『早稲田ラグビー』が教えてくれたこと
1月8日に行われた全国大学選手権(大学選手権)決勝。早大が目指してきた『荒ぶる』は届かず、試合後の笛と同時に儚く散ることとなった。吉村紘(スポ=東福岡)の大学ラグビー人生に終止符が打たれた瞬間だった。幼稚園の卒園アルバムに描かれた、赤黒ジャージーの絵。その赤黒に憧れ、楕円球をひたむきに追い続けてきた。優れた戦術眼で味方に的確な指示を送り、冷静に沈めるコンバージョンキックでは幾度のピンチを救う。「日本代表になることは絶対目標」。チーム随一のストイックさを持つ吉村は、さらなる夢を追いかけ、早稲田大学ラグビー蹴球部を旅立つ。
入学後から、3個上の絶対的司令塔であった岸岡智樹(令2教卒=現クボタスピアーズ)と並び、SOとして頭角を現した吉村は、11年ぶりの優勝の瞬間にもピッチに立つ経験をした。2年時は、新型コロナウイルス蔓延で試合数は少ないものとなったが、1年時の勢いそのままにSOの座を確実にし、チームには欠かせない司令塔として勝利に貢献した。「偉大な先輩方がたくさんいたり、コーチ陣にたくさん教わったり、ラグビーをたくさん学ぶことができたシーズンでした」。気持ちを新たに、上級生となる3年目に突入。しかし、待ち受けていたのはーー。
対抗戦の早明戦で仲間を鼓舞する吉村
3年時の関東大学対抗戦(対抗戦)終盤のことだった。徐々に出場機会が奪われ、早慶戦では突如としてメンバー落ち。自身も思い入れの強い早明戦は、スタンドで観戦することとなる。自身にとっても大きなターニングポイントとなった。悔しくないはずがない。長い伝統が残る早明戦、吉村もその舞台に憧れた少年の一人だったのだから。早大が3年ぶりに勝利したものの、素直に勝利を喜ぶことができなかった。「そっと消えることはなかったです」。短いようで、長く苦悩した。しかし「指摘された課題にしっかりと取り組めたことは良かった」。でも、と吉村は付け加える。「本当に周りの人に支えられました。コーチ陣や同期、家族、友人といろいろな人の声掛けがあって、悪い方向に向かわず、良い方向に変えることができたと思っています」。温かい周囲の支えが苦難を乗り越える道しるべとなった。湧き出る反骨心、そして、大きな支えを一つのエンジンに。吉村は再び心に火を灯したのだ。
もちろん、私情をグラウンド内に持ち込んだりすることはない。Bチームの際には、Aチームにプレッシャーをかけ続けた。練習後には、自身の課題を洗い出し、同選手やグラウンドサポートスタッフを頼って自主練をやりこなす。グラウンド内外で己を律する姿勢を示し、チームに緊張感をもたらせる。その姿は仲間からもストイックと評され、間違いなく部員全員に刺激を与え続けていた。
最終学年、覚悟は決まった。「反骨心をがむしゃらにやるだけでなく、しっかりと見返してやろう」。良い船乗りとなって、再び憧れの舞台に立つために。そして、前年に果たせなかった『荒ぶる』への思いを胸に、仲間を奮い立たせる声を絶やすことなく、自らもボールに食らいついた。それでも、春シーズンは報われない日も続く。自身が望む10番としての出場はなかなか叶えられない。しかし、底知れぬ北九州男児は動じなかった。「練習中の雰囲気づくり。緊張感を持たせるというような、より試合に近いメンタルの状況を作ることを心がけていました」。副将としてある前に、一人の選手として真摯に取り組み、勝つための選択を常に選び続けた。
対抗戦の帝京大戦でゴール成功を狙う吉村
あの日から1年ーー。対抗戦最終節となった早明戦、9年ぶりに行われた国立競技場には、12番を背負う吉村の姿があった。本試合は明大に苦杯を喫したが、吉村は12番としての役割を果たし、難しい角度からのキックも確実に成功させ、得点に貢献。そして対抗戦を3位で終えた早大は、大学選手権初戦を1週間後に控えた。勝たねば終わるという緊張感が増す中、相良昌彦元主将(社=東京・早実)の欠場により、自身がゲームキャプテンを務めることとなる。
