【連載】高校特集 第2回 福岡 NO・8山口和慶×WTB本田宗詩

ラグビー男子

 この春、激しいポジション争いを制して2人の九州男児がAチームデビューを果たした。WTB本田宗詩(スポ2=福岡)とNO・8山口和慶(スポ2=福岡)。高校時代は強豪・東福岡高に苦杯をなめさせられ全国の舞台で目立つことのなかった男たちが、早大に新しい風を吹き込んでいる。福岡高の赤白から赤黒へとジャージーを変えた2人に、飛躍した今春の振り返りや高校での思い出を語ってもらった。

※この取材は7月12日に行われたものです。

「赤黒を着られるのはうれしかった」(山口)

春シーズンの充実さを語る山口

――本田選手は4月のセブンズで、山口選手は招待試合の長崎ドリームチーム戦で初めて赤黒に袖を通しました。感想はいかがでしたか
本田 新歓試合のときに、「目標は赤黒」と宣言していたのですが、それが思ったより早くかなえられてうれしかったのと、最初は一回は着たいと思っていたのですが、一度着てみるとこれを着続けたいという目標に変わりました。
山口 僕が長崎で赤黒を着たのは穣司さん(NO・8佐藤穣司、スポ3=山梨・日川)が出なかったから着られたというだけで、自分の実力で取ったわけではなかったのですが、やっぱり赤黒を着られるのはうれしかったですし実際に試合でプレーしてみるといつも以上に緊張してしまって。だから、これから赤黒背負って試合に出るときには、緊張せずにしっかり体張ってやっていきたいです。

――長崎では、初めてお二人がそろってAチームでプレーしました。地元九州で高校の同期との凱旋(がいせん)。特別な思いはありましたか
本田 うれしかったですね。同期の親の方々も応援しに来て下さったみたいでした。

――本田選手はセブンズからシーズンが始まりました。セブンズの練習は、チームとしてはいつ頃から始めたのでしょうか
本田 そんなに特別に力を入れるわけではないので、1週間前くらいだけで短期間でした。

――セブンズの試合が続く中で15人制にも出場。調整が難しかったのではないでしょうか
本田 やっぱり目標は15人制で日本一なので、その中でも使える技術をセブンズの中で見つけようとしていましたね。

――では、セブンズから15人制に生きたことはありますか
本田 7人なのでスペースが広いので仕掛けで自分の強みを生かせたし、そのスペースを15人制の中でももっと見つけていきたいと思いました。

――山口選手はこの春、ほぼAチームに定着。どのような点を評価されての抜てきだと思いますか
山口 自分で答えるのは難しいですね(笑)。アタックで強くラインブレイクすることが僕に求められていると思うので、そこをこれからも強みとしてやっていきたいと思います。

――さまざまな大学のAチームと試合をしましたが、昨季までのBチーム以下の試合と違いは感じましたか
山口 基本的に体の大きさも違うし、1人じゃ止められない相手も結構いて、そこで1対1でも負けない体をつくっていかなければと思いましたね。

――春シーズン最後には帝京大と当たりました。お二人とも途中出場でしたが、試合をしてみていかがでしたか
本田 僕は帝京大B戦も出たんですけど、昨年はケガであまり出ていなくて、Bチームとも初めての対戦でした。そのときは正直思っていたよりもいけるなという感想だったのですが、次の日Aチームに出ると帝京大の中でAとBの差もめちゃくちゃあったし、これが日本一だなと痛感して、もっと努力しようと思いました。
山口 僕もBの試合に出て、Bでは通用すると思ったんですけど、AではFWのサイドのアタックだとか、全然自分一人じゃ何もできなかったし、そこでBとAの差を感じました。

――春シーズンを通して、Aチームで通用したと感じた点と、通用しなかった点を挙げてください
本田 スペースが広いところでもらったら裏に抜けて何本かトライもできたんですけど、そういうシーンって毎回あるわけじゃないと思うので。荻野さん(WTB荻野岳志、先理4=神奈川・柏陽)みたいに自分と逆のブラインドサイドでも積極的にライン参加していきたいです。あの人はラインブレイクの回数もずば抜けているので、参考にしたいです。
山口 トップスピードでボールをもらえたときなどはしっかりラインブレイクもできていました。これからはスタミナなどをつけて、もっとボールをもらえる回数を増やして、ラインブレイクなどでしっかり前に出ることを意識したいです。

