平成15年にスポーツ科学部が設置されて以来、全国から早大へトップ選手が集まる環境が整った。それはヨット部でも言えることで、第1回の特集で扱った4人はいずれもスポーツ推薦制度を経てエンジのセーラーとなった。ただそんな現在でも、都の西北で学を修めながら、ヨット競技を続ける者も当然いる。今回は早稲田でのキャンパスライフを歩む一方で、集大成の全日本インカレへ臨む3人に、ヨット部での日々と学生生活との両方をうかがった。
※この取材は10月7日に行われたものです。
「いきなりヨットに乗せられて、何をしていいか分からずに泣いていた」(高橋)
ヨット競技を始めたころを思い出す3人
――大学以前より競技を続けられていたと思いますが、そもそもヨットを始めた理由を聞かせてください
堀田 ぼくは学院(早大学院高)に入学してから、水と関わるスポーツをやりたいと考えていました。そうすると学院だとボート部と水球部とヨット部があって、その中で練習場所がボート部は戸田(埼玉県)、水球部は所沢(埼玉県)で、このふたつの部活だと練習後に終電に間に合わないということがわかって、半ば消去法的にヨットになりましたね。
――なぜ水のスポーツをやろうとお考えになったのですか
高橋 水泳がね・・・
堀田 はい(笑)。もともと水泳をやっていて、「水しかないな」という謎の考えに至って、ヨット部の入部を決めましたね。
高橋 堀田はすごいんだよ。誰だっけ、あの有名な・・・瀬戸?
堀田 やめましょうよ(笑)。瀬戸大也選手(スポ3=埼玉栄)ではなく、小学生のときに全国大会に出たのですが、そこで萩野公介選手(現・東洋大)と並んでレースをしたとこがあって。
一同 おー!!!
市川 めっちゃすごいじゃん!!!
堀田 中学のときに自分との実力差がどんどんついていくのがわかって、高校では水泳では通用しないなと思いましたね。
――それでヨットを始めようと
堀田 そうですね、今思えば。
――市川さんはかなり幼い頃からヨットをやられていると聞いていますが
市川 おそらく小学2年のころからだと思いますね。
――高校時代はフットサル部のマネージャーの傍ら、外部チームでヨットを続けられていたと思います
市川 高校のころは420という小さいヨットに乗っていて、個人でやっていて東京湾で練習したりだとか江ノ島に行ってしたりだとか、週末だけしていて、それをお休みしていた期間にちょうどフットサルのマネージャーをしていました。
――小学2年生のときに始められたきっかけとは
市川 両親がやっていた競技で、先に兄がヨットを始めていました。家族で兄の練習を見に行って、ゴムボートの上で飴を食べる生活をしていたのですが・・・
一同 (失笑)
市川 気づいたら自分もヨットに乗っていて始まっていた・・・やるよって言ってないのに・・・
一同 (大爆笑)
――お兄さんの影響が大きいと
市川 そうですね。
――高橋さんは小学生のときから始められたということですが
高橋 そうですね。小学生のときに両親に連れられて、なんか入会させられました。
一同 (大爆笑)
高橋 そして次の週からいきなりヨットに乗せられて、何をしていいか分からずに泣いていました。
一同 (笑)
――中学、高校は部活でやっていたのですか
高橋 いえ。個人でやっていましたね。高校はわりと進学校で、みんな部活に入らずに勉強している子が多かったので、自分も週末だけヨットをやって平日は勉強をしていました。
――そしてヨットを始められて、早大に入ってからも続けようと思った理由をお聞かせください
堀田 いくつか理由はありますが、学院のときにこんな弱いヨット部でやっていても意味がないと思ったことがあるのですが、高校の早慶戦の最後のレースで全国でも強豪の慶應義塾高を相手に前半はリードしていて、そのときに「勝つことの楽しさ」を知って、これはもう大学でもやるしかないと思いました。早大のヨット部は強いので自分も上手くなれると思ったのと、清原さん(駿、創理3=東京・早大学院)の代で学院はインターハイに出場できそうでできなかったので、また清原さんたちと一緒にヨットをやって、大学で全国大会に出て優勝したいなと思い入部を決めました。
市川 私はけっこう悩みましたね、他のスポーツのマネージャーをやってみたいという気持ちもあって。もともとサッカーやフットサルが好きで、よくJリーグの試合を見に行って、それも選手ではなくトレーナーの方が動いているのに目がいってしまって、高校のときは大学でそういうことをしたいなと思っていました。それでも、ヨットをお休みしていた時期に同年代の子たちが活躍しているのを見ると、ちょっと悔しくて。あと、一度高校でヨットをお休みしていたころは決してヨットが嫌いだったわけではなかったので、大学入学を期にもう一度始めようかなとも思っていました。
