【連載】『令和2年度卒業記念特集』第6回 田中海靖/漕艇

漕艇

自信・発信

 「自分の殻を破ろうとした4年間だった。」2年時から対抗エイトのクルーを務め、最終学年では主将として早大漕艇部を牽引した田中海靖(スポ=愛媛・今治西)。だがそんな田中は初めから周りを引っ張るタイプであったわけではなかったーー。

 『全国大学選手権(インカレ)優勝、早慶レガッタ優勝、日本代表になる』という3つの大きな目標を掲げていた田中。だが入学前から不安を抱えていた腰痛の悪化や、試合前に体調を崩すなど、入学後は苦難の連続だった。ようやく達成感を得られたのは10月。全日本選手権に舵手なしフォアで無事に試合に出場できたことで、長いトンネルを抜けることができたのだった。

 そして2年生で迎えた早慶レガッタ。田中は対抗エイトのクルーに選出される。それもストロークという、漕ぎのリズムを作り出す大役に抜擢された。最初は不安もあった田中だが、周囲に支えられながら練習を重ねた。迎えた早慶レガッタ当日。多くの観客が集う隅田川3750mのコースで、田中は見事にストロークとしての責務を全うし、早大の優勝に大きく貢献した。「この勝利を収めることができたことが一気に自信となり、どんなことに対しても積極的に挑めるようになった」と振り返るように、田中は日本代表の選考会にも果敢に挑戦していった。

3年生時の早慶レガッタでは歴史に残る大接戦となるも、勝利を収めた!

 その後もエイトでの出場を重ねていった田中は、最上級生になると主将に就任。今までは自分のことだけを考えていたが、チーム全体のことを考えるように田中の意識が変わった。だが主将として様々な立場の人をまとめることに、苦悩することも。そんな時、最初のルームメイトでもある鈴木利駆(スポ=静岡・浜松西)が田中を支えてくれた。鈴木のオープンな性格にも影響され、田中も「自分の思っていることを発信していいんだ」と徐々に主将としてチームを主導していけるようになった。
だがコロナ禍という、さらなる試練が待ち受けていた。部員誰もが憧れる大舞台、早慶レガッタが中止に。それからも先の見えない日々が続いた。主将・田中は困難な状況を少しでも打破すべく、全体ミーティングの頻度を増やし、コミュニケーションを多くとることや、アプリの活用で自主練のモチベーションを維持しようとするなど、様々な工夫を積極的に講じた。

 ラストレースとなった4年生のインカレ。田中が出場したエイトは4位と、日本一まであと1歩届かなかったが、早大がエイトで15年以来進出できていなかったA決勝に進出できた。「もちろん悔しいですが、自分たちの力を出し切ったうえでの結果だったので、後輩たちに何かを残せた」と、後輩のリベンジを田中は信じている。

4年時のインカレではエイト4位の結果を残した

 この4年間を通じ、徐々に自信を得たことで、より行動に移せるようになり結果も付いてきた田中。その自信を得るためには「失敗してもいいから積極的に取り組むことが大事だ」と振り返る。さらに主将を経験することで、周囲に自己を発信できるようにもなってきた。これからさらに変化の激しい社会へと田中は漕ぎ出していく。早大漕艇部での4年間が田中の大きな推進力になるだろう。

(記事 樋本岳 写真 石井尚紀氏、早大漕艇部提供)