「チームがどれだけ成長することができるかを考えた時に、早稲田の強みである貪欲さやチームの一体感というところが足りなかった」。勝ち進む上で、急務となったチームの課題。相良元主将の不在時、4年生BK陣を始めとして「つながり」を要求し、主将がいない時にできることをリーダー陣と共に模索し続けた。自身としても「声を出し続け、きつい時でも15人のコネクションを保ち続けること」は変わらず、これまで以上にコーチ陣とのコミュニケーションを増やし、練習の要望やチームの雰囲気づくりに徹する。こうして全カテゴリーを通して『Tough Choice』を見直す原点に立ち返り、一人一人がエネルギーを分け合って、一枚岩のチームへ。明大戦での悔しい敗北を機に、早大は1カ月という短い期間で、急激な成長を遂げた。
東洋大、明大、京産大と続く接戦を勝ち抜き、帝京大との決勝を前にした吉村はこう話してくれた。「シーズン初期や大学選手権が始まった時以上に、このチームでまだまだラグビーをしたいという思いが強くなっている」。一筋縄ではいかなかった今シーズン、「春は自分フォーカスになっていたところもあった」。努力し苦境から抜け出した吉村のベクトルは、いつしか「大好きなチームのために」という思いに。どんな時も、前向きな発言でチームを想っていた。「早稲田でのラグビー人生に悔いを残さないように、振る舞いからプレーから、一秒一秒にこだわってやり切りたい」。
観客にお辞儀する吉村と早大選手。(対抗戦)明大戦、東洋大戦は自身がゲームキャプテンを務めた
いよいよ迎えた決勝当日、ピッチに入場する吉村の目には涙が溢れていた。「本当はかっこよくいくつもりだったんですけど(笑)」。頬を緩ませ、言葉を続ける。「大学ラグビー最後の試合かという寂しさもあり、このチームで決勝まで来れたうれしさもあり、いろいろな気持ちが混ざった涙でした」。決して順風満帆とはいかなかった4年間。幼き頃の憧れの思いを原動力に、幾多の荒波を乗り越え、着実に歩み続けた。そしてその先、チーム一丸となって決勝という大舞台をつかんだ。しかし、これまで3度の接戦を制してきた早大は、終始苦しい展開を強いられ、王者・帝京大を前に屈することとなった。
「やはり帝京大は強かった。彼らの才能が僕たちよりも高くて、僕たちよりも努力したんだろうなというのは感じましたね。あの時こうしとけばもっと違う展開だったんじゃないかというのは全くないです。完敗でした」。栄冠に輝くことはできなかったが、大学ラグビー最後の試合を終え、帝京大を称える言葉が胸に響く。目指していた結果は伴わなくとも、「やりきりました」。笑顔でそう話す吉村の歩んできた4年間に、後悔という2文字は見当たらない。
そして、吉村は赤黒ジャージーを脱ぎ、NECグリーンロケッツ東葛(GR東葛)へ。「単純に僕のことを評価してくれて嬉しかったです。チームとしてこれから強くなっていくチームだと思いましたし、その成長の過程で、僕もチームの一員として一緒に戦っていきたいと思えたんです」。アーリーエントリー制度を利用し、決勝翌日にはすぐさまチームに合流。「次を見る準備は出来ていました」。吉村に迷いの表情は見えない。これからの新たなラグビー人生にワクワクしているように映った。「現状に満足せず、常にハングリーに取り組み続ける選手でありたいなと思います」。向上心の塊だ。
大学選手権東洋大戦でインゴールに向かう吉村
「完」。早大での4年間をこの一文字に括った。早大OBである後藤翔太コーチ(平17教卒=神奈川・桐蔭学園)からもらった言葉だそうだ。「完」、これは後藤コーチも現役時代、当時の監督から教わったこと。こうしてかつての赤黒の思いは受け継がれているのだ。「早稲田でのラグビーはこれで終わりです。また次は1から積み上げて成長していきます」。この一言で心機一転、吉村は新たな場所での覚悟を決めた。「多くのことを教えてくれました。ラグビー的なスキルもそうですし、考え方のところでもレクチャーしてもらったので、きつい時に乗り越えられた一つの要因でもありました」。後藤コーチのみならず、権丈太郎コーチ(平20スポ卒=福岡・筑紫)、曽我部佳憲コーチ(平19教卒=大阪・啓光学園) などと経験豊富なコーチ陣への恩を口にした。
大きな期待は、簡単に非難の風に変わることを彼はよく知っている。「新しいことにも挑戦し、どんどん吸収して、どんどん成長していきたい」。細部にこだわり、とことん突き詰める真っ直ぐな性格だ。飽くなき向上心を胸に、目指す世界の舞台へ。これから切り拓かれる未来が輝きあるものになりますように。
(記事 谷口花、写真 坂田真彩、谷口花、前田篤弘)