高橋 代は被っていなのですが、小学時から憧れていた木内蓉子さん(平23人卒=神奈川・湘南)という先輩がいて、私は小さいころから木内さんのことをかっこいいなと思っていました。木内さんになりたいと思っていて――。
堀田、市川 (苦笑)
高橋 高校も木内さんの母校である神奈川の湘南高校を受験しました。そのときは落ちてしまったのですが、大学では木内さんの行ったワセダに行こうと思って、浪人してワセダに入学したときにはもうヨット部に入ることは決めていましたね。
――憧れの人がいたから、ワセダのヨット部を目指したと
高橋 そうですね。私が小学生のときに木内さんは中学生で、そのときに木内さんからヨットの道具をもらって、手紙ももらって、それがワセダ入りのきっかけですね。
「いまは歴史の勉強が楽しいです」(市川)
キャンパスライフをていねいに話す市川
――さて、それぞれの学部で学んでいることは
堀田 2年生なのでまだほとんど必修科目ですね。毎日のように法律の勉強をしています。ゼミは海商法を扱っているところを選びましたが、まだ始まったばかりであまりこれをやっているということはわかりませんね。
市川 海商法?たとえば、なんか例はないの?
堀田 なんでしょう・・・えっと、
高橋 (ヨットが忙しくて)実はあんまり行っていない!
一同 (爆笑)
堀田 2年の後期からゼミが始まるのですが、先週第1回目をしたばかりなのでまだなんとも言えないです。
――海商法のゼミを選ばれた理由は、やはり海で勝負していこうと
堀田 やはり海というのは目につきましたね。それと、どちらかというと商法であったり会社法であったりのほうに興味があったので。また、そのゼミは課題や授業外での活動もさほど大変ではないという話を聞き、ヨット部に属している自分が、自分のペースで学習を進められると思ったのでそこに決めました。
――ここで言う「海商」というのは、貿易関係のことがメインになるのでしょうか
堀田 そうですね。国際的な商取引は全体の99パーセントほどは海を経由して行われているらしく、海商を勉強することで貿易を学べると思いました。貿易を勉強することもおもしろそうだなと思ったので、より海商に興味を持ちましたね。
――市川さんは社会科学部ということで、社会科学部は特に決まったプログラムがなく、生徒によって何を学んでいるかが変わってくると思います
市川 そうですね。私はゼミで国際人権法を学んでいます。先生が優しく、また体育会所属の生徒の集まりなので、いろんな部活の人と交流しています。大会などで休んでしまうことも多いのですが、そのあたりの配慮も十分にしていただけているなと感じています。
――その国際人権法のゼミではどのような活動をされていますか
市川 毎回みんなで人権の問題を議論していますね。
――他にはどのような授業を取られていますか
市川 あとは、日本の歴史上の人物を扱う授業を取っています。受験勉強のような暗記ではなく、人物にスポットをあてて、その人がどういう人間であったかだとか何をどういう意図で行ったかだとか、どちらかというと性格や人柄を学んでいるような気がします。
――歴史はそういう部分がおもしろいですよね
市川 そうですね。そういうこともあって、いまは歴史の勉強が楽しいです。
――高橋さんは教育学部ということで、具体的にはどのようなことを中心にされていますか
高橋 私は女性教育のゼミに入っていて、女性の社会進出だとかジェンダーフリーだとかについて勉強しています。ゼミも全員女子で・・・
市川 女子力の高い画像がゆうみさんのSNSにたくさんアップされていて。
――いいですね。そのゼミを選ぶ際には、ジェンダー分野には興味があったのでしょうか
高橋 ゼミを選ぶときに、私は女子校出身(※桐蔭学園高は男子部、女子部に分けられている)で、女子の生態というのには興味があって。
市川 動物扱い(笑)
高橋 女子校出身者がほとんどで、逆に共学出身の子が1人しかいないゼミで。でも私は高校の3年間しか女子校ではないので、6年間の子に『ニワカ』って呼ばれるんですよ(笑)。
堀田 ぼくも3年間男子校で・・・
――非共学組で、男子校や女子校のトークは盛り上がるのでしょうか
堀田 そうですね。かなり盛り上がります。
高橋 たとえば?
