【連載】『令和2年度卒業記念特集』第55回 森川晋平/日本拳法

日本拳法

覚悟

 森川晋平(スポ=奈良・青翔)の主将としての1年間は、受難のシーズンとなった。コロナウイルスの影響によって次々と大会が中止、開催された大会は全日本選手権のみ。全てを賭けて臨んだ全日本選手権では昨年日本一の龍谷大学に肉薄した。さまざまな葛藤の中、全国優勝を目指し続けた森川の4年間に迫る。

 早大の日本拳法部には例年、ほとんど経験者がいない。日本拳法部にはスポーツ推薦がないためだ。各学年経験者が一人ずつという体制で掲げる、「日本一」は高い目標かもしれない。それでも、入部した大学1年の時から「自分が主将となってチームを日本一に導くこと」を心に決めていたという森川。森川には、高校時代から日本一への人並みならぬ思いがあった。高校3年では優勝が狙える代として周囲から期待されたが、全国大会は準決勝で敗退。決勝の舞台にも上がれなかった悔しさが「主将として日本一へ導く」気持ちをより強固なものにしたという。

吠える森川

  一方で、唯一の経験者であることは「負けることが許されない」という重圧も背負うことになる。団体戦で日本一を目指すには、主将かつ経験者である森川には常に勝利が期待された。絶対に勝たなければいけないという責任から、森川にとって日本拳法をする原動力は高校の「ひたすら日本拳法が楽しかった」から、「責任感」へと変わっていった。

 主将としての1年間は、コロナウイルスによって受難のシーズンとなった。コンタクトスポーツゆえに相次ぐ大会中止、練習も思うようにできない日々が続いた。主将としての大会は全て中止されるのではないか、という葛藤もあったという。「自身のモチベーションだけでなく、チーム部員のモチベーションを会えない期間、どういうふうに気持ちを切らさないかというところがすごく難しかった。」と当時を振り返る。そんな中でも、やり切りたいと前を向き、全体のモチベーションを切らさないために主将として働きかけ続けた。12月、主将として最初で最後の大会、全日本選手権の開催が決まった。

 全日本選手権当日、初戦は不戦勝、2回戦の近畿大学戦は7勝0敗と全勝で3回戦に進んだ。「動きは少し硬かったが、気持ちはすごく良い状態で望めた」と振り返る。順調に勝ち進み、迎えた3回戦の相手は昨年の優勝校、龍谷大学。言わずと知れた強豪校との一戦に、森川は当時の心境を「楽しみだった」と答える。「勝てれば全国優勝という目標に近くなると思っていた」、悲願達成には勝たなければいけない相手だった。

 そして、この対戦のために、龍谷大の過去試合を元に研究を繰り返していた。研究の成果もあり、7戦終わった結果は、3勝3敗1分。昨年の優勝校、勝てば全国優勝に近づく大一番は、代表戦までもつれ込んだ。出るのは当然、主将である森川。「周りも受け入れて送り出してくれた、絶対勝つという気持ちで臨んだ」と当時の心境を語る。しかし、あと一歩及ばず、ベスト8で森川にとって大学最後の試合は終わりを告げた。

3年時、代表戦に挑む森川

 主将としての1年間、日本拳法選手としての8年間は順風満帆ではなかった。むしろ逆境の方が多かったのかもしれない。コロナによる大会中止、昨年の優勝校に肉薄するも敗戦、そして実力者ゆえの周りからの高い期待。人しれぬ重圧との戦い、葛藤の中でも、日本一という目標を諦めることはなかった。後輩たちへのメッセージは「結果として後悔することはあると思うが、その過程で後悔して欲しくない」と答えた。過程で妥協しない、「ありきたりなメッセージかもしれない」と森川は言ったが、主将としてチームを率いた姿からは、圧倒的な説得力を感じさせられた。「全国優勝」への思いは次の世代に託し、森川は新たな道を進む。

(記事 末次拓斗、写真 日本拳法部提供、柴田侑佳氏)