大スターの苦悩
地平線を見つめる瞳が、何かを語ることはない。サングラスに隠されて表情がわからないからだ。その謎めいたカリスマ性に、憧れたセーラーは数知れず。日本ヨット界を引っ張ってきた小泉颯作(スポ=山口・光)は、強豪の早大にあってもすぐにエースとなった。どこにいてもエース。しかし最終学年、主将に就任した小泉は、苦悩の末に大きな決断をする。全員で勝つために、早大が強豪であり続けるために、そのカリスマ性を捨てたのだ。
瀬戸内海に浮かぶ小さな島に生まれた小泉。両親に連れられヨット競技を始めるが、苦悩にもがくなんてことはなかった。生活の中に海がある。言わば、感性そのものが海から来ている。そんな少年が雲の動きから風の流れを読み、思いのままに舟を進ませることなど実に簡単なことだった。
ジュニア時代の合宿で出会った早大卒のコーチの影響で早大を志望した小泉。入学後、すぐにレギュラーを獲得した。3年時には個人の全国大会で日本一となる。団体でも全日本学生選手権では総合優勝を果たした。そして連覇を目指すべく、次期主将に任命される。大学での実績、それ以前の実績、そして何よりそのカリスマ性を考えれば、当然のことだった。反対する者はいない。いや、正しくは誰も反対できなかったと言うべきなのだろう。自身も、圧倒的な成績で他の部員を引っ張るつもりでいた。
しかし、春以降の大会で結果が出ない。後輩の岡田奎樹(スポ2-佐賀・唐津西)が自分の過去を見ているような大活躍をする中、自分は嘘のようなレースしかできない。原因は明らかで、チーム全体を思うあまりに自身のプレーに集中できなかったから。だか、スターとしてそれを理由にすることはできない。あくまで一時の不振だ。心に言い聞かせる。それでも成績が残せず、ついてきていた部員が離れていくのではないかと不安になった。
そんなとき、あることに気がついた。下級生の頃、のびのびとレースに臨めていたこと。それは、そんな環境を作ってくれた先輩方のおかげだったのだということ。最上級生となったいま、自分がその役割を担うべきなのではないのか。「成績だけで引っ張るのでは、走れなくなったときに信じてもらえない」。エースであり続ける中でも、練習では後輩とのコミュニケーションを積極的に図る。時にはヨットとは関係のないことや気持ちの部分でも支えになろうと尽くした。そうして後輩たちが成長していくうちに、ずっと鳴らしてきたそのカリスマ性はどこかへ消えてしまう。レースで小泉が一番遅いことも珍しくなくなった。それでも後輩たちは言う。「やっぱり颯作さんはすごい」。ヨットの腕だけでなく、チームをまとめる主将となった小泉は、2年連続の日本一へ向け突き進んでいった。そして見事、日本一を達成。紛れもなく、全員でつかんだ優勝だった。
団体戦でシーズン初の勝利を挙げた際、小泉はこぶしを大きく突き上げた
その瞳が、何かを語ることはない。サングラスの奥の表情は依然としてわからない。今後は実業団に入り、個人でオリンピックを目指すため、かつてのような孤高のエースに成り戻ってしまうかもしれない。いや、それが小泉本来の姿であって、ワセダの小泉はセーラーたちの憧れではなかったのかもしれない。ただ、もしそうなったとしても、早大での日々を日本のエースが忘れることはないだろう。不甲斐ない成績にもついてきた部員がいたこと、日本一の喜びで江ノ島の海にみんなで飛び込んだこと、信頼した仲間が自分の艇にエンジの旗を立ててくれたこと、その多くの思い出を小泉はずっと忘れない。
(記事 菖蒲貴司、写真 丸山美帆氏)