――春シーズンで最も記憶に残っている試合やシーンはありますか
本田 僕は長崎ドリームチーム戦です。途中でケガしちゃって交代したんですけど、先制トライを挙げて、それが15人制で赤黒での初めてのトライだったのですごく大きかったですね。
山口 僕は帝京大A戦で最後に少し出たことで、最終的に倒さないといけない相手と実際にぶつかれたことは良い経験になりました。

「森監督はすごく選手を見ていて、見抜いてくださる方」(本田)

高校時代の思い出を笑顔で話す本田

――福岡高校時代で最も記憶に残っている試合は何でしょうか
山口 僕は高校最後の筑紫高戦です。自分たちのプレーが全然できなくて、悔しかったですね。
本田 3年生の春に東福岡高と同点だった試合です。選抜(全国高等学校選抜大会)で東福岡高が優勝した後の試合で、最後ラストワンプレーでトライ決められてコンバージョンも決められて同点になったという試合で、なんとか守って勝ちきりたかった試合でした。

――福岡県というと、全国屈指の激戦区、県大会もレベルが高かったと思います
本田 そうですね。何で1校しか上がれないんだという思いはありました(笑)。

――同県の東福岡高はどのような存在でしたか
山口 まずは倒さなきゃいけない相手でしたね。
本田 1、2年のころは怖いというイメージがあったんですけど、3年になって県選抜とかオール福岡で東福岡高の友達が増えると、意外に普通の高校生だなと(笑)。プレーはすごいですけど。

――早大には東福岡高や筑紫高など当時のライバル校の出身者も多いですが、当時の話をすることはありますか
本田 詠真(桑野詠真、スポ2=福岡・筑紫)とかは当時の試合の話で盛り上がったりします。
山口 そうですね。たまに試合のことを話します。

――福岡高のラグビー部といえば、森重隆監督がおられます。どのような方なのでしょうか
本田 すごく陽気な人です。冗談ばっかり言ってて。
山口 あんまり怒らないしね。
本田 でも怒ったときはすごく熱いこと言って、心にグサッときます。

――熱血な方というイメージがあったので、あまり怒らないというのは意外に感じました
本田 全然怒らないです。僕は個人的には3年間で一回も怒られたことはないです。
山口 僕もないですね。

――では、顧問の牟田口享司先生が厳しく言う、といったかんじなのでしょうか
本田 そうですね(笑)。牟田口先生が厳しく言われて、森監督は陽気にといったかんじです。

――福岡高ラグビー部で身に付けたことで、いまでも特に力になっていることはありますか
山口 僕は中学までBKをやっていて、高校からコーチなどから言われてFWになったのですが、実際いまでもFWに移って良かったと感じています。適正を見抜いてもらったという面で、良かったです。
本田 僕は小学校から高校2年の途中までSHをやっていたんですけど、そのときSHで全然駄目で、でもタッチフットなどでは抜けることができていて。SHで使えなさすぎて大会の途中に森監督からいきなり「WTBをやってみろ」と言われて(笑)。確か東福岡高戦の前週くらいに言われて、そこからWTBです。森監督にどのような考えがあったのかはわからないですけど、いまその起用に感謝しています。

――いきなりWTBをやってみろと言われたときはどう思いましたか
本田 あまりSHにこだわりはなかったので(笑)。WTBのほうがトライ取れて楽しそうだなと思ったので、そこは前向きにやりました。

――それまでWTBで試合に出ていたレギュラーの選手とポジション争いになったのですか
本田 どうだったっけ?
山口 そんなに固定されてなかったような。
本田 たしか、(WTBに)この人、という選手がいなかったんです。

――2年生のいつごろだったのですか
本田 2年生の春ですね。

――そこでコンバートされてなかったら全く違った競技人生を歩んでいたかもしれないのですね
本田 そうですね。森監督はすごく選手を見ていて、見抜いてくださる方です。

――高校時代、お二人のエピソードは何かありますか
山口 県選抜に選ばれたのも、宗詩がWTBになってからだったし、僕も遅れて選ばれて。あの時はね。
本田 一緒に頑張ろう、みたいな感じでした。
山口 タイミングが一緒で。他の人はみんな前からいる人で仲が良かったけど入りづらくて。
本田 みんな最初怖かったんです(笑)。
山口 そうなんです、本当に(笑)。
本田 東福岡高のやつらが怖かったです(笑)。

