日本のスケーターの誰もが目指す場所、全日本選手権(全日本)。そこには一人一人の物語がある。今井遥(人通3=東京・日本橋女学館)はスケート部には所属していないものの、人間科学部通信教育課程(eスクール)に在籍する早大生。今回は、苦難のシーズンを乗り越えた今井の特別な2日間を追った。
昨季の全日本は15位。シニア移行後初めて、強化選手を外れた。今季は国際大会への派遣もなく、北海道東北ブロックから全日本を目指すことに。ベテランの意地を見せ、ブロックはトップ通過。しかし、今井は10月のこの時点で体に違和感を覚えていた。違和感が確実な痛みに変わったのは、東日本選手権(東日本)直前のこと。症状は悪化し、歩くことすらままならなくなった。満身創痍(そうい)の状態で臨んだ東日本。フリースケーティング(FS)ではクリーンに降りたジャンプは一つもなく、またディダクション4を取られ大きく点数を落とす。なんとか全日本への切符はつかんだが、その後も12月まではジャンプの練習さえできなかった。体はボロボロ。それでも、いつもの美しい笑顔でまた、ファンの前に戻ってきた。
ジャンプはミスが目立ったが、表情豊かに滑り切ったSP
迎えた運命の日。今季のショートプログラム(SP)は、今井にとっての『挑戦』だった。昨季までのSPでは跳ばなかった難易度の高いルッツを、後半に入れる構成だ。コンビネーションジャンプとスピンを終え後半へ。そのトリプルルッツに挑んだが、体勢を崩し着氷が乱れてしまう。終盤は『レジェンド・オブ・フォール』の雄大な音楽に包まれた柔らかいステップシークエンスで『らしさ』を表現したが、ジャンプのミスが響き21位スタートとなった。「ここまできて逃げたくなかった」。元々ジャンプを得点源にする選手ではなかったが、新採点法が導入されジュニア世代も軽々と高難度の技を跳ぶ時代になった今、ルッツをこれまで同様のループに戻す選択肢はなかった。納得のいく演技ではなかったが、己を超えるため立ち向かった今井の挑戦は称賛に値する。
FS、思いの詰まった4分間だった
翌日のFSは2番滑走。冒頭、ダブルアクセル―トリプルトーループを 降りる。続くルッツはまたしても失敗に終わったが、集中力を切らすことなく丁寧に各エレメンツをこなしていく。圧巻だったのは後半の演技。ジャンプの練習ができない時期は、課題であった体力の強化に努めた。その成果を示すように、今季決めることのできていなかったトリプルループを着氷。さらに最後のトリプルサルコーにはセカンドをつけリカバリーにも成功する。繊細な動きと卓越した表現力はこの日も健在で、演技構成点は50点を超えた。東日本のFSを約15点上回る96.29点。どんなに苦しくても、必ず春はやってくる。そんなことを感じさせる『プリマヴェーラ』だった。
「悔しさと安心とここまできたという思いで胸がいっぱいになりました」。FSの演技後あふれ出た大粒の涙が、今季の全てを映し出していた。ことしの全日本は若手の台頭が目立ったが、日本フィギュアスケート界において、今井遥というスケーターが唯一無二の存在であることに変わりはない。今井が氷上に立つ限り、今井の物語は続く。
(記事 川浪康太郎、写真 藤岡小雪、石黒歌奈恵)
結果
▽女子
今井遥 19位 147.58点(SP 21位 51.29点、FS 18位 96.29点)
コメント
今井遥(人通3=東京・日本橋女学館)
SP
――最初のジャンプはすごくスピードがあったように見えましたが
スピードもありましたし、最初のサルコージャンプの流れもあったのでそのままいけるかなと思ったのですが、右足で踏ん張ることができず、右足に乗ったままトーループを跳べなかったので、軸がおかしくなってしまって途中で開くかたちになりました。
――セカンドをダブルにしようとは思わなかったのですか
ダブルにしようという気は全くなく、3回転―3回転を跳ぼうという気持ちでした。
――後半のルッツジャンプに関してはいかがですか
昨季まではルッツジャンプはショートには入れていなかったですし、後半に跳ぶということも試みていなかったので、そこは一つの挑戦でした。ですが、最初のコンビネーションジャンプを失敗してしまうことによって、次のルッツジャンプにもいらないプレッシャーがかかってしまい、ジャンプを跳ぶ前に足も震えていて、嫌なイメージが頭をよぎってしまいました。でも最後まで締め切ろうという思いで、踏み切り自体はよくなかったのですが締め切りました。
――挑戦できたことについてはどう考えていますか
昨季同様3回転―3回転とループジャンプでいく、という安全策を取る手もあったのですが、ここまできて逃げたくなかったですし、途中で投げ出さずに、最後まで失敗してもいいから挑戦し続けようという思いで滑りました。
――新潟での練習時に挙げていた課題を克服することはできましたか
