泥くさく、自分を信じて
「常に考えてプレーすること」。理想とするチームに関して小枝信介(社4=埼玉・西武文理)はこう答えた。これこそが経験者が少ないながら、強豪校として名をはせている早大日本拳法部の強さの秘訣(ひけつ)なのではないか。田中健博主将(商4=東京・国分寺)がけケガのため欠場が多かった昨年、試合中のチームの柱を任されたのがこの男だった。数々の功績を残してきた小枝の4年間を振り返る。
高校までラグビーをしてきた小枝が日本拳法を始めたのは大学1年の春。大学に入学し、ラグビーへの「やりきった」という思いと、それでもスポーツをしたいという熱い思いがあった。そのようなときに、ラグビーと同じく勝ち負けが明白で、体と体がぶつかりあう激しいスポーツ、日本拳法と出会い競技人生をスタートさせる。小枝の初試合はほろ苦い結果に終わった。初めて試合に出場したのは1年生のとき。ラグビーをしていたこと、防具に慣れ始めていたこともあり、何となく勝てるのではないかという自信があった。しかし、開始20秒ほどで相手に倒されてしまう。頭で考えているプレーと実際に試合でできるプレーは違うと実感した瞬間だった。しかし直後の新人戦では、決勝戦で1年生ながら実績のある経験者に勝利。自らの「推薦生(日本拳法経験者)に勝つ」という目標を果たした。
試合でのチームの柱を担った小枝
4年間で、最も印象的な試合としては昨年の全国大学選抜選手権を挙げた。ラグビー経験を生かしたタックルや組み技などの泥くさいプレーが小枝の持ち味。しかし、強豪立命大の選手にわずか1分半で敗北を喫する。自分の得意とする粘り強いプレーが全く通用しない一戦であった。一方、嬉しかったという点で心に残っている試合もある。昨年、大柄で100キログラム近くある陸上自衛隊の選手と対戦したときのことだ。体格で不利な状況だったが、下馬評を覆し見事勝利。「自分の得意とするプレーをしつこくやっていけば勝てない相手ではないと信じていたので最終的に勝利につながった」と笑顔で振り返った。
昨季は早大日本拳法部としてプレーできる最後の年。「自分がチームを引っ張るんだという意識は正直強くなかった」ときっぱり答えた。田中主将は試合にこそ出場できなかったが、ミーティングや毎日の部員とのかけ合いといったプレー以外の場面では主将としてチームを支えていたからだ。ただ試合中は小枝が、「なんとか自分まで回してくれたら、絶対勝って次につなげる」という強い気持ちで率いたという。2本の柱が昨季の日本拳法部の基盤を築き上げてきたと言えるのではないだろうか。
早大日本拳法部を一言で表すと『自由』だ。「非常にのびのびとプレーさせてもらった」。4年間をこの言葉で締めくくった。日々の練習でも下級生が上級生に声をかけ、学年を問わず親しい様子がうかがえる。小枝は日本拳法の魅力をこう語る。「人によってプレースタイルが違い、個性が出るところ」。「自分がやってきたことを信じるという『思い込む力』と他人に流されず自分を貫く『頑固さ』を持ってプレーしてほしい」と後輩にむけてメッセージを残した。個性が現れる競技だからこそ、自分を信じることが何より大切になるのではないか。小枝のように大学に入ってから日本拳法に魅了される者も多いだろう。自由な環境のもとで早大日本拳法部が日本一に輝く日を信じている。夢は後輩へと託された。
(記事 森原美紘、写真 田中智氏)