【連載】『令和2年度卒業記念特集』第68回 下川甲嗣/ラグビー

ラグビー男子

2度目のチャレンジ

 入学当初から主力FWとして活躍し、勝利に貢献してきた副将・下川甲嗣(スポ=福岡・修猷館)。ラグビーを「本当の自分を一番出せる場所」と語る下川は卒業後、トップリーグの道へと進む。加入先は世界を舞台に戦う選手も多く集まるサントリーサンゴリアス(サントリー)。ハイレベルな環境に身を置き、自分を成長させるチャレンジ精神は、間違いなく下川の飛躍を支えてきたものの一つだ。そんな下川のこれまでとこれからの『挑戦』を追う。

 4歳の頃に兄の影響で福岡・草ヶ江ヤングラガーズでラグビーを始めた。はじめは嫌いで行きたくなかった練習も、小学校高学年になるにつれてラグビーを理解できるようになると、どんどん楽しくなってきた。高校は地元の修猷館高に進学。花園出場はかなわなかったものの、U17日本代表に選出された。その活躍ぶりもあって、早大ラグビー部の山下大悟前監督(平15人卒)から声がかかった。小さい頃から観ていた大学ラグビーの試合。自然と早大に憧れていた。兄が進学した慶大にも魅力を感じていたため迷いもあったが、「声がかかることなんてないから早大に行った方がいい」と兄に背中を押され、レベルの高いラグビーができる早大ラグビー部に「チャレンジしてみよう」と入部を決意した。

筑波大戦で積極的なボールキャリーを見せる下川

 早大ラグビー部の同期や先輩は、花園常連校出身など全国レベルで有名な選手もいたため、当時の心境を「最初はついていけるかどうか不安の気持ちが大きかった」と語る。しかしその心配は杞憂(きゆう)に終わった。1年時にAチームで試合に出場してから4年間、主力選手としてチームに貢献し続けた。「試合に出始めた頃は思いっきりやって落とされたらそれでいいや、くらいの気持ちでプレーしていました」。頼もしい先輩がいたから気負わず純粋にプレーを楽しめた。意識が変わったのは3年生の時。委員の役職に就いてからだ。そこではじめてチーム全体のことを考えるようになった。4年生で副将になってからは、少しでも多くの人とコミュニケーションをとるように意識し、チームをリードしてきた。組織全体のことを考えることができるようになったのは、下川が大学に入って自分が成長したと思う点だという。

 「足も速くないし派手なプレーもできないから、ひたすら地味に動き続けて得点のきっかけになることが自分の役割だったと思います」。セットプレーはもちろん、フィールド上でも働き続けるポジションであるロックにやりがいを感じていた。そんな下川のラストシーズンの目標は『日本一のロック』。その目標はあと一歩のところで天理大に達成を阻まれた。しかし、大学ラグビーにやり残したことはない。「次のチームが日本一になれたら、自分が目指していた『日本一のロック』を目標にしてよかったと思えると思います」。後輩に大学日本一を託し、下川はトップリーグの道へ進む。

 卒業後に加入するサントリーは、日本のみならず、海外でも活躍する選手が多数在籍しており、早大と同じように「本気で日本一を目指しているチーム」だ。そんなサントリーでプレーしたかった。そして何より、自分がどこまでできるのか『チャレンジ』したかった。「大学に入る前の気持ちと似ていて、不安な気持ちもあるし、自分がどこまでできるかっていうチャレンジングな気持ちもあります」。サイズやスキルではまだほかの強力な選手たちに勝てないが、早大でのロックとNO・8の複数ポジションの経験と、培ってきた運動量で勝負していくつもりだ。

 「小学生の頃は漠然と、野球をしている人がプロ野球選手になりたいというような感覚でラグビー選手になりたかった」。幼き頃の漠然とした下川の夢は、年月を経てしっかりとしたかたちになりつつある。ラグビー人生における一番の目標は日本代表。W杯での日本代表の活躍を見て、「チャレンジしたい」と思ったのだ。そのためにはまず、目の前のことに挑戦していかなければならない。代表入りのために必要なことがサントリーにはたくさん詰まっている。必ず学ぶことがある。試合にでることは「絶対条件」だ。目の前の目標を達成したその先にきっと、新しい挑戦が下川を待っている。
 飽くなき向上心で歩んできた下川のラグビー人生はまだ長い。早大での4年間を糧に、下川の2度目のチャレンジが始まろうとしている。

(記事 塩塚梨子、写真 初見香菜子氏、橋口遼太郎)