ワセダを代表して大会の運営に関わる主務の古家帆高(文構4=東京・早大学院)。マネージャーとして、時にチームの分析も行う大堀裕太郎(文構4=東京・早大学院)。高校時から一緒にヨット競技を始め、現在では裏方として活躍する非常に共通点の多い二人だ。全日本インカレでの完全制覇から新体制となる中で、いかにして選手を諦め、裏方としてチームを支えるようになったのか。共に通う戸山キャンパスにて、取材に応じてくださった。
※この取材は10月14日に行われたものです。
「日本一になるために入った」(古家・大堀)
高校時から7年来の仲である
――今季のチームはいかがですが
古家 春先はなかなか調子が出なかったと思いますが、夏に向かって、練習量が上がるにつれて徐々に結果が出てきているのかなと感じています。きょねんまでは「強風のワセダ」と呼ばれるくらいに強風が強かった、逆に言えば微風だとあまり良くないと思われていたのですが、ことしはオールラウンドで微風から中風域まで全般的に走れているのが強みになっているのだと思います。
――調子が上向いた分岐点というのはどのあたりだと思われますか
古家 同志社定期戦からだと思います。日頃の練習の成果が、そのあたりから出始めたなと思っています。
――大堀さんはいかがですか
大堀 質問って何でしたっけ?(笑)
――今季ここまでのチーム状態は
大堀 5、6月から1年生が入ってきて、レギュラー艇以外の選手が入ってきてくれたおかげで、チームの底が上がり、層が厚くなってきているのかなと思っています。
――おふたりは大会期間中ではどのような役割をされていますか
大堀 レースに出ている選手を支えるサポートチームをまとめるような係で、まとめると言っても下級生に仕事を与えて自分は見守るのですが、サポートとして主に選手の身に何かあったときや何かが壊れたときなどに対応できるようにしています。
古家 基本的に大会運営をしているのでワセダに貢献しているとは言えないのかもしれません。レース期間は公平な環境をつくることに努めているので、心の中では応援していますが、実際にはレースが上手く行われるように動いています。
――本部艇に乗られることは
古家 あまりないですが、定期戦をするときは仕切るときもあります。
――早大学院高でヨットを始められた理由は
古家 小、中学生のときには水泳をしていたので、そこで水に関わる競技をやってみたいと思っていました。それと、父親がヨットをしていたこともあり、その影響が大きかったのかなと思います。
――高校には水泳部はなかったのですか
古家 あったのですが、体験に行ってみるとそこには水球をしている人たちがいて(笑)。水泳部ではなく水球部だったようで(笑)。それはちょっと違うかなと思って、少し考えてヨットに決めました。
――大堀さんは
大堀 最初、ぼくはヨットと言えばクルーザーだと思っていて、クルーザーだと優雅そうなイメージがあったので学生生活をゆっくり過ごせそうだなと感じて入部したのですが、まあ小さい二人乗りの艇が出てきて、その時点では入ると言ってしまっていたので、そのまま入ってしまいました。
――では、なんとなくという感じですか
古家 大堀はいろいろ違う部活に入っていた。
――ちなみに何をされていたのですか
大堀 最初は軟式野球部に入っていました。その他いろいろ入っていて結局はヨット部に入っていたのですが、あまり高校のときは活動していた記憶はないですね。
古家 (笑)
――現在、大学のヨット部に属していることもなんだか不思議な感覚でしょうか
大堀 大学でもヨットを続けようと思ったのは、そもそも高校のヨット部であまりできなかったなと思っていたことと、人生で日本一を狙えるのは大学でヨットを続けることくらいでしか無理なのではないかなと少しよぎったので、小泉(颯作主将、スポ4=山口・光)に誘われて入りました。
――古家さんはどういった経緯で大学でもヨットを続けられたのですか
古家 大学に入学した当初は何をやっていいかわからずに、何かひとつ大学で本気でできるものがあればいいなと思っていました。あとは、日本一への意識ですね。高校のときはインターハイに出場できずに悔しい思いをしたので、大学に入ってそれを取り返すではないですけど、そう思って入部しました。
大堀 いま思い出しましたが、さっき話した理由は半分で、もう半分は花岡(航副将、創理4=京都・洛北)と新歓の食事会で盛り上がって、「もう入っちゃおうぜ」って(笑)。それで体育会に入るようなキャラじゃないのに入ってしまって。
