【連載】『令和2年度卒業記念特集』第69回 丸尾崇真/ラグビー

ラグビー男子

『早稲田のラグビー』にささげた半生

 「長い長い第一章が終わった」。丸尾崇真(文構=東京・早実)はラグビー人生16年をこう振り返る。全国大学選手権決勝(大学選手権)を戦った早大ラグビー蹴球部の主将である。その実力は誰もが認めるところであり、トップリーグからのオファーは多くあった。しかし、丸尾は卒業後ラグビーの第一線から退く決意を固めた。選んだのは、欧州への留学という主将としては異色の道。そんな丸尾の思いに迫る。

 兄に続いてラグビーを始めたのは小学生の頃だ。早実初等部に通っていたこともあり、自ずと早大へ憧れを抱くようになった。入学前から、早大が負けると悔しかった。『荒ぶる』が人生で最初に抱いた夢だったと振り返る。夢を追いかけて中高大と早稲田一筋。『荒ぶる』をゴールに、全てをそれに照らし合わせて行動した。しかし、それを達成したあとは? ――丸尾の迷いはそこにあった。

  3年で進路を考えたとき、ラグビーを続けるかやめるかで悩んだという。卒業後、「何を目標にラグビーをやっていくのか」がわからなくなった。W杯を見れば何か変わるかもしれないと期待したが、全国を熱狂させた日本代表の活躍を見てもその迷いが消えることはなかった。そして気づいたのは「自分はラグビーというより『早稲田のラグビー』が好き」なのだということ。「明確な目標がないとラグビーはできない」と思った丸尾は、第一線から退く道を考え始めた。だが、就職活動を始めさまざまな企業の話を聞いても、どこか自分にうそをついているようで納得のいく道が見つからない。自分が本当にやりたいことは何か、逡巡(しゅんじゅん)の末に定めた道が、学業をメインにした留学であった。

大学選手権の決勝後スタンドを見つめる丸尾

  ラグビー人生を締めくくる最終シーズンは、2年連続の決勝進出を果たしたものの、天理大に敗北。準優勝で幕を下ろした。結果について丸尾は、「悔しさはもちろんありますけど、過ごしてきた日々に後悔はない」と言い切る。4年で主将になり、コロナ禍という先の見えない状況に置かれても、丸尾が動じることはなかった。「試合があろうとなかろうと目指すべきものは変わらない」。自分なりの大義があったから、強かった。主将としての1年を経て感じたことは二つあるという。まず、自分の成長。一つ一つの言動に責任が伴う主将という立場に立つことで、雑念がなくなりがっしりとした自分の芯が浮き彫りになった。確固たる軸を自覚したことで身に付いた自信は、不確定な日々が続く中で部員にとって頼もしかったに違いない。そして、二つ目は周囲への感謝である。4年生になってからのインタビューでは丸尾から「感謝」という言葉を必ず聞いた。「昔は全然感謝とかする人間ではなかったですけどね」と笑う。支えてくれた周囲の人へ、切磋琢磨(せっさたくま)し合った同期へ、周りの環境へ、関わる全ての人へ。コロナ禍で試合の開催も危ぶまれた状況だったことが一層丸尾に感謝の気持ちを呼び起こさせた。決勝後の会見でも、「コロナの中でラグビーができるだけで本当に幸せなことでした」と口にしたことが印象深い。

 ラグビーができることの幸せと感謝を胸に最善を尽くした1年は、「とても充実していた」と振り返る。勝敗が決した瞬間、どこか清々しいような表情を見せた丸尾は、悔しさと同時にやりきった充足感も感じていたのではないだろうか。

 これまでのラグビー人生にタイトルをつけるなら。そう聞くと、考えた後に「第一章じゃないですかね」と答えた。「長い長い第一章。番外編がこれから2年ありますけど」。留学先には大学院で2年間ラグビーをプレーできる環境を選んだ。ラグビーとは「決別はしない。全てが僕の糧となっているので」。
学業もラグビーもうまくいかずもどかしかった大学1年、スタメンに定着し自由に楽しくラグビーができるようになった2年、チームの好成績と満足のいかない自分のプレーとのギャップに苦しんだ3年、チームを率いる立場になり人間としても大きく成長した4年。中高も含めてこれまでの生活はラグビーとともにあり、ともに喜怒哀楽を感じてきた。その経験を通して培った全ての学びは、どんなフィールドに進んでも丸尾の原動力となるに違いない。

 目指す道を明確に定め、そこに向かって一直線に進んでいく生き方だ。うそのつけない性分は時に衝突も生むだろうが、熱い想いは人々を魅了し声援を生む。それらすべてを燃料に、丸尾の情熱の炎はさらに大きくなっていく。「いつかこの経験があったからこそ前に進めたんだと言えるような人生を歩みたい」。決勝の悔しささえも燃料に変えてみせる。自分なりの大義を追い求め、丸尾崇真の第二章が始まる。

(記事 山口日奈子氏、写真 安岡菜月氏、早稲田大学スポーツ競技センター)