堀田 たとえば、大学に入ったときに「女子との話し方を忘れちゃったよね」だとか、「女子とどう話したらいいんだろうね」なんて話は学院の友達としていましたね。
――当初は異性のいる環境にはなじめなかったのでしょうか
堀田 学院生は最初、学院生同士で固まるので、半年くらい経つとそれぞれの場所で溶け込んでいるみたいなのはよく見ますけどね(笑)。
市川、高橋 そういう感じだね(笑)
――学院生って仲良いですよね
堀田 そうですね。ただ、ぼくは体育会ということもあって学院の衆からはいちばん最初にはがれていったので、そのときにヨット部とサークルで頑張ろうと強く思いました。
――ヨット部の活動もしながら、サークルも入っているのですか
堀田 はい。法サーと呼ばれる、法学部生がほとんど入るサークルに属しています。
高橋 副幹事長!
堀田 ・・・そうですね(笑)
――そのサークルで重役に就かれているのですか
堀田 10個ほどゼミに分かれていて、そのうちのひとつの副ゼミ長みたいなことをやっています。
――では、ヨット部の活動をされていないときは法サーでの重要人物として活躍されているのですか
高橋、市川 (笑)
堀田 ぼくは実務的なことはしていなくて、前期はアフター役をしていました。法律の勉強をしたあとに、
市川 ほんとに勉強してるの?(笑)
堀田 一応してます(笑)。そのあとにご飯に行ったりボーリングをしたりの企画をぼくがしています。
――素晴らしいですね、人数も多いでしょうに
堀田 フルメンバーだと50人程度はいますね。
市川 ほー。
――市川さん、高橋さんはゼミの食事会などでのエピソードは何かありますでしょうか
高橋 私は、きょねんはナイトハイクと言って、先生と一緒に夜に東京タワー付近だとか銀座をぷらぷら歩いたりだとか、あとは富岡八幡宮でお参りしてそのまま門前仲町でもんじゃを食べたりだとか、あとはゼミ合宿で神戸に行ったりだとか・・・
――かなり充実していらっしゃいますね
高橋 全員女子だから、もうただの遊びになっていますね。先生は写真係で良いポジションを確立してると(笑)。
――では、みなさん学業のほうも充実されていて
市川 ・・・(笑)
――部活生が多いスポ科ではなく、その学部を選んだ理由とは一体何なのでしょうか
堀田 法学部を選んだ理由は、コンプライアンスに興味があって、それを勉強するのは法学部が良いかなと思ってからです。
――市川さんは
市川 早大本庄高に入れたことも奇跡のように言われていて(笑)
一同 (笑)
市川 3年間、定期テストで赤点が付きながらもなんとか卒業できたので、あまり学部を選ぶという余裕はなかったですね。社会科学部を選んだのは、将来の選択肢をできるだけ減らさないことを考えたときに、何でもできる社会科学部が良いのではないかと思っていたので志望しました。成績を考えると微妙だったのですがここでもなんとか社学に入ることができました。
――高橋さんは生涯教育学を専修していらっしゃるということで
高橋 わたしは浪人してワセダに入学したのですが、現役時もワセダに合格できなかったら浪人すると決めていたので他大学は受けませんでした。それで浪人が決まったのですが、高校を卒業した開放感から当初はあまり勉強もしていませんでした。それで成績の面で少し不安が残ったので現役時には受験しなかった教育学部も出願してみようとなって。結果的に教育だけ受かったのでそこに飛びつくように入学しました。
――ワセダだけを志望されたというのも、憧れの方がいたから
高橋 そうですね。ワセダしか考えていませんでしたね。
市川 私も大学はワセダしか考えていませんでした。
――それでもう高校の時点でワセダの付属校に入ろうと
市川 そうですね。大学に入るために早大本庄高に入ってしまえと。少し乱暴ではありましたが(笑)
――そういえば市川さんはルーキー対談から2年が経ちました。そのときから比べて何か成長は感じられますか
市川 変わったこと・・・髪色が落ち着いたくらいですかね。
一同 (笑)
高橋 こんなに黒くなっちゃって!(笑)
「考えて乗ることを意識して行動」 (堀田)
堀田は今季途中からレギュラーとなった
――今季ペアの組まれている方の印象は
堀田 島本さん(拓哉、スポ4=千葉・磯辺)の印象ですか・・・風待ちのときなんかに海の上で「歌え」って言われるのですが(笑)
一同 (笑)
――島本さんは歌われないのですか
堀田 絶対歌わない(笑)
一同 (笑)