――早大学院高ヨット部での経験はいまどのような場面で生きていますか
古家 全くないですね(笑)
――大堀さんはいかがですか
大堀 ないですね。なんというかサークルみたいな感覚でやっていました。あのときちゃんとやっていなかったから、今ちゃんとやろうというようなところもあるので。
「客観的な目線で見ています」(古家)
古家はワセダを代表して大会運営を行う
――一緒にやってきた同期や後輩が活躍する姿を見ていていかがですか
大堀 同期に関しては、やはり競技面でチームを引っ張ってくれていますし、特に小泉は主将としてチーム全体を引っ張る存在として日々やってくれているので同期としても尊敬している部分はあります。同期だけではなく、今までの先輩や3年生以下の後輩も、個性が強過ぎてなかなかおもしろい集団なのですが、それでもオンとオフは切り替えてやることはやってくれるし、上級生のぼくも助けられています。
――古家さんは先ほど、「ワセダとして貢献できていない」というお話もありましたが、大会運営中にワセダが強いなと感じることはあるのでしょうか
古家 大会運営の場では客観的な目線で見ていますね。さすがだなと思うこともありますし、まだまだだなと感じることもあります。関東で言えば慶大や、関西の同大や関西学院大にはもっと上手な選手がいますし、大会を運営していて様々なセーラーを見ているので、ワセダもまだまだつめていけるなと個人的に思っていますね。
――選手として入部したのにも関わらず、裏方に徹するようになったのは
古家 自分は3年から4年に上がるときに、裏方に徹することになりました。自分自身のプライドが高かったのもあり、選手を辞めることがすごく怖く、恥ずかしいと思い、抵抗がありましたが、自分が結局ヨット部で目指しているものは、個人としてレギュラーを取ることだけでなく、日本一の景色を見たいから入部したという思いが強くありました。その中で3年生としての自分の現状を鑑みると、レギュラーじゃないときに部活に貢献できることは何かと考えた時に思い至ったのが裏方としての仕事でした。しかし、そのときの決断は自分としてもすごく逃げているような気持ちもある一方、攻めていく気持ちもあり、複雑な心境でしたね。
――大堀さんは病気のために一度部を離れられて、その後マネージャーとして復帰されました
大堀 3年生の春前に病気になり、その年の夏に小泉とイタリアで行われるに出る予定だったのですが、病気になり、出場することが出来なくなりました。さらにその代の活動にも全く参加することが出来なくなりました。そのとき、正直部活を辞めてしまおうかという気持ちもありました。それでも辞めないで続けようと思ったのは、ヨット部の個性的な面々が離れてみて改めて好きだなと思い、部に戻って自分に何か出きるかなって考えたときに、ワセダのヨット部にはなぜかマネージャーがいなくて、自分の代にもマネージャーが2、3人、同期の女子で入ってくれていましたが、先輩マネージャーがいないので、マネージャーとしてやる仕事が無い状況で、その子達がマネージャーとしている意味無いじゃんという感じで辞めてしまっていました。それで、自分が4年のマネージャーとして部に戻って、何かしら、マネージャーとしての新しい仕事を作っていくことができれば、何か1年生としての雑用以外に何かマネージャーとしての仕事を作ってあげれば、ヨット部にマネージャーが継続して入ってくれるかなと思いました。マネージャーがいた方がチームとして、より、これから先も強くなっていくと思ったので、自分はマネージャーとして一年間続けようと思ったのがキッカケです。
――普段の練習ではどのような手伝いやサポートを行っていますか
古家 海上よりも陸上での主務としての仕事がメインでやっていて、いかに活動を円滑に回すことができるかということを意識しています。結局は、裏方の仕事は出来て当たり前という観念もあって、別に当たり前のことを当たり前にやって評価されたいと思っているわけではないし、実際評価もされていないと思います。いかに当たり前のことをしっかりとこなすかで、部活にどのような貢献ができるかということを常に考えて仕事をしています。見えないところで。逆に大堀は海上でガッツリ、コーチのしたでサポートをしっかりまとめていると思います。
大堀 小松さん(一憲コーチ、元470級日本代表コーチ)の付き人です。週に4回は電話してます(笑)