練習ではできることが、試合など緊張がある中ではうまくいかないことが多かったので、今回も滑る前にとても緊張して、最初のポーズも足が震えてしまっていたりだとか、最後まで緊張感が取れずに終わってしまいました。一つ一つの細かいエレメンツを仕上げることができていなかったので、そこに緊張が加わってさらにうまくいかなくなってしまったかなと思います。
――全日本選手権(全日本)にたどり着くまでの今季の歩みを振り返っていかがですか
ブロックから東日本(選手権)にかけて体調を崩してしまって、東日本の時は出場すらできるか分からなくて、ショートの朝の練習は滑ることもできず、いきなり6分間練習からスタートというかたちになってしまいました。東日本もギリギリの通過だったのですが、出場できるかも分からなかったので、全日本で滑れたこと自体すごくよかったなと思いました。ジャンプの練習も12月に入ってから始めたので短い調整だったのですが、最初に今季はルッツを入れると決めていて逃げたくなかったので、今までならきっと安全策にしてループにしていたと思うのですが、最後までやり切ろうという思いで滑れたことだけはよかったかなと思います。
――フリーに向けた意気込みをお願いします
ことし最後のフリーになると思うので、今自分ができることをしっかり一つ一つやって、諦めないで挑戦し続けたいと思います。
FS
――前半のジャンプはいかがでしたか
最初のトリプルトーループは、自分が思っていた以上に高く跳び上がって、空中での制御が大変だったのですが、なんとか降りることができました。そのまま落ち着いた流れでルッツも跳べるかなと思ったのですが、タイミングが合わず、また跳びたいという思いが強すぎて失敗してしまいました。でもその後のフリップやトリプルサルコー―ダブルトーループまで集中力を切らさずにできたのはよかったかなと思います。
――3連続はあえて外したのですか
本当はトリプルサルコー―ダブルトーループ―ダブルループのつもりだったのですが、少しトーループでギリギリな感じがあったので、もしダブルループをつけていたらステップアウトしてしまってGOE(出来栄え点)がマイナスになっていたかもしれないので、そこは落ち着いて2連続でやめておこうと思いました。その後2発目のダブルアクセル―トリプルトーループを狙ったのですが、アクセルが高く上がりすぎて軸が外れてしまったので、つけられなかったです。ですが、今まで体力が持たなくて後半のループジャンプやサルコージャンプをなかなか落ち着いて跳ぶことができなかったので、失敗を引きずらずにサルコーとループを落ち着いてできて、最後のトリプルサルコーは単発の予定だったのですがリカバリーでコンビネーションにできたのはよかったです。
――東日本選手権(東日本)の前に体調を崩されたということですが
膝と股関節に先天性のものがあったみたいで、それが発症してしまったのがちょうど東日本の前でした。ブロックの時からおかしいという感覚はあったのですが、ジャンプが跳べないとか歩けないとかそういう問題ではなかったので検査とかもせずに過ごしていたら、東日本の前に一気にひどくなってしまい、滑ることすら、歩くことすらできなくなってしまったので、これはまずいなと思い精密検査を受けようやく分かったという感じです。
――具体的にはどういった症状なのでしょうか
生まれつきあったらしいのですが、今まで症状が出ていなかったので自分自身気づきはしなくて、たまに両股関節と両膝が変だなということはあったのですが、スケートができないというところまではいっていませんでした。それがいきなりひどくなってしまいました。だいぶ歩けるようになって走れるようにもなったのですが、5分以上は走ることができなくて…。なので、ゆっくりアップしていたりだとか、いつもアップした後に体が冷えてしまって6分間練習に入るのですが、今回はきっちり冷えないように工夫して6分間練習は暖かい状態でできました。
――今も痛みはありますか
リハビリをしながらなので、だましだましやっていくしかないのと、まだ完全に治るというわけではないので、一生つきあっていかないといけないと思っています。ですが、今までは原因が分からなかったのでどうしようもなかったのですが、原因が分かったからリハビリとかも対応できるようになりました。まだ次の試合も今季は残っているので、それに向けて今度は新潟代表として精一杯頑張りたいです。
――リハビリ中、跳べない間に取り組んでいたことはなんですか