堀田 歌うと島本さんもノってきてくださります。ヨットの調子も良くて、ぼくも褒められます(笑)
――試合で歌われることもあるのですか
堀田 この前の関東インカレでは2日目の風待ちのときに歌いましたね。いろんな大学の方がいる中で歌うのは、恥ずかしいです(笑)。ただ、それで艇の成績が良くなるなら、まあそれがぼくの役割なのかなとも思います。
――風待ちでは歌うことでモチベーションを保たれているのですね
堀田 先輩のクルーである清原さんは歌が上手でレパートリーも多くて、それで島本さんもぼくにそういうのを求めるので、ヨットよりもプレッシャーなのかもしれません(笑)。
――市川さんは永松瀬羅さん(スポ3=大分・別府青山)と組まれていますが
市川 1年のときから女子のレースでは組んでいましたが、正式にというかちゃんとペアになったのはことしからですかね。瀬羅は自分と正反対な部分が多くて、良い意味でなのですが。わたしは結構暗いのですが(笑)、瀬羅は元気印で笑っていることが多い、というか笑ってばかりいるので、それが良いバランスになっているのではないかなと思います。
――堀田さんのように海の上で歌われることは
堀田 おふたり(市川選手と永松選手)で歌われる上手いんですよ。(笑)
一同 (笑)
市川 まあ、そうですね。歌もそうですけど、なんか女子トークって盛り上がりませんか?
高橋 盛り上がる盛り上がる。やっぱコイバナとか!!!
市川 風待ちのときですね。
――女子同士のペアってあまりないですけど、いいですよね
市川 そうですね。瀬羅が笑っているので。キラキラ!パァッー!!!って感じで(笑)
一同 (大爆笑)
――性格が正反対ということで、レース中に困ることはないのでしょうか
市川 意見が合わないこともあるのですが、自分の走りに集中することができている面もあります。というのも、瀬羅は通常のクルーより競技歴がかなり長いので、こちらがあまりクルーに気を取られないというか、自分の仕事だけに集中できるので、意見が合わないときに、時に瀬羅を頼ることもできると考えれば、それはむしろ良いことなのかなとも思います。
――高橋さんは
高橋 いまは松岡(嶺実、先理1=東京・国学院久我山)と乗っていますが、やはりお互いにしんどくて(笑)。ヨットを始めてわずかで試合に出るのも大変だったと思いますし、ヨットの原理をまだわかっていない後輩と乗る上でわたしも上手く教えられないことも多くて大変でした。それでもやるしかないと思えたのは、嶺実がいなければ自分はレースにさえ出られないと再確認することができたからで、そこからは弱音を吐かずにやれてこられているのかなとは思っています。
――以前は服部さん(勇大、基理3=東京・早実)と乗られていた
高橋 3年の夏くらいまで一生懸命にできない自分がいました。しかし、このままではいけないと思って服部にお願いして、その夏はペアで成長することができたと思います。後輩ではありますが、服部には本当に感謝しています。
――今季ここまでの手応えは
堀田 今季は途中から島本さんと乗ることになって、それまでよりも動作を真剣にやるようになりました。それはもちろんレギュラーになったということもありますが、島本さんと接する機会がこれまで以上に増え、考えて乗ることを意識して行動するようになりましたね。
市川 ずっと春のインカレのときから足を引っ張っているという実感があって、それを克服するためにずっと取り組んでいます。それでも最高だったというレースはひとつもなくて。わたしがポジティブでないということもあるのですが、「あのミスがなければもっと良かった」というふうに、完璧を求めてしまうので、振り返ってみてもあまり手応えはないですね。だから、インカレでは最後によっしゃ!と言える終え方をしたいなと思っています。
高橋 チームはことしになってから全然勝てなくて、早慶戦も最後でひっくり返されて負けてしまって、勝てない原因が自分にあることも多かったので責任を感じていましたし、次のレースまでの課題にもなっていました。そんな中、同志社定期戦で勝って、それからチームが日に日に成長していくのがわかって、秋は良い感じで来ていると思っています。
――長々と語っていただきましたが、改めて早稲田大学ヨット部とはどのような場所ですか