古家 彼女とよりも電話してる(笑)
大堀 小松さんが彼女ですね(笑)
――お二人が思う全日本インカレのキーマンは
大堀 市川(夏未、社3=埼玉・早大本庄)ですね。470チームは主将小泉、国体優勝経験のある岡田(奎樹、スポ2=佐賀・唐津西)、もう1挺が市川という図で、レギュラー3挺というくくりだと、他の二人には劣るがそれでも普段の練習では2挺に劣らず、しっかり走っていて、ぼくも2年の頃は市川と乗っていて、負けたときは泣いたり、本当に男勝りな部分、負けん気の強い選手なので、他の2挺に関しては心配ないので、市川が全日本インカレで自分の気持ちを全部出して、暴れてくれれば、良いなっていうか、キーパーソンというよりは期待しているという感じです。
古家 ぼくも市川ですね。成績ももちろん、ペアの永松(瀬羅、スポ3=大分・別府青山)はいつも明るいというか、楽しそうにヨットに乗っていて、そういう良い面を走りに出してくれれば、チームとしての雰囲気も良くなるし、そういった精神面でもキーパーソンなのかなといった気がします。
――スナイプ好調の要因
大堀 スナイプリーダーの島本が性格がすごく明るくて、下級生からの信頼も親しみやすさも持っています。スナイプチームの雰囲気が島本のおかげで良くなっているのもスナイプが強くなった要因だと思っていて、あとスキッパーに関して言えば、3挺ともレギュラーがそのままなので経験も豊富というのも一因というのもあり、安定しているのだと思います。
古家 スナイプの弱点は軽風域だったのですが、きょねんのインカレがずっと強風だったのもあり、弱点を克服せずに優勝してしまいました。ことしは強風の練習が比較的少なくなって、軽風域という弱点に対してしっかり取り組んでチーム力を底上げできたというのもあると思っています。あとは島本の存在が、すごく大きいと思っています。メリハリがしっかりつけられていて、それがスナイプチーム全体にしっかり波及しているので、そういったチームを構築できているのはすごく自己成長できているなと思っています。
「真価が問われる大会」(大堀)
大堀はマネージャーとしてチームを支えた
――自分にとってのワセダのヨット部とは何でしょうか
古家 『学生生活そのもの』ですね。21年生きてきた中で、ヨット部から多くのことを学べましたし、自分の未熟さも教えてもらえました。そこで未来はわからないですけど、一つの集大成、自分が今までやってきたことの全てを出して、自分がやるべきこと、足りないところが何かを教えてくれた場所です。
大堀 4年間、ヨット部でほとんど活動を共にしてきて、ヨット部は『家族』のようなものですね。大げさですけど、社会の縮図みたいな感じですね。
――最後に全日本インカレへ向けての抱負をお願いします
古家 勝つことです。他大にはもちろん、最後の敵は自分たちで、自分が今まで仕事をしていった中で、いかに妥協せずに出し切るかということをずっと大事にしていたので、最後までチームとしても個人としてもやり通したいですね。勝つこと、インカレで必ず優勝したいです。
大堀 目標は総合優勝です。ことし感じたのは、大学ヨット部としての活動はOB・OGや先輩方、コーチなどのいろんな人々に支えられて成り立っているということ。それを踏まえて主将を軸に1年間作り上げて来たチームの集大成というか、真価が問われる大会になると思っています。
――ありがとうございました!
(取材・編集 菖蒲貴司、浅野純輝)
好調ヨット部の縁の下の力持ち
◆古家帆高(ふるや・ほたか)(※写真左)
1994年(平6)1月21日生まれのAB型。身長184センチ、体重63キロ。東京・早大学院高出身。文化構想学部4年。本を読むのが昔から好きだったという古家さん。音楽にも関心があり、文化構想学部を選んだそうです。全日本インカレでもヨット部きっての考える文化人が総合優勝を陰ながら後押しすることでしょう。
◆大堀裕太郎(おおほり・ゆうたろう)(※写真右)
1994年(平6)3月1日生まれのA型。身長173センチ。体重56キロ。東京・早大学院高出身。文化構想学部4年。文化構想学部では何をしているかという問いに、心理学と即答された大堀さん。人の心を扱う学問であるだけになかなか難しいと語ります。そんな大堀さんはマネージャーとして部員に対して気配りを欠かしません。全日本インカレも目前、いま、チーム力の真価が問われます。