試行錯誤の4年間
「この4年間は、本当に射撃のことしか考えていなかった。」──────こう語ったのは、2022年度射撃部主将、宮本裕喜(政経=東京・早稲田)。自身の成績の上下に苦しんだ時期もあっただけでなく、コロナ禍で出場権を得ていた大会が中止となる事態に見舞われるなど、選手個人としても、部員をまとめる主将としても決して楽なものではなかった。宮本の射撃に捧げた4年間の日々を振り返る。
中学から早稲田の付属校に通っていた宮本は、「親も通っていた早稲田を受験するというのはなんとなく思っていた」という。文化祭見学に行った早大学院の雰囲気が気に入り、入学を決めた。高校時代はバスケットボール部で活動していた宮本が射撃競技を始めたのは、大学入学後。入学前から射撃部への入部を決めていたわけではなかった。「新しいスポーツをやりたいなと思って、大学の新歓の日、キャンパスを歩いていた中で、たまたま出会ったのが射撃だった。当時の先輩方の話を聞いているうちに実際に銃を撃てる、そんな日本では珍しい競技があるということで興味を惹かれ」入部を決心。
昨年5月に行われた東日本選手権で競技に挑む宮本
競技を本格的に始めてまず感じたことは、「思ったよりも痛いというかきついというか」。慣れない姿勢で長時間試合を行う射撃特有の体の痛みに、最初の3カ月ほどは特に苦しめられたという。そんな宮本が初めてレギュラーに選ばれたのは、1年生の秋に行われた東西六大学定期戦。「1年の春の大会で先輩がレギュラーで撃っている姿を見て、かっこいいなと思っていた中で、1年生の中で唯一のレギュラーとして選ばれたので、練習を頑張ってきて良かったと率直に思った」と振り返った。2、3年時は、「先輩の役に立てるように自分が本番でいい点数を取ろう、撃たなきゃいけないなっていう、身が引き締まる思い」でレギュラーとして試合に臨み続けた。
最も印象に残った大会として宮本が挙げたのは、昨年の7月に行われた日本学生選抜大会だ。この大会で宮本は50m三姿勢60発競技で551点をたたき出し、自身初となるファイナル競技への進出を決めた。さらに、自身が2、3年生だった年の大会はコロナの影響で開催されていなかった大会でもあり、「4年間で1回しか出られなかった大会、という意味でも印象に残っている」と語った。3年生では副将として部を引っ張ってきた宮本だが、主将としての1年を通して、「部員も監督も、人によって考えが違うことは当たり前、そこでどう自分たちのやりたいことを実現していく方法を学んで」自分なりに実現させる力を身に付けた。
真剣な表情の宮本
早大射撃部での4年間を「本当に射撃のことしか考えていなかった。競技の面でも、部の人間関係や他大学の人とのつながりという面でも、射撃で成り立っていた」と振り返った。大学生活を捧げた射撃競技の魅力を聞くと、「魅力である反面つらい面でもあるが、練習をした分が点数に直結するということは全くなく、本番で結果が出せなくとも、別の方法を探せばいいのだ、と常に試行錯誤の繰り返しをしていける」点にある、と語った。常に自分のプレーと向き合い、試行錯誤を重ねることで上を目指し続けた宮本。今後も国体などの出場を目指し、射撃に関わり続ける予定だ。射撃部で培った「試行錯誤を繰り返す力」を生かし、宮本は春から国家公務員としてのキャリアをスタートする。
(記事 石川千紘、写真 橋口遼太郎)