――それはいつ頃のことでしょうか
山口 2年の…いつだっけ?
本田 3年になる直前ですね。冬が終わって、先輩が引退してすぐだったと思います。

――東福岡高に対しては、怖いという印象なのですね
本田 そうですね、第一印象は。人数も多いですし。あの緑のウインドブレーカー着てるだけで、こいつすげえな、みたいな(笑)。

――高校1年生のとき、チームは花園に出場しました。試合はどこで観ていましたか
山口 僕はベンチにいました。
本田 僕はSHの控えの控えだったのでベンチには入っていなかったですね。

――試合を観ていていかがでしたか
山口 僕は試合に出られなかったんですけど、次の年も、自分が3年の年もまたここに来て試合がしたいと思いました。
本田 僕は1回戦で勝った時の森監督と牟田口先生のうれしそうな顔が印象的で。森さんはかなり長く監督されていて念願の花園だったので、僕らの代でも連れて行ってあげたいなと思いました。

――福岡高といえば、一言で表すと何なのでしょうか
山口 自由ですね。生徒に任されてますし。
本田 文武両道です。

――自由というと、具体的に何かありますか
本田 校則に縛られなかったですね、風紀検査もなかったし。その辺りは他の高校の友達に話すと驚かれたりしますね。

――自由な校風、ラグビーが盛んでスクールカラーがえんじ色。早大と似通っている点もあると思うのですが、いかがですか
本田 そう思いますね。ジャージーも赤白から赤黒になっただけで似ているので(笑)。

――ラグビー以外の学校生活で思い出に残っていることはありますか
山口 体育祭とか。最後の年の体育祭は雨で競技ができなくて途中で中断しちゃって。最後応援合戦だけやって終わったのですが、でも印象には残っていますね。
本田 僕も体育祭ですね。他の高校と違ってすごく準備期間長いし、ラグビー部はあまり準備手伝えなくて、でもそこは練習があるからということで暗黙の了解というか(笑)。盛り上げ役に徹してました(笑)。

――学食のメニューで好きだったものはありますか
本田 朝のオニカラですね。おにぎりと空揚げがセットになってるやつです。
山口 朝のトルティーヤですね。オニカラの横に売ってました。

――朝食べていたのですか
本田 朝学校に行って、ホームルームが終わってから1限の前に食べてました(笑)。

――一日に何食も食べていたのですか
本田 いや、そうでもないです。食事の意識そんなに高くなかったので(笑)。

――早大への進学を決めた理由を教えてください
本田 僕は小学生のときに佐々木さん(隆道、平18人卒=現サントリー)の代の試合を観て、そのときは本当に早大が強い時代で、常勝軍団でいまの帝京大みたいに何連覇もしていて。強い早大をみて、ここでラグビーしたいなと思ったのがきっかけです。早大に行くためにはと考えると、福岡高がいいなと思って。ある程度昔から決めていました。

――ラグビー蹴球部のホームページでも、「早大にいくと決めていた」と語っておられます
本田 そうですね。ずっと思っていました。

――山口選手はいかがでしょうか
山口 僕は宗詩みたいにずっと憧れていたわけではなくて、とりあえず大学でもラグビーをしようとは思っていました。他の大学を受けたんですけど落ちて、早大には受かったので。

――お二人とも推薦入学ではないと聞きましたが何だったのでしょうか
本田 センター試験と競技歴の合算という入試があって。
山口 2人ともそれで入りました。
本田 (早大現役部員の)福岡高出身の4人は全員それで受かってます。中尾さん(康太郎、スポ4=福岡)も寺川さん(賢太、スポ3=福岡)も。

――先輩の名前が出ましたが、山口選手は大学を選ぶ際に先輩や同期の本田選手の存在に影響を受けたのですか
山口 そうですね。他にも受かったところはありましたが、やっぱり早大は先輩がいるし入りやすいかなと思って。

