の興味のあることだからすごく楽しくて。」と話し、リンクではわからない一面ものぞかせた。大学時代は、点数が伸びないことに悩んだ。「完璧に演技したらいいというわけではなくて。私、アピールするのが苦手なんです・・・」。ノーミスすることは当たり前で、そこから点数を伸ばすことが大変なため、大学1年から先生と構成、技の組み合わせを念入りに考えた。大学4年で、だいぶ改善されたが、今度は自分の持ち味であるスケーティングスキルが伸びないのが悔しかったという。
お気に入りの赤い衣装で演技をする安藤
大会に出るというより級を取ることを重視していたが、大学入学後は試合に出ることが多くなり、人に見てもらう機会が増えた。「できたと思ったものに対して感想や手紙が自分のもとに届くことがすごく嬉しかったです。」と笑顔で語った。
また、大学4年の時に主将としてまとめていたスケート部フィギュアスケート部門について、「後輩のみんなが色々提案してくれて。例えば『インスタグラムやってみたいです!』とか!和気あいあいとしていい雰囲気でした。」と話した。部員数が少ない、また集まりも少ない中で、ひとりひとりとコミュニケーションをしっかり取ることはできていたが、「試合の応援にできれば来てきてほしい」など今までの主将が代々伝えてきたことを自分も伝えていかないといけないということが大変だったという。
これまでのスケート人生を振り返って、「本当に親には感謝しています。朝早い練習も、夜遅いときも、試合にもついてきてもらって、私のマネージャーのように一緒に頑張ってもらいました。先生にもこんなに長く教えていただいて、本当にありがたいなと思います。」と感謝の気持ちを述べた。また、「早稲田のスケート部に入ったのも先生と『つながり』があったから。『つながり』のおかげでフィギュアを続けてこられたと思います。いまだにきらきらのスカートはいてるし(笑)スケートを滑らないということはこれからもないと思います。タイミングが合えばリベンジとしてシニアの大会にも出たいです。」
いままでもこれからも、フィギュアスケートが生む「つながり」が安藤の人生を紡いでいく。
(記事 岡すなを、写真 犬飼朋花)