名実共に日本一へ
『名実共に日本一』。今年度、少林寺拳法部は新体制始動当初から目標としていた悲願の全日本制覇を達成。5月に行われた関東学生大会でも総合優勝を達成するなど、目覚ましい活躍を収めた背景には、主将を務めた尾形圭吾(基理=埼玉城北)による大きな改革があった。昨年度惜しくも届かなかった頂を目指し、尾形は1年間試行錯誤を続けた。尾形が行った改革とは何か。少林寺拳法と共に歩んだ男の少林寺人生を振り返る。
「一つの目標に対してチームが一体感をもってやれていた」。そう語る尾形の目には確かな自信があった。
今年度最初の大会であった関東学生大会で総合優勝にあたる松平杯とOB杯を同時に受賞。この二つの賞を同時に受賞するのは2013年以来実に5年振りであり、チームとしては最高のスタートを切った。しかし、この結果に対して4年生を中心とした幹部の間ではある危機感が生まれた。結果が良すぎたあまり選手たちの間に油断が生じてしまうのではないかと。この状況に尾形自身も危機感を感じ、マネジメントの部分で3つの改革を行った。一つ目はミーティングの形式。これまでは各学年ごとに課題をまとめ、その内容を発表すること自体が目的になってしまっていたが、それだけでは意味がないと今まで以上に話し合いを重視する形式に変えた。6時間近くミーティングを行ったこともあったが、それ以外でもプライベートで後輩を食事に連れていくなど、とにかくコミュニケーションを多くとることを意識。腹を割って話し合えるような関係性を徐々に作り上げていった。二つ目はチューター制の徹底。これまでもなんとなくの制度としては存在していたが、今年度ははっきりと制度化した。大会で結果を残した上級生が下級生の指導につき、練習中は技術面などを教え、練習後にはその講評を。全日本学生大会の前は、上級生は週5回ある全体練習のほとんどの時間を下級生の指導に費やすなど、下級生が成長しやすい環境づくりに重点を置いた。三つ目は自己分析の実施だ。自身の強みや弱み、演武の構成などを個人個人に分析させ、それをもとに幹部との面談を行い、一人一人が自分自身で考えて競技に取り組むよう仕向けた。尾形が語るに「少林寺は頭を使う競技」だ。全日本学生大会で言えば、単独演武では1分~1分15秒、それ以外の演武では1分30秒~2分という限られた演武時間の中でどれだけ自分の実力を見せることができるのか。部員一人一人に考えさせ、悩んでいる後輩がいれば自ら声をかけ、親身になって指導にあたるなどチームの底上げを行った。
部としての一体感をどのように出していくかということに関しても悩んだ。少林寺拳法という競技ではその特性上、団体演武に比べ単独や2、3人での組演武への比率が高いこともあり、他の競技よりもチーム意識というものがどうしても薄くなってしまう傾向にあった。そんな中で、先ほど挙げた3つに加え改革を行ったのが、組演武のペアの組み合わせ決めの方法だ。昨年度までは4年生の幹部と3年生の幹部候補のみが集まって決めていたというペアの組み合わせ決めを今年度は3、4年生全員を集めて行うようにした。上級生全員が部にとって重要な場面に立ち会うことで、部の運営に関して当事者意識をもたせ、全日本学生大会での総合優勝という目標に向かって全体の意識をまとめていった。ミーティングの形式、チューター制の徹底、自己分析の実施。これらの三つに加え、ペア決めの際に上級生全員を関わらせるなどの地道な改革が功を奏し、チーム早稲田として全日本の頂にまで上り詰めた。「全員で取った総合優勝」。その栄冠を誰よりも誇らしげに掲げていたのは他でもない、一年間主将として少林寺拳法部に全てを捧げた尾形であった。
トロフィーを手に喜びをかみしめる尾形(最前列中央)
そんな尾形と少林寺の出会いは10年前にまでさかのぼる。尾形を『息子』と呼び、尾形自身も恩師と慕う中学校時代の担任に連れられ、城北埼玉中の少林寺拳法部の練習を見学に行った時、ある一人の拳士が熱心に競技に打ち込む姿に「かっこいい」と惚れた。その拳士こそ昨年度の早大少林寺拳法部の主将・堂脇周平(平30文構卒)だった。小学校まで野球をやっていたこともあり、中学でも野球を続けようと考えていた尾形だが、この見学によって心機一転、少林寺拳法の道に進むことを決意。そのまま進学した城北埼玉高では主将も務めるなど、中高6年間を少林寺拳法に捧げた。今から4年前、早大に入学した尾形であったが、都の西北への入学を決意したのは早くも高校1年生の時であった。親交のあった4つ上の代の早大主将・日野翔太(平27社卒)に呼ばれ、関東学生大会を見に行った時のこと。「同じ競技なのにこんなにもレベルが違うのか」。早大の団体演武を観戦し、その質の高さに感動させられた。それ以降、早大少林寺拳法部への入部を志した尾形は、武道にも勉学にも熱心に励み、指定校推薦で早大への入学を果たし今に至る。
10年間の少林寺人生に悔いはない
早大入学当時から目標は『日本一』と言ってはいたが、漠然とした目標で、その言葉に対する自信はあまりなかった。しかし、2年時の夏合宿前、主将就任が決まってからは「全員を日本一にしたい」という思いをもって少林寺に真正面から本気で向き合ってきた。本気で向き合った分だけ、多くの迷いや苦悩もあった。そんなときに頼りになったのは、『戦友』と称す同期の拳士たち。「こんなに頼りがいのある仲間がいるのか」と、何度も思った。同じ目標に向かって共に歩んだ仲間たちはこれからも尾形にとって大切なつながりだ。今後は競技を続けるつもりはないが、『家族』のように思っている後輩の頼みであればいつでも足を運ぶという。そんな尾形が『家族』のために行ったいくつかの改革はこれからもきっと引き継がれていくことであろう。10年間武道を極めた拳士がひとり、早大での修行を終えた。
(記事 涌井統矢、写真 涌井統矢、山本小晴)