ラグビーに魅了された17年
「やめたくてもやめられない、不思議なスポーツ」――ラグビーとはどんなものか。その問いかけに幸重天(文構=大分舞鶴)はこう答えた。決して楽しいことばかりではなかったラグビー人生。そんな幸重が卒部を迎える今、彼がラグビーを始めてからの17年間を振り返る。
幸重がラグビーを始めたのは5歳の時だ。実家の近くのラグビークラブに所属していた兄の練習に毎週のように連れられて、「気付いたらグラウンドにいた」。自身のラグビー人生のスタートをこう語る。兄の存在は高校進学にも大きな影響をもたらした。兄が大分舞鶴高校でプレーする姿に憧れを抱き、同校への進学を決める。高校時代は1年時からメンバー入りし、3年時には主将も務めた。だが、早大進学後に待ち構えていたのは自分よりもレベルの高い同期の存在だった。「自分がリーダーで、トップに立って引っ張っていく立場だった」という高校時代と打って変わり、肉体的にも精神的にもきつい練習について行くのに精一杯の毎日。1年生の間は、CチームやDチームでの試合出場が続いた。しかし、1年生の終わりから2年生にかけて体重を増やし身体を大きくしたことが功を奏し、2年時にはAチームのメンバーに定着。初めてAチームのメンバーとして試合に出た日のことは今でも鮮明に覚えているという。試合前には提供された食事も喉を通らないほどの緊張に襲われ、試合中は無我夢中でラグビーをした。そんな試合の後、山下大悟前監督(平15人卒=神奈川・桐蔭学園)に評価され、そこから試合に使ってもらえるようになったという。山下前監督の幸重への期待は大きく、2年生の時の練習後には3,40分にも及ぶ個人練習が毎日のように行われた。「あの時期は本当にしんどかったです。死ぬかと思いました」と4年間で一番つらかったこととしてこの時期を振り返る。そんな山下前監督の期待に答えるように幸重は成長を続け、2年生の終わりにはジュニアジャパンにも選出。4年生になると、同期の推薦などにより副将に指名された。
優勝した喜びに笑顔を見せる幸重(中央)
副将になることが決まったとき、同期の思いはうれしかったが自身で副将が務まるのかという不安も感じたという。自分よりも優れた選手はたくさんいる。そんな中で自分がするべき事は練習の雰囲気を下げさせない事だと思い、練習中はだれよりも声を出し、体を張った。周りの空気を読み、人に強く物事を言えないという自身の性格がチームを支えていく中で障害となることもあった。しかし、幸重は1年間、副将としてチームのバランスを考え、結果として一体感のあるチームの雰囲気をつくりあげることができた。4年生のシーズンを幸重は「ドラマみたいな展開だった」と振り返る。1年を通して常に順調だったわけではなかった。負け試合が続いた春シーズンや勝てると思っていた早明戦での完敗。多くの壁にぶつかったが全国大学選手権では悲願の日本一を奪還し、見事『荒ぶる』を奪還した。勝利を収めた瞬間は、うれしすぎて何が何だかわからず、日本一になったという実感は時間の経過と共に徐々に沸いてきたという。「いろいろありました。でも、最後1年、楽しかったです。勝ったからかもしれないですけど」。幸重は自身のラストイヤーを笑顔でこう締めくくった。
卒業後は一般企業へ就職するが、ラグビーはプレッシャーなく楽しくプレーできる環境で続けるつもりだ。高校、大学時代から自分の学校や部活が大好きで誇りを持っていた幸重は、企業の人と関わる中で自社に誇りを持っていることが一番伝わってきた企業を就職先に決めたという。自らが置かれた環境に誇りを持っていると自信を持って口にする事は簡単な事ではない。そう胸を張って言うことができるのは、幸重自身が常にラグビーと本気で向き合い、想像を絶する努力をしてきたからだろう。そんな幸重はラグビーではない新たなステージへ進んでも、誇りを持った人生を歩み続けるに違いない。
(記事 黒田琴子、写真 千葉洋介氏、石井尚紀氏)