先生からは12月に入るまでは滑るのもやめてほしいと言われていて、でも全日本があったのでスケーティングだけはどうしてもしたくて相談しました。フリーで体力がなくて後半のジャンプがボロボロになっていたので、どうしても体力だけは向上させていきたいという思いがあり、ジャンプや技術的な練習はできなかったのですが、氷上でフリーを通した後よりも心拍数が上がるようなトレーニングをしてきました。きょうのフリーは今までは後半のループやサルコー、ましてやリカバリーなんて全然できなかったのですが、体力を鍛えていたおかげで、後半までギリギリ持ったかなと思います。ただ、頭がテンパってしまい、最後のフライングコンビネーションスピンとコンビネーションスピンの構成を少し間違えてしまってそこはレベルが取れていないかなと思います。
――演技後の涙は、ケガのことがあっての涙ですか
そうですね、やっぱりケガもありましたし、終わってみてホッとしたというのももちろんありました。でも、きのうのショートでは緊張してしまって全然楽しんで滑ることができなかったので、今回のフリーは自分の気持ちでしっかり最後まで滑れたのだと思うと安心してしまいました。もちろんもっとできたという悔しい思いもあったのですが、悔しさと安心とここまできたという思いで胸がいっぱいになりました。
――ことしはブロックからのシーズンでしたが、2016年を振り返ってみていかがですか
10月のブロックの時はショートもフリーもプログラムを変えたので、振り付けをこなすことがまず難しかったです。さらに東日本の時は出られるかも分からなかったし、フリーの演技はディダクション4だったので、演技が終わってから「全日本にいけないかもな」という思いもありました。でもようやくここまでこらそれて、ショートは自分の納得する滑りはできなかったのですが、フリーは失敗してしまったジャンプもあったけど引きずらずにそれ以外は跳べたので、自分の最低限の滑りはできたのかなと思います。
単独インタビュー
――早大の人間科学部通信教育課程(eスクール)に入学したきっかけはなんですか
当時アメリカに練習拠点があったので、アメリカにいながら勉強もできる早稲田のeスクールへの入学を決めました。
――eスクールではどのようなことを学んでいるのですか
心理学とか、体に関する医学的なこととか、スケートをやる上でも重要になってくることを学んでいます。
――現在は新潟県を拠点にしていますが、練習環境はいかがですか
新潟に練習拠点があって、コーチは東京にいるので、新潟と東京を行ったり来たりしながら練習しています。新潟のリンクはまだリンクができて2、3年でとてもきれいなので、環境としては滑りやすい氷でとても良いと思います。
――早大の選手を意識することはありますか
私はスケート部には所属していないのでインカレ(日本学生氷上競技選手権)とかは出る予定もなかったのですが、「早稲田優勝してほしいな」とかそういう風に、気にはなっていますね。
――東日本選手権(東日本)から進んだ6名の内大学生は2名のみで、そのもう一人である松嶋那奈選手(スポ3=東京・駒場学園)とショート、フリーともに同じグループで滑ることになりましたが、そのあたりはいかがでしたか
ショートもフリーも那奈ちゃんの後だったので、フリーの時はビックリしました(笑)。昔から知っている選手ですし、私がアメリカにいた時に那奈ちゃんも練習でアメリカに来たりとかもしていたので、同じグループでよかったなと思います。
――一方、ことしは4人の高校生が東日本から全日本(選手権)に進みましたが、東日本のフィギュアスケート界の現状をどう捉えていますか
大学にリンクがある名古屋や関大が強いというのが今のフィギュアの現状ですし、東の枠自体少ないので、その中でも勢いのある高校生が通過するのは自然なことなのかなと思います。
――東西関わらず、ジュニア世代の選手も育ってきていますが、今の日本の女子フィギュアのレベルは今井選手から見てどのように感じていますか
10年程前にフィギュア人気のブームが来てからフィギュアを始めた子たち、トップを目指してきた子たちが今ジュニアに上がってきていて、ジュニアに上がった時から新採点の子たちは最初が旧採点だった選手よりは慣れていますし、最初からその採点方式に対応できるので有利なのかなとも思います。同世代のライバルもたくさんいるので、そういう面でみんな一人一人が強いなと感じています。
――改めて、今回の全日本を振り返っていかがですか
ショートはジャンプの失敗や成功もそうなのですが、自分の足で滑っているという感覚がなく終わってしまいました。フリーは最初から結果やジャンプに関わらず最後まで自分の意志を持って滑り切ろうと思っていたので、それが達成できたのはよかったです。
――今後の進退はどのように考えていますか
とりあえずまだ来月の国体(国民体育大会冬季大会)が残っています。去年は個人3位だったので、ことしは個人で優勝を狙えるように、1カ月もないのですが、これからまたベストを尽くせるように頑張りたいです。