堀田 『高め合える場』ですかね。ぼくは自分に甘いですし、陸だとクズ人間だなと思うこともあるのですが、海にみんなで出ると、下手くそなぼくでも島本さんに教えていただいたり、クルーの動作も服部さんや花岡さん(航副将、創理4=京都・洛北)にいろいろ教えていただいたりで、いろいろなことを『高め合える場』だと感じています。大会でもレギュラーではない選手がサポートに徹してくれて、だからこそテキトーにやってはいけないなと強く感じることができますし、水泳をやっていた頃にはなかったようなチームの一体感を感じることができます。
市川 自分の目標の一節でもあるのですが、『自立し、自立させる場所』だと思っています。これは大学の授業で聞いた言葉で、部活で競技のパフォーマンスと共に人間的に成長するにはどうしたらよいかという議論の中で出てきた言葉なのですが、わたしはひとりひとりが自立していないと部活は成り立たないと思っていて、ひとりひとりが自立できる、または自立できるように成長できる場が部活だといいなという思いも込めて、ワセダのヨット部はそういう『自立し、自立させる』環境だと思っています。いろんな人が集まってうまくやっていく中で、誰も欠けてはいけないですし、そのときにどうしたらみんなで一つの目標に向かっていけるかと考えたときに、それぞれが『自立し、自立させる』ことができれば、突き進んでいけると信じていています。
高橋 『社会』ですね。両親のように優しくなく、友達のように馴れ合うこともなく、自分がしっかりしていないとやっていけないと感じています。わたしは優しい両親のもとに一人っ子として生まれ、高校も女子校で女の子だけのゆるい世界で生きてきました。そしてワセダのヨット部に入って、社会で生きていくことを学んだような気がします。入部当初はヨットの技術以上に集団生活や男子部員との関わりで苦しみましたが、これが『社会』なんだなと、世間というか、世の中の厳しさというものをここで知って、今までが甘かったんだなと気づかされて、それからなんとか食らいついて生活しているうちに人間的に成長することができたかなと思います。
――最後に全日本インカレに向けての意気込みをお願いします
堀田 やはり総合優勝が第一にあります。その上にスナイプ級の優勝。それを達成するため自分ができることを確実にやっていこうと思っています。
市川 今季ここまでで、自分の中で納得のいくレースができていないので、全日本インカレではレース数も多く期間も長いですが、その中で安定した成績を取って、みんなを助けられるようにしっかりと走り切りたいです。
高橋 とにかく全員が後悔しないようなレースにしたいと思っています。後悔しないためには、準備の段階からいろんなことを万全な状態にして全力で取り組むことと人の判断に依存しないことだと考えています。ひとりひとりが自分の判断で行動する、そんなチームで総合優勝したいです。
――ありがとうございました!
(取材・編集 菖蒲貴司、丸山美帆)
楽しそうな本キャン生組
◆堀田芽ノ世(ほった・めのあ)(※写真左)
1995年(平7)8月7日生まれのO型。身長177センチ、体重68キロ。東京・早大学院高出身。法学部2年。今季途中より4年生の島本選手と同乗し、各種大会に出場している堀田選手。以前よりもクルーとして考えて行動するようになったと言います。良い雰囲気で乗ってもらえるように、求められれば海上でも歌を披露なさるようですが、「女性アイドルの曲を歌うと、チッって聞こえてきて(笑)」と苦労することもあるようです。江ノ島ではどんな歌が聴けるのか――。私たちも楽しみにしています!
◆市川夏未(いちかわ・なつみ)(※写真中央)
1994年(平6)9月13日生まれのO型。身長154センチ。埼玉・早大本庄高出身。社会科学部3年。歴史の勉強が楽しいと語ってくださった市川選手。いま気になっている歴史上の人物は渋沢栄一だと言います。オフのときにふらっと本屋に立ち寄り、手にした本の中におもしろい記述があったからだそうです。「コアな部分が書いてあっておもしろいなと。課題の対象になればいいかな」と、学業に対しても強いこだわりを持って臨まれているのだと感じられる良い取材となりました。
◆高橋友海(たかはし・ゆうみ)(※写真右)
1992年(平4)5月21日生まれのB型。身長163センチ。神奈川・桐蔭学園高出身。教育学部4年。ゼミでは女性教育の在り方を研究されている高橋選手。特にスポーツに関しては、女性への指導が適切になされるのが難しいと言います。高橋選手も入部当初は苦しかったと振り返りましたが、今では何人もの後輩を引き連れサポート艇を動かす姿が印象的です。高橋選手のような男社会の中でも立派に生きていくエンジのセーラーが今後も出てくることを祈っています。