背中を追い続け
少林寺拳法部で過ごした4年間は「人として大きく変わることができたという意味で、人生で最も濃い」4年間だった。井上将(基幹=城北埼玉)は自身の部活を振り返り、そう表現した。入部当初、同期は1人もいなかったが、最後は同期8人で引退した。学年を重ねるごとに、同期は頼れる存在になっていた。そして、主将として練習に取り組む姿勢を見せ続けた。「口下手で、あまり伝えることが上手くないから、自分が部の中で一番努力して上手くないといけない。」と井上は語る。
全日本学生大会の井上(写真左)
井上が少林寺拳法に出会ったのは、高校入学時。それまでは、小学校では野球と水泳を、中学校では卓球部に所属していた。大学に入学後、同じ高校の先輩である尾形桂吾(令2基幹卒=城北埼玉)に声をかけられ、入部を決めた。そこから、井上は先輩に近づきたく、振る舞い方などを近づけようと常に考え努力した。また尾形が後輩指導に力を入れ始め、その思いをしっかりと継承した。
尾形から始まった後輩指導が年々重要視されて行く中で、自分たちの代では何ができるかを井上は考えた。「自分たちの代で最初に大切にしていたのは、手取り足取りカバーしすぎると、本人のその後の成長によくないのではという考え方。求められたのを返すよう指導したいと考えた。」井上個人が大切にしていたのは、「後輩の個性に併せて、なるべく教え方を変えること。」と尾形からの後輩指導の思いをしっかりと継承していた。
1年生4月の段階で同期がいなかったため、その時点で主将になる覚悟はあった。その時の思いから自ら立候補し、井上は主将に就任した。今まで主将の経験はなく後輩とのコミュニケーションをはじめとする多くの苦難に直面した。自分たちが下級生の時の先輩のやり方は通用しないと気づき、しっかりと後輩に歩み寄った。そこで考え方を伝え、理解を深めていった。「今まで先輩がどれだけ考えていたのかを思い知った。詰めが甘い部分や考えが甘い部分を痛感させられ、多くのことを考えていた1年だった。」と振り返る。
主将としての自分に点数を付けると尋ねると、「60点。ギリギリ単位がとれるくらい。」と話す。「4年間は、悔いのないようにやってきた。しかし、最後に自分では試合で勝てないことや、後輩に勝たせられなかったという、結果が付いてこない時があり、個人的に悔しい思いをしたので、60点。教えた後輩たちが後2、3年で、自分ができなかった全日本優勝をしてくれたら、プラス40点分に値する」と言う。
コロナ禍で苦労も多かった1年間。3年生になってコロナが流行し、大会が中止・延期になり、例年とは異なるシーズンとなった。「最初自分も1回気持ちが切れてしまったところがあった。そこから立て直せたのは、同期や先輩がいたからこそ、もう1回やらないといけないと思えた。」と振り返る。「一番辛かったことは、後輩が大会を経験できないこと。代わりに何かできないか必死に考えた。」と後輩を思い寄る。また、「個人的には学生連盟の活動もしていて、大会運営もしていく中で、直前に大会がなくなってしまうことが辛かった。」と語る。
最後に後輩への思いを尋ねると、「自分自身が後輩にどれだけ伝えられたかはわからないが、自分なんかより才能ある子が何人もいるから、才能を無駄にしてほしくない。」と謙遜しながらそう語る。後輩たちには、「あきらめないで高い目標を掲げ続けてほしい」とエールを送る。
井上は、「入部前後で大きく価値観が変わった」と振り返る。井上にとってこの4年間の経験が今後も大きな力になることは間違いない。
(記事 浅野圭音、写真 部員提供)