副将だから見られた景色
2021年1月11日、東京・国立競技場に試合終了のホイッスルが響きわたる。全国大学選手権(大学選手権)優勝というタイトルをかけて臨んだ天理大戦に、早大が敗北した瞬間だった。初優勝に歓喜する天理大の横で、早大の選手たちは悔しさをかみ締める。その中に、表情を変えず淡々と整列位置に戻る南徹哉(文=福岡・修猷館)の姿があった。この瞬間に南は何を思ったのか。そして、卒業し新しい道へ足を踏み出す今、何を思うのか。南のラグビー人生をひもとく。
南のルーツは福岡県にある。早大ラグビー部OBである父の影響でラグビーを始め、高校は文武両道で知られる修猷館高に進学。大学でもラグビーを続けることを考えた時に浮かんだのは、やはり幼少期から父の隣で見てきた『早稲田ラグビー』だった。しかし、早大に照準を定めて挑んだ受験は思うようにいかず、1年間の浪人生活を余儀なくされる。2度目のチャレンジで見事早大への入学を果たすものの、南を待っていたのは「ラグビー人生で一番つらかった」と話す新人練習。とにかく周りについていくことに必死だった。上級生になるにつれてAチームでの出場機会は増えるものの、ポジションを争うライバルは1年時からAチームで活躍するFB河瀬諒介(スポ3=大阪・東海大仰星)。3年時もスタメンに定着することはできず、もどかしい気持ちのまま南にとってのラストイヤーは始まった。
この1年で最も印象的だったと振り返るのは、早大ラグビー部員行きつけのレストラン・アオヤギでの出来事だ。そこで丸尾崇真主将(文構=東京・早実)から言われた。「いろいろ考えてお前に副将をやってもらいたい」。
ここから南の環境は大きく変化する。仕事も責任も増えた。何よりも自分以外に目を向けるようになった。メンバーから漏れた早明戦についても、「自分がメンバーに入れなかった悔しさよりも、チームを立て直さなければいけないという気持ちの方が大きかった」と話す。河瀬がけがから復帰したことでプレータイムは試合を重ねるごとに短くなっていったが、南が副将として一番に考えるのはチームの勝利だった。「崇真が副将に任命してくれたおかげで、より早稲田ラグビーのことを考えられた1年になった。ただの4年生だったら見えなかった景色を見せてくれた」と副将に任命してくれた丸尾に感謝する一方で、今でも丸尾にはこう問いかけてみたいと笑う。「本当に僕で良かったのか」と。
大学選手権準決勝終了時にガッツポーズする南
関東大学対抗戦からおよそ2週間後。『荒ぶる』を目指した最後の戦い、大学選手権が始まった。準決勝の帝京大戦では試合終了と同時に、南が天高く拳をつきあげたことが印象的だ。この時のことを南は「負けたら終わりという状況だったので、またもう1週間みんなでラグビーができると思ってうれしかった」と振り返る。迎えた決勝戦。相手は天理大。南が出場したのは、後半38分だ。「自分が中に入ってやれることを全部やろう」。意気込んだ南がピッチに入ったおよそ4分後、試合終了のホイッスルが鳴った。
「とても悔しかったのですが、穏やかな気持ちでもあったような気がします」と天理戦終了の瞬間を振り返る南の表情は晴れやかだ。新型コロナウイルスの影響で春シーズンの試合はなくなり、夏合宿は中止。観客数を制限しながらの試合など、例年通りにはいかなかった今シーズン。しかし、だからこそ得られたものは大きい。「社会に出てもたくさんの周りの人に感謝する気持ちを忘れずに」。周りの人々の支えの大きさは大学に入って知ることができたものの一つだ。幼少期からずっとラグビー中心の生活だったという南は、ここでラグビーの第一線から退く。10年以上の時をラグビーに捧げてきた男は、何事にも代えがたい4年間を経て、新しい世界へ歩みを進めていくのだ。その門出を今ここで、改めて祝福したい。
(記事 内海日和、写真 細井万里男氏、内海日和)