――関東の大学でラグビーを続けている福岡高OBも多数いますが、集まることはありますか
本田 この間、日本代表戦で福岡堅樹さん(筑波大)が出た際に福岡高ラグビー部OB会みたいなのを外苑前でやって、そのときに筑波大組などとは会いました。

――他大学の福岡高出身者の活躍は刺激になりますか
山口 そうですね。刺激を受けています。

――本田選手は話に出た福岡選手とポジションも同じです。参考にしていることはありますか
本田 あの人は本当に足が速くて、タイプはちょっと違うんですけど、ブレイクダウンも激しくなっているし、ディフェンスもめちゃくちゃ良いのでその辺は参考にしたいと思います。

「日本代表・荻野岳志に勝つ!」(本田)

本田(左)と山口

――これからどのような選手になりたいか、理想像はありますか
本田 僕は荻野さんを尊敬していて、ラグビーでも私生活でも仲良くさせてもらっているんですけど、帝京大戦のトライなんか相手に全く触れられずにトライしていて、スワーブもうまいです。僕らと同じで無名校出身というのもあって、昔の早大も無名校出身ばっかりだったので、頑張らなきゃと思います。
山口 攻撃で困ったときには山口に渡しとけばラインブレイクしてくれる、みたいな信頼を得られるようなプレーヤーになりたいです。

――その理想像に近づくために、この夏どのような取り組みをしていきますか
本田 まずは体作りです。帝京大のAとやって全く通用しなかったので。あのレベルまで持っていくのは難しいですが、近づけるようにウエイトトレーニングなどしっかりやっていきます。
山口 僕も宗詩と同じで、まずは体を大きくして当たり負けない体を作って、80分間走りきれる体力をつけていきたいと思います。

――具体的に、この夏何キロくらい体重を増やしたいという目標はありますか
本田 あと2キロくらいですね。走るポジションなので脂肪で増やしたくないので、筋肉をつけていきます。
山口 とりあえずあと3キロくらいですね。

――本田選手はWTBやFBでプレーされていますが、昨年のレギュラーが残っています。ポジション争いの中で、どこをアピールしていきますか
本田 みんなそれぞれタイプが違って、深津さん(WTB深津健吾、スポ4=東京・国学院久我山)だったらタテに強かったり、荻野さんは外のスワーブで振り切れたり。その中で、僕はどこからでも仕掛けられることが強みだと思うので、WTBというポジションにとらわれずに外だけじゃなくて間に入っていって、そこをラインブレイクして取りきる。そこを強みにして磨いていきたいと思います。

――山口選手も、ロックやNO・8でのポジション争いとなります。どこをアピールしますか
山口 さっきも言いましたが、僕はアタックのところが強みだと思うので、もっとボールをもらってアタックに参加して、確実にゲインできるようにしていきたいです。

――大学4年間での目標は何でしょうか
本田 やっぱり日本一です。個人としては、赤黒を着続けることを目標に頑張ります。
山口 僕も赤黒を着続けて、日本一取れるように努力します。

――最後に、この夏、また秋に向けての意気込みをお願いします
本田 じゃあ大きく出て。日本代表・荻野岳志に勝つ!
山口 秋はしっかりAに定着して、たくさん経験積んでいきたいと思います。

――ありがとうございました!

(取材・編集 森健悟)

最後は大きな力こぶをつくっての撮影となりました!

◆本田宗詩(ほんだ・そうし)(※写真左)
1995(平7)年3月8日生まれ。171センチ、75キロ。福岡高出身。スポーツ科学部2年。ポジションはWTB、FB。終始陽気に取材に応じてくださった本田選手。高校時代思い出に残っているのは体育祭で、部活の練習で準備を手伝えないぶん、持ち前の明るさで盛り上げ役を務めていたそうです。

◆山口和慶(やまぐち・かずよし)(※写真右)
1994(平6)年6月14日生まれ。181センチ、95キロ。福岡高出身。スポーツ科学部2年。ポジションはロック、NO・8。好きだった高校の食堂のメニューはトルティーヤで、登校して1限目が始まる前によく食べていたそうです。一風変わった学食が、山口選手の大きな体を作ったのかもしれません。