【連載】『令和元年度卒業記念特集』第68回 柴田徹/ラグビー

ラグビー男子

『荒ぶる』の理由

 ラグビーにおいて試合に出場できるのは15人。ユニホームを着ることができるのは23人。100人を超える部員数を誇る早大ラグビー蹴球部では、最後の試合を部員席から見守る者、赤黒を一度も着ることができない者も多くいる。当然、前年赤黒を着ていたことが次の年のスタメンを約束するとは限らない。1年時からスタメン争いに加わりながら、優勝の瞬間を部員席から見届けた柴田徹(社=神奈川・桐蔭学園)。どんな思いを抱えていたのか。彼のラグビー人生を追う。

 柴田の原点は富山県にある。小学4年生の頃、通っていたスイミングスクールが経営難で潰れ、新しいスポーツを探した時にたまたま出会ったのがラグビー。そのままラグビーにのめり込む。ラグビー人口の少ない富山で周りとの温度差も感じていた柴田は、「全員が日本一を目指す環境に憧れていた」と遠く離れた桐蔭学園に進学することを選んだ。そこで齋藤直人(スポ=神奈川・桐蔭学園)と出会い、そのラグビーに対するひたむきさに衝撃を受ける。高校3年時には齋藤が主将、柴田が副将という体制で花園準優勝に輝くと、大学でもラグビーを続けようとしていた柴田は、当時の監督の勧めもあり、早大進学を決めた。

春季大会の帝京大戦でゲインする柴田

 1年の春に赤黒を着る機会を手にすると、齋藤をはじめとする同期達と肩を並べ試合に出場。当時の状況を「ただ単純に嬉しかった」と柴田は話す。3年時には当時主将であった佐藤真吾(平31スポ卒=東京・本郷)とレギュラー争いをする立場に。「真吾さんには本当に感謝している」とプレー中だけでなく私生活でも交流の深かった佐藤との当時を振り返る。「4年間で一番悔しかったことは真吾さん達を優勝させられなかったこと」と述べるほど、思い入れのあった佐藤組が終わり、いよいよ自分達の代が始まった。

 

 迎えたラストシーズン。寮長として、「私生活はプレーに影響を及ぼす」という考えから、生活規律を正すための改革を行う。しかし、プレー面ではなかなか調子が上がらず、Bチームのキャプテンとして試合に出場する機会が多くなった。「3年生の時試合に出ていたという立場の者としても、レギュラーをとられたという立場の者としても、僕がどれくらい下級生に姿勢を見せられるかが肝だなとは思っていた」と柴田は語る。全国大学選手権が始まると、『荒ぶる』へ向け、Aチームのために対戦相手のプレッシャーや特徴を再現した。その事実は「練習通りのラインアウトが来たので獲得することができました。メンバーに選ばれなかった選手たちのおかげです」という三浦駿平(スポ=秋田工)の天理戦後のコメントにも裏打ちされる。11年ぶりの優勝の瞬間はピッチの外から見届けることとなったが「思っていたより清々しかった」と話す柴田の表情は明るかった。

 「しんどいですけど、しんどい練習をしたあとにグラウンドで喋るのが楽しいです」。結局柴田がラグビーを続けてきた楽しさの根本は単純だ。しかし、それがラグビーの魅力であり、柴田がここまでラグビーを続けてきた理由である。最後の試合に出られなくても、プレーにつながる私生活を正すこと、Bチームで後輩に姿勢を見せること、対戦相手を分析してAチームと練習すること、柴田がやってきたこと全ての結果が『荒ぶる』に繋がった。「きっと同期や知っている人が活躍しているのを見るのも楽しい」。卒業を機に就職することを決めた柴田は、ラグビーを続ける同期達を見守る側となる。北陸の地で偶然ラグビーに出会い魅了された少年は、早大でのかけがえのない4年間を経て、また新たなステージへ足を進めていくのだ。

(記事 内海日和、写真 涌井統矢氏、千